朝焼けのスピネル
- ナノ -

01

自分が自分であるための材料とレシピ。

照れ隠しと煌めきを見守る夢と、そして無垢な恋心を温めないように氷をひとかけら。
暗闇の中から光を見詰めている感覚に時々なる不安を少し。
素直に伝えられない感情表現の不得意さへの情けなさも少し。
仕上げには無関心に包んだ温かな愛情をたっぷりと。

エスカとはそういう人間で構成されていた。
それを理解しているのは彼女自身以上に、友人達なのかもしれない。


伝統を司る石畳の王城がシンボルとなっているナックルシティのカフェで、モデルの仕事終わりであるルリナは友人を待っていた。
趣味である釣りや、ポケモンバトルも好きだが、こうして時々友人との時間を楽しむのをルリナは大事な息抜きを出来る時間にしていた。
何せ、ジムリーダーは多くのファンたちの期待や夢を背負ってポケモンバトルをし続けている。
好きだからやり続けられるといえば簡単なのかもしれないが――それ相応の重圧もあるのだ。

カラン、と音を立てて扉が開き、待ち人は現れた。
相棒であるワンパチを引き連れた祖母である博士の助手をしている女性はにこやかな笑顔で先に待っていたルリナの席の向かいに座る。
「電話では話したりしてたけど久し振り!」と挨拶をしたソニアは、ワンパチを足元に座らせてルリナと会話の花を咲かせる。
そして、真っ先に話題となったのは今日声をかけていたけれど、残念そうに断った友人の話だった。


「エスカは今日は無理だって?」
「連絡はしてみたけど仕事帰りに少し会う位は出来るかも、だって。しょうがないよね、ジムチャレンジ始まる直前とかは流石にあの子も来れないよ。担当エリアってナックルシティとその隣のスパイクタウンのジムでしょ?」
「私のバウタウンを担当してくれてもよかったのに……またキバナ君の所っていうのもなんというか」
「キバナって……あぁ、ダンデ君とついこの間エキシビジョンマッチをやったジムリーダーだよね。あれ、でもそのキバナ君とエスカって前からの知り合いじゃなかったっけ?」


二人の友人であるエスカという女性。彼女にも声をかけていたのだが、残念ながら仕事が多忙ということで今回来られなかったのだ。
キバナとは、二人が今日来ているナックルシティのジムリーダーであり、ジムチャレンジ最後の関門だ。
そして、他の地方に行けばチャンピオンにもなれる資質と実力があるとまで言われているけれど、本人はただチャンピオンになりたい訳ではなく、10連敗している無敵のチャンピオンダンデに勝利をしたいという一心で高みを目指し続けている青年だ。

そんな彼とエスカは、知り合いだった筈だという記憶だけは何となくソニアの中にも残っていた。
自分とダンデの様に、同じ時期にジムチャレンジをしていた上に、何度か道中一緒になることもあったらしい所謂トレーナー仲間であり、腐れ縁でもあるそうだが。
お互いがジムチャレンジの決勝戦の相手だったという話はぽろりとエスカが零していた。


「ガラルポケモンリーグの運営委員なんて大変だとは思ったけど、でも知り合いのジム担当ならまだ気も楽じゃない?確かに最後の関門とその前のジムってなると、運営とか大変そうだけど」
「……え?ソニアは知らなかった?」


お菓子をぱくりと口に入れるソニアの呑気な感想に、ルリナの眉が顰められていく。
「なにが?」ときょとんとした顔で尋ね返すソニアに、足元のワンパチも同じように首を傾げる。
確かに、ソニアが鈍いわけではない。寧ろエスカが分かりづら過ぎるだけなのだ。敏感に彼女の感情を掴みとれるのはルリナ位になっていると言っても過言ではないだろう。


「……エスカ、キバナ君のことが好きなんだけど」
「……、……えぇ!?」
「時々端末見てちょっと嬉しそうな顔してるのあれだけ見てて気づかなかったの……」
「き、気付くわけないじゃん!?だってエスカってあんまり感情が顔に出るタイプでもないし、そんなの気付けるのルリナくらいだってば!?」


嬉しそうに見えたかと言えば、やはり少し怪しい。
表情にそこまで表すタイプではないので、淡々としている無機質で取っつき辛いクールな人物に見られがちだが、話すとポケモンや友人を大切にする温かさと献身があることに気付かされる。
話して、付き合ってみて、漸く魅力が分かるタイプの人間なので、見た雰囲気の印象だけで判断してほしくはないというのがルリナとソニアの共通の意見だった。


「……でもそうやって未だに付き合いがあるってことは、そのキバナ君本人は、知らないんだ?」
「……」
「ルリナ?」
「え?い、いや、何でもない」


ソニアの問いに対して、ルリナは苦笑いを浮かべながら誤魔化すようにティーカップに口を付ける。

――ルリナは一度だけ、失態をしていた。
そう、あまりにも二人が一緒に居るタイミングが多かったから彼が当然知っているものだと思い込んでぽろりと、言ってしまった過去があったのだった。


カフェから少し離れたナックルジムでは、話題の中心の人物が忙しなく人員のリストを見ながら動き回っていた。
ジムチャレンジが始まる前で、このジムに挑戦者が来るまで暫くかかることだろう。だが、このジムに集まる人の規模を考えると、事前準備やチャレンジャーへの配慮や手配も十二分に行わなければ、会場の混乱を招く。
会場の下見を終えて、控室の方に戻ってきたエスカを迎えたのはこのジムの現在の主だった。

褐色の肌に八重歯が目立つ気さくな笑みを浮かべるのはナックルジムのジムリーダー、ドラゴン使いのキバナだった。
人が良い気さくさとは別に、ジム戦の時の好戦的かつ最強のジムリーダーである風格も感じられる青年は、自分を見上げる女性に声をかける。


「エスカ、仕事は終わりそうか?」
「キバナ。このジムは規模も大きいし運営も大変というか……これまでターフタウンとかポプラさんにお世話になりっぱなしのアラベスクタウンばかりだったら正直大変」
「けど、ここはいいジムだろ!」
「そうね。ここで戦えるトレーナーって数少ないし、少し羨ましくなるかも」
「ふーん、だったらトレーナーに戻っちまうのもいいんじゃねぇの?ほら、マクロコスモス所属じゃなくてダンデに指名されたトレーナーサイドの意見反映の委員代表だろ。ジムリーダーが嫌だって言うならジムトレーナでもいいと思うけどな。例えばオレ様の所とか」


キバナの冗談交じりの提案に、エスカは瞬きをする。
ナックルジムのジムトレーナーも、キバナが直々に稽古を付けていることで精鋭が揃っている。
冷静に自分はそのメンバーに適さないだろうという判断と、純粋に提案してくれたのかもしれないが、キバナに気を遣わせてしまったことに肩を竦める。


「……キバナ、私はドラゴン使いじゃないけど」
「ん?ドラパルトが居るだろ?」


彼女はこおりタイプとゴーストタイプの2タイプのポケモンに絞って育てていたトレーナーで、ジムチャレンジ当時はやはり一番のライバルだったのがエスカだ。
エスカはそういう問題じゃないと首を横に振る。
どうしてそれだけの実力がありながらも挑戦者を迎えるようなトレーナーを続けなかったのかと思っている人は多いけれど、誰もエスカのその選択の理由を問いかけたことはなかった。
しかし、ポケモン勝負やガラルのジムチャレンジというものが好きなことは確かなのだろう。
だからこそ、彼女はマクロコスモスの社員ではないとはいえ、ジムチャレンジの実行委員にチャンピオンの推薦もあり、入っているのだから。

そう、チャンピオンダンデの推薦で。


「戦いたい相手はいるけど、今じゃないの。それに委員に所属して数年だから、まだダンデ君に恩も返しきれてないし」
「……ふーん、恩、ね」
「そう。……でも、それとは別にキバナのチャレンジも応援してるつもり」
「!だったら、オレ様の一対一のシングルバトルのシュミレーションとか作戦立てに付き合ってくれよ」
「あ。次、ネズの所に行かなきゃいけないから。それと、その後もルリナに会う予定があって。ごめんなさい」


誘いに対して自然な流れのようにさらりと断ってじゃあまたね、と手をひらりと振ると、早歩きで彼女はキバナに背を向ける。
余韻もなく早々に立ち去ろうとしてしまうエスカを呼び止めようとしたのだが、そんな隙もなく彼女は行ってしまう。

「おーい、……行っちまった。素っ気ないっていうか」

――ジムを小走りで後にするエスカの後姿を見送りながらルリナが以前言っていた話が頭を過り、キバナは面白くなさそうに顔を顰める。


「……あの話、やっぱガセか?」


『エスカはキバナ君が好きだからあぁ見えても応援してるって分かってるでしょ』とルリナがさらりと一度だけ言った言葉。
突然の不意打ちに一瞬呑み込めなかった。
ジムチャレンジの時から一番縁のあったライバルで友人のエスカが。
時々本当に関心を持たれてるのかと素っ気なくさえ見えた、おそらく自分のこともただのライバルの一人としか見ていないに違いないエスカが。
ルリナは一瞬しまったという顔をして「今の忘れて」と話を流したが、未だにあの時の会話を時々思い出す。

俺様のことを好きかどうかなんてやはり全く分からない。
近寄ってきたロトムが入り込んだ端末に入ったメッセージを読み返して、思わず表情を緩める。

相手の関心があるかどうか定かではないとしても、本音が零れてしまう位にもっと意識させればいいだけの話なのだから。
――そう思っている時点で、自分の方が意識し続けているのかもしれないが。