Extra Cobalt Blue
- ナノ -

addressArmbrust

address:Armbrust
※「monotone」の菊流様より頂きました!


同棲という響きに、一般的な人々は何を想像するのだろう。
寝食を共にする、一緒に過ごす時間が増える――漠然と浮かぶ想像は、そんなものだ。
だが学院生のころや旅路での集団生活で、共に生活をする、という体験をすでにフランとクロウは得ていた。
だからこそ、“クロウと同棲をする”ということに関しては、これまでの付き合いを考えれば“ようやく”というべきなのだろうが、気構えるという点では“今更”の面をフランは感じていた。どうにも、何かが変わるという実感がわかないのだ。
勿論、これまで経験した集団生活と二人きりの同棲は全くことなるものであることは百も承知だ。心臓の鼓動が跳ねる気持ちはある。諦めていたはずの未来がやってきたことに、胸に詰まる思いだってある。
自分たちらしさ――そういう変わらない部分は想像できる。だが、同棲することで“変わる”自分達がいまいち想像できないのだ。

変わらなければならない、ということではないにしろ、同棲という男女の関係性の一歩の中で、漠然と何かが変わる気がする。その“何か”にどんな心の準備をするべきなのだろうか。
どこかあやふやな心のまま、フランはクロウと同棲するまでの日々を指折り数えていた。

+

ヴェスタ地区で選んだアパートへの引っ越しまで残り数日を切り、ようやく合わせられた休日の買い物は一日がかりだった。それもそのはずだ、まずは帝都ヴァンクール大通りから始まり、オスト地区、そしてこのヴェスタ地区まで、財布の事情を考えつつ、新居の家具や導力家電を選んでいたのだから。
まずは最小限生活に必要なものを、今日買い揃えられなかったものは徐々に買い揃えて行けばいい――これから長い日々を過ごす、という未来をもとに二人で決めたこと。

だからこそ、今日の最後、と入店前をしながらたどり着いたヴェスタ通りの《ハーシェル雑貨店》にて、「さて、どれにするかね」とペアのマグカップを選び始めたクロウに、フランは少し戸惑っていた。

「…………ねえ、クロウ。その、最低限のものって言ってたわよね?」
「おー、そうだな」
「その、飲み物を飲むカップくらいなら、既に私も持っているし…クロウも一つくらいは持っていたんじゃなかったかしら?」

フランの小さな戸惑いは、何も今始まったものではなかった。オルト地区の中古屋《エムロッド》でわざわざダブルベッド用の寝具一式を買い付けたときにも違和感はあった。新品同様のベッドに対する値切り交渉はさすがにものだったが、一緒に値切った間接照明は果たしてすぐに必要だったものだろうか。
フランはそれらのクロウの行動が無駄遣いと思っているわけではない。買い物前に二人で決めていた予算を越えているわけではなく、むしろクロウのおかげで想定よりも安く収まっている部分は多い。だが、その分フランの想像よりも遥かに充実した家具雑貨等々が揃い始めている。
今クロウが選んでいるマグカップも、クロウが欲しいというならばフランに止める気持ちはない。だが、今朝「とりあえず最低限のもんから揃えよーぜ」と言ったのはクロウだからこそ、取り急ぎ用意するものがないものを選んでいるクロウに違和感を感じてしまっていた。

「………そう、か。ま、そうだよな」

クロウは並ぶマグカップを見るために屈んでいた姿勢を正すと、棚の上にあった箱を手に取った。その中には――柄の部分にそれぞれ金と銀の装飾が付いたペアのマグカップが入っていた。

「正直に言うと、俺も何が“必要最低限”なのかよくわかんねーっつーか」
「え…?」
「俺の親が何を持ってどうやって暮らしてたなんかも知らねーし、じいさんとこに住んでた記憶も正直曖昧だからな。……“家”っつーのに必要なもんがわからねぇ。だからまあ、一般的なもんを、って思っちまったんだが」
「ぁ……」
「本物を知らねぇっつのは、うまくいかねぇな」

頭を掻いたクロウは、誤魔化しも何もなく、屈託なく困ったように笑っていた。人が生きていくという生活としての必要最低限についてはきっと実体験から把握しているだろう彼も、家族となる誰かと一緒に生きていく生活としての必要最低限は、最早知識の上でしか知りえなかったのだ。
フランは気づいた。彼には、記憶に残らないうちに捨ててしまった家という空間を、もう一度、その手で選んで創り出そうとしていることに。それは比較的器用なクロウにとっても、今回ばかりは簡単なことではないことに。

「ま、確かに職業柄毎日帰るっつーわけでもねぇしな。今すぐ必要じゃねぇって意味なら、こういうのはまた今度にするか」

残念そうな素振りを見せるわけではなく、それが道理だと納得したようにクロウは目線の先の棚へと手にしたマグカップのセットを戻そうとする。
「まって」その手に追いつかせるように、フランの手がクロウの手を追いかけた。

「……実は、私もよくわからないわ。私には家も家族もいたけれど、…あそこにあったものは、私の物というより、“家の物”だったから」
「フラン……」
「だから、もう少し一緒に探してみましょう?


二人分の枕、二人分の皿、二人分の歯ブラシ――いろんなものが二つ、並んでいる。それは、とりたてて生活の中では意識しない、当たり前の雑貨。なのに今は寄り添うように並んでいる自分専用と彼専用に揃えられたそれらが、どこか照れくさい。

「“幸せ”………って、不思議ね」

この部屋に漂う空気さえ愛おしいと感じてしまって、何もないはずの空間をすくって、抱きしめる。とてもあたたかい気がした。錯覚だとしても、感じた心は本物だ。

変わらないように見えて、こうして少しずつ、変わっていくのだろう。ただし、その変化がいいものである保証はないことは、二十年近く過ごしてきた日々の中でもわかる。
だが、変わる可能性というのは、止まっていないことの証明だ。
“ただひたすらに、前へ”を共に。
かつて夢だったそれは、変えられなかったはずのものは、――進んだからこそ、変わったのだ。

「ここから、また、始まるのね」

彼はこの胸躍る新居の風景を“様式美”だと照れたように言ったけれど。
明日へ未来へと背を押してくれるような感覚を――この景色が与えてくれたのだとしたら。

「ふふ、私はこういうところも、やっぱり好きなのかしら」

クロウの言葉や行動は、いつだって一歩踏み出す力をくれる。重く伸し掛かるような一歩だったときも、壊れてしまいそうな一歩であったときもあったけれど、こうして前に進めている自分を好きになれたのは彼のおかげだ。

感慨にふけているうちに、コーヒーの香ばしい香りが漂ってきていることにフランは気が付いた。それを合図にしたように「フラン、休憩しようぜー」とリビングとなった部屋からクロウの声が聞こえる。フランの口元には自然と笑みがこぼれた。

「――ええ、いま行くわ」

今日は自分にも、紅茶ではなく、ミルクがたっぷり入ったコーヒーが用意されているのだろう。
そんな予測ができたのは、あの日ハーシェル雑貨店で買ったペアのマグカップが、仲睦まじそうに並んでいる素敵な光景を想像してしまったからだった

---
19/05/01
- 77 -

prev | next