朝焼けのスピネル
- ナノ -

19

「……だめ、全然繋がらない。電波が無い場所だなんて」

無機質に映る室内で、スマホロトムを開いてみるけれども、地下という場所のせいかインターネットには繋がらなかった。
自分の緊急事態もそうだが、昨夜にダンデ、今日に自分を足止めしてまでオリーヴやローズが何らかの実験を行おうとしている状況を知らせたいというのに歯がゆかった。
wifiが繋がるかどうか試してみるけれど、マクロコスモスの社員にしか使えないようになっているのか、パスワードを設定されている。

せめてナックルスタジアムの職員にでもこの状況を伝えたいが、現在シュートシティでまさにダンデの試合が行われようとしていることを考えると、ガラルの人々はモニターに集中していることだろう。
ナックルスタジアムの主であるキバナも、現在シュートシティに居るような状況だ。
それに何より、この扉どころか、ナックルスタジアムからこの施設に入るための扉もマクロコスモスの社員でなければ通れないようになっているのだろう。

――どうしよう。
そんな焦りがエスカの表情にも現れる。

「地震……!?あっ」

時々ナックルシティに起きる地震が再び起こり、縦に大きく揺れ動く感覚に目を開く。

揺れが収まったと思われた瞬間、明るかった部屋の照明が落ちる。部屋の中にあった幾つかの機械の稼働音もなくなる。
この施設に停電があったのだろうか。それとも、ナックルシティ全体のエネルギーを供給している施設で停電が起きているということは、街全体も。
空調も切れて明かりもない状況に、冷気を感じてふるりと身体を震わせたエスカは上着の前を締めて、手持ちとして連れてきていたポケモン達をボールから全員出した。
エスカの身に起きている異常事態を察したポケモン達はエスカの指示を待つ。


「ドラパルト、ユキメノコ。貴方たちはこの扉をすり抜けてナックルスタジアムの方や街にまで出て、助けを連れてくるよう誘導してくれる?」
「メノ!」
「ありがとう。でも、もしもこの異常事態がシュートシティにまで届いてしまって、ダンデ君とか……あとキバナが来てるんだったら。私のことは後回しで、ローズさん達の元に急ぐよう誘導してほしいの」


エスカの指示に、ドラパルトは表情を曇らせて考え直すようにと、弱く鳴くがエスカは首を横に振る。
ローズやオリーヴの元に誰かが駆け付けられるということは、このエネルギープラントの施設に繋がる扉が開いているということだ。
それなら、急がなくても自分は助けてもらえるだろう。だとしたら、自分のことはとりあえず後回しで、元凶となっているらしき二人に追いつく必要がある。

ドラパルトとユキメノコが頷いている中、力になれないことを落ち込んでいる様子のポットデスに優しい声をかけて、ポットデスを撫でた。
ゴーストタイプは壁などをすり抜けて移動できるが、ポットデスは人が使っていた陶器に身体を入れている関係で、すり抜けることが出来ない。
自分も行った方がいいのではないかと身体を傾けて戸惑うシャンデラに「炎を使えるのは貴方だけだから」と声をかける。
シャンデラの炎は人の生命力を奪う炎と言われているが、技として繰り出す炎は別だ。下手に行動を起こして扉が開かなくなる事態は避けたいが、氷と炎で急速に温度を変えて扉を破壊する最終手段も残されている。


――同時刻。
シュートシティでは未曽有の騒動となっていた。
ユウリとダンデによる決勝戦が行われようとしていた直前。ナックルシティを中心としたローズによる計画――ブラックナイトの開始を宣言する彼の動画が流れる。
ガラル地方を大昔滅ぼしかけたという黒い渦。そして災厄の名前。
その宣言と共に、あふれ出したエネルギー地震が発生し、各地のスタジアムにはダイマックスの光の柱が上った。
千年先のエネルギー不足の問題を憂うローズの行動をダンデは彼の意図を読み解くことが出来なかったことを後悔しながら、責任を果たす為に外へと駆け出したのだ。

ライバルと新星による試合を見届けようとしていたジムリーダー達――その一人のキバナは、その情報が耳に入った瞬間に弾かれたように観客席から飛び出す。
チャンピオンとしての務めを果たす為にダンデもフィールドから駆け出してシュートシティの外に出ると、リザードンをボールから出した。


「キバナも来たか!」
「ダンデ!オマエ、一人で行ってもナックルシティに着けないだろ!何でたって、ローズ委員長は決勝戦直前にこんな状況にしたんだか」
「……昨日、ローズ委員長に明日のリーグは中止にして欲しいという相談をされていた」
「……マジかよ」
「あぁ。オレはその申し出を断って、彼の代わりに大会を開催したが……まさか強硬手段に出るとは」
「後悔しても仕方ねぇ。震源はナックルシティなんて、オレ様にとっても一大事だ。急ぐぞ!」


キバナはフライゴンをボールから出して飛び乗り、ダンデはリザードンの背に乗ってシュートシティを後にする。
他のジムリーダー達もひこうポケモンを持っているトレーナーや、アーマーガアタクシーに協力をしてもらい、ナックルシティへと集結していた。
キバナは手早く他のメンバーにナックルシティの住民の避難誘導を頼む。突然始まったブラックナイトで不安になっている住人達を混乱させずに誘導できるのはジムリーダーの腕の見せ所だろう。

飛行を続けること暫く。見えてきたナックルシティの様子は、何時もの街並みと異なっていた。
明かりが照らしだしている街は暗闇に溶け込んでおり、その代わりに禍々しいダイマックスの光が立ち上っている。


「オレはローズ委員長の元に行くから、キバナはナックルスタジアムの確認に向かってくれ」
「ダンデ、……何があるかは分からないが負けるなよ」
「負けないさ。無敵のチャンピオンってことはオマエが一番良く知ってるだろ」
「まったく、言いやがるぜ。任せたぜ、ダンデ!」


ナックルシティ付近の上空で別れ、キバナは真っ暗になったナックルシティに降り立った。
混乱している住人達が街に出て来て既に騒ぎとなっている。「ナックルスタジアムで巨大なポケモンが暴れているらしい」だとか「避難ってした方がいいのかな…」だとか。
様々が声が聞こえてくる中、宝物庫の番人であり、ナックルスタジアムのジムリーダーのキバナを見付けた住人達からは「キバナさんだ!」と声が上がる。
頼もしいジムリーダーが戻って来たというだけでも、不安が軽減されるのだ。


「他のジムリーダーが直に避難誘導をしてくれる。だが、スタジアムでダイマックスしたポケモンが暴れてるって聞いたんだが本当か?」
「はい!まだスタジアムの中に居るのでこちらには来ていないそうですけど……」
「キバナ様がそのポケモンを鎮めてくるから安心しろよ」
「流石キバナさん……!」


住人達が落ち着いたのを確認したキバナは目尻を下げて微笑んでいたのだが、人込みを避けるようにキバナを発見して飛んできた一匹のポケモンに目を留める。
それはドラパルトだったが、キバナを見付けた時に見せる笑顔に彼は見覚えがあった。

「エスカのドラパルト……!?オマエなんでこんな所に居るんだ?」

ドラパルトは悲しげな顔をしたが、ぐいぐいとスタジアムの方へキバナの腕を引っ張ろうとする。
キバナは端末を開いてエスカに「今どこに居るんだ?ドラパルトに呼び止められてるんだが。ローズ委員長が起こした停電のことは知ってるか?」とメッセージを送るものの、返信は一切返ってこない。
エスカもシュートシティでの動画を見て、急いでナックルシティに戻って来たのだろうかと納得しかけたのだが。

――自分とダンデが、このナックルシティに真っ先に来た筈だ。その時にエスカの姿は見かけなかった。幾ら何でもナックルシティに着くのが早過ぎないだろうか。
冷静に仮説を立てていくキバナの険しい表情へと変わっていく。

「オマエのご主人はどうした?」

確信を突く問いに、今度はドラパルトは首を横に振る。
いよいよ緊急事態だとキバナは悟る。もう一度エスカに「何か起きたのか?今どこにいる?」と送るのだが、やはり返信は返ってこなかった。
ナックルシティの何処にいるかは分からないが、ゴーストタイプのポケモンを放っているのには何か理由があるのだろう。
「エスカの所に案内してくれ」とドラパルトに頼むキバナだったが、エスカ本人に事態の収束を最優先にして欲しいと言われていた為に、躊躇う素振りを見せる。
そして、手持ちのポケモンとして主人の意思を一番に尊重するのだ。

ダイマックスしたポケモンが暴れているスタジアムへと案内することを選択したドラパルトの背を追って、キバナは桟橋を渡ってナックルスタジアムへと足を踏み入れる。
住民の言葉通り、暴走しているのか攻撃技の余波で、震動が伝わって来るような状況だ。
ナックルスタジアムに現れたキバナに声を上げたのはスタジアム受付でも、スタッフでもなかった。
ブラックナイト開始直前に、ローズにプラントを出ているように指示をされて待機していたオリーヴだった。


「キ、キバナ!?」
「アンタは確かローズ委員長の秘書の……これは一体どういうことか説明してほしい所なんだが」
「勝手なことを言っているのは承知しています!ですが、ローズ委員長と私のポケモン達を助けてください」
「おいおい……どういうことだ?」
「私のポケモン達が暴走していて……スタジアムが崩れてしまったら彼が居るプラントを圧し潰してしまう。それに、停電のせいでエスカが居る部屋の扉も開かなくて……!」
「エスカの居る部屋って、何でたってプラントにエスカが」


会話を遮ったのは轟音と震動。
オリーヴのポケモン達が主人の命令も聞こえない程の状況に陥って、暴れまわっているのだ。
今回の事態を引き起こした側の人間であるオリーヴだが、スタジアムに設置されている観客席を守る障壁のシステムも壊れてしまえば、いよいよ住民達に危険が及ぶ。
更にはスタジアム地下のプラントに居るらしきローズとエスカの身も危なくなる。

ドラパルトはキバナを吼えて、彼の背中をスタジアムに向かって押す。
エスカのポケモン達が、主人よりも先にスタジアムで暴れているオリーヴのポケモンを対処するようにと訴えているのだ。

「ドラパルト、オレ様の指示を聞く気はあるか?」

元気よく吼えたキバナは口角を上げて笑い、エスカのドラパルトを連れてスタジアムへと駆け出す。

世紀末のような光景とは、このような状況を言うのだろうと、キバナは目の前の光景に唾を飲み込んだ。
何体かのダイマックスしたポケモンが暴走して技を乱発している。更にはキョダイマックスの状態になっているダストダスまでいる状況で、彼等が苦しんでいるのは見て分かった。
ナックルスタジアムのジムリーダーとして。そして最強のジムリーダーとして。
解決の為に強さを持ってねじ伏せるのみだ。

「行くぜ、ジュラルドン!ドラパルト!」

ダブルバトルに慣れているキバナにとって、二匹同時に指示をするのは困難ではない。
それに、ドラパルトが使う技も癖も知っている。何せ、ダンデの次に研究した相手が、彼女なのだから。


――キバナの手によってダイマックスしたポケモンは大人しくなり、身体から光が消えたと同時に身体は小さくなっていく。
オリーヴのモンスターボールに戻ったことで正気に戻ったようだったが、ダイマックスでトレーナーの命令を無視するようになる話はこれまで聞いたことのない事例だった。
連戦をしたドラパルトだったが、そのまま真っ直ぐと彼女が軟禁されている部屋へとキバナを案内していた。

どんな状況でこの施設の内部に押し込められたのかは知らないが、恐らくはローズ委員長達を止めようとしたのだろう。
真っ先に気付いてナックルシティへと戻って来たが、邪魔をしないようにと、彼等によって足止めをされていたのだ。
オリーヴはブラックナイトが起こった直後に一度エスカが居た部屋に立ち寄って扉を開けようとしたが、停電で反応しなかったと言っていた。
彼女からカードキーは受け取ったが、そのまま使えないと考えるのが妥当だろう。だが、ドラゴン使いのキバナではあったが、一体だけ電気技を覚えさせているポケモンが居たのだ。

エスカが居るという部屋に辿り着くと、足音に反応してか、壁を通り抜けた彼女のユキメノコが顔を覗かせていた。


「エスカ!」
「えっ……キ、キバナ……!?」
「カードキー入れても停電してるから無理か……!下がってろ!」


中からした声に、ほっと一安心をする。どうしてこんな場所にだとか、どうして決勝戦前にだとか、そんな疑問は残っていたがそれは後回しだった。
キバナはヌメルゴンを出し、エスカが部屋の奥にまで下がったことを知らせる声を確認して、ヌメルゴンに指示をしてかみなりを落とした。
威力は抑えたつもりだったが、過剰な電気でショートを起こしたらいよいよ物理的に扉を破壊するしかないと考えていたのだが、突然通った電気にカードキーが反応した。

扉が開いた先に居た、目を丸くして驚いている様子のエスカを目視して。
弾かれたように部屋の中に飛び込んだ。


「キバナ、……!?」
「マジで……焦った……とりあえず怪我とかは無さそうで安心したぜ」


キバナはエスカの腕を引いて、腕の中にキバナにとっては小さな体を収めた。
恐らくドラパルトに自分よりも事態の解決収束を手伝うようにと指示していたのだろう。
もう少し、自分の為に動いてもいいのにと思うが、人を想って、相手を想って行動する所は彼女らしい。
兎に角、無事が確認出来ただけでもキバナは安堵したのだ。


ーー駆け付けてくれたという安堵。
抱き締められているという混乱。
二つの感情にエスカは戸惑う。

その距離感に手は彷徨うばかりで、小さな声で「ありがとう」と答えるのがエスカには精一杯だった。
自分を包み込む温かな体温に、冷えていた指先がじんわりと温かくなっていく感覚がした。
とくとくと心臓の音が逸るのが聞こえてしまっては困る。そっとキバナから離れたエスカは彼を連れてきたドラパルトに感謝しつつ背中を撫でた。


「今の状況はどうなってるの……?ここ、電波が届かなくて全く情報も入ってこなくて」
「ダイマックスしたポケモン達が各地で暴れてるらしい。オリーヴのダストダスは何とかしたが、ダイマックスの光は出たままでな。ローズ委員長のことはダンデに任せたが……」
「キバナ。私も協力する」


玲瓏な声音に滲んだ、強い意志。
横目でエスカの横顔を見たキバナは歯を見せて笑った。
ダイマックスしたポケモンにレイドバトルで対処できる実力を兼ね備えているなんてことは、一番キバナが良く知っているのだ。


「正直、かなり頼もしいぜ」
「ブランクはあるけど……私は、キバナと争ったファイナリストの一人だもの」


最近では見ることのなかったエスカの鋭い勝負師の瞳。
勿論、競い合うトレーナーだった時期を過ぎてから改めてエスカという人間性に惹かれて、肩書き等関係なく惚れた所があるのだが。
やはりその涼やかな表情以外に持ち合わせている彼女のトレーナーとしての姿が、キバナの記憶に強く焼き付いていて、堪らなく好きなのだろうと実感する。


「ここに来たのがオレで良かったぜ」
「え?」
「いいや、何でもねえ。いよいよダンデの決勝戦を無事にやってもらわないとオレ様も困るってもんだ」


二つのジムの担当を任されていたエスカが今回のジムチャレンジを無事に決勝まで見届けてからでないと、彼女を想う人間として伝えるべきではないだろう。
それがキバナの、エスカへの理解であり、愛情だったのだ。