17話

「ええと待って…うん? つまり君を狙ってる組織の構成員が奇襲を仕掛けてきたから雲雀君が返り討ちにして? で? 全部終わったから出てこいと言われて出て行ったらついでに君の心臓にあった銃弾も出てきたって話? ん? なに? どういう意味?」
「まあ……多分、そんな感じ」
 入江に迫られ、獄寺は肩をすくめるしかできなかった。
 今ここから逃げ出したとていずれは捕まるのだからそれなら早く解消しておいた方がいい。
 ことのあらましを話すと、入江はしばらくきょとんとして固まっていた。状況が飲み込めないままフリーズして数十分。ようやく再起動した入江に詰められているのが現在の状況だった。
 獄寺は机の引き出しを開け、先ほど吐き出した銃弾をくるんだ布を取り出した。そして手のひらの上で広げて入江に見せる。
「…詳しいことは分かんねぇけど、オレがそれを吐いたってことはそうなんじゃねぇのか」
「……確かにこれはレントゲンで確認した形状とサイズに近いな」
 入江は手袋をはめ、銃弾をまじまじと眺めている。自分が吐き出したものを真面目に観察されるのは恥ずかしい。気まずさから目を逸らし、小さく咳き込んだ。
「ああ、ごめん。とりあえず今日はこれ持ち帰って解析に回すよ。それから本当に弾が無くなったかどうかは明日確かめよう」
「そうだな。よろしく」
 いそいそと帰る支度をする入江の横で、獄寺は息を吐いた。
 色々なことが立て続けに起きたから頭の整理が追いつかない。気持ちの方はとっくに整理ついて落ち着いているのに、情報だけが頭の中に散乱している。
「……なんで吐き出したんだろうな、弾」
「ん?」
「…あ、いや…急、だったから、驚いて」
 吐き出した時の状況を説明しようとして、慌てて言い換える。あんなことを入江に説明できる気がしない。
「…その考察はまた今度にしよう」
「そうだな」
「それじゃあ、また連絡する」
 そう言って足早に去っていった入江を見送り、再度息を吐いた。

死に至る愛 P

『ええと待って。うん? え、つまりオレらが獄寺くん襲った組織のトップと話してる最中に奇襲があって? でそれをヒバリさんが返り討ちにして? そしたら獄寺くんは心臓に撃たれてた銃弾吐き出したって話? つまり? どういうこと?』
「えっと……」
 画面の向こうで沢田、山本、笹川の三名が首を捻り、顔を見合わせている。何故よりにもよってその二人を連れてきたのかは置いておいて、獄寺は一から説明をした。とは言っても沢田が繰り返したことが全てだ。
「…まず、今日不在だったのは会合があったからなんですね?」
『うん。暴力沙汰もよくないと思ってね。まさかその隙に奇襲されるとは思わないけどさぁ……部隊配置しといて正解だったよ』
『結果的にはヒバリが一人で片付けたみたいだけどな』
『そうだね』
 守護者が揃いも揃って不在だったのは会合と部隊配置のためだったらしい。沢田と山本は向こうの組織のボスと、笹川はアジトに残って他の面々と警護の体制を取っていた。獄寺一人の為にそんなことをしていたと思うと、足を引っ張っているようで情けなくなる。
 首を横に振り、水を一杯仰ぐ。
「で、その間に奇襲がありました。ヒバリが相手をしたらしく、オレが出た時にはもう全て終わっていました」
『……で、その後に獄寺くんは撃たれた弾を吐き出した、と…?』
「……まあ、ハイ。本当に撃たれた弾かどうかは今解析中ですが…」
『そっか…』
 沢田は未だよく呑み込めていないようでうんと首を捻っている。
 やはり沢田にもあの時の状況を詳しく言えなかった。何故急に弾を吐いたのか、本当は何となく分かっている。分かっているからこそ、人に説明するのは恥ずかしい。
 画面越しに沢田と目が合う。ぱちり、とこちらを見た瞳は獄寺の内側を覗いているかのようだった。見透かされたような気がして、余計に顔が赤くなる。自分の最も敬愛する相手に隠し事をしている罪悪感だ。
「…あの、」
『詳しい話はまた今度。とにかく今日はゆっくり休んでよ』
「……はい」
 その後一言二言挨拶をかわし、通信を切った。
 暗くなった画面に自分の顔が映る。この部屋に来てから何度も見た顔だ。けれど今までに比べてずっとマシな顔をしていた。疲れているのに変わりは無いが、どこかさっぱりとしている。憑き物が落ちた、という表現が正しいだろうか。
「…はぁ」
 目を閉じ、立ち上がる。もう食事の時間だ。

 一生涯のうち、何回食事をとるのだろう。そしてそのうち覚えているのは何割ほどだろう。きっと数日後、元の生活に戻ってしまえば昨日食べた夕食ですら思い出せなくなってしまう。けれど雲雀とともにした食事は記憶としてずっと残っているだろう。獄寺にとって、それほど大切で尊い時間だった。
 午後六時。食卓に着き、手を合わせる。
「いただきます」
「…いただきます」
 箸を取り、ほうれん草のおひたしに手を付ける。
 いつもと変わらない食事の風景だ。二人顔を合わせているけれど静かで、しかしそれが心地いい。
 じわりと染みる醤油味を噛み締めながら、こっそりと雲雀を観察した。淡々と食べ進める雲雀は一口が獄寺より小さい。きっと今まで余裕のある食事をしてきたのだろう。獄寺とする時のように料理をして、食卓を整えて、手を合わせて食べているのだ。
 鯖の味噌煮に箸を伸ばし、雲雀を真似て一口を小さく取る。よく噛んで味わっていると、雲雀がちらりとこちらを見た。
「……何」
「あ?」
「人の事ジロジロ見て」
「…別になんも」
「言いたいことがあるならハッキリ言えば?」
「……美味いなって、思っただけ」
「それだけ?」
 かたり、と茶碗が静かに置かれる。
 もうこんな微かな音を聞くことも無くなるわけだ。多忙の日々は繊細な音を拾ってはくれない。総菜パンの袋を乱暴に開く音や、とにかく目を覚ますためにコーヒーをドボドボと淹れる音に慣れてしまうのだろう。
 そう思うと名残惜しかった。
「……お前と食事するのが結構楽しかったって思った」
「だったらこれからもすれば」
「は? いやいや…」
「食費さえ払えば構わないよ」
「……あ、マジで言ってんの?」
 また冗談を言っているのかと笑いかけたが、雲雀の表情があまりにそれとかけ離れていたためスッと口角が下がった。これは真面目に話している時の顔だ。
「悲しそうな顔をするくらいだったら言えばいい」
「…そんな顔してたかよ」
「してた」
「カッコ悪…」
 どうにも治らない性根の素直さに落胆しつつ、鯖の味噌煮をもう一口運ぶ。
 この食事が食えるのなら、金を払う価値はあるかもしれない。ほんの少し真面目に考えながら咀嚼する。
「…まあ、それについては今度考える…」
「そう」
「にしてもお前も安請け合いすんなよ…」
「してない」
「してるだろ。食費だけでいいなんて安売りすんなよ」
「君にしか言わない」
 その言葉に箸が止まる。白米を掴みかけて、宙で固まった。
 雲雀は平然と食べ進めている。静かに、上品に。
 今までなら「どうして」と尋ねる言葉を口にしていただろう。その先にあるものが分からなかった。雲雀の感情がどこにあるのか見えなかった。しかし今は、
「…そうか」
 ゆっくりと、言葉の意味を噛み砕いて飲み込んでいく。
 あったかいような、照れくさいような、くすぐったいような、変な感覚が胸の中に沸き起こるが、嫌な気分ではなかった。
「…そういや、メヌエット、結局最後まで教えてねぇよな」
 恥ずかしさが徐々に上回るようになり、小さく咳をして話題を変える。雲雀は鯖の味噌煮に視線を落としたまま「大体覚えた」と返した。
「楽譜も無いのに?」
「録音を聞いて君の手の動きを思い出せば練習くらいできる」
「……なんか、もっと難しい曲弾けよ…」
「難しい曲?」
「そんだけ弾けんなら楽譜の読み方も覚えりゃすぐ弾けるようになるだろ」
 きょとんとする雲雀に思わずため息が零れる。
 獄寺には無い才能だ。母の手の動きをどれだけ再現しようとしても上手くいかなかった幼い頃の自分を思い出す。
「楽譜は読みたくない」
「読みたくないってなんだよ」
「黒い丸が多いから」
「……音符が群れてるって、こと?」
「ぞわぞわする」
 何の楽譜を思い出してか顔を歪める雲雀にまたため息が出た。
 勿体ない。いや、でも雲雀らしくていい。
 笑ってしまった。はは、と声が漏れてから慌てて口を押える。
「いや、違う。なんもねぇ」
「笑った?」
「違う違う」
「面白い?」
 雲雀が挑発的な目でじとりとこちらを見つめ、首を傾げる。
 目を見てはまた笑ってしまいそうで、獄寺は顔を背けて「違う」と繰り返した。けれどやはり耐えられるものでもなく、結局身体を震わせて笑うしかなかった。
「楽譜もダメなのかよ」
「芽キャベツも嫌い」
「芽キャベツ…って、あ、ブドウみてぇに生えるヤツ」
「どれだけ食費払われてもあれだけは出さないから」
「なんだそれ」
 一度ツボにはまってしまえば抜け出すことは容易でない。一度箸を置き、腹を抱えて笑っていると涙まで出てきた。あの時とは違って小粒の雫は目尻から頬を伝う。
「はぁ、おかしい」
「そんなに笑うのを初めて見た」
「…悪かったな食事中に」
「誰も悪いなんて言ってない」
「じゃあなんだよ」
「ただ初めて見た、と思っただけ」
「……」
 雲雀は一人先に食事を終え、温かな茶を飲みながらしみじみと呟く。
 たしかに、雲雀の前で口を開けて笑ったことは無い気がする。沢田や山本の前であれば数えきれないほどあるが、雲雀との過去にそんな瞬間は一度もなかった。
「……初めて見て、どう思った」
「どう?」
「もう見たくないとか、あるだろ感想が」
「……感想」
 そんなことを尋ねられると思わなかったのだろうか、雲雀は湯呑を置いて少しの間黙った。案外思考をまとめるのが苦手らしい。言いたいことはすぐ口に出すのに、突っ込むとそれを飲み込むのに時間がかかる。処理落ちしたロボットのように固まった雲雀を眺めながら、獄寺もまた茶を一口飲んだ。
「…他には何があるのか気になる」
「ほ、他?」
「知らない人間を見ているみたいで不思議な気分だ」
「そこまで言うか」
「…君だってそうだっただろう」
「え?」
「ずっと信じられないものを見るような目で僕を見ていたくせに」
「……」
 ここへやってきたばかりの自分のことを言っているのだろう。確かに最初のうちは警戒しっぱなしだったし、雲雀の挙動がいちいち信じられなかった。だってその奥にあるものが理解できなかったから。たとえ知ったとて受け入れることはできなかったから。
「…今は違う」
「知ってる」
 雲雀が微かに笑ったような気がした。分かりにくいけれど、柔らかくて人間らしい顔だった。

 映画のエンドロールが流れるかのように、淡々と日々が過ぎていく。
 銃弾を解析した次の日にはレントゲンを撮り、完全に獄寺の身体の中から弾が消失していることが確認された。そして喜んでいるのも束の間、次に待つのは風紀財団施設からの退去だった。
 あっという間にことが進み、気付けばいつもの日常だ。
 生身の沢田と会話をし、仕事を振り分け、部下に指示を出し、ただひたすらに自分が出来ることをこなしていく。
「獄寺君、ちょっと話いい?」
 技術部が集まる部屋に用事があり立ち寄ると、入江に呼び止められた。白衣を脱ぎ棄ててすっかりいつもの恰好に戻った入江は元気を取り戻して活き活きしている。やはり本分はこちらなのだろう。
「…なんかあったか?」
「特殊弾の話でちょっと」
「……ああ」
 あれ以来、込み入った話はしていない。詳細な解析はまだ続いているらしいし、報告書は今朝沢田のところへ上がってきたばかりだ。
 獄寺は腕時計で時間を確認し、作業部屋へと戻った。コンクリの床に散らばった工具や使用用途不明の道具を器用に避け、入江の元へと向かう。
「調子はどう?」
 用意された椅子に腰かけ、ありきたりな問いかけをしてきた入江に「悪くない」と返す。
「報告書読んだ?」
「一通りは」
「何か分からないところがあれば聞こうと思って」
「分からないこと?」
「ほら、君よく雲雀君のことが分からないって言ってたし」
「ああ…」
 数週間前の自分を思い出し、つい顔が歪む。苦い顔をしてしまったのが入江にも伝わり、くすりと笑われる。
「もういいのなら別に聞かなくてもいいけど」
「あー……いや、そうだな。結局なんでヒバリに効かなかったのかと、急に血吐いたのは分からなかったな」
「ふむ…うーん」
「そこらへんはなんか分かったのか?」
「そもそもアレの効果は人を魅了するものだったから…」
「はあ」
「……こ、ここまで言えば分からないかな…?」
「……?」
 その先を言いたくないのか、入江は口元をもごもごさせながら獄寺に身振り手振りで何かを伝えようとしている。変な動きだ、とまるで他人事のように眺めていると、隣で作業していたスパナが舐めていた飴を取り出してこちらを見た。
「ヒバリは最初からゴクデラに魅了されてたってことだろ、正一」
「スパナ!」
「あー……」
「獄寺君も『あー』って何? なんか色々通り越して悟りでも開いたのかい?」
「じゃあ、血吐いたのは?」
「……あれは多分、キャパを超えたからじゃないかな」
 諦めたらしい入江はため息を吐きながら話す。
「キャパ?」
「血を吐く前に何をしたのか知らないけど、雲雀君が抱えられる許容範囲を超えたんだよ。だから身体が耐えられなくなって、血を吐いた、んだと思う」
「…何を、」
 目を伏せ、激動の一日を思い出す。まるで遠い昔のようだ。それなのにあの日のことはよく覚えている。きっと死ぬ間際まで頭に残っているだろう。
「…メヌエットを、」
「え?」
「……いや、よくわかった。ありがとう」
「…まあ、君が納得したのなら良かった」
「世話になったな」
「君も、お疲れ様」
 ゆっくりと立ち上がり、入江とスパナに礼を言って部屋を出る。
 大きく息を吸い、深呼吸を一つ。胸に手を当て、自分の鼓動を手のひらに感じた。かつてそこに在った穴は、確かに満たされている。満たしているべきものが埋めている。
「…だから大丈夫」
 そっと呟き、顔を上げる。再び歩き出した身体は軽かった。


あとがき

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