リベラ
- ナノ -

アザーブルーの執心


同じ血を分けた兄弟でも。似たような顔をしていても。
こうも性格や興味関心の性質が異なるのかと実感して止まないのが、自分の兄弟であるフロイド・リーチという人魚だった。
興味関心がくるくると風向きによって回り方も角度も買えるような風見鶏のようで、一つの物に留まらない所があるのが彼という人魚だ。

ただ、そんな彼も一度大事だと思った物を苦労して手に入れた物に対して、執着し続ける傾向がある。
それは、興味があることに傾倒はしながらも変化や新鮮味がそれ以上なければ、すぐに手放してしまう自分とは正反対と言える気質だろう。

ミドルスクール時代、それからナイトレイブンカレッジに通っていた頃から好きなものに対しての関心の向け方が定まっていると、20代となった現在でもそう変わることは無い。
アズールが経営するモストロ・ラウンジで顔を合わせた兄弟の機嫌は今日も良さそうだった。

「フロイド、最近その腕時計をよく付けていますね」
「あ〜これぇ?」

モストロ・ラウンジを訪れたフロイドの腕に着けられている腕時計は、アンティーク調のあまり店で見かけることが無い一点ものに見えた。
地上のお洒落を楽しみ、靴も収集しているような兄弟がその日のファッションに合わせて付け替えずに、何時も同じものを身に着けている。
恐らくそれを買う・或いは貰うまでに何か特別な過程があり、思い入れがあるのだろう。
「これさぁ、すっげえいいでしょー」と見せびらかしてくるフロイドは尖った歯が見えるように笑顔を見せる。

「オレがアンティークショップで見つけたヤツなんだけどさあ。どうしてもこれが良かったんだけど、中が錆びついてギアの回りが悪くなってたからコツメちゃんに直してもらったんだよねー」
「なるほど、ミアさんが直してくださった時計でしたか」
「結構複雑で細かいギアがイカれてたみたいなんだけど、わざわざコレの為にコツメちゃんがパーツを見付けて仕入れたりしてくれて、使えるようになるまでちょっと時間かかったヤツなんだよねぇ」
「ミアさんの工房でも網羅出来ないようなものでも、用意さえすればそうやって直せるのは流石ですね」
「そうそうーしかも当時の魔法道具を再現してくれてさあ。ここのネジを押しておくと、指定した時間にちっちゃいプラネタリウムみてえに星が腕時計の回りに降るんだよねえ」

何百年前かの時計が出来ただろう魔法道具としての効果を直すことは容易ではない。
ミアという女性はまだ技術師として修業中の身だと言うけれど、それでも若いながら自分で店を持って繁盛している辺り、やはり腕前は確かだ。
天才気質のフロイドといっても、長時間真面目に根気よく作業することには向いていない性格だ。
フロイドが網羅出来ないような、別の範囲での特殊な技能があるミアを"凄い"と判断している。

フロイドがネジを調整して、見せてくれた左腕に着けられた腕時計からは、まるで夜の海から顔を出した時に見える星空の光がドーム状に点滅している。
現代の魔法道具技術で作られるものとは異なる時計をアンティークショップで見つけて、半分壊れている状態でも「これがいい」と一度定めて直してまで欲しがったフロイドの熱心さは、こうして極稀に発揮される。

「ふふ。フロイドは、それが欲しいと思った時だけは諦めずに求めて、手に入れた後はずっと使い続けますよね」
「オレは苦労して手に入れた大変さとか思い入れも大事にするからさぁ?コツメちゃんが何日かかけて直してくれたっていうのも込みでちょー気に入ってるわけ」
「そうでしたか。……そういえば、ミアさん自体も似たような経緯で苦労して手に入れましたもんね」

腕時計を付けている左腕から、左手の方に視線を流すと、彼の薬指にはプラチナリングがはめられている。
フロイドが苦労しながら付き合うことが出来るようになった相手であるミアは、恐らく人間も人魚も合わせて百人に聞いたら九十人はフロイドに対して不思議な組み合わせだと答えるだろう。
それほどまでに、ミアは職人としての自分を否定された時以外は至って普通の、善良な人間である。

「手に入れるのが大変だったから好きになったって訳じゃないけどさーでもコツメちゃんの学校とかでもモテてたって聞いたら焦ったし。つーか偶にコツメちゃん目当てで来る客がまだ居るみてぇだし」
「ずっと大切にして、向こうのご家族に行儀よくご挨拶して。父も言っていましたしね。フロイドの性質上、この子以外に居ないんだろうと」
「なーんかオレだけコツメちゃんじゃないとダメな困ったヤツみたいな言い方してるけどさあ?オレはジェイドが飽きずに同じ人間に興味を持てたんだーって思ってるし。つうか親父もオレ以上にジェイドのこと言ってたし」
「ふふ、自覚はありますので。リーチ家のツテの取引先にも弱みも握られずにほどほどの関係を保ちながら、グレーな誘いや商談をかわしているんですから、本当に面白いですよね。危害を加えられそうになったら僕も対応するつもりなんですが、その心配はなさそうですね」
「ハマシギちゃんも笑顔で隙がねえんだからおっかね〜ジェイドがハマシギちゃんと居て退屈しないのも分かんだけどさ」

性格や家業に難ありと言われる部類に当たることは自覚しているが、NRCでの日々を通して生涯の伴侶を見付けることになろうとは誰も思っていなかっただろう。
それこそ、お互いその相手に出会わなければ、結婚どころか誰かと付き合うということ自体もする選択をしていなかったかもしれない。

「話してたらなーんか今モストロラウンジで働くテンションじゃないから、オレコツメちゃんとこ行ってこよーっと」
「ふふ、アズールが怒りますよ?」
「ジェイドがいんなら暫く回るじゃん。コツメちゃんに会いたくなってきたし、ちょっと行ってくるわ」

自分の奥さんにあたる人が切り盛りをしているお店に遊びに行ってくることに対して、ジェイドも人のことは全く言えず。
買い出しと称して氷の商人として名を馳せてこの街で今は店を構えている自分の妻に会いに──茶化しに行くこともあった。
飽き性だけれど、一度手に入れた物に対しては大切に執着し続けるフロイドに対して。
飽きることが無い程に面白いと感じる相手だからこそ成り立っている自分達の関係は、フロイドとミアという夫婦以上に紙一重だが、崩れることもなさそうな絶妙なバランスで成り立っていることを自覚させられる。
「僕も明日、買い出しにでも行きましょうか。驚きながら追い返しつつ……照れるのが見られたらいいですが」と呟き、フロイドの背中を見送ったのだった。


──フロイドは、ミアの工房を気に入っていた。
それはナイトレイブンカレッジにミアが研修しに来た時から通うのが習慣付いていたからでもある。
カランとドアベルが立てた音に反応して、ほんのりと奥からオイルの香りがする工房から出てくるのは、指先を金属の煤やオイルで汚しながら作業しているとは思えない、身綺麗な金色の髪が綺麗な美人だ。

──そう、これがオレの奥さん。

「やっほーコツメちゃん」
「あれっ?フロイド君、どうしてお店に?モストロ・ラウンジ行ってくる―って言ってたのに」
「ちょっと抜けても問題ねえし。それより〜ジェイドとこの時計の話してたらコツメちゃんになんか会いたくなっちゃったからさあ」

少し困った顔をするミアは、フロイドの甘い声に対して「ほどほどにね?」と返す。
職人気質の頑固さが根にあるとはいえ、温和なお姉さんといった性格のミアを目当てに依頼をしに来る客層が居ることも頷ける。
お得意様がそれ程出来ているのはひとえに実力があってのことではあるが。
しかし、彼女が人妻であることを分かった上で、あえて来ている客層も勿論いるのだけはフロイドとしては不満に感じるポイントだ。
まるでオーダーメイドシューズを作る靴職人のような、シャツと磨かれた革靴を綺麗に着こなす上品な技術者。

「ジェイドにこの腕時計の話してたんだけどさあ。やっぱコツメちゃんに直してもらわなかったら日替わりで使ってたと思ったんだよねー」
「ふふ、直したものを大事にしてくれるの、凄く嬉しいな。確かに……フロイド君、オシャレだから日によって身につけてるアイテム違うから珍しいなとはぼんやり思ってたんだけど」
「えー鈍くねえ?コツメちゃんが苦労して直してくれたレア物だからオレにとって大事なのにさあ。まーコツメちゃんはそんくらいでいいけど」
「服をジェイド君に一式貰ったりしてるくらいだから、その日の気分に合わせたファッションアイテムのひとつにするのかなーって」

自分が苦労して直した物だから相手が着けてくれてるとは思っていなかったらしいミアの"気にしなさ"は、フロイドの気まぐれを気にし過ぎないという点で相性はいいのだが。
──学生時代の付き合っていなかった頃に、フロイドが作業室に来ることを求める訳でもなく『近所の野良猫が今日は駆け寄ってきてくれたからいい事がありそう』位に認識して当たり障りなく喜んでいたミアらしい思考に、フロイドは溜息を吐く。

「ミア」
「えっ」

付き合いが長くなったはずのフロイドの口から、あまり聞きなれない自分の名前が音として聞こえたと思った時には、ちゅ、と音を立てて唇が重ねられていた。
悪戯に笑うその顔に、無邪気さだけではなく、大人の色香が混ざっている変化にどきりと胸が高鳴った。

「オレはさあ、苦労して手に入れたもんはずーっと大事にすんの」

今度こそ、それが何のことなのか詳しく言わずとも自分のことを指していると気付いたミアは照れた顔をして、熱くなった頬を隠すように手で抑える。
「気付いたコツメちゃんは偉いねえ〜」と、年下の旦那に弄られながら、この人が結婚してくれて良かったと実感するのだった。


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