Extra Cobalt Blue
- ナノ -

ある幸せな一日の記録

※「agnello」のあいらさんから頂きました!


新しい一日を始める時に愛おしい人が隣にいるというのはどれだけ幸せなことだろう。
クロウが遊撃士として、フランが士官学院の教師として働くようになってからそれなりの月日が経った。最初こそ慣れないことばかりであったが今ではその生活にも慣れてきていた。そして慣れたことで分かってきたこともある。それはお互いの「休み」が重ならないことであった。確かに帰れる時はしっかり家に帰りお互い顔を合わせ、一緒に居る時間もあるにはある。しかし次の日になってしまえばまた仕事に行くから実質一緒に過ごせる時間は短いものだった。だから今回珍しく2人の休みが2日間も続けて重なったのは有り難いことだった。昨日クロウが家に帰ってきたのは遅かったが、次の日が休みと分かっていたからかフランが起きていてくれたのは嬉しかったし、自分がビールを飲もうかと言って自分も一緒に飲む、とフランが言ってきたのは、お互いどこかでもっと一緒に過ごしたいという思いがどこかにあったのだろう。

目が覚めて、クロウは昨日の酔いが少し残っている体をゆっくりと起こす。時計を確認すればいつもよりかなり遅い時間帯で、朝というよりはもう昼前に近かったけれどそんな日があってもいいだろう。隣で眠るフランの髪に指を通せば、まだフランは起きる様子がない。フランを起こさないようにベッドから降りたクロウはパジャマから着替えて少し遅めの一日を開始した。
フランが起きたのはそれから少し経ってからだった。んんん、とベッドで伸びをしてからぼんやりと天井を見つめる。そして首を横に動かして、その隣にクロウが居ないことに気づいたフランは思わずがばりと起き上がる。確か昨日は一緒に寝たはずじゃ、と不安になったところでクロウの寝ていたその場所に手を伸ばせばそこは暖かく、クロウが先に起きているということに気づいたフランは安心する。それから着替えて一階に降りればフランに気がついたクロウが「はよ」と声を掛けた。リビングには、食事を用意しているであろういい匂いがフランの鼻を掠めた。

「おはよう、クロウ。ごめんなさい、準備任せちゃって」
「いいってことよ。フランの方にも色々準備あるだろ?」

「寝癖付いてるぜ」というクロウの指摘にフランは慌てるようにして洗面所へと向かい身だしなみを整える。リビングに戻る頃には食事もできており、テーブルにはサンドイッチとコーヒーが準備されていた。朝食といえどもう時間も遅く昼も兼ねているからちょうどいい。「いただきます」と2人で声を合わせて言ってからサンドイッチを食べれば、卵の味が口いっぱいに広がっていく。朝食を食べながらフランが新聞を広げているのはいつものことだった。学生の時からフランは政治関係や時事情勢などの情報を確認することに抜かりはない。別にゆっくりしてもいいのに、と思いながらクロウも新聞の記事に目を向けて読んだ情報に思わず「おっ」と声を上げる。

「どうしたの?」
「いや、ちょうどそこに今日のレースのことがあってな」
「あっ…本当だわ!」

その記事には今日のレースではあのライノブルームの産駒が初めてレースに参加する、ということが書かれていた。フランが馬好きなのも変わらないし、クロウが競馬という賭け事が好きなことも変わっていない。今は休みだし学生時代の時のように競馬をしてはいけないということもない。そうとなれば決まるのは早く、今日はこの後帝都競馬場に行こうという話になる。2人で食器を片付けた後は準備をする為にそれぞれの部屋へと一旦戻っていった。


準備、といってもそんなに手間を取るものではない。暖かくなりつつあると言ってもまだ外は寒いことが多く、クロウは上着を羽織り必要なものを手にして鏡の前でおかしなところがないかを確認する。しかしその時目についたのは、自分のデスクの上に置かれているバンダナであった。それはいつもしているものとは違う、学生の頃に愛用していたものだ。久しぶりにしてみたらフランはどんな反応をするのだろうか、少しだけそれが気になってしまいクロウはいつもしているバンダナからそれに変える。
クロウが一階に降りれば既にフランは準備ができていたのか、こちらを見たあと忘れ物はないかと尋ねる。もう一度確認して問題ないことを確かめて玄関へと向かう時にクロウを引き止めたのはフランだった。

「クロウ、それ……」
「ああ、つい懐かしいなと思ってな」
「…ふふっ。そっか」

そう言った時のフランの表情は柔らかく、クロウはこのバンダナに変えてよかったと改めて思う。クロウにとっても、フランにとってもあの学生時代は大切な思い出だったのだ。





 アパートを後にしてヴェスタ地区に出ると、土曜日ということもあってそれなりに人が多い。帝都競馬場までのトラムが来るまでにまだ少し時間があるため、クロウとフランは近くのハーシェル雑貨店に立ち入ることにした。もしかしたら彼女に会えるかもしれない、と思ったけれど相変わらず彼女は忙しいらしくそのお店にはいなかった。

「いらっしゃい…って、あら、フランちゃんじゃない!…もしかして、デート!?」
「えっ、デートっていうか、…あはは、そうですね」

フランとマーサが話しているうちにクロウはお店の中をぐるっと見て回る。そしてあるものを見つけ、フランが話に夢中になっていることを確認してからフレッドに声を掛ければフレッドも空気を読んでくれたのかこっそりと会計を済ませてくれた。

「クロウ、何買ってたの?」
「んー、ナイショだ」
「なによ、それ」
「まあまあ、トラムに乗ったら渡すからよ」

はぐらかすようにしてお礼を言ってから雑貨店を出れば、ちょうどタイミングよくトラムが到着する。トラム内はそれなりに混んでいたが座れないというわけでもなく、クロウとフランは隣に座る。そしてクロウがフランに後ろを向いて欲しいとお願いすれば少し不思議そうにしていたものの、後ろを向いてくれた。そしてクロウは雑貨店で買ったあるものをフランの髪に付ける。

「…、これ……」
「おう、お店でたまたま見つけて似合うと思ってな」

あの時クロウが買ったものは髪留めであった。しかしただの髪留めではなく、蒼い薔薇がついたものであった。これをお店で見かけた時、クロウは真っ先にフランのことを思い出したのだ。フランはクロウに「ありがとう」と伝えて窓に映る自分を見る。今日は昔よく付けていた髪留めをしていこうと決めたことは正解だったのかもしれない。まさにそこに写っていたのは蒼い薔薇に止まる蝶がいるようでもあった。







 競馬場はさすがの人混みだった。早速会場内に入り、クロウとフランはどの馬券を買うか2人で相談する。大抵競馬と言えばクロウが予想し、賭けないフランが予想をした方が当たるということが多かった。

「うーん、私はこっちがいいと思うわ」
「奇遇だな、今日は俺もそっちの方がいいと思ってたんだ」

本当?と嬉しそうに返すフランを見ながらクロウはその馬券を購入する。そして見やすいところまで移動すればちょうどもうじきレースが始まるところで、ファンファーレが鳴ると会場内の熱気も最高潮に達する。馬が入場して一瞬静かになった時のこの緊張感は、やはりその場に行かないと体験できない。スタートの合図で一気に馬が走り出し、再び会場内は声援の音に包まれる。2人の賭けた馬は最初こそ遅れを取っておりやはり今回はだめだと思ったが、後半になり一気に速度を上げて上位陣に食らいつく。そしてなんと意外なことに1位だった馬と接戦を繰り広げ、ギリギリの僅差で1位になるという結果を上げたのだった。

「クロウ、やったわね!」

レースが終わりその結果をとても喜んでいたのは珍しくフランの方だった。と返しながらクロウが思い出していたのは、いつぞやの夏至祭だった。あの時も帝都に居たし、賭けはせずともフラン達に会い、競馬場を見て周った。しかしあの時の自分は「フェイク」にすぎない。夏至祭を楽しむのも、それは本来の目的ではなかった。それが今はこうして愛おしい人と一緒にレースを見れるなんて、きっとあの時の自分が見たら信じられないだろう。フランの楽しそうな表情を見ながら、クロウは「ああ、そうだな」とフランに言葉を返すのだった。

会場を後にする頃には既に陽が傾き始め、空はオレンジ色に染まりつつあった。まだ夕飯にするには早いけれど小腹も空いているから会場の周りにある出店でなにか買っていこうということになり、2人でどれにしようかと探していたが、ふとクロウはフランがある場所を見つめていたことに気が付きその視線の先を追う。そこに書かれた「フィッシュバーガー」という文字に、思わずクロウは表情が綻ぶ。あれにするか、とクロウはそのまま店員に声を掛けた。

「フィッシュバーガー2つお願いします」
「あいよ。…故郷の味を楽しんでもらえるのは嬉しいねぇ」

故郷の味、ということはきっとこの人もジュライ出身なのだろう、その言葉はクロウにもよく染みたのだ。あのままフランに出会わなければこうしてフィッシュバーガーをフランに教えることもなかったかもしれない。そして何より、一緒に食べようと言って表情を明るくさせるフランが見れることもなかっただろう。
2つ分受け取りお礼を言ってからフランにフィッシュバーガーを渡す。本来ならトラムに乗ってヴェスタ地区に戻るところだが、今回はいわゆる食べ歩きだ。いつもならフランが「食べ歩きなんて」というところだが、今回ばかりはそれは無しだ。「いただきます」と言ってからフィッシュバーガーに齧り付けば食べ慣れた味が広がっていく。

「うーん、やっぱり美味しいわね!」
「ちょうどお店があってよかったぜ。レースも当たったし、今日一緒に出かけられて正解だったな」
「いつもならクロウが賭けると外れるのにね」
「うっ……それは言うなよ…」

他愛の無い話をしながらまた一口齧り付く。フィッシュバーガーの味も、こうして歩く道もどちらも慣れたものだ。そのはずなのに、ただ隣にフランがいるというたったそのひとつだけで、そのいつもの景色がクロウには違うように写っていた。







 アパートに戻る頃にはすっかり日も暮れて暗くなっていた。「ただいま」と2人で戻り、まだ時間があるからとフランはクロウに来週の授業の準備をすると伝えれば、その間にクロウは風呂に入ることになった。
自室に戻ったフランは机に座り、今まで進めていた授業内容を確認する。今教えている生徒達はしっかりと授業に付いてきているし、みるみると成績を伸ばしているところを見れると教え甲斐もあるというものだ。そういえばまたクロウに実技テストの協力をお願いしてもいいかもしれない。きっとクロウのことだから、喜んで引き受けてくれるだろう。そんなことを考えながら、フランは次の授業の要点を纏めていく。
暫くしてフランが一階に降りれば、既にクロウはお風呂から出ており新聞を広げていた。フランに気づいたクロウは「先上がったぜ〜」と新聞に目を向けながらフランに伝える。フランも入るわね、と伝えてから脱衣所へと向かった。
お風呂に入る準備をしながら、フランは今日していた髪留めを外し思わず手を止める。今日クロウにプレゼントしてもらった蒼薔薇の付いた髪留めをこうしてしっかり見るのはこれが始めてだったのだ。今度改めてクロウにお礼をしなくちゃ、と思いながら大事に髪留めを置いてからフランも入浴するのだった。

今日のことを思い返しながら入っていると時間が過ぎていくのはあっという間で、フランはいつもより長風呂してしまった。急いで髪の毛を乾かし終えて普段着に着替えてリビングに戻ると、珍しくクロウがまだお酒を飲んでいなかった。大抵休みの日になると飲んでいる印象が強かったから、フランは何があったのか自然と尋ねていた。

「いや、冷蔵庫を確認したらちょうどビールを切らしててな……」
「あ、そういえば少なかったわね。本当は買い出しに行く予定だったし、どうしよう…」
「それなら近くのお店まで買いに行くのはどうだ?」
「!それもいいわね」

便利なことに、最近になってこの近くに色々揃っているお店ができたことはクロウも知っていた。そこの店員はあまり身分等気にしない人のようで、特に当たり障りなく接してくれるのも好印象だった。そうと決まれば早く、クロウとフランは上着を羽織りアパートを出る。季節は春になりつつあるといえど、夜になるとやはり風が冷たい。だからだろうか、クロウとフランは自然と手をつないでいた。
「いらっしゃいませ」という言葉を聞きながら、クロウとフランはそれぞれ目当てのものを選んでいく。大体欲しいものはもう決まっているから、それぞれお店を周ることに時間はかからなかった。「見つかった?」とフランがクロウに声を掛けて、クロウが手にしていたビールを買い物籠に入れる。そのまま会計を済ませてお店を後にして、再びアパートを目指すのだった。

アパートに戻り、手洗いを済ませたフランは買ったものをしまい、クロウはビールをテーブルに置いてフランが戻ってくるのを待つ。その数分後にフランが戻ってきて、彼女の手には同じくビールが握られていた。しかしビールを開ける気配のないクロウに、フランは不思議そうに「クロウ?」と名前を呼ぶ。

「フラン、あの時何買ってたんだ?」
「えっ、何、って…今日買う予定だったはずのものとか…」
「他に買ってただろ?」
「!気づいて、たの…?」

クロウは別に「何が」とは言っていない。けれども心当たりのあるフランにとっては既にクロウにバレてしまったのだと思ったのか、フランは顔を真っ赤にしてクロウを見る。──そう、クロウは気づいていたのだ。あのお店でもうじきなくなりそうな栄養剤等の他にフランがあるものを買っていたことを。それがフランなりの「お誘い」だということも気づいていたのだ。そもそもがあのお嬢様であるフランがコンドームを買っていたなんて、誰も気づかないだろう。事実、フランは極力不自然さを出さないようにしていたことはクロウには分かる。でも相手がクロウだからこそ、それは悪手だったのだ。
一緒に隣でビールを飲もうとして向かい側ではなく隣に座ったのがまずかった。気がつけばフランに逃げ場はなく、クロウの視線はじっとフランを捉えている。まだ何も手を出してこないことが、フランにとっては余計に恥ずかしかった。

「気づいてたけど、ゴムなんて今更いらねーだろ?」

フランがクロウに何かを言う前に唇を塞がれる。元よりそのつもりだったのか、フランに抵抗する様子はあまり見られない。今日もまた「おやすみ」を言うのが遅くなりそうだった。
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