Extra Cobalt Blue
- ナノ -

そして世界は愛の何たるかを知る

もう間もなく二年生は卒業を迎え、そして一年生は新しい学年に上がる為に後期の授業を終えるが、Z組の仲間はリィン以外は進級を選ぶのではなく、今自分がやるべきことをやる為にそれぞれの道を歩むことを決意していた。それはあの冬の内戦を乗り越えてきたからこそ、行動に移さなければならないと感じていたのだ。

戻って来て二か月ほど、勉強に打ち込んで帝都大学の法学科に進むことが決まったフランには初めて家への拘り以外にやりたいことが出来ていた。
それは教職課程を取り、再びこのトールズ士官学院に戻ってくることだった。
貴族として生きた自分、そして身分を問わないZ組という居場所で過去の柵を乗り越えられた自分、全て含めてこれまでの経験で自分が得た物を、新たに入って来る今後の未来を背負っていく後輩達に教え伝えていくべきだと考えていたからだった。
遊撃士として自分の道に戻るが、サラのように。
そして彼女とはまた違った視点から。


刻一刻と近づく別れの時に、隠しきれぬ寂しさを抱きながらもただひたすらに前に進むために何時も通りの学院生活をそれぞれ精一杯楽しんでいた。
茶道部の活動場所である一階の部室に、二年生の部長と副部長、フラン以外にももう一人──クロウ・アームブラストの姿があった。


「お前のその格好見るの、久々だな」
「ふふん、感謝してよクロウ君!」
「この着物も暫く誰も着なくなるから……見納めね」
「わざわざ着付けてもらってすみません、先輩」


着物を着つけてもらい、髪を緩く結わえたフランの姿に、クロウは満足げに少し照れくさそうに笑う。
二年生が二人で、唯一の一年生だったフランもこの春に学院を出ることになった為、茶道部は廃部という事になる。とはいえ道具や指導本などは保管してもらえるというから全く無くなってしまうということではないが、少しの寂しさも覚える。
フランが着物を着たのはあの学院祭以来だった。備品管理の話を教官たちとしてくると、二人は部室を出て行き、この場にはクロウとフランだけになった。


「綺麗だな、ホント」
「……ありがとう。クロウにそう言ってもらえるのがやっぱり何より嬉しいというか……」
「……、可愛いやつめ」


嬉しそうに頬を染めて笑うフランに、クロウは口元を手で押さえて視線を逸らす。好きな相手に褒められることほど嬉しいことは無かったのだ。


「今お茶菓子と抹茶を用意するから」
「おっ、お菓子結構あるじゃねーの」
「二つは取らないの。もう、何時もそうなんだから」


何時かも同じような会話をしたと、フランは肩を竦める。そんな過去を振り返れるだけでも幸せだと実感するものだ。離別の道を一度は歩み対峙した経験があったからこそだろう。
器に抹茶を入れてお湯を注ぎ茶筅でお茶を点てる。クロウにお茶菓子と抹茶を渡して、茶器を片付ける。その間にクロウは早々に飲み終ったのか、ご馳走様と器を畳に置いた。
それを片付けようとしたが、クロウに手で招かれて疑問を覚えながら近寄ると、座るように言われたものだからクロウの前に正座をして向き合うが、改まって妙な感じだ。


「ど、どうしたの、クロウ?」
「なぁ、フラン」
「なに?」
「ーー俺と、一緒に暮らさないか」


その一言に、フランは目をゆっくりと開く。

クロウは真っ直ぐとフランを見詰めていて、ただその答えを待っていた。胸の奥が熱くなり、唇を噛みしめてフランは俯いた。本当に嬉しかったから、咄嗟に言葉が出てこなかったのだ。
答えなんて決まっていた。しかし、それと同時に自分の綺麗ではない感情に気が付いてしまって、罪悪感を覚えた。


「……ごめんなさい、クロウ。どこかで言ってくれたらいいなって……期待、してる自分が居たから」
「ったく、何で謝るんだよ。むしろ期待してくれてたこと程、嬉しいことはねぇって。はは、嫌って言われたらどうしようかと思ってな」
「嫌なんて、言う訳ないじゃない……」


クロウの手を取り声を震わせながら微笑んだフランに、堪え切れずに身体を引き寄せて強く抱き締めた。もう離さないようにと存在を確かめるかのように抱き締めるクロウに、フランも背中に腕を回してその背を優しくそっと撫ぜた。
一緒に未来を歩むことを心に決めていたのはクロウだけではなく、フランもまたそうだったのだ。それは恋人同士の憧れからの勢いばかりの行動ではなかった。お互いの責任も全て受け入れていくと決めたからこそ、二人で新しいスタートを切ることを決意したのだ。

着物から制服に着替えて、戻って来た先輩達と一緒に部室の片づけをし今日の活動を終えて、二階の教室に寄ってから戻ろうとしたクロウとフランと鉢合わせたのは学院を回っていたリィンだった。その手には本が数冊あり、彼がまた何か面倒事を頼まれているのだろうと直ぐに分かった。


「お前も苦労してんな。またサラ教官辺りに野暮用任されてるのか?」
「あぁ、急に手渡されて他の教官に会ったら渡してくれって言われてな」
「ふふ、リィンらしいけど、サラもそれ位自分でやったらいいのに」
「二年生もそういう調子で本当に大丈夫かよ?」
「自分に出来る範囲でならやらせてもらうさ。……その、クロウは、どうするんだ?」


ーー卒業したら。不安そうな顔をするリィンに、クロウはふっと笑みを浮かべて「心配すんなよ」と肩を叩いた。


「一応俺も新しい道は考えてる。ま、お前らに捕まっちまった分、何も考えてなかったら先輩としても、仲間としても格好悪いだろ?」
「……クロウ……はは、よく言うよ」
「お前も俺みたく単位を落とし過ぎるようなことはすんなよ?真面目だが、どーもお前は危なさそうだしな」
「それはちょっと保障出来ないけど、何とか上手くやって見せるさ」


灰の騎神を扱えるとして、鉄血宰相から任務をつい先月も与えられていたリィンには今後もまた任務に駆り出される機会が増えることだろう。そういう意味でも、彼はトールズ士官学院に残ることを決めたのだ。Z組でたった、一人だけ。
Z組という居場所はあまりにも眩しい思い出ばかりだったからか、近付く別れにフランも胸が締め付けられる思いだった。離れたくないという気持ちは勿論あるけれど、それ以上に自分達がそれぞれやらなければならないと決めたことをやるべきだとは解っていたのだ。
また後で寮でな、とリィンに挨拶をして立ち去ろうとしたが、リィンはクロウに一つだけ、と呼び止めた。


「もう、フランを泣かせるなよ」
「リィン……」
「……そうだな。今度は嬉し泣きでもさせてやんねーとな」


物心ついた時から泣く事を意図的に堪えてきたフランが真冬のあの魔煌城で初めて流した涙が、リィンにも強く印象に残っていたのだ。何時でも気丈に振る舞い、クロウと対立することを選びながらも我慢して気を張っていたフランが、クロウの安否を確認して涙を流していたことは記憶に新しい。
頭を掻きながらクロウは眉を下げ、フランの頭を撫でて困ったように笑った。次にフランが涙を流すようなことがあるならばーーその時は嬉し泣きをしてもらいたいものだ。


ーーそれから数日後の卒業式も終わったその日の夜。

大体の荷物は既に送ってあり、日用品や制服をトランクケースに収めて荷支度を終えたフランは下の階の、クロウの部屋に来ていた。クロウもまた大体の荷物は片付け終わっているのか、部屋は綺麗だった。
鉄血宰相の演説が行われ、クロウが彼を撃ち、トリスタが占拠されたその日もまた今日のようにクロウの部屋は整然としていたことを思い出す。

クロウがこの寮に来たのは九月からで、たった二カ月弱しか居なかったけれど、それでもクロウにとってこの場所は思い出の場所だった。


「明日……ここを去るのね」
「……はは、二年色々あったな。最初は目的の為に入ったに過ぎなかったが……何だかんだ、学生生活も楽しかったな」
「私も、最初の頃は楽しむ余裕なんて無かったけど……楽しかった。終わってほしくないって思う位に」
「お互い、そこら辺はあいつらのお蔭だな」


学生生活を楽しむこととは違うことに気が向いていた二人が変わったのも、お互いの存在だけではなく彼らを取り巻く仲間たちの存在が大きく関わっているだろう。


「一応俺の身柄とオルディーネはお前の兄貴が拘束監視って形になってるが、そういう風に話を持っていくのも流石だな」
「軍部に渡すべきじゃないって判断して、軍や行政からは独立した立法機関が担当するーー兄様には迷惑をかけるけど、正直有難い後ろ盾だわ」


元々ラングリッジ家は皇帝家の個人の命にのみ従い、軍部や行政と連携を取ることは多くも決して一線を越えず肩入れをし過ぎることはない。
歴史的にも権威の強い立法機関を取り仕切るラングリッジ家現当主は歴代の中でも傑出した知者と名高く、オリヴァルト皇子やアルフィン殿下、そしてセドリック殿下の口添えも受けて、身柄を引き渡すように主張してきた軍部を上手くかわしてオルディーネ、及びクロウの身柄を拘束、という名の保証をしたのだ。本人はあくまで歴史的遺物を監視するのも自分の役割だと言っているが、自分達を助けてくれたのだとフランには当然分かっていた。


「家出ることは、帰ってから言うのか?フェルナンド伯はともかく……アーサー辺りが何て言うか期待するとしよーか」
「ふふ、アーサーも何だかんだクロウを認めてるみたいだから。きっと『フランがしたいようにすればいい』って言ってくれると思うの。兄様達は、私があの場所に居続けるべきじゃないって思ってるから」
「居続けるべきじゃない、か」
「でもそれは追い出すって意味じゃなくて、私が過去に縛られ続けないために考えてくれてるのよ。……いい兄に恵まれたわね」


居場所を失っていたとはいえ、ラングリッジ家の人間であることを誇りに抱き生きてきたフランにとってやはりあの場に留まり続ける事は無意識下にラングリッジの名を意識してしまうことになる。それまでの過去は消えるものではないが、それを受け止めた上で名の呪縛から解放されることがフランには必要だとアーサーも、ルッソも考えていたのだ。
しかし家を出るとなると新たな家が必要だ。二人の活動場所を考えるとやはり帝都が妥当だろう。


「家とかどうするかね。明日帝都に戻ったら、一緒に見て回るか」
「ヴェスタ地区で探してみない?私の知り合いも多いし、きっと力になってくれるから」
「そうだな。お前が一番らしく居られる場所だし、そこがいいかもしんねぇな。しっかし、俺も一緒に行ったらお前の知り合いに突っつかれるだろうなぁ」
「……う、な、何でそんなにクロウが楽しそうなの」
「そりゃお前の彼氏だって知り合いに改めて紹介できるだろ?」


それはそれで恥ずかしいとフランは肩を竦める。特に貴族街のグランローズを贈ってくれている彼は(そもそも応える気は全くないと長年言い続けているが)一体どんな反応をするだろうかと考えふう、と溜息を吐く。
ヴェスタ地区の人達は驚きながらもきっと幸せそうな自分を見て祝福してくれるのだろうと予感していた。しかしクロウを自分のパートナーだと紹介出来るのはむず痒くもあるけれど、同時に幸福感も覚える。

悪戯に笑っていたクロウだったがふと真剣みを帯びた表情に変わってフランを振り返り、ぽつりと呟いた。


「ありがとうな、フラン」
「え?」
「俺に付き合ってくれて、……俺を愛してくれて」
「……ばか、そんなの私の台詞じゃない」


愛おしそうに頬を撫でて本音を零したクロウに、フランは微笑んでクロウの大きな手に自分の手を添えた。背を曲げた顔を少し傾けたクロウに、フランも応えるように首を伸ばしてそっと口付ける。気恥ずかしそうに笑ったフランはもう一度と背伸びをしてクロウに口付けた。

迎える別れは、新たな門出でもあったのだ。
トリスタの街を彩る白いライノの花が花開く頃、彼らはこの街に暫しの別れを告げた。
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