朝焼けのスピネル
- ナノ -

09

ジムリーダー・キバナのナックルジムは、試合も公開練習も基本的には常に満席になる。
それだけ彼がジムリーダーとして人気であるという指標でもあり、経営的にもそれは貴重な収益ともなっていた。
勿論人気商売という物ではないのだが、観客を楽しませるパフォーマンスやファンサービスはキバナだけに限らず、それぞれのジムリーダーが意識をしている所だろう。

ナックルスタジアムの控室で準備をしていたジムトレーナー達は、ジュラルドンと共に模擬試合の為に作戦を話し合うキバナの横顔を見て、心配そうに顔を見合わせる。
このナックルジムでは今、一つの心配事があった。それは、キバナが有名人であるが故の心配だった。



「キバナさん、なんか最近ちょっと不味い気がするんですよね……」
「急にどうしたんだ?」
「ほら、彼女のことですよ!」
「私たちも気になっていて……キバナさん、大丈夫かなって」


――今日は久々の公開練習で、何時もとやっていることとは同じとはいえ、人の目が入るとやはり何時もよりも気が引き締まる。
そんな日にジムトレーナー達がそわそわと妙に落ち着かない様子であることには疑問に思ったが、三人に詰め寄られた時にその理由が公開練習をする緊張ではないことに気付いて思わず頭を押さえた。
あの件、か。散々オレが気付いていないふりをして流していた件だ。


「……はぁ。放置も出来ないか」
「エスカさんが居るって分かってての行動なんでしょうか……」
「今日も来ているらしくて。前回、キバナさん声をかけられてましたよね?」


公開練習は人数制限を設けて行うことがあるが、最近よく見かける一人の女性がジムトレーナー達も気になっているらしい。
雑誌でも何回か表紙になっているのを見たことがある、ルリナのモデル仲間。変装は一応しているみたいだが、一際目立つからか観客席でも少し注目を集めている。
別にオレとしては、どんな相手がファンになってくれても嬉しいし、そこに分け隔てはない。ファンだというなら素直に「応援してくれてサンキューな」と返す所だ。
ただ、見るだけならともかく、話しかけてくるのが頭を悩ませる所だった。

流石に、オレもそういったアプローチに全く気付けない程に鈍感じゃない。
エスカの好意には長年気付かなかったし、本当かと疑心暗鬼ではあったものの、それはエスカの感情が特別読み取り辛いからだ。


「キバナさんなら浮気しそうだって思われているんじゃないですか……?」
「おいおい、なんていうマイナスイメージだよ」
「私たちはそんなことないって知ってますから」


チャラい、だとか、軽そうだとか。見た目やSNSの印象でオレのことをそう言う人間だろうと思っている層が居るのは確かだ。
声を大にして言うなら、一途な男だ。何事に対しても一つの物事に焦点を絞って熱中するタイプだから、そういったイメージとは反対と言いたかった。
そうでなかったら、"チャンピオン"になるために他の地方に行くことも出来ただろうけれど、あくまでもダンデという男をトレーナーとして破ることに執着して取り組み続けることはしないだろう。

気になって最近よく来るモデルのその女性についてルリナに聞いてみたら「悪い子ではないけど、好きだと思ったことだとかにはかなり貪欲かもしれない」という回答が返ってきた。
それを聞いた時の俺の真っ先な感想が「エスカと真逆か」だ。
エスカもポケモントレーナーとしての力をジムリーダーに匹敵する程に極めているという意味ではトレーナーとしては貪欲なのかもしれないが、その性格はとことん控えめだ。


「いやぁ……そういう所が好きなんだけどな」
「キバナさん?」
「オレ様、控えめな相手にスキンシップして照れながら応えてくれるのを見るのが好きだからなー」
「あ、いつもの惚気でしたね……」
「ほら行くぞお前ら!」


今は目の前の模擬バトルに雑念を振り払って取り組むだけだと、心配そうに見上げてくるジムリーダー達の背中を叩く。
気合を入れ直して、スタジアムへと足を踏み入れる。
スタジアムの1/3だけを観客席として設けているから、何時もの試合の時のような光景ではないとはいえ、無人のスタジアムで模擬バトルを行うよりも高揚感が高まる。
バトルフィールドでは雑念を振り払い、目の前の試合に集中する。それが俺のトレーナーとしての流儀だった。


――キバナの公開練習がナックルスタジアムで行われている中、ナックルシティのカフェに集まっていたのは仲の良い女性三人。
それぞれが頼んだカップケーキやムースケーキを口に頬張りながら、温かな紅茶を喉に流す。
ジムリーダーとモデルとして忙しいルリナの時間が空いた日に、エスカとソニアも時間を合わせて来たのだ。
今話題になっているものだとか、流行っているもの、ルリナが勧めるメイク道具やスキンケアアイテムの話など。このメンバーで集まっているからこそできる女子トークに花を咲かせる。
そして毎回、話題として挙がるのは、長年エスカが片思いをしてきたことを知っている二人が気にかけているキバナとの関係性だ。


「そういえば今日はキバナ君、公開練習してるんだっけ?公開練習も天気がころころ変わって派手そうだね〜」
「見てて楽しいけどね。相手になると……ちょっと、大変だけど」
「知ってはいるんだけど、そういう感想をエスカから聞くとライバルだったんだよなぁって思うんだよね」
「……ねぇ、エスカ。キバナに聞いてる?」
「なにを?」


キバナの話をするエスカとソニアに彼から相談を二週間ほどに受けたことを思い出し、表情を曇らせていたルリナが重たい口を開いた。
特に表情を変える訳でもなく、首を傾げたエスカを見て、彼女が何も知らないことを察して言うべきか一瞬悩みはしたが――キバナが応えるつもりがそもそもないこと。そしてエスカも有名人である以上、何らかの形で知り合いではない人から伝えられるよりはいいだろうと、ソニアは口を開く。


「……最近モデルの同業の子がキバナのスタジアム付近に結構通ってるみたいでさ」
「え。……まぁ確かに有名人だからね……」
「……そうだったんだ」


ルリナの言葉に、エスカはぱちぱちと瞬いた。
キバナのジムリーダーとしての人気やSNSも通しての知名度、人当たりのいい気さくな性格を考えるとそんなことが絶対に起きる訳がないとは思っていなかったけれど。
確かに多少面食らった所があるのは事実だった。
不安にさせるような情報を突然投げ込まれたことに大丈夫だろうかとソニアはエスカの顔を覗き込むが、相変わらずその感情は読み取り辛い。


「本人が諦めさせるには直接言わないとダメかって零してたくらいだから大丈夫だとは思うけどね」
「でも、変な逆恨みでエスカに嫌がらせとかがなければいいんだけど」
「うーん、そこまでしそうな子ではないとは思うけど……いや、エスカのこと知ったうえで何度も通ってる時点で適当なことは言わないでおくわ」
「……キバナのことだから、ファンには試合を楽しんでもらいたいだろうし、悩んでるのかな」


モデルの彼女たちより自分にどんな魅力があるか冷静に考えた時。
ぱっと思い付くものはポケモンバトルが得意だということくらいだった。何せ会話が得意なわけでもないし、楽しい空気感を作るというスキルは人並み以下だ。
表情が分かり辛いと言われてしまうほどに可愛げはないし、話題作りという意味では流行りものにキバナほど敏感と言う訳でもない。
料理だとかも、栄養を気にしつつもプロではないし精々一般レベルだ。


「自信は……全然ない、けど」
「エスカはもう少し自信もっていいっていうのに。というか、エスカだってない訳じゃなかったでしょ」


エスカは首を横に振りながら「キバナ以外の人とは別に……」と呟くけれど、その言葉の裏側に気付いたソニアとルリナは目を合わせて察する。
男性に声をかけられたりアプローチをされることが全く無かった訳ではなく、エスカがキバナに一途だったが故に、男性からの好意自体にあまり関心がなく淡々としていたのだろうと。
かといってその愛情が重いかと問われれば、彼の隣に誰か相手が出来た時は初恋をそのまま凍らせて憧れにしようとしていたのだから、心配になるほどの消極さだった。

「エスカがそれ位だから、寧ろあの発信力の塊のキバナと合うんだろうけどね」

気が合う仲になるのは似た者同士になる場合もあるけれど、エスカとキバナの関係はお互いにない物を補い合うような関係性だろう。
それでも、根本的にポケモントレーナーとしての在り方を理解しあっているからこそ、二人がお互いにとって特別になり得たのだ。