紺碧片のオフェリア
- ナノ -

鴉が帰り着く居場所


ブリオニア島での戦いから半日。
リィンに敗れたことで命は委ねること改めて覚悟して、Z組という場所に出戻りすることになった。
何せ二年もの月日で膨らんだ50ミラの利子は、流石に黒の工房を脱出する際に手助けを一回したくらいでは返しきれているものではないことも自覚していた。
一度裏切って、敵対をした過去を考えるとどの面を下げて――そう自嘲するが。
目を覚ました直後に、弾けたように珍しくも人目も憚らず抱き締めてきたフランを思うと、命の期限が来た時に苦しめるとしても、今度は最期まで一緒に居ようと決意するのもそう時間はかからなかった。

だというのに。

「アイツ……」

久々に再会出来た恋人に話したいことは山ほどあったし、漸くこのメルカバで二人きりで話せるチャンスが出来るから、言わなければいけないことがあるのに、彼女の姿はない。
あんなにも感情を露にして、一命を取り留めたことと再会を喜んでくれたのに、素っ気ない程にメルカバに戻って来てからは傍に来ないというか。
まるで避けられているような気もして、流石に寂しくもなる。
俺、フランに何かしたか?
そんな自問自答をすると、心当たりがあり過ぎる。寧ろ心当たりしかない。
普通ならこんな男に愛想を尽かしてもおかしくないのは重々理解しているつもりだった。

ラウンジに降りて、きょろきょろと辺りを見渡すが、やはりフランの姿はない。しらみつぶしに探していけば居るんだろうが、さてどうしたものか。
頭を悩ませていると、カウンターの中に入っていたZ組の後輩、ユウナ・クロフォードが俺に気付いて「クロウさん」と声をかけてきた。
カウンターに座っていたのはミュゼ・イーグレットを除く他の新Z組のメンバーで、希望を見失わないひたむきで前向きな在り方は当時の学生時代のZ組を思い出して懐かしくもなる。


「クロウさん、もしかしてフラン先輩を探しているんですか?」
「あぁ、解散になった後さっさとどっか行っちまってな。……はは、避けられてんのかもしれねぇけど」
「けど、フラン先輩とクロウさんは……」
「あー……そりゃ新Zも流石に知ってるか」


フランとのやり取りで気付いてはいただろうが、その前からきっと聞いていたんだろう。
二年前の内戦で命を落としたZ組の一員でテロリストとして内戦の引き金を引いた蒼の騎士――それが、フランの恋人であったことを。


「フランの恋人だった……いや、この言い方はアイツに怒られるか。恋人、だ」
「……あぁ、通りであのパイセンがシュバルツァーにも普通な訳だ。アンタみてぇ男が居たなら納得だ。真面目だと思ってたが案外こういうのがタイプだとは意外だぜ」
「おいアッシュ、流石に失礼だろう」
「はは、違いねぇ。つーか正反対だとかよく言われたもんだよ」


同じくこの黄昏の引き金を先ず初めに引いたという後輩、アッシュは俺をまじまじと見てハッと鼻で笑う。
やらかしたことといい、出戻りしたことといい、遊びに精通しているらしい不良っぽさといい、妙な親近感も沸く。
確かに他のZ組の女子のことを考えると、リィンに対して唯一、ただの仲間だと思って接しているのはフランだ。
家の名前が知られていることもそうだが、恐らく真面目で人からは見習われる部分も多いフランがどんな相手を思い続けているのか――気になっていた所はあるのだろうが、まさかこうもフランと違う印象の男だとは思いもしなかったんだろう。


「そういえば、フランさんが甲板に行ったのを見かけました」
「本当?アル」
「はい。今もそこに居るかは分からないのですが」
「そういやまだ甲板には行ってなかったな。サンクス、ちょっと行ってみるわ」


――さて、一体何から話そう。こんなにも長い月日、哀しい想いを抱えて生きていただろう彼女に、なんて。

新Z組にひらひらと振って別れ、そんなことを考えながら船内を歩く。早く会いたいはずなのに、足取りは少しだけ重たい。
それだけの罪の意識は、俺にもあった。お互いに不器用にしか相手を愛せない。どちらかが手離せるような割り切れる所があれば違ったのだろうが、俺も、フランもそういうタイプじゃなかった。

甲板に出ると、フランの姿はそこにあった。
少しだけ伸びた髪は、吹かれる風に流されて靡いている。二年の歳を重ねて綺麗になったその姿に、思わずその手を伸ばしかける。
その耳に付けられているのは二年前、彼女が寝ている間に付けた自分の青いピアスだ。


「クロウ?」
「あぁ、探しちまったぜ、フラン」


振り返ったフランは、愛おしそうに微笑んだ。
避けられていた訳ではないのだろうかと少し安堵して、フランの横に並んで手すりに寄りかかる。
風を切って走る飛行艇の甲板から感じる風は、オルディーネに乗っている時には感じないような心地よさだ。
黄昏が始まっているとは思えない程に、澄み渡った蒼い空。少しだけ、風がざわつくのは、影響が出ている証なのかもしれないが。

風の音と、飛行艇のエンジン音だけが聞こえる中、水面に水を打つように「ねぇ、クロウ」とフランは切り出した。


「私、二度とクロウに会えないことは、受け入れてた。例え、その思い出と想いに縋って生き続けていくことになっても」
「……あぁ。その、フラン……」
「悪い、なんて謝ろうとはしてないわよね?」
「っ」


再会して、ゆっくり話す機会を作れたらなんて話そうか――考えていた一つ言葉を、彼女に見抜かれていた。
この二年という月日と、一人の男に縛ってしまった別れを考えると「ごめん」という言葉が自然と思い浮かんでいた。
けれど、フランは謝ろうとする俺に対して怒っていた。ここまで言われて漸く気付く。
謝られるようなことは何も無いと本当に思っているし、きっと俺達の関係を考えると、これまでの行動を相手を想って後悔するような言葉はお互いの愛情に対して失礼なことであるのだと。


「……私は。あの結末自体に納得こそはしていなかったけど、クロウを好きになったことも、貴方も私も離別してでも信念に生き抜いたことも……後悔はしてないわ」
「フラン……」
「一年半……多分、クロウの言い方を借りれば傷だらけで、それを見て見ぬ振りして。前にひたすら進もうとしてた。……クロウとの思い出を胸に、過去を返って足を止めそうになる自分を……叱咤して」


――何度も何度もヒンメル霊園の墓に足を運んでは時に弱音を吐いて、クロウがもしも居てくれたらなんて想いが奥底にあることを理解しながらも、それでも彼が指し示した未来を。
そしてフランという人間であるが為にも、前にひたすら突き進んだ。
同じ帝都に居たマキアスやエリオットに心配されながらも、大丈夫だと言い聞かせて必死に、ある意味盲目に足を前に進めていた。
「どうして今、貴方はここにいないの」という問いかけを、口に出しかけては呑み込んで。
それが現実であることを受け入れて、青い薔薇を墓に添える。
夢を見ることで痛みを和らげることが出来るのなら浸ってしまえば楽なのかもしれないとぼんやり思考しても、夢に堕ちることは出来なかった。
クロウ・アームブラストという青年の生き方を冒涜することであるし、何より彼がそんな自分を笑いながら「お前らしくねぇな?」と言うに違いないと思っていたから。


「ねぇ、クロウ。私と"最期まで"は傍に居ようと考えなかったのは……私がもう一度、今度こそは壊れるって思ってたが故の罪悪感かしら」
「……!」
「……やっぱり。死んだ男に付き合い続けて、あんな想いを繰り返す別れを受け入れられなくて私が壊れてしまうくらいならいっそ、って気遣うに違いないと思ったわ」


――気付かれていた。
芯が強く、真っ直ぐ在り続けようとしたフランではあるが、その心は鋼ではない。
傷付いてもなかったことにしてしまっていただけで、その傷を自分で癒すことは不得手で、不器用な少女だった。
そんな彼女にもう一度、自分の死を見届けさせるなんて残酷なことを、させられなかった。だから、黒の工房から離脱した直後に別れて、早々に相克を開始したのだから。


「正直、確かにこの二年、周りからしたら見ていられない状態だったかもしれない。でも……甘く見ないで、クロウ・アームブラスト」


その声は本当に凛と、胸の奥にまで染み入る声だった。
フランは真っすぐと俺を見据えて、覚悟を言葉にする。俺という存在に、向き合う揺らぎない覚悟を。


「期限付きかもしれないけど、貴方はここにいる。私にとってはそれだけで幸せなことなの。……何があろうとも、最期まで今度は一緒に居るわ」
「だが、……俺はまた。お前を置いて逝くんだぜ……?」


それこそ、フランに問いかけなければならなかった、罪悪感の根源。
紅魔城で心音が止まりかける俺の手を握って、ぼろぼろと流したことがなかった涙を零していた彼女の姿が脳裏に焼き付いているからこそだった。



「……あの時も言ったけど。例えこの先"避けられない結末"があろうとも……私、クロウ以上の人なんて居ないのよ」
「っ……」


本当に幸せそうに微笑むその笑顔を、どれだけ悲しく歪めさせてしまっていたなんて分かっている。
紅魔城での最期。彼女は初めてその目に溢れさせた涙を抑えることもせず、自分以外の男を見つけて欲しいという俺の強がりにも聞こえる言葉に首を横に振って同じことを言ったのだ。
私にはクロウ以上の人なんて出来るわけもないし、忘れることなんてしない、と。
仮初の命ーー眷属化によって繋ぎ止めてもらったとはいえ、黄昏が終わった最期の時に待っているものは変わらない。
フランもそれを理解しているのだ。この刹那の時間が例え夢のような時間であっても間違いなく『現実』である以上、諦めて手離すようなことをしないと。

彼女のそんな決意に、俺という存在を受け止める覚悟に、俺が目をそむけてなんていられない。
二年は経ってもあまり変わらないその低い位置にある頭をそっと撫でる。


「……ったく……改めてホント、俺が居ない間により一層いい女になったよな。そりゃ、誰に譲ることも出来ねーよ」
「……」
「何だよ、らしくねぇってか?俺だってたまにはなぁ……、ん?」


頬を染めて視線を逸らすその表情に、思わずごくりと唾を呑んだ。
彼女にここまで言わせて、死んだ男を振り返らずに通り過ぎて行けなんて、言える訳もなかった。
フランは別れを覚悟して、その運命を受け止めた上で共に前を進むと決めたのだ。そんなにもひたむきに愛してくれる人に出会えること自体が、二年経っても変わらないこと自体が、俺にとっては奇跡だ。
愛おしいという想いが込み上げて、素直に照れているらしいフランの肩を引き寄せて抱き締める。


「正直ジークフリードとして現れた時……縋ってしまいたくなった私は居た。……記憶が無い筈なのにクロウの断片を、夢を、見せようとしてくるから」
「……いや、ラクウェルでのアレは俺の意思というか何というかだな……わりぃ」


無理矢理組み敷いて身体を重ねたことは、クロウ・アームブラスト自身の意思とは言えなかったものの、記憶として残っている。
学生時代の八月――フランとの関係が動き始めた時の行動を思い出して、言い訳が出来ない程に同じような行動を無意識にしていた自分に何と謝罪するべきか。
ジークフリードの時は意識があるようでクロウとしての意識がほぼ皆無だったとはいえ、流石にこれは謝った方がいいのは俺でも分かる。
高揚と快感は、記憶としてちゃんと残っているとはいえ。


「……何度目よって感じだからもう今更言わないし特に記憶が無かった時だから咎めはしないけど。……私の存在が引っ掛かってくれてただけでも今思えば幸せなのかもね」
「……、なんつーか……結構俺を甘やかすセーフゾーンが広がってねぇ?ジークフリードの時に連れて帰ってたらどうなったことやら」
「ちょっと、それに甘えないで頂戴。……まぁ、クロウならそんな私をらしくないと言いながらも、縋っちまえとか、言いかねないとは思ってたけど」
「お前……ほんと俺のことよく分かってんな……」
「けど、そうしきれないのも私だから」


そう。そうだ。
フランに縋ってしまえと甘く囁いても、彼女は選ばなかった。
どれだけ努力を重ねたって、使用人たちには決して認められることはないと気付いて絶望してしまった時。
新たな縋る先として手を伸ばしても、心までは委ねてはくれなかった。

「あぁ、……お前は絶対に堕ちない。助けを求めることは出来るようになったみたいだが、諦めて縋り付くような楽な道は選ばないだろ。俺の好きな女は、そういう奴だってよーく知ってるからな」

何せそういう彼女を、愛したのだから。
フランは頬を染めて、控えめに俺の腕に手を伸ばしてそっと添える。


「……せめて、一緒に居られる時位は……存分に頼っても、いいかしら」
「……おうよ。寧ろ甘え過ぎって位、甘えて貰っても構わないぜ」
「……〜っ」
「おっと」


そんな可愛いお強請りなら大歓迎だ。
飛び込むように抱き着いてきたフランを抱き留めて、感じる体温を噛み締めるように腕を回して抱きしめ、その背中をぽんぽんと優しく撫でる。
一年半も足を止めている間にフランは成長していた。
心に深い傷を負った状態で、強がって。弱音は仲間には見せずに凛と前に進んで。どれだけ無理をして来たんだろうかと思いを巡らせると、抱き締める力も強くなる。
とくんとくんと感じる鼓動は――俺とは違う。そこにある溝に、少し切なさは覚えるが、これ以上望むのは贅沢過ぎだ。


「……そうだ、言ってなかったな。ただいま、フラン」
「……ふふ、おかえりなさい、クロウ」


今はただただ、無かった筈の未来で、当たり前のような挨拶を交わすことが出来る幸福を噛み締めるのだった。