Way to the Future・1


雲雀恭弥は獄寺の名前を呼ばない。

『沢田綱吉』

『山本武』

『ボクシング部主将』

他の面々はそれなりに認識されていた。しかし彼と獄寺の間には大きな隔たりがあった。

そんな雲雀が獄寺の名前を呼び始めたのはいつだっただろうか。














『獄寺くんはどこに進むの?』

ツナは言った。

高校の秋だった。

獄寺とツナ、笹川京子、三浦ハル、クロームは五人とも同じ並盛高校へと進学した。山本、笹川了平はそれぞれの専攻するスポーツの部活が活発な高校へと進んだ。ランボやイーピンは小学生に上がって少しは大人しくなった。骸は…どこかの高校へと行ったと聞いたが、獄寺にとってはそれほど気にすることでもなかったのでよくは覚えていなかった。
そして雲雀はというと笹川了平とともに形だけ並盛中を卒業し、並盛高校に籍を置いたらしい。しかし未だその活動拠点は並中であり、姿も見なくなったが。

当然獄寺はツナについていく気だった。全てを捨てて日本にやって来た身だ。特にやりたいことも見当たらず、ボンゴレ10代目の右腕として働くことだけが獄寺の生きる意味だったから。

しかしその言葉を聞いた時獄寺は固まった。

まるで自分とは違うところへ進むのでしょう?と問うような意味合いが含まれているようだった。

『一回俺から離れてみてくれないかな』

夕日が射し込む教室でツナは言った。

獄寺は言葉が出なかった。
俺が役立たずだからそんなこと言うんですか、とか俺は十代目についていくこと以外考えてません、とかそんな言葉は声にならなかった。
ただ、無気力に頭を垂れて頷いた。

それからはよく覚えていない。
適当に進路希望調査書を提出し、適当に受験して、適当に大学に入学した。

『まるで失恋したみてぇだな。』とリボーンは言った。
全くその通りだと思う。
もちろん自分のボスであるツナに恋愛感情はない。しかしこの喪失感と虚無感は恐らく生涯の妻を失った夫の感じるものなのだろう。大切な人の隣にいれないことがこんなにも苦しいことだとは思わなかった。



大学は並盛の近くにある一流大学へと行くことになった。国内でも屈指の名門大学と言われるそこには当然ながら知り合いもいない。ツナに会いに行こうにもそれはツナの方から断られた。

『獄寺くんは俺だけ見てちゃダメだと思うんだ…ごめんね』

と沈んだ声が電話越しに聞こえ、ツナの顔が思い浮かぶ。
獄寺はその日から電源ボタンを入れることはしなくなった。

大学は平和だ。
成績優秀者のみが集まっているから無駄な争いはなかなか起きない。凹凸のない平坦な日々に平和ボケした頭を何度殴っただろうか。

獄寺はまるで日常生活の穴を埋めるようにバイトと講義を行き来した。
そのおかげで金やら単位やらは余るほど溜まった。しかしなんの意味もないその行為で獄寺の気持ちが紛れるわけではなかった。
余った時間を持て余し、様々なことを勉強した。イタリア語、英語、日本語以外のフランス語やロシア語などの言語。自分が専攻で選んだ経済学以外の医学分野や考古学、心理学、生物学など出来るものには全て手を伸ばした。

そのせいもあって獄寺は首席になり、大学内でも注目を浴びることとなった。







そんなある日、獄寺はとある教授に呼ばれた。
聞く話によると、なにやら怪しい話らしかった。五年ほど前から毎年、学科ごとの成績優秀者を集めて何かをしているらしい。呼ばれた者は行かなければ制裁が下され、行った者は必ず怯えるように叫びながら部屋を飛び出るとか。

獄寺には興味のない話だったが、行かない理由も特にはなかった。それに行って何か刺激があるのなら、この平和ボケした空っぽの頭を直せるかもしれないと思った。

獄寺はその教授がいるという、古い校舎の一室へと向かった。指定された時間の五分前に扉の前に立つ。
誰も立ち入らない、埃まみれの場所だ。時間と場所が書かれたメモを持ち、ノックをしようとしたその時、いきなり扉が開いた。

うおっ、と声をあげると、一人の生徒が出てきた。生徒は扉の向かい側の壁に背中をついてぺたりとその場に座り込んだ。そして獄寺と目が合うと首を横にブンブンと振る。

「おい…、どうしたんだよ…?」
「やめた方がいい。わけがわからない。頭がイカれてる。」
「はぁ…?」

獄寺は切ったばかりで短くなった髪を掻きむしった。
生徒は言ったからな、と、獄寺に念を押してどこかへ行ってしまった。
獄寺は首をひねり扉に視線を戻す。開いたままの扉の向こうは真っ暗だ。獄寺は恐る恐る扉に手をかけ、中へと入り込んだ。

そこらじゅうに書類が散らばっている。獄寺はキョロキョロと見回しながら奥へと進んだ。
奥は意外と広くて、大きいデスクとその前に机が置いてあり、真っ黒いソファーがある。もしかしたら元々来客用の部屋だったのかもしれない。

デスクに座る人影が見えた。
デスクの明かりが人影を照らす。
獄寺はその人物を見て目を見開いた。真っ黒な髪と切れ長の目。
間違いなく雲雀恭弥だった。

「おま……」
「経済学部の学生だっけ?そこ座って。君で最後だ。…今年もハズレかな。」
「…?」

獄寺は言われるがままにソファーに座った。雲雀は獄寺が座ったのを見ると、デスクに目線を戻し、なにやら書き始めた。待て、ということらしい。獄寺は雲雀を眺めて黙っていた。

久しぶりに見た雲雀はそう大きくは変わっていないらしい。腕にはVGもつけている。身につけているのは相変わらず並盛の制服で、腕章まである。
獄寺はツナの顔を思い出しそうになって顔を伏せた。そして無意味に机の上に乱雑に置かれた書類を眺めた。どれも違う言語で書かれた論文ばかりだ。それに一通り見えるところだけ見る限りどれもこれも違う分野のものが書かれている。獄寺は目の前の論文に手を伸ばした。
その瞬間、机に鉛筆が飛んできて刺さった。

「触るな。」

雲雀の声がして獄寺は手を引っ込めた。
雲雀はやはり変わらない。獄寺はため息をついてソファに深く腰掛け、雲雀の次の言葉を待った。

なんて思ったらすぐに雲雀が獄寺に話しかけた。

「それ、読んでて。辞書はそこ。」

と言って先ほど獄寺が手を伸ばしかけた論文を指差す。
獄寺は文句を言おうと口を開きかけたが、グッと飲み込み、論文を手に取った。
ロシア語で書かれた論文だったが、獄寺は辞書を使わずに読み進めることができた。専門用語までも他の論文で読んだのを頼りに読んだ。

「…無理だろ…。」

論文はそんな言葉が思わず出るような内容だった。
うっかり漏れた声を抑えるように口を抑え、雲雀の方を見る。雲雀は獄寺を見ていた。ぎょっとして思わず目をそらす。

「君…ロシア人、ではないよね?」
「たまたま読めただけだ…。」
「ふうん、そう。…感想は?」
「感想、って言われても…。」

獄寺は再度論文に視線を落とした。
『トゥリニセッテ』という言葉が目に入る。この論文はトゥリニセッテについてのものだった。

トゥリニセッテの概念については獄寺が高校に上がった頃くらいに世間一般にも知れ渡り始めた。だからといって限られた人間しか使えないものに大きな注目が集まるわけでもなく、こんな一流大学の人間でも詳しい人物は殆どいないだろう。

トゥリニセッテとタイムトラベルの因果関係とその活用について。
謎の多いトゥリニセッテがタイムトラベルを可能にしたことは未来から帰ってきてから知ったことだった。しかしその仕組みははっきりとしていない。

獄寺はこくりと唾を飲み込んだ。

「タイムトラベルの仕組みについて説明するには、これじゃ足りないだろ……それにただタイムトラベルをするというだけでは確実にタイムパラドックスが生じる。たとえそれを回避して現在に戻ってきたとしても普通混在する記憶を持つことになるから人間の精神に異常をきたすはずだろ?…これはトゥリニセッテがそれである意味がない。タイムトラベルはこんな仕組みでは起きない。」

そこまで言ったところで獄寺はハッとして慌てて黙った。論文を机に置いて雲雀から目をそらす。
喋りすぎた。雲雀は昔から無駄に喋りすぎる人間を嫌う。今咬み殺されても戦う気はなかなか起きない。

「ふうん、そう。」
「……。」
「…君名前は?」
「…っ、獄寺隼人。」

雲雀が怪しく笑う。
獄寺は嫌な予感がしてソファから立ち上がった。

「君なら邪魔にはならなさそうだね。今日から僕の手伝いして。」
「は、はぁ?!」

笑った雲雀は思っていたよりもずっと大人びていた。











◇◆











それからの獄寺の生活は一変した。
朝大学に来て真っ先に雲雀の部屋へと向かう。閉まっている鍵を開け、中に入ると自分のデスクに座る。その時雲雀が寝ていれば、そのまま待機をし、起きていれば雲雀の手伝いをする。手伝い、といっても気が遠くなるほどの膨大な量の論文をまとめて雲雀に報告するだけだ。
一度雲雀の身の回りの手伝いをしようとして、昼ご飯を作ったら雲雀は吐いた。それがショックで密かに料理の練習を始めたことは秘密だ。

そして講義のある時間を事前に知らせておいて、その時間だけは部屋を抜けて講義を聴く。戻ってきたら夜のコンビニのバイトの時間まではずっと雲雀の手伝いだ。
そんなバカみたいに忙しい日々だが、獄寺は満足していた。少なくともその忙しさのおかげで余計なことを考えずに済む。



しかし雲雀は獄寺を覚えていなかった。雲雀曰く、弱い奴は忘れたらしいが、山本やツナの名前を出すと反応したり、骸の名前を出すと機嫌が悪くなるあたりを見ると獄寺以外は覚えているのだろう。それを知って若干でなく落ち込んだのをよく覚えている。
そしてもう一つ、雲雀は教授という肩書きを持ちながらも講義はおろか、この大学内で生徒に接したことは一度もないと言う。教授という肩書きとこの部屋はトゥリニセッテの研究がしやすいからというだけのためらしい。










そんなある日、珍しく雲雀が昼寝をすると言い出した。そして欠伸をしながら部屋を出て行った。獄寺もそれを追って外へ出る。

「俺はどーすりゃいいんだよ!」
「二時間後に起こして。」
「起こして、って…それだけかよ!」

雲雀は校舎を出たすぐ横の裏庭でスヤスヤと寝息を立てて寝始めた。木陰の下寝転がる雲雀の頭にヒバードが飛んできて止まる。
獄寺はため息をついてその場を離れた。急に暇になってしまった二時間をどう持て余すか思案する。けれど特にやりたいこともないし、やるべきことも雲雀がいなければできない。
獄寺は裏庭の塀をよじ登り大学の外に出た。そして思い切り背伸びをして深呼吸をする。


どうせなにもできないなら走ろう。思い切り走ってどこかへ行こう。
そう思って一歩踏み出す。
走り出すと体が嘘のように軽くなった。切れる息も無視して限界まで走った。ただただ風が過ぎていく。

そしていつの間にか並盛中学にたどり着いていた。


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