Extra Cobalt Blue
- ナノ -

花びらの語り部

※ちょっとアダルティな朝。菊流さんより頂きました。


カーテンの隙間からうっすらとした陽の光が告げる、夜明けの色。カーテンや明かりをつけずとも、部屋の景色は明確に視覚に入ってくる。
――朝だ。
クロウは、少しずつ覚醒していく頭でそう思った。

「………ん…」

自分のものではない小さな寝息に、彼は触れあう人の素肌を思い出した。腕にすっぽりと収まってしまっている小さな身体が、隣ですやすやと眠っていた。
まだ起きる気配の見せないフランに、それもそうか、とクロウは口元を緩めた。
今日はお互い休日だ。特に予定もない。昨晩、夜の誘いをかけない理由はなかったし、おかげで誘いに乗ってくれたフランをじっくりと愛でることもできた。
クロウは身体を起こしながら、そっとフランを包んでいた布を軽く持ち上げ、その身体を覗いた。横向きに眠る彼女の豊満な胸はシーツに贅沢に乗り、その肌の上には薔薇の花弁のような赤い鬱血痕がいくつか乗っている。首元には、シャツのボタンを律儀に止めなければ隠せない位置に咲き、閉じられている太腿の内側にもチラリと伺える花がある。

(………確か)

クロウの指が、胸元のキスマークへと伸びる。
彼は数日前に気まぐれで立ち読みをした雑誌の内容をゆっくりと思い出していた。最中はすっかり忘れていたが、なぜか今唐突に思い出したのだ。

(胸は、所有)

征服欲や独占欲の現れ。自分のものだと、思うがゆえのもの。

(太腿は、愛の証)

裸にならないと付けられない場所。ゆえに想い合う者たちの証となる。

(そして首元は――)

同じ温度の体温が、音もなくフランの身体を滑っていく。刻まれた証を確かめていく指は、最後に人の急所の一つを示した。

「執着、か」

――もしもこれが離れたくないという強い想いの映し鏡だとしたならば。

今、自分はどんな顔をしているのだろう、とクロウは自問する。
離れる未来しか描けなかった、かつての自分をクロウは知っている。離れたくないと願う未来など想像がつかなかった。正直なところ、今もまだあまり実感が湧いていない。当然、離れたいわけでもないのだが、突然この世界が夢だと告げられても、納得してしまいそうな自分がいたのだ。

「…ぅ……ん……」
「っと…悪いな」

布団の中に入り込んだ冷えた空気は、体温同士で温めた肌には寒かったようだ。眠りながら小さく身震いをしたフランに小声でクロウは詫びると、再び布団をその肌にかけ直す。僅かに眉間によっていた皴はすぐに緩み、彼女の表情は気持ちよさそうな眠りに戻っていった。
安らかな寝顔を眺めながら、クロウは思う。フランはまだしばらくは起きないだろうと。
それほどに昨夜は与えるものは与えたし、奪うものは奪った。いくらフランの体力が平均的な女性よりも高い位置にあるといっても、寝入った時間を考えると致し方ないといえる。

ふあ、と眠るフランに誘われるようにあくびをしたクロウ自身も二度目をきめようか迷っていた。だが、いやいや、と軽くかぶりを振ると、クロウはベッドの上から静かに降りる。ベッドのぬくもりは名残惜しいが、今日の朝食は自分が作ろうと決めていた。
昨晩激しくしすぎたということに対しての贖罪の意味もあるが、たまには贅沢な朝を迎えて欲しいと思った気持ちがここ最近湧いていたのだ。そのために、昨日のうちに彼女の好きなスコーンだって買ってきていたし、毎日は手が出せないと元令嬢らしからぬ溜め息をついていた少々値の張る紅茶も用意した。

「…ほんと、らしくねぇよな」

だが、たまにはいいだろうとクロウは笑う。誰にも見られることのなかった彼の笑みは、柔らかな日差しに負けないくらい、優しいものだった。

そしてその表情を見ないまま、彼は洗面台にて顔を冷水に晒す。目を覚まさせる飛沫を受け入れて、タオルで顔をぬぐい、一息をついた瞬間、クロウは思わず呼吸をとめた。

「――なっ……」

いつの間に、と開いた口の奥で音もなく呟く。
鏡に映した自身の首元には、花弁を乗せたような赤い色。つい先ほどフランの肌の上でなぞったものよりは控えめで薄いが、確かにそれはキスマークだった。

――首元は、執着。
――離れたくないという強い想いの映し鏡。

「はは……んとに……らしくねぇ」

クロウは思う。暇つぶしだとしても、あんな幾説もありそうな、証拠もない雑誌を読まなければよかったと。読んでいなければ、かわいいことをしてくれた、くらいに思ったことだろう。おそらくフランは衝動的に付けただけだ。ならば普段なら、フランの照れ隠しを満喫しようと調子づいた発言をする、そんな自分が簡単に予想がつく、のに。

(あー…頼むから、ほんとにまだ少し起きないでくれ…)

どんな顔をして会えばいいかわからない、なんて。ひどく今更なこと。むしろどうしてか、無理やり犯したあの日よりも、もっといえばパンダクリュエルで再会したあの時よりも、どういう顔をしていいのか、わからない。

――この日、クロウは二度顔を洗うはめになった。一度は何ら変わらない朝のローテーションのひとつ。もう一度は、ただ冷たい水が頬に欲しかった。ただそれだけが理由だった。
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