朝焼けのスピネル
- ナノ -

18

私の友人達は、何時も少し離れた所に居た。
スポットライトを浴びて、多くの観客に注目されて、己とポケモンのみの力で勝ち上がっていく勝負の世界に身を置いている。
かつてそのフィールドに居た自分は観客席から、或いは運営の関係者席という一枚のガラスを隔てた場所から、彼等を見ている。

何時から私は、自分の献身に自己満足をしてガラス越しに見える景色が自分には遠いものだと思い込んでしまったのだろうか。


次々と行われる白熱した試合に、シュートスタジアムから溢れる歓声は夕暮れに突き抜ける。
試合当日にトーナメント表が公開されたのだが、ルリナはジムチャレンジの勝者、ソニアにもよく話を聞いていたユウリ。そしてキバナは一度だけジムチャレンジの担当を行ったことがあるヤローとの対戦だった。
キバナの初戦は、ヤローから勝利をもぎ取った。そして次の試合は、ネズとキバナによる試合だった。
エスカとしては友人達のどちらかの敗北を願うことも出来ず、ただただ彼らの勝敗を見守っていた。
許可を貰って控室を訪ねると、ネズの控室には彼の妹であるマリィと数人のジムトレーナーが集まって、彼の健闘を讃えていた。マリィは少々辛口に彼の敗北を悔しがっていたが。


「……ネズ、お疲れさま。マリィちゃんも来てたんだね」
「エスカ。わざわざ来てくれたんですか。ありがとうございます。俺も粘ったんですが、キバナはやはり強いですね」
「凄くいい試合だったよ。キバナのキョダイマックスしたジュラルドンに、ダイマックスせずに技を受け流していくタチフサグマ、格好良かった」
「そうですか。そう言ってもらえるのなら、意地でもダイマックスせずにスパイクタウンの誇りを賭けた甲斐があります」
「アニキ、そうやって満足しちゃだめだって!あたしら兄妹が弱いと思われると悔しいけん」
「ふふ、マリィちゃん。あの試合を見てそんな風に思わないよ」


エスカの言葉に、拗ねていたマリィは少しだけ表情を緩める。
全員が全員、ダイマックスをしない試合に感心する訳ではないかもしれないけれど、ネズの試合を見たトレーナーの一人としては、使わなくとも強さを示す彼のスタイルは胸を打たれるものがある。


「次はあのジムチャレンジャー……ユウリとキバナのバトルですか」
「ソニアと彼女も応援してきたけど……少しだけ、複雑な気分かな」


次はジムチャレンジから勝ち上がってきたユウリとの試合だ。
彼女は一試合だけ、他のジムリーダーよりも多く試合をしている。
ポプラに連れて行かれ、フェアリータイプを叩き込まれたビートはジムリーダーの後継者として乱入し、ユウリと全力で戦った。
ビートはローズ委員長の推薦でジムチャレンジをしていたが、ラテラルタウンの遺跡を破壊した行動が問われ、ジムチャレンジャーとしての資格を剥奪された。
ポプラが後継者を求めながらも、彼女が託せると感じた人物と出会うことが出来なかった日々を、昨年間近で見ていたからこそ、ビートが彼女の後継者となってくれたことが他人事ながらも嬉しく感じられるのだ。
口では不満を口にしているが、彼もまたジムチャレンジをしていた頃とは異なり、生き生きしているように見える。

(私は、自分でバトルをするのも勿論堪らなく好きだけど……心底、そういうトレーナーが生まれていく場面に立ち会える方が。手助けを出来ることが。嬉しいのかもしれない)

関係者席からモニター越しにユウリがルリナ、それからサイトウとの試合の様子を見ていたのだが、彼女の強さは本物だった。
ジムリーダーにも勝る勢いと新星の躍進に、鼓動が逸る。
私は、残酷なのだろう。そんな彼女にキバナが勝利し、ダンデとの戦いに進んでほしいと願ってしまうのだから。


「……頑張って、キバナ」


関係者席に戻ったエスカは、これから始まる試合に固唾を呑んで祈るように見守る。
彼女の小さな呟きに、腕の中で行儀よく座っていたグレイシアは、エスカを見上げて鳴き声を上げる。大丈夫だと言わんばかりに。



――通路を抜けると途端に開ける視界。
フィールドに入って来た選手の姿を見ると、湧き上がる声援。
ガラル中の関心が自分に集まり、期待や夢を背負う。

反対側から出てくるのは、ビート、ルリナ、それからサイトウも破って決勝戦まで残ったユウリ。
笑みを浮かべて会場に手を振っていたキバナだが、目の前に居る自分よりも遥かに若い少女を見据えて、勝負師の表情に変わる。ジムチャレンジとはいえ、彼女はダブルバトルのキバナにも勝利しているのだ。
年下だろうと、見くびることはしない。素直に若い彼女の健闘に感心していた。すっとターコイズに煌めく瞳を鋭く細めて、目の色を変える。一対一に調整もしてきた。

ダンデに勝つんだろう、キバナ。それしかない。
そんな自己暗示をかける。
エスカはこのスタジアムに来て見に来ているのだろう。無様な姿は見せられないという思いはあるが――トレーナーたるもの、勝利は自分自身の為に。


『ただいまより、キバナ選手とユウリ選手の試合を始める。――試合、開始!』
「勝たせてもらいます、キバナさん」
「ライバルのダンテを超えるために、アイツが推薦したオマエに勝つぜ。行くぞ!」


目の前に居るのは最高峰のトレーナーの一人。チャンピオンであるダンデが推薦したトレーナー。

キバナが最初に出したポケモンは、コータス。夕暮れの橙の空が覆うスタジアムの内部で、眩い程の陽光が差し込み、ほのおタイプの攻撃力を上げる。
彼が使うポケモン達は得意の気候で自らの攻撃の威力を高めていく。

ドラゴン使いであり、天候を自在に操って戦況を変えていくキバナの試合は常に目まぐるしく気候が変わって行く。
翻弄されるトレーナーも多いが――ユウリは、冷静だった。

時にはキバナが変えた気候を変えて、キバナが怒涛の攻撃をしかける時には無理をせずに守りに徹して。
そして攻撃が終わったその瞬間を逃さない。
モニターに映される決勝戦に出ているポケモンは、キバナが一体多く戦闘不能の表示をされた所だった。
フライゴンが生み出したすなあらしが会場に吹き荒れているが、そんな中でもユウリのインテレオンは狙いすました相手への攻撃を外すことはしなかった。

「くっ、ここでも勝つしかねえよな……!?」

フライゴンに労いの声をかけて、目を回して戦闘不能になったフライゴンをハイパーボールに戻す。
最後の一匹、無二の相棒のジュラルドン。
キバナにとっての切り札だ。

「行くぜ、ジュラルドン!キョダイマックスだ!」

一度ジュラルドンをボールに戻したキバナは、ダイマックスバンドを光らせて、巨大化したボールを勢いよく放り投げる。
現れたのは巨大化して特殊な姿へと変化したジュラルドンだ。
キバナのダイマックスのタイミングに合わせて、ユウリもまたモンスターボールにインテレオンを戻してダイマックスさせる。
両者が相棒としているポケモン同士のダイマックスした瞬間に、盛り上がりは最高潮だった。


「ジュラルドン!キョダイゲンスイだ!」
「インテレオン、耐えて……!」


ジュラルドンによる猛攻をインテレオンは可能な限り受け流そうとするが、体力を着実に削っていく。
ユウリの表情は苦いものへと変わるが、ジュラルドンの攻撃を相殺するようにダイストリームを放てたと同時に、ぽつりぽつりと、吹き荒れていた砂嵐は病んで雨が降り始める。

ーー不味い。
関係者席でその様子を見ていたエスカは立ち上がる。
すなあらしというフィールドなら、ジュラルドンは影響を受けることはなく、有利に戦えていた。
だが、ジュラルドンの攻撃を耐えきって、ダイストリームを放ったインテレオンのその攻撃は雨を降らせる。

インテレオンの攻撃力を上げて、機動力を上げる。それに何より、ジュラルドンは湿気が、水が弱点ではないとはいえボディが錆びやすい性質を持っている為に、あまり得意な環境ではない。
ふらふらとしそうな体を動かして、インテレオンはユウリの指示に即座に反応してジュラルドンに人差し指を突き付けて、狙い澄ます。

「インテレオン!ダイストリーム!」

インテレオンの指先から放たれた高水圧の水は、ジュラルドンの体にぶつかり、その勢いで体を傾けさせる。
フィールドを覆う水に、足元はすくわれて、インテレオンの追撃がジュラルドンに炸裂する。


「ジュラルドン!」


キョダイマックスしたジュラルドンが爆音と共に光に包まれ、小さくなっていく。
そして、元のサイズに戻ったジュラルドンの体はゆっくりと傾き、倒れた。

キバナの最後のポケモンが、相棒のジュラルドンが戦闘不能になったのだ。


「う、そ……」


ガラル地方ジムリーダー最強であるキバナを打ち破った新星の健闘を。大番狂わせを。
讃える歓声が鳴り響き、スタジアム全体が揺れ動く。

「勝ったのはなんと、ジムチャレンジャーのユウリ選手だー!チャンピオンと戦う権利を得たのはライバルであるキバナ選手ではなく、チャンピオンから推薦を受けたユウリ選手となりました!」

優勝候補の一人であったキバナを降した新星の登場に、会場は最高潮の熱気に包まれる。

観客は片方の敗北を望む勝負の残酷さを、まざまざと見せ付けられている気分だった。
キバナが勝つに違いないだろう――そんな風に思い込んでいた自分が居たことに気付かされる。
若い少年少女の躍進と成長には驚かされる。ダンデがチャンピオンとして誕生した時も、彼が僅か10歳前後の時で、似たような状況だった。

「キバナ……」

――ガラス越しにその様子を眺める私が、かけられる言葉は何だろうか。

二人が握手をして別れる姿に、エスカの中に残って染みついているトレーナーとしての意識がざわつく。
ユウリとダンデの試合を見たかったと思う心はあったけれども、拳をきゅっと握りしめたエスカは、会場から駆け足で立ち去る。

ジムチャレンジの運営委員を薦めてくれたダンデ。チャンピオンとして挑む彼のバトルを見たくない訳がない。
それでも、ローズが姿を見せずにダンデが彼の代理をしていること。そして、昨日ネズ達が追いかけていたというダンデとローズのローズタワーでの会話。
加えて、オリーヴにナックルスタジアムに来て欲しいと言われていたことを考えると、行かなければ何か取り返しのつかないことになるのではないかと嫌な予感を覚える。
せめてナックルシティの異常をキバナの不在時に判明することが出来るのならば。

エスカはアーマーガアタクシーに声をかけて、ナックルシティへと連れて行って欲しいと伝える。このシュートシティからナックルシティに距離があるとはいえ、一時間前後で到着するだろう。
チャンピオンの試合は単独のチケットになっており、あの大規模なスタジアムの観客の入替の時間が掛かることもあって、2時間はインターバルがあることをエスカは知っていたからだ。

「……キバナの試合を見れないことを、惜しみながら来ることになると思ってたんだけどね」

シュートスタジアムが、シュートシティが小さくなっていくのを横目で見ながら、メッセージ画面を開くけれど。
ぼうっと前のメッセージが並ぶその画面を見詰めたまま、指が、動かなかった。

――お疲れさま。そんな言葉をかけてもいいのだろうか、と。

誰よりも悔しがっているのは、キバナ本人だ。
負けてしまったけれど、いい試合だった言えるような試合だったのは確かだけれど。
全力を出し切って戦った清々しさはあるかもしれないが、負けてもよかったなんて思うトレーナーなんて誰も居ないのだから。

悩んで悩んで、指が動かないままスマホロトムの画面を消す。
気が利かない友人で、ごめんなさい、と。
心の中で呟くのだ。


雪が吹雪く山を越えて暫く。夜闇にも橙の光を放つ城塞都市のような街並みのナックルシティが次第に大きくなってくる。
アーマーガアタクシーを降りたエスカは頭を下げて、ナックルスタジアムへと小走りする。
主が不在のナックルスタジアムはしんと静まり返っていた。ナックルジムのジムトレーナーもスタジアムの方に向かっていて、人も職員が数人居るだけだ。
そして、開かずの扉となっているエネルギープラントへと繋がる扉の前で、オリーヴは待っていた。涼やかな表情は相変わらずで、真っ赤なルージュの引かれた口は一文字だ。


「こんばんは、オリーヴさん」
「来たのね。もしかしたら来ないと思ってたのだけど」
「迷いましたが……聞かなければ、後悔すると思いましたので」


オリーヴに案内をされて通った扉は、ナックルスタジアムの中でもエスカが立ち入ったことのない領域だった。
マクロコスモスの社員の一部しかこの先のエネルギープラントに立ち入ることは無いという場所。ジムリーダーを長年務めているキバナも、この場所に入ったことは無かった。
絢爛たるナックルスタジアムの内装とは違い、無機質にも見える壁と廊下を進む二人分のヒールの音だけが響き渡る。

「この部屋で、貴方には説明しましょう」

オリーヴが通した部屋は、エネルギープラントの管が通っているらしき無機質な部屋だった。
ナックルスタジアムに一年間足を運んでいたというのに、スタジアム内部がどうなっているか全く知らなかった。
そして、マクロコスモスがこのエネルギープラントを使ってどのような実験しているのかも、全く。

わざわざチャンピオンと決勝戦の勝者とのバトル前に呼び出して説明をするとエスカに昨日告げていたオリーヴは涼しい顔をしている。


「ナックルスタジアムの地下……こんな風になっていたんですね。エネルギープラントというから当然かもしれませんが」
「えぇ、マクロコスモスがローズタワー以上に現在力を入れていた場所になりますから」
「でも、ここでナックルシティ中を揺らすような地震が起きる程の実験とは、何なんでしょう?」
「エスカ、貴方はローズ委員長の推薦を受けるべきだったわ」
「オリーヴさん?……えっ」


オリーヴの憐れむような――それでも惜しむような声に振り返ったエスカは、目を開く。
彼女の姿が扉の奥に。先ほどまで歩いて来ていた廊下へと消えていたのだ。扉が閉められたと同時に、嫌な電子音が耳に届いた。
弾かれたように扉に向かって駆け出すが、自動式の扉は動かない。試しに押したり引いたりをしてみるのだが、動くことは無かった。

「お、オリーヴさん……!?嘘でしょう、開かない……」

カードキーを差し込むような口が壁に取り付けられていることに気付いて青い顔に変わる。
扉の外から、オリーヴの声がしないことから、故意的にこの場所に連れてこられて、軟禁する為だと気付いても既に遅かった。
騙されたのだと気付いた時には遅かったけれど、程ほどの関係を保っていたオリーヴがまさか自分をわざわざ捕らえようとはしないだろうと思い込んでいた。
余計な事にまで、気付いてしまったからだろう。


「後でまた来るから、色んなことが終わるまで大人しくしてて頂戴」


──出来れば、貴方は色々気付くこともなく、関わらずに終わってくれたら良かったのだけど。

エスカに聞こえない程の声で呟いたオリーヴは、踵を返して廊下をカツカツと進む。
ローズと共に、計画の最終段階を始める為に。