Azul period
- ナノ -
アークライド解決事務所は、筋が通る依頼であれば基本的に話を断りはしない。
それがどんな相手からの依頼であろうとも。悪人からでも、善人からでも。

そして今日、事務所の扉を叩いてきたのは、ヴァンにとっては顔なじみの相手だった。
バーゼル理科大学の准教授で、気象学と動力ネットを専攻している研究者──というのは表の顔で、色んな勢力に時に相談役を受けたり、依頼を受ける、立派に裏の人間だ。

「俺が教え子をイーディスで案内してる間、俺を探しに来る奴が居ても黙っててくれ」
「帰れ」
「面倒くさそうな気配を察知して依頼を断るなよ!まったく、アンダルシアのお菓子を手土産で持ってきたっていうのに」
「……話を聞こうか。まぁ座れよ」
「お前の甘いものへのちょろさが時々心配になるよ」

急にアンダルシアの菓子を手土産に、カトルの兄貴分であるノアがやって来たかと思えば、明らかにトラブルの匂いがする相談を持ってきたものだから、ヴァンはあからさまに面倒そうな顔で一度跳ねのける。
お菓子を持ってきたというのなら、話も聞かずに突き返すのは失礼だと、ヴァンはコーヒーを用意しながらノアをソファに座らせる。
分かりやすすぎる反応に、ノアとしてもツァオ辺りにお菓子に釣られたりしていないか心配にもなるのだ。

客人が来た会話の声に気付いて、三階から降りてきたのは自室に居たアーロンだ。
女性客でもない、顔なじみになりつつあるノアだと気付いて「何だよ、准教授のオッサンか」とつまらなさそうに肩を竦めたが、ソファにどかりと座る。

「教え子ってそうか、お前も一応准教授らしい仕事をしてるのか」
「本業は一応こっちだからな。学会に今回参加する子達も普段はバーゼルに篭りっきりだからたまには羽を伸ばしてもらおうと思ってな」
「んだよ、普通に引率じゃねぇか」
「その最中に探されたくないってことは、今誰かに追われてるのか?」
「それかそいつらの目を盗んでいかがわしい店に行こうとしてんのかよ?いいねいいねー」
「アーロン、お前じゃねぇんだぞ。……そういうことしようとしてるか、教え子の前で裏の仕事を回そうとしてくる奴らの接触はその間は辞めたいってことか」

アーロンの食いつきを制して、ヴァンは真面目に依頼として話を聞こうとするが。
ノアは遠い目をして、事情をどう話したものかと頭を掻く。
この場に弟分のカトルが居なかったのは幸いだろう。
何故その相手から逃げようとしているのか、という事情を聞けば聞くほど、彼女との関係を察されるからだ。
──いや、別に後ろめたいって訳でもないし、何なら浮気って訳でもない。
今回は真面目な引率ではあるのだ。

「いや……なんて言うか。厄介な奴に探される可能性があって、部屋は別だが、女子生徒を引率してホテルにチェックインしたり観光してるの見られるのが不味そうな気がするっつうか」
「やっぱ女絡みかよ。アンタ、厄介な女を引っ掛けんのが趣味なのか。んで、そいつの名前とか特徴は?」
「シズナ・レム・ミスルギ」
「やっぱ帰れ!」

嫌な予感の正体はこれだったのかとヴァンは吠える。
白銀の剣聖の天衣無縫な厄介さは、少ししか行動を共にしていないヴァン達にもよく分かっていた。
そして、過去にどういう出会い方をしているかは知らないが、ノアとシズナの間には特別な縁があるらしい。
とはいえ、つかず離れずの距離感らしいとは聞いていたのだが。
戦闘においては仲間であれば非常に強力な相手だったが、シズナという相手はなるべくなら関わらない方がいいというのがヴァンの印象だった。

「アイツが人探しで誰かツテを使うとしたらここしかねぇだろ」
「どうして相手が相手な件を持ってくるんだ……知り合いっていうのは知ってるが、女連れだと煩い玉かよあの白銀は」
「オッサンと付き合ってんのかよあの女?」
「付き合ってないが、……好かれてる可能性はあるっつうか」
「んだよ、自慢かよ」
「……何せ宿に押しかけられて襲われた」
「……何かわりぃ」

アーロンは憐れみを含んだ目でノアを見て、素直に謝った。
純粋に気の毒に、と思ってしまうような状況が想像ついたからだ。
見目麗しくはあるが、興が乗ってくると刃を止められず、どんな相手であろうと人を殺しかねないあの殺気を目の当たりにしてしまえば、彼女に迫られる状況はただ美味しいだけではないことは、女性を口説き慣れているアーロンにもよく分かる。

この複雑な関係を説明しなければいけないことにならなければいいとは思っていたが、変に詮索されて話をこじらせるよりも、素直に事実だけ述べたのだが。
被害は最小限どころか、かなり負ったような気がするとノアは胃の辺りを抑える。

「アークライド事務所に俺の行方をもし聞きに来たとしても知らないって言ってくれよ」と念を押して、ノアは鉄道でイーディスにやってくる教え子たちを迎えに行く為に立ち去っていく。
ノアが居なくなった後の事務所でコーヒーを飲みながら、アーロンは未だに得体の知れないシズナの女性像がノアを通して見えてきてしまったことに肩を竦めた。

「襲われたっつってたけど、あの女は跳ね除けてどうにかなりそうじゃねえってことはヤッたんだろ。女難の相でもあるのか?」
「仮にも兄貴分の恋愛話なんて、カトルには聞かせられないから居なくてよかったぜ……」

ノアが事務所を離れて3時間ほどが経過し、二人がノアの依頼をすっかり忘れ始めていた頃。
トントンと扉が叩かれる音がして「入りな」と声をかける。

そして開かれた扉の先に居た人間に、ヴァンとアーロンはぴしりと固まった。
依頼こそはされたが、まさか本当にアークライド解決事務所に彼女が来る筈もないだろうと身構えていなかったのだ。
何せ、斑鳩は東ゼムリア大陸を基本的に拠点にしているし、最近では仕事でイーディスやオラシオンに現れはしたが、龍來辺りに戻ったのだろうと思い込んでいた。
そして何より"そんなことで本当にヴァンの事務所を頼ってくる"とは信じていなかったのだが。
──ノアが、彼女の思考を理解していると二人が思うには十分な予想具合だった。

にこやかな笑みを浮かべて、彼女は親しみを込めて手をひらひらと降る。

「やぁ、ヴァン」
「なっ……!?」
「解決事務所ってこんな所にあるんだね。実は人探しをして欲しくてね」

(マジで来やがったぞ……!?)

シズナ・レム・ミスルギ。彼女は本当にノアを探しに、ヴァンの元を訪ねに来たのだ。

「探し人って誰だよ?アンタらの標的か?」
「あぁ、斑鳩としての依頼ではないよ。探しているのはノアでね」
「ノアを探して欲しい?お前ら、番号は交換してないのかよ」
「いや?この間させてもらったからノアに連絡はとれるよ。ただ、何故だか出なくてね。それで、ヴァンに頼ろうと思って来た訳だ」
「何だその理由は……つうかアイツが今共和国何処にいるかも知らねぇのに、探すなんて無理だっての」
「ヴァンなら知ってるかと思ったんだけどな。どうやら学会?っていうのがイーディスで行われるみたいだし」

──割とちゃんと調べられて追い掛けられてるじゃねぇか、という心の声がヴァンとアーロンの中で重なったが、それを口に出せば自分達の身が危うくなるのだと本能で分かっていた。

「そこまで分かってんなら俺だったら学会の会場近くのエリア探すけどな」
「ふむ、なるほどね。いい意見をもらったよ。ありがとう、ヴァン」

台風のようにやってきて、台風のように去っていったシズナに、ヴァン達は大きく息を吐いた。
何がどうすれば虎の子にあそこまで気に入られるのかと、見れば見るほど不思議になる。目立って逃げているという訳ではないが、受け入れ過ぎず。かといって拒絶しきらない二人の仲が謎だった。

「……オッサン。約束破ってねぇか」
「いや、あくまで一般論を言っただけで、俺たちはどこに観光に行ったかも知らないだろ。セーフだセーフ」
「物は言いようだな」

教え子を迎えに駅に行ったとは言っていないから、約束こそは守った形になるだろう。
ただ、その後彼がどうなるかは保証していないだけだ。依頼料も正式に受け取っていないのだから。

ヴァンの予想通りにシズナも動いたわけではなく、情報屋のベルモッティの店に足を運ぶためにリバーサイドに足を運んでいたのだが。
シズナは、今日は特に自分の勘が冴え渡っていることを実感する。
リバーサイドの屋台が並ぶ道に、その探し人は居た。それも三人の女性と談笑しながらだ。奢っているのか、お礼を言われているようだが、口元は見えないが「気にするな」と言っているのだろう。
ノアが気前のいい男であることは、シズナも知っていた。

(歳は私とそう変わらない子達かな……?電話に出なかった理由がこれなんて、学会とやらの知り合いだとしても)

ちょっとだけ、面白くない。
勿論、彼にも彼の人脈があることは承知しているし、そこに関してとやかく言うつもりはなかった。

「やあ、ノア。こんな所に居たんだ」
「……シ、ズナ……」

でも、声をかけずには居られなかった。

イーディスに来ている可能性があると聞いていた彼女が本当に来ていて、尚且つ見つかった動揺でノアは白銀のその人を前に固まる。
別にやましいことをしている訳では無いし、シズナと付き合っている訳ではないのに、何故か浮気がバレた時のようなこの居心地の悪さはなんだろうか。
反射的に視線を逸らしてしまったが、彼女の笑顔が焼き付いてぞくりと背筋が震える。

「ノア教授。お知り合いですか?」
「あ、あー……ほら、前の襲撃の際にバーゼルで世話になった人だよ」
「そうだったんですか!綺麗な人だけど……」
「東の方から来てな。服装はそっちの流行りだから気にしないでやってくれ」
「私達、観光ガイド見て回ってきますから。知り合いの方に久々に会えたなら優先して下さい」
「……、……悪いな。ここからは自由行動で頼む」

──詰んだ。
教え子にこんな気を使われてしまったら、そう諦めるのも無理はなかった。
バスに乗って違う地区へと向かう女子生徒達を見送った後、ノアは大きく息を吐いて、シズナを振り返った。

「何だ、教え子だったのか彼女達は」
「どうみてもカタギだろうが……!」
「いやそういう意味じゃなくて、君は何時も付き合う相手が一般人だっただろう?」
「教え子に手を出すようなことしないっての……」


目立つ出で立ちの彼女とこのままリバーサイドで話し続けるのは悪目立ちをすると判断し、ノアは近くの顔なじみの店へと彼女を連れて行く。
裏社会の人間も気兼ねなく訪ねられるカフェやバーなんて、場所が限られている。
そういう人間に打って付けなのが、リバーサイドに店を構えるベルモッティだ。

「いらっしゃいノアちゃん、……あら。奥の席開いてるわよー」
「明らかにちょっと放って置こうって空気出すなベルモッティ!」
「あら〜そんなことないわよ?でも聞いたら野暮な話っていうものもあるじゃない?」

カランとドアベルが音を立てて迎え入れた客人に、ベルモッティも一瞬凍りつく。
情報屋としては気になる組み合わせではあるが、引き際を間違えると自分の身も危ういということはわきまえて居るベルモッティは、シズナの機嫌の良さそうな笑みに、即座に関わらないのが得策だと判断を下す。
奥の向かい合う席に通されたノアとシズナはコーヒーと紅茶を注文する。
昼下がりのカフェタイムなはずなのだが、尋問されてる気分になるのは何故だろうかとノアは視線を逸らしながらコーヒーを口に含む。
苦味が何時もよりも舌に残る。

「准教授としての仕事をしている時はちゃんと教え子の面倒をちゃんと見ているんだね。感心したよ。一瞬勘違いしかけたけど」
「俺は誰彼構わずじゃないからな。だがその……なんだ、不快な気分にさせたっていうなら謝る。今度改めて埋め合わせでもするぜ」
「……!」

彼女を、不快にさせたことには間違いないのだろう。そもそも付き合っていないから浮気では無いのだが、それでも、ノアの性格上、仁義は通しておきたかったのだ。
ノアの謝罪に、シズナは目を丸くする。
つれなく見えて、不器用だが潔く律儀な青年。自分を普通に受け入れる度量。
やはり、そういう所がノアなのだと、シズナは綻ぶように笑う。

「なんだよ?余計な提案だったなら撤回す……」
「いや、何だかんだ面倒見のいい君のそういう所が好きだと思っただけだよ」
「年上をからかうんじゃねえよまったく……」
「だから、私は何時だって真剣に君に向き合ってるよ?埋め合わせのデート、楽しみにしているよ」

年上の自分をからかっている、とノアが思っているのは、古都の火災から始まった自分の人生に他者を巻き込めないという自責の念があるからだとシズナは見抜いていた。
だから、シズナは真っ直ぐと伝え続ける。
君の人生に巻き込んでもらっても、私なら大丈夫だから、と。
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