Extra Cobalt Blue
- ナノ -

ブルー・ペタロイドキス

※「モノトーン」の菊流さんより頂きました。


「あら、流れ星ね」

普段はクロウの思考に水を差さない歌姫の声が、シンと静まり返っていた夜に等しい美しさで空を語っていた。

ヴィータとクロウがパンダクリュエルの甲板に共にいたのは、特に意味があったわけではない。クロウは今後の計画を一人見つめ直すために冷え込んだ空気を吸いたかっただけであり、ヴィータこそ本当に特に理由もなく、ただ綺麗だと思ったから星空を見に来ていただけだ。
そのため「あら、こんなところにいたのね」「まあな」と出合い頭に軽くやりとりはしたが、お互いの時間を邪魔することはなかった。
だがふと零したヴィータの言葉が、あまりにも何の含みのない純朴な呟きだったからこそ、思わずクロウは反射的に空を見上げてしまった。

「……もう見えねぇか」
「あら、珍しい。見たかったのかしら」
「別にそういうわけじゃねぇよ。ただの好奇心だ」
「ふふ、そういうことにしておいてあげるわ」

付き合いはそれなりに長いが、いまいちこの魔女は考えが読めない、とクロウは小さくため息をつく。ただ居心地が悪いと思ったことがないため、相性は悪くないのだろうと漠然と感じてはいた。
だが本当に読めない女だと、クロウは次のヴィータの言葉で一層思うようになる。

「もしももう一度流れたら、あなたは何を願うのかしら?」
「は?」
「あら、知らない? 流れ星が流れ終わるまでに三回願い事を唱えると叶うという話があること」

ヴィータの指先が、星をなぞる。それはあまりにも、ゆっくりで、まだ流れ終わっていない星のようだった。

「……俺が驚いたのは、あんたがそういう話をふってきたことだよ」
「考えるだけなら自由でしょう? だって――」
「流れ星の流れる時間は一瞬。一回ならともかく、三回も願いを唱えるなんて到底無理だ。――そう、願いなんて、簡単に叶えられるものじゃねぇ、ってな」
「そういうことね」

クロウの言葉に頷きながらも、ヴィータは笑みを絶やさなかった。その指先はまだ、星をなぞり、流れ星を描いている。「けれど、こうも考えられるわ」そして指先に、ひらり、と一枚の花弁が落ちた。

「――…」
「その不可能に等しいことができたなら、願いは叶えられる、とも。…ふふ、あなたがしたことも、しようとしていることも、本来はそんな不可能に近いことじゃなかったかしら?」
「……ああ。だからあのオッサンを殺すのも、その尻ぬぐいも、やるのは俺の手だ。だから俺に、流れ星にかける願いなんかねぇよ」
「あら、浮かんだ願いはそれだけ?」

意味深長に、ヴィータは美しく微笑む。ひらりと星空から背を向け、はい、と作り出した花弁をクロウに差し出す。

「私と出会ったころのあなたなら、本当にそれだけだったんでしょうけど」
「……ヴィータ」
「ふふ、ごめんなさい。せっかく綺麗な星空なのに、あなたが見向きもしないから。もったいなくて、つい、ね?」
「…別に気にしてねぇよ」

クロウは差し出された花弁を受け取ると、「もう行くのか?」とヴィータの背中に問いかけた。ふふ、と笑んだような声が、風伝えに届く。

「特等席をあなたにあげるわ」
「特等席?」
「今から流星群がきそうよ。たまには、自然の神秘に浸ってみるのもいいと思うわ」

おやすみなさい、とヴィータは口を開いたクロウの言葉も聞かずに甲板から姿を消す。一人残されたクロウは、本当につかめない女だ、と、わざとらしく肩をすくめた。

「………流星群、か」

実際に見たことはなかったが、聞いたことはある。言葉の通り、多くの星が流れるのだろうことは簡単に予測が付いた。

『もしももう一度流れたら、あなたは何を願うのかしら?』

クロウの耳に、ヴィータの声が反芻する。
願うか願わないかは置いておいて、叶えたい願いを聞かれたなら、かつてはたった一つの血に濡れた願いしか思い浮かばなかったはずなのに。

――クロウ! 今流れたわよね! あ、また!
――んー? どこだ?
――ほら、あそこ……っ、てどさくさに紛れてどこ触ってるの!
――いやー、お前が指した指の先を見るには背後から抱き着くのが一番だろ?
――もう! クロウ!
――ん、よそ見すなよ。来るぞ。
――あ……。

幾多の星が降り注ぐ満天の星空を。
数々の夢を語る流れ星を。

――綺麗ね。本当に。

こんな星空を、自分にしか見せないただの少女の顔で、見とれる彼女の隣で見ることができたなら。

「……それこそ、星になんか託せねぇよ」

クロウはヴィータから受け取った花弁――青い薔薇の花びらを指先で持つ。空を切る風でひらひらと靡くたった一枚の花弁は、今にも飛んでいきそうだった。
またひとつ、流れ星が落ちる。クロウは願いを口にしなかった。
ただ指先だけを離し、たったひとりの少女の名前を呼んだ。
そして同時に青い花びらが空を舞い、夜に消えていく。星のように煌くことなく、何の奇跡も予兆も見せず、夜空の海に飲まれていく。

もしも、あの花びらが彼女のもとに届く、そんな奇跡が起きたなら――。

「なんて、な」

満天の星空を浴びたせいでどうやらやけに情緒的になっているらしい、とクロウは自嘲を零した。「俺には似合わねぇな」なにせ、思想も性格も信念も、そんなロマンチストではないのだから。

ただひとつ、どうしてもはっきりとわかってしまった。
変わらない信念の中だとしても、願いと聞いて、真っ先に浮かぶ顔が変わっていることを。
憎悪の血が似合う男ではなく、愛しい微笑が似合う少女になっていることを。

わかっていても、自分は彼女に刃を向け、彼女もまた、その銃口を向けるのだということも。


クロウは一人静かに笑うと、再び満天の星空を見ることなく踵を返し、自室へ戻った。
そして翌朝、彼は麗しく微笑むヴィータの言葉に、ここでは珍しい素の顔で首を傾げることになる。

「ちょっとした秘術だったのだけれど……、でもあなたらしい願いだわ」
「は?」
「ふふ首筋はどんな意味だったかしらね?」
「いや、まじで意味わからねぇんだけど」


そのやりとりは、離れた地で眠るフランの、首筋に乗った青い薔薇の花びらをエマが見つける、五分前のこと。
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