Azul period
- ナノ -
列車に揺らされること、丸一日。
早朝からの列車で目的地にたどり着くまで眠りについて、辿り着いた時にはもうすっかり辺りも真っ暗になっているほどの遠さは仕方がないだろう。
共和国はそれだけ広く、龍來はカルバードの最東端であり、反対に青年が普段拠点にしているバーゼルはカルバードの南西に位置し、龍來よりもリベールの方が近い程だ。

(隠居しているロックスミス元大統領からCIDを通して俺にコンタクトがあるなんてね。最近少しずつ活発になり始める予兆がしているというアルマータの件か……?)

クロスベル事変から半年以上が経ち、少し落ち着き始めたこの今の状況で何か改めてコンタクトを取っておきたいということだろうかと青年は訝しむ。
もう既に辺りも日が落ちてしまっていて、店も祝酒場以外やっていない状況で、顔合わせやちょっとした観光は明日だろうと肩を落とす。

「それにしても……本当に綺麗だな。紅葉っていうんだっけか。こっちの方と極東の方にはあるらしいが、赤く色付いた季節に来たかったな」

龍來の景色は、バーゼルの方では見かけない趣深さがある。
竹林や紅葉の生み出す静寂さと雅。旅行には最高のロケーションだと感動しながら周囲の景色を目に焼き付ける青年は、仕事じゃなければ知り合いもつれてきたかったものだと眉を落とす。

「クロンカイトさんの所の教え子とか、カトルも連れてきたら喜びそうだけどな。いや、カトルはバーゼルを離れないか」

ハミルトン門下の一人であり、博士に引き取られた天才研究者。
門下生ではなくてもハミルトン博士の世話になっている青年にとっては、可愛い弟のような存在だった。
しかし、海外に拠点を置いてしまった彼女の留守を守っているカトルは、バーゼルを、ハミルトン博士の家を空けようとはしないだろう。

荷物をあまり持ってきていないとはいえ、一度荷物を旅館に置いてからにしようかと駅から旅館に向かって足を運んでいたその時。
遥か遠くの方――イシュガル山脈の方からの視線を感じ取り、青年はゆっくりと視線を上げて、口元を引きつらせる。
何も気づかなかったことにして視線を逸らして、無視してしまおうかと思ったのだが。
"彼女"は目が合った瞬間にこちらに気付いて微笑んだのだ。
無視して龍來から帰ろうとすれば、この街にまで来そうだと思案した末に、イシュガル山脈への道を歩き出すのだった。

(この辺りを今の時期拠点にし始めたと噂に聞いておきながら来たのは俺だしな……)

東ゼムリア大陸を拠点とする侍衆《斑鳩》がイシュガル山脈に何らかの契約を元に、滞在し始めたことは情報で知っていた。
だからといって、厄介なことに巻き込まれそうだから会いたいと思ったわけではないが。

魔獣をあしらいながら山を登っていく中で、冷ややかな雪のような気配を感じて顔を上げると、白い人影が青年の前に降り立った。
白銀の長い柔らかな髪と、蒼耀石のような瞳。身体のラインがはっきりした真っ黒な強化スーツといった目立ついでたちの女性は、初めてあった人ではない。

「やあ、ノア!来てくれると思ったよ」
「……シズナ……」
「何だいその『げっ、会ってしまった』と言わんばかりの反応は」
「龍來での依頼なんて引き受けるんじゃなかったよと今すごく後悔してる所なんだよ」
「でも、私たちがこの近く……イシュガル山脈で待機していると知っていて来たんだろう?」
「まぁ……大事な依頼だったしな」

侍衆《斑鳩》の副長、白銀の剣聖と呼ばれる若き女性、シズナ・レム・ミスルギだ。
麗しい見た目に反して、根からの武人である彼女は、天衣無縫な一面もありながら、死合においては冷徹な剣技を披露する。
決して悪意はない好戦的な面は、ノアにとっては非常に手を焼く所だった。自分が彼女の興味から外れていればそんなことを悩む必要も無いのだが、生憎そうでは無いのだから。

「折角久々に再会できたんだ。手合わせでもして行くかい?」
「おいおい、言うとは思ってたけど冗談じゃないぜ。白銀の剣聖相手に、大学院准教授が挑むなんて命があっても足りないだろ」
「?面白い冗談だね。そんな大学院准教授、世界の何処を探しても君くらいだ。色んな所からスカウトが来てたのに全部断って、落ち着いたのがハミルトン博士の元だなんて『そこがあったか』って驚いた位だ」
「……気象学も研究出来るし、最近じゃ光の速さで情報を伝達する導力ネットを弄るのも楽しいんでな」
「けど、今回君が龍來に来たのはバーゼル准教授という居場所を用意してもらった君じゃない。だろう?」
「……」

シズナの指摘は的を得ていた。観の目で見抜いた訳でもなく、ノアという人間を考えれば誰でもそうだと思うことだろう。
彼は確かにバーゼル理科大学の准教授である。それは正しい。
専門は天候学と導力ネットワークであること。それも正しい。
だが、それは彼を構成するほんの一部であり、他の組織に勧誘されないために得た宿り木であることも事実だ。

「こんな龍來まで来るくらいなのに、彼女でも連れて来ての旅行じゃないんだね?」
「……、独り身ってことを弄られてるのかこれは……?」
「ふむ、そうなのかい?意外だな」
「あの写真でえらい目にあったんだよ!准教授にしては出張が多過ぎるって浮気を疑われた末に、シズナとのあの一枚の写真が見付かって『この女と会ってたんでしょう!?』って勘違いの末にキレられて別れたんだからな」
「それは災難というか……ノアが一般人と名乗って、一般女性と付き合うのは無理があるような気がするのと、私との写真をまだ大切にしてくれていたのが意外だよ」
「……俺は思い出はもう燃やしたくないんでな」
「……そうか。ふふ、君はそういう人だったね」

一般女性と付き合っては、准教授という隠れ蓑だけを見せて、裏の顔を隠そうとするのに、肝心の活動自体はやめないのだから疑われた末に別れるのがノアのお決まりのパターンとなっていた。
それでも、同じような裏に精通した人と付き合おうとしてないから毎回そのような別れ方をしているのでは無いかと彼を知っている者なら言うだろう。
シズナとしては、出会ったばかりの頃に撮った一枚を今も保管しているノアの行動に驚いたが、彼は言葉通り、思い出が燃えてなくなることに敏感な人だ。
実家を火事で無くしてしまった経緯から、思い出の品を自ら燃やしたくないのだろう。

「そんなに誤解の末に修羅場になるんだったら、君が婿入りでも嫁入りでもどちらでもいいなら、私としては考えるよ?」
「……いやいやいや、自分より弱い男に興味はないだろ、シズナ。俺はお前の域まで届いてない剣士なんだが」
「人として興味深ければそうでもないよ?とはいえ、言葉の綾だが嘘は良くないね、ノア。君は異能を使わずに武術を極める域まで研鑽を重ねている。言い方を変えれば"それを使えば天災のようなもの"だということだよ」

シズナの言葉に、ノアは気まずそうに視線を逸らして言葉を濁す。
異能を使わずに済むように、それに頼らない剣銃使いとしての腕を真面目に磨き続けて、クロガネと腕を並べられそうな領域にまで到達させたのは、彼の弛まぬ努力のお陰だろう。
だが、彼の強さは別にそもそもあった。
あまり使用したくないからこそ、腕を磨いている彼にとっては居心地の良くない指摘であることもシズナは理解している。
意地悪なことを言ってしまったとシズナは、刀の鞘に添えていた手を離してノアに謝罪を述べようとしたが。
シズナとノアの間の距離がほんの少し縮まった瞬間に、黒い人影がその間に割って入るように現れる。

「いつ来るかと思ってたが、副長の付き人は過保護なもんだな?」
「やれやれ。クロガネ、水を指すのはよくないな?」
「……姫、戯れ過ぎです。姫の信頼たる者かどうか知らぬ為、警戒するのはお許し下さい」

姫とシズナを呼ぶ従者であるクロガネの牽制に、ノアは変な男に絡まれていると思われていることに少し傷つきながら頭をかいて、溜息をひとつ吐く。
そして、ガンブレードに手を添えたノアは目を細めて、稲妻を僅かに迸らせる。
突然の殺気に、クロガネは咄嗟に手裏剣を構える。

「何というか……俺も、大したことない奴だと思われて舐められるのは、堪らないからな」
「ふふ、クロガネの意気や良し……と言いたい所だけど、本気にさせた彼に勝負を挑むのは、お勧めしないかな。私としてはその状態で戦ってみたいけど」
「……今しがた理解致しました。成程、姫が刀を抜きたがる訳ですね」
「分かるだろう?うーん、バーゼルに引き抜かれる前にうちも君をスカウトしておくべきだったかな」
「冗談でもやめてくれ……」

シズナの冗談と思いたい冗談に毒気を抜かれたのか、がっくりと肩を落として武器をしまったノアは、夜も深くなってきた空の星に目を向けて「そろそろ町に戻るよ」と二人に声をかけた。

「ノアも暫く龍來に滞在しないかい?」
「三日後にはバーゼルに帰るっての。……流石にここは宿賃が高いし、名ばかりの准教授でも居無さすぎるのは怒られるんだよ」
「残念。折角の再会だったっていうのに」
「どうしてここに長期滞在するのか、山脈の方にある何かについては、聞かずにお暇するよ」
「ありがたいね。また会おう、ノア」

手を振るシズナに、ノアもまた手をひらひらと振って山を下って行く。
──彼が写真を大切にしているというのは、何も自分だけの話ではないだろう。それでも、自分の写真を、思い出を大切にしていると言って貰えるのは。
いい気分だとシズナは微笑み、温かな夜風を感じながらノアの背を見送るのだった。
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