紺碧片のオフェリア
- ナノ -

欲深い信頼の傷


パンタグリュエルに集った勢力と立会人達。それは想像を絶する壮大な計画を元に集められていた。
鉄血宰相が計画をしている《大地の竜》に対する対抗策、《千の陽炎》の規模は、同級生たちにとっても想像を遥かに超えていたのだ。
レミフェリア公国・カルバード共和国・リベール王国・ヴァイスラント決起軍。レマンやオルドの義勇軍も含め、その全ての戦力を終結させて連携させる対帝国の抵抗勢力はまさに世界規模の戦争だ。
史上最大規模の百万人単位の戦争が一体どれだけの血を流させることになるのか、想像するだけでも顔色は曇っていく。
何せ、ただの侵略戦争と言う訳ではない。帝国を蝕み続ける呪いが占領した地域に広がっていくことで、全土に広がっていくのは非常に危険であった。
呪いによって昂ぶり、攻撃的になる人々を見ているからこそ、その危険性は各首脳も重々理解しているのだ。

その計画と、今度の帝都の在り方等、全ての可能性を探ったうえでの最悪にして最善の一手を導き出したのは僅か十七歳の少女だ。
他の少女たちと変わらない筈の少女は、その才覚と立場を悲しい程に理解してしまっているが故に責任を負う覚悟を決めてしまった。

この場に呼ばれた遊撃士協会に特務支援課、そしてトールズ士官学校の面々は、《千の陽炎》の作戦に同意はしなかった。
残された時間は短く、現実的ではないにしても、第三の道を見出して戦争を回避すべく動きたいと。《相克》を乗り越えていくと共に、その道を模索していきたいというのは総意だった。
その道を進んでいく為にも。先ずはこの窮地をどうにかしなければならない。
アラートが鳴ら響く艦内で、フランは使い慣れた銃と双剣を確認し、もう一つのチームを振りかえる。


「クロウ、大丈夫だとは思うけど、そっちは任せたわよ」
「あぁ、フランも気を付けろよ。呪いが強まってる中じゃ、その盾だって何時呪いにまた呑まれるか分からねぇだろ」


クロウはフランが持っている盾を指差して、心配そうに顔を顰める。
無茶をするなとどれだけ言っても、彼女は保障なんてしないことなんてクロウもよく分かっている。
もう二度と後悔をしないように、やれるべきことをどれだけ厳しい状況になろうとも果たそうとするだろう。
三社合同チームは男女に別れて下層後方エリアから上層後方甲板を目指すのだが、《紅の箱舟》グロリアスが運び込んで来たのは結社の強化猟兵部隊だけではなく、新たな結社の執行者の一人となったシャーリィの護衛として赤い星座の面々まで乗り込んできている。


「大丈夫です、クロウさん。フランさんは私達が守りますので!」
「……はは、随分とまぁ心強い後輩が居るもんだ」
「私が後輩を守る位の気持ちで居ないといけないんだけどね」
「ふふ、ユウナさんの心強さはこういう時に実感します」


特務支援課にとって後輩とも呼べるクロスベルの意思を強く受け継いでいるユウナの頼もしさは、ティオやエリィにとっても非常に心強い成長といえた。
気を遣ってくれる後輩に感謝の念を抱きながら、クロウはユウナに礼を述べる。


――俺の代わりにコイツを誰かに守らせる。そんなことを誰かに託すべきじゃないなんてことは分かっている。
自分がこの先も、ずっと。誰かに任せるのではなくて自分自身の手で守るべき相手。こんなにも頼れる仲間が居ることに安堵する反面、苦しいなんて。

(そんなん自業自得だって分かってるっつーのに)

そもそもそんな感情を抱ける時点で奇跡に違いない。何せ、この身はとうに。
テロ行為をした自分が本当に女神の元に行けるかどうかは分からないにしても、あの12月31日の時点で自分は時を止めてしまった。
その先の未来がない死者と、俺が居なくなった後だって未来を歩き続けることになる生者。
どうしたって覆らない摂理だというのに、以前よりも近く在ればあるほど。欲深くなるのだ。

ぼうっと拳を握っていたクロウの両肩がぽんと押される感覚がして振り返った。何かを察したらしいユーシスとマキアスがその背を叩いたのだ。


「随分と大人しいな、クロウ」
「まったくだ。二人分くらいは活躍してもらって先に着かないとな」
「俺にだけ二人分活躍させる気かお前等は!?……まぁ、最後の最後まで欲深くあろうかね」


クロウにとっての後輩二人に励まされていることに肩を竦めながら、クロウはフランの背に「無事でな」と声をかける。
振り返った彼女の解けたような、それでも力強い瞳は頼もしく、凛と眩い。それは学生の時からではあったが、この二年という時を経て大人になったことでより色濃くなっているような気がした。
二手に分かれて走り出したが、お互いの無事を案じながら別れたクロウの様子を見ていたアッシュは隣を走る先輩を覗き見てわざとらしい笑みを浮かべる。


「へぇー、フランパイセンに付いて行かなくていいんスか?」
「マジでお前は容赦なくつついて来るよなアッシュ後輩。お前にはまだ早いだろうが、愛がふかーいと離れても信頼して送り出せるもんなんだよ」
「チッ、最強の惚気っスか」


藪蛇だったと舌打ちをするアッシュにクロウは悪戯に笑いながら答えるのだが。
そういえば安心してお互いを送り出せるようなことなんて、アッシュのような学生時代にはついになかったことに気付いて苦笑いが零れた。
ザクセン鉄鉱山でのフランの心配した通信を受けた時の声を思い出すのだ。ただの心配だけではなく、妙な胸騒ぎを感じたのだろうフランが気を付けて、と念を押すように伝えてきたあの日。
フラン自身の心を一度だけ砕いた。壊れていた鳥籠を完全に壊して、フランの手を引いたのだ。

今回だってそうやって、消えない傷を刻んでしまうなんてことは分かっている。
思い出を作れば作るほど、フランが傷付くなんてことは分かっている。
だが、それでフランの中でのクロウ・アームブラストという男が生涯忘れられない存在として残り続ける楔となるのなら。
まったくどこまでも狡い人間だ。


「リィン、お前ん所は随分と賑やかだよなぁ。信頼してるからこそ離れても任せられるって確信してるっていう感覚は分かるけどな」
「あはは……でも、ランディとどこかやっぱり似ている気がするけど」
「……口煩く注意してくるけど案外心配してくる可愛い所ねぇ」
「え?」
「いーや、こっちの話だ。ちょっと思い出しちまってな」


クロスベルに居る、恋人であること以外は似たような関係性の女性を思い出したランディは、本当にそこまで似ているんだったら、フランは随分と大変だろうと自分のことのように憐れみ、肩を竦めるのだった。


――女性陣が進んでいたルートを塞いでいたエステルと何かと縁があるらしいギルバートとの交戦を経て、甲板に出たのだが。
この会合を阻止すべくパンタグリュエルに集まった帝国側の人間は血の気が引くほどに豪華と言わざるを得ない面々だった。
女性たちが相対するのはアイネス、エンネアといったデュバリィにとって同輩。それから結社でも根源のマリアベル、道化師カンパネルラ、ブラッディ・シャーリィだけではなく、アリサの元を離れてクルーガーと名乗るシャロンの姿まであった。
陣形を取り、フランはマリアベル達の方に銃を向ける。
デュバリィとラウラとレンという近距離戦を得意としているメンバーがアイネス、エンネア、それからシャロンの方と交戦するのなら、勝てるかどうかは別として、フィー、エステル、ユウナと共に特にシャーリィの攻撃を抑えなければ。


「妖精とはこの間戦えたけど、お姉さんとちゃんと戦えそうなのは初めてだよねー」
「……フィー、血染めのシャーリィは任せていい?」
「フラン、目付けられると面倒くさそうだからって逃げようとしてない?」
「だってこの間はジークフリード……あのお兄さんとずっと戦ってたじゃん!ちょっとくらい胸と一緒に味見させてくれたってね?」
「僕とクルーガーは四年前の帝都のギルド襲撃事件で色んな意味で君とあっちの番犬君にはお世話になったけどね」
「カンパネルラとも接触したことがあったんですか?」
「いえ……正しくは彼が指揮してるらしい手駒の猟兵団と。それを兄様の仕事でもあったし一部潰したのよ」


ギルド襲撃事件の頃からサラと縁があったとは聞いていたが、フランが皇族に命じられた家の役割を果たすために入学前から猟兵との戦闘まで行っていたことはZ組も知らなかった事実だった。
フランの興味をひかれる経歴を聞いたシャーリィは舌で口の端を舐めて、小柄な二人に照準を合わせる。


「それじゃあ精々楽しもうじゃん!あっちに邪魔されることだって無いだろうし……お姉さんの銃、私のと一緒で火薬の匂い強いからさぁ、楽しみなんだよね」
「さぁ、Z組に遊撃士の方々……それに、エリィ?始めましょうか」


甲板の反対側に居るクロウの背中を一瞬眺めたフランは大きく息を吸って、後衛を守るように白銀に輝くシャーリィと同じく今では珍しい火薬式の銃と盾を構える。

助けてもらえたら――なんてことを、私は生涯あまり考えたことは無い。それを口にしたのはたった一回。クロウに縋った学生時代の時だけ。
今のこの危機的状況だって、助けてほしいなんて他力本願になるつもりはない。
クロウ達はクロウ達で切り抜けられるはずだろう。それを信じた上で、自分が為すべきことを果たすのだ。
もう私は、信頼をし合った上でクロウ・アームブラストと対等に背中を預けられるのだから。