Azul period
- ナノ -
人との思い出を残すことが苦手だった。
自分が相手にとって大切な存在になるのを、畏れていたからなのかもしれないことを、ノア自身自覚していた。
弟分は、青年の恐れに気付いていなかったが──ただ単に、青年のことを心の底から慕っていたのだ。

「ノア兄さ」
「なんだーカトル?」
「写真、すごく大事にするよね。何時もデスク見て色んな写真置いてるなーって思うんだよ」
「あー……俺、そもそも形に残るような写真とか撮るの、そんなに好きじゃないからな」

その言葉の真意は、カトルには分からなかった。
苦手と言いながらも、自分たちと撮った写真を大切に写真立てに入れて飾ってくれているのだ。
撮りたくなかったという訳では無いのなら、どうして苦々しくそんなことを呟いたのか。
彼の横顔がやけに印象に残ったことを、端末にデータとして入れているハミルトン門下生と博士との写真を眺めて思い出していた。
バーゼルから離れたオラシオン。この地に彼が来ると予期されているからこそ。

「へぇ、ノアさんがそんなこと」
「ノア兄が、正直バーゼル以外で何をやってたか僕は知らないけど……ヴァンさんの読みが正しければ来るんだよね、ノア兄は」
「十中八九な。どっかしらの勢力に雇われるようなタマじゃないだろうが、協力者って名目で来るだろうよ」
「ただの准教授じゃない感満載だったしな」
「僕らは何年も気付かなかったんだけど……出張が多いなとは思ってたけど、気象学って各地に出向くものだと思ってたからさ……」
「俺も噂程度のことしか知らねぇから、師匠の方が詳しいでしょう」


ノアという男がただの准教授では無いことくらい、メルキオルとの戦いで加勢しに来た彼の行動を見れば分かることなのだが、あくまでもバーゼル滞在中は出張でよく居ない不良教授として振舞っていた。
付き合いが長くなるカトルも知らなかったが、言動を思い返してみるにハミルトン博士は彼に何らかの事情があると分かった上で招き入れたのかもしれないと今なら納得出来た。
ベルガルドはここに居ない人間のことを勝手に言うべきではないだろうと閉口するが、「悪意のある者ではない」とだけ断言する。
彼は過去を隠しているわけではないようだが、突然五年ほど前にバーゼルの准教授になったのにはそれなりの事情があった。

「ノア兄、大丈夫かな……オラシオンは故郷だって言ってたんだ」
「そうなんですか……!つまり今回のゲームは、ノアさんにとっても故郷が巻き込まれそうになってるということですか」
「うん。けど、7歳の時には引っ越したらしくて。あんまり話したがらなかったけど、ノア兄は『火事で家を全焼させた』って言ってたから、それ以来あまり帰ってないのかなって」
「……!?18年前に火事で全焼……!もしかして、あの家の奴か」
「知ってんのかよオッサン」
「まぁ、有名な話だ。ニュースにも取り上げられた位だからな。死者は居なかったらしいが……息子の姿がパタッと消えたのはそういうことなのか」

ヴァンがまだオラシオンに居た頃に起きた、とある民家が全焼した事件。
その件が有名なことには理由がある。犯人が捕まらなかった。
捕まえられなかった上に、出火元がキッチンでも導力機器でもなかった為に火が起きた原因が分からなかったことで有名で、放火なのではないかと近隣住民の間に捕まらない犯人に暫く不安が広がったからヴァンもよく覚えていた。

「火遊びしてたことでしょうか?」
「……成程。同一人物なら納得だ。当時の火事が有名だったのはオラシオンの伝統家屋ってこともあるが、何より"火種になるものが何も発見されなかった"ってことだ」
「火災になるということはマッチやライター等の火を直接起こす物、あるいはホコリと静電気ということもありますが……そのどれをとっても有り得ない火災だったということですね?」
「その通りだリゼット。だが、ノアの名前を俺が裏側で知ってたのは、奴が電磁力……雷を自在に操れれると噂を聞いたことがあるからだ」
「えっと……雷を起こせる風属性のアーツ、では無くですか」
「導力の力で再現されたものじゃなくて自然界そのもの電気だそうでな。だが、その火災の原因が自分と言ってる辺りを鑑みるに……本人にとっては祝福というより、呪いなんだろう」

息子の異能の暴発。
それによって火災となり、実家を燃やしてしまったことを悔いても、彼にとっては遅かったのだろう。死者が出なかった事だけは幸いしたが、その後彼はオラシオンを出て行き、転々とした末にバーゼルに腰を落ち着けている。
兄のように慕っている相手の過去を知ったカトルは、なぜ彼が突然ハミルトン博士の元に来たのか腑に落ちた様子だった。

「電気か……導力がありとあらゆる資源になってる中で、その波及は未知数だけど……道理で導力ネットワークでやたらとノア兄だけ処理速度が早い訳だ。ノア兄だけにしか再現出来ない回線を用意出来てたってことなのか」
「今回はレンもサポートに回るらしいし、一緒に頼もしく連携出来るって事だろ。まぁ、せいぜい兄貴分を頼ってやろうぜ」
「うん、その分僕はゲームに直接参加して、止めてみせるよ」
「そういえば、《斑鳩》?も来てるんだっけ。そのノアって人をあたしは知らないけど、カトルに聞いてなかったかしら」
「あーあの白銀の剣聖か……知り合いみたいだが、首を突っ込みたくねぇな。面倒くさそうだ」

ノアと知り合いだという話題に上がった船でオラシオンまでやって来ていた斑鳩の副長、シズナは目当ての相手を見つけて港が見える広場に足を運んでいた。

彼女にとって目当ての相手だったノアは、オラシオンだけではなく、都市の中に溶け込むどころかでは少し浮いて見えるシズナの出で立ちに苦笑いを浮かべる。
容姿端麗ではあるのだが、漆黒の強化スーツは目立って仕方がない。

「やあ、ノア。やっぱりまた会ったね」
「偶然じゃないだろ……明らかに探してますーって言わんばかりの視線というか……殺気に近いもの発しやがって」
「そこまで物騒なことを君に思ってないんだけどな。ノアならオラシオンに戻ってくると思ったよ」

今回のオラシオンで起きているアルマータの悪質な事件。例え彼が普段は積極的に問題に顔を出さないとしても、付いてくるだろうと分かっていた。
何せここは彼の故郷であり、そんな故郷に斑鳩、教会関係者に遊撃士協会、それどころか結社まで集まっている状況なのだから。

「俺はデスゲームに参加せず、あくまで地上でやることを目的としに来たのと……破戒が最悪なことしないかの監視だよ」
「うん、そういう所も君らしいや」
「爆弾で滅ぼされる前にあのオッサンの気分がころっと変わってその前にこの街を全滅させられたりしたら……後味が悪すぎてな」
「その人の趣味を知らないけど絶対にやらないとは言いきれない人って訳だ。君が参加者になってくれてたら思う存分競いあえたとは思うんだけどね」
「だから勘弁してくれよ……俺は強力な助っ人と一緒に導力ネットワークで戦うつもりだよ」
「……何時もよりあまりキレが無いね。やっぱり故郷は複雑な気持ちかな」
「……故郷を火の海にされるのは……そうだな、無力な自分を思い出すのも含めて嫌になるな」

ノアの言葉の歯切れの悪さに、シズナは眉を落とす。
故郷が凄く好きだったという自覚はなかったが、実家を火の海にした絶望感を思い出せば出すほど、それがこの街全てを覆う連想をして、苦い気持ちになるのだ。
あんな絶望感を、ニュース越しに知るのは御免だと。もう目を逸らす訳にはいかないと考えて来た。
だが、各クライアントに雇われてここに来ている勢力のようにアルマータに対して無力化して捕縛するか、もしくは殲滅対象かという二極化している考えがある訳では無かった。

「ここで立ち話をずっと続けるのもなんだから、少し食べようじゃないか」
「おいおい、明日からそのデスゲームとやらが始まるんだろ?」
「まあね。でも、私はどんな時でも私のまま。それも君はよく知っているだろう?」
「……だったな。まったく羨ましい限りだよ」

周囲の人も色んな意味で彼女に苦労する訳だとノアは肩を竦めて、近くに出ているキッチンカーの店へとシズナを案内する。
財布を取り出そうとするシズナに、ノアは「いいって」と声をかけた。

「俺が奢るよ。明日から頑張れよっていう檄だと思ってくれ。俺としてはカトルの面倒を見てくれてるヴァン達に頑張ってもらいたい本音はあるけどな」
「自分で払うと言いたかった所だけど……そう言われたら、ご馳走になろうかな。しかし、ヴァンか。ノアも見る目がいいね」

イーディスで解決事務所を営む、ヴァン・アークライド。その実力と口の上手さと人脈は、各勢力も目を見張るものがあり、お互いにとって都合よく利用し合っている。
どんな相手でも引き受けるが、ヴァンにとって筋が通らないと感じた一線は守る流儀とヴァン本人の人柄が生んでいる功績だろう。
ノアが一般人に当てはまるカトルをアルマータも関わるこの一件に足を踏み込ませることになっても任せられると思ったのもヴァンだからこそだ。

「そういえば、君が関わるにも足場が必要になるかな?まぁヴァン達の所にいる弟弟子を口実に関われるとは思うけど……」
「カトルなら勿論って言ってくれそうだけどな。……蛇の道は蛇ってことで、ツァオの黒月にでも声をかけに……」
「うちの協力者という立場をとってみる気は無いかい?」
「……え」

口に含もうとしたピザのチーズがとろりと皿にこぼれ落ちる。
ハラペーニョの味が急に意識の外に追いやられて、ごくりとピザを飲み込む。
シズナ率いる斑鳩に頼もうとは微塵も考えていなかったからだ。何故そこに自分の選択肢が入っていないのかとむくれた顔をしながらも、真剣に提案を始める。

「斑鳩のアルマータへの対応は雇い主の意向通りだが、君は好きなようにするといい。斑鳩の名前を出しても君なら単独で遊撃士協会とかにも連携を取れる人脈はあるだろうし」
「……いやいや」
「《斑鳩》副長、シズナ・レム・ミスルギの名前とその名代だと言っていいよ」
「お前と何らかの関係があると思われるだろうが」
「……」
「それが目的だと言わんばかりに笑顔で黙るなよな!?」

シズナの思惑にひくりと口元を引き攣らせたノアは声を張り上げるが、本人は何処吹く風だ。
歳上をからかい過ぎだと言っても仕方がないことはノアにもよく分かっていた。

「からかっている訳では無いよ。私は何時だって真剣に向き合っているさ」

──君とね。ただそういう乙女心に疎いのは玉に瑕だけれど。
そんな言葉を飲み込んで、シズナはノアの皿に乗っていたピザを1ピース手に取って頬張るのだった。
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