落ちてくるのを


 告白というイベントに価値を感じなくなったのは、随分昔の事だ。
 幼いながらも発育がよく、人の目を引く見た目をしていたランス・クラウンにとっては、告白というイベントなど最早日常茶飯事だった。誰も彼もが気持ちの悪い手を伸ばし、ランスを手に入れようとする。妹に目を付けられるよりは五百倍マシだが、それでも嫌で嫌で仕方がない。
 また今日も、だ。魔法局に出入りするようになってから初めての事。
 名前すら知りもしない一般職員がランスの前に立つ。普通の見た目、普通の声、普通の喋り方、多分普通の人間。ダラダラと前置きを喋ろうとしていたから、思いきり切り捨てた。
「アンタに興味ない。邪魔だ、どけ」
 オーターに修行を付けてもらえる日だからと来たというのにとんだ邪魔だ。先に辿り着いているであろうドットに遅れを取るかもしれないと思うと余計に苛立つ。
 ランスに冷たくあしらわれた職員は、まるで漫画のように肩を落として逃げるように走り去っていった。残されたランスは一人好奇の目に晒される。いまだ学生の身で魔法局に出入りしているだけでも色々言われるというのに、こんなことで目立っては居心地が悪い。
 ため息を吐き、再びオーターの部屋へと向かおうとする。しかしふと顔を上げれば、数メートル先に目的の人物であるオーター・マドルが立っていた。
「……オーター、さん」
 ピクリとも笑わないその顔は何を考えているのか分からない。目が合って一瞬怯みそうになるのを誤魔化すように咳き込んだ。
 今のを見られていただろうか。廊下の真ん中で告白紛いのことをされようとしていたなんて知られたら追い出されるかもしれない。魔法局の風紀、秩序が乱れる要因をこの男が放っておくわけがない。
「何をしていた?」
 コツコツと歩く音。目の前に立たれ見下ろされるとやはり威圧感がある。体格差がある男に負ける気などさらさらないが、この男に限っては少し話が違ってくる。圧力に負けないようにと半ば睨み返していると、オーターはため息を吐いた。
「何をしていたかと訊いているんだが」
「……職員に話しかけられてただけだ」
「それにしては騒がしかったようだがな」
「…食事に誘われた」
「そうか」
 そう一言。オーターは考え込むように腕を組み、先ほどの職員が去っていった方向に視線をやった。
「注意しておこう」
「……え?」
「その顔を見るに不快な思いをしたんだろう。だから注意しておく」
「…そ、れはどうも……」
 予想に反した言葉が返ってきて、思わず身体から力が抜ける。ぱちくりと瞬きを繰り返せば、再度オーターの視線がこちらを向いた。飴色の瞳がランスの内側まで覗き込んでいるようで、ほんの少しだけ気味が悪い。
「…他に何か?」
「別に、何もない……」
「だったら早く来い。ドット・バレットが待っている」
 オーターは呆気なくランスに背を向け、歩き出す。
 そういえば何故こんなところにわざわざ来たのだろう。まさかあんまりにも遅いから迎えに来たのか。いや、そんなことをする男ではないか。
 余計な思考を払うように頭を横に振り、オーターの背中に続いた。

落ちてきたのを

 細かいことが変わった、と気付くのに数日かかった。はじめは小さな違和感で、そこから徐々に確信へと至った。
 例えばいつものように魔法局へと行った時。今までであれば受付で用件を伝えてそのまま真っ直ぐオーターの部屋へと行っていた。しかしいつの間にやら女性の案内係が付くようになった。今まで一人で歩いていた廊下を誰かしらが付いて歩くようになったのだ。おかげで知らない職員に話しかけられることは一切無くなった。
 例えば帰り道。ドットが一緒の時はこれといったものは無いが、ランス一人の時は必ず魔法局の入り口まで見送りをしてくれるようになった。
 例えば他にも。ほんの些細なことが、気付けば柔らかい感触に代わっている。元をたどればオーターがいる。まさかこの前の一件があった所為か。
「今更だなオイ! オーターさんは元から意外と、ああ見えて、結構、マジで、気遣いしてくれる人だぞ」
 何故本人ではなくドットが誇らしげに何度も強調して言うのかは不明だが、近くで見ている男がそういうのなら多分そうなんだろう。
 紅茶を一口飲みつつ、ぼんやりとオーターのことを考える。
 師に気遣われるというのは何ともむず痒くて恥ずかしい。修行の時は本気で殺しに掛かってくるほどなのに、意外な一面もあるものだ。
「でも良かったな。お前オーターさんのこと好きだし嬉しいだろ」
「…………は?」
「いやだからお前オーターさんの事好きじゃん、って」
「…………ハァ?」
 思わず拳を握りしめる。身体が勝手に動いてドットの胸倉を掴み上げていた。そしてその憎たらしい顔に二、三発拳をめり込ませる。
「出まかせを言うな。殴るぞ」
「もう殴ってんだろうがよクソが! なんだ急に!??!?」
「オレは妹のために生きているのだから他に割くだけの感情の余分は無い」
「ハァ〜〜〜? こんな分かりやすいのに!? どんだけ鈍いんだよおま」
「グラビオル」
 余計なことしか喋らないドットを地に埋め、一人静かに頭を抱える。
 自分が、オーターのことを、好き? まさか周囲からはそう見えているのか。そんなわけはない。師に対して不埒な感情を抱くなんてことあるわけがない。
 しかしああ見えてドット・バレットという男は周囲の感情によく気付く男だ。だからこうしてルームメイトをできているという節もある。
「……そんなわけ、」

「あるでしょ。僕もランス君あの眼鏡の人好きなんだと思ってた」
 淡々とシュークリームを口に運ぶマッシュが当たり前のように言う。隣で聞いていたフィンも遠慮がちではあるが頷いている。
 あまりにも当然みたいに言うものだから、反論しようとしていた言葉も出てこない。そんなわけないとか、何を言っているんだとか、そんな単純な言葉すら出てこない。拳を握りしめ、半分口を開けたまま固まるランスにフィンが苦笑しながら手を振る。
「ラ、ランス君大丈夫…?」
「お前もそう思うのか、フィン」
「そんな裏切り者を見るような目で見られても!」
「どうなんだ、言ってみろ。絶対に怒らないから」
「怒るヤツじゃん……」
 シュークリームの積まれた皿を挟んで向かい側、フィンの胸倉を掴まないように自身を押さえつけながら冷静を努める。
 フィンは悩ましげにうんと唸り、それから少し迷った挙句に小さく「僕もそう思う」と呟いた。結局そう言うしかできなかったという表情だ。
「だってランス君、オーターさんの話する時すごい楽しそうだよ…?」
「そんなに話したことないが?」
「その段階から?! 結構してるよ! 妹妹妹妹オーターさん妹妹妹妹くらいの割合ではしてるよ。ね? マッシュ君」
「してますしてます」
「…そんなことあるわけ、」

 無い。そんなわけはない、と自分に言い聞かせる。
 大体何故オーター・マドルを好きにならなければならない。合理的な理由が見当たらないのだ。確かに世話になってはいるが、それ以上のものはない。特段惚れるようなことをされた覚えだってない。
 執務机で淡々と書類仕事を片付けるオーターを、横目でちらりと見る。その視線は一度だってこちらを向かない。恐らく呼び掛けたって反応してくれないだろう。そんな仕事人間を好きになるような奴なんているもんか。
「んじゃオレ紅茶淹れてくるんで〜! 給湯室借りますね!」
 新しく買ったばかりの茶葉を早く試したいらしいランスは明らかに浮かれた様子で給湯室へとスキップしていった。ランスは一人静かにソファに座り、三人が揃うのを待っている。
 もうこの三人でのティータイムもすっかり慣れてしまった。最初のうちはオーターもランスも消極的だったが、案外悪くない時間だと知ってしまってからは何も言わず付き合っている。
 ランスとオーターが言葉を交わすことはほとんどない。ドットが騒いでランスが文句を言うか、ドットの質問攻めにオーターが適当に答えるかのどちらかだ。きっとオーターと二人きりでお茶を飲むなんてことは無いだろう。
 ふとそんなことを考え、胸の奥がチクリと刺されたような痛みを感じた。
 そんな事実は今更であるはずなのに、何故。
「どうした」
「ッ!?」
 突然の声にびくりと肩が震える。ハッとして顔を上げると、すぐ真横には先ほどまで机で仕事をしていたはずのオーターが立っていた。大して興味もない癖にこちらを見つめる視線だけは真っ直ぐだ。
 ランスが黙っているとオーターは微かに首を傾げて再度「どうした」と尋ねた。
「…なにも、無い」
「どこか怪我でもしたのか」
 オーターの視線が少しだけ動き、胸元を押さえる手に注がれる。咄嗟に手を下ろすが、誤魔化すには遅かった。
 何か言い訳を、と思考回路を回してふと思い出す。そういえば昨日妹からもらったプレゼントをローブの内ポケットに仕舞っていたのだ。慌てて胸元の内ポケットをまさぐり、可愛らしい包装の小さな袋を取り出した。
 妹よ、すまない。逃げるための口実に使ってしまって本当にすまない。
 心の中で何度も土下座をして許しを請う。
「…妹からもらったプレゼントを出そうと思って……」
「プレゼント」
 どうやら多少興味はあるそうで、今度はランスの手元に視線が移る。そういえばこの間「弟との過ごし方かた」なんて本を読んでいたくらいだから兄弟間のやり取りに関心があるのかもしれない。
 包装を破らないよう丁寧にはがし、中身をそっと出す。手のひらに転がったのはピアスだった。花の装飾が付いたフックピアスだ。ちゃんとランスのピアス穴の数を考えて一つの物を選んできたらしい。愛らしい手描きのメッセージカードも添えられていて、愛おしさのあまり胸が苦しくなる。この世に妹以上に完璧で尊いものは存在しない。そんな当たり前の事実を噛み締め、本日の祈りをささげたのだった。
「……ピアスか」
「…言っておくがアンタの弟はピアス穴開けてないぞ」
「? 何故そこで弟の話が出る」
 プレゼントの参考にしたかったんじゃないのか。
 これ以上突っ込むと面倒臭そうな気配がしたためあえて口を噤み、視線を外す。
 せっかくだからドットが来る前にピアスを付けてみようか。左耳に髪を掛け、いつもつけているピアスを外す。勿論いつ戦闘が始まるか分からない日常生活で大切な妹からもらったピアスを付けるわけにはいかないが、ティータイムの間だけなら構わないだろう。
 プレゼントの袋にいつものピアスを仕舞い、改めてプレゼントのピアスを手に取る。淡い紫色の花が連なる可愛いらしいガラス細工だ。光の加減によって微かに色が変わって見える。こんな大人っぽいデザインの物を選ぶようになった妹に少しだけ寂しさを覚えた。
「ん…」
 穴に通そうとするが、いつもと違う形状をしているからか上手く通らない。繊細なガラス細工を壊さないように気を付けているから尚更。
「あっ、」
 嫌なことを少しでも考えてしまうと本当に起きてしまうらしい。ピアスがするりと手から滑り、真っ直ぐに落ちていく。声を上げた時にはもう遅かった。
 しかし床に落ちる寸前、誰かの手が優しくピアスを受け止めた。大きくて骨ばった手。それが誰のものなのか理解するのに時間は掛からなかった。ゆっくりと顔を上げれば、目の前にオーターが膝をついている。目が合い、一瞬時間が止まった気がした。
「大切なものを落とすな」
 声が近い。身体の内側に直接触れられたような感覚がして、全身の毛が逆立つ。
 なんだこれは。目が逸らせない。声が出せない。顔が近いというだけで身体が動かない。この人はこんな顔をしていたか。こんな声で喋っていたか。
 分からない。だってこんなに近くでオーター・マドルを見たことが無いのだから。
 ……この人は、どんなふうに他人に触れるのだろう。
「…つけないのか」
「………つ、」
「…」
「……つけて、ください」
 変なことを考えたから、変なことを口走ってしまった。
 声は震えるし、視界は滲むし、きっと顔はゆでだこのように真っ赤だ。言葉にしてしまってから、ようやく自分が大変なことを言ったのだと自覚する。しかし一度出た言葉は二度と腹の中に戻ってこない。
 オーターは何も言わないまま、小さく息を吐いた。
「や、違っ、」
「動くな。触るぞ」
「いっ」
 咄嗟に目を瞑る。そうでもしなければこの場で今すぐ暴れ出してしまいそうだった。
 耳たぶに触れる指先も、ピアス穴に通るフックも、何もかも鮮明な感触が脳を刺す。全身が焼けてしまいそうなほど熱かった。触れられていない部分まで熱が伝わって、溶けていく。
 恐る恐る目を開け、耳に触れる。優しく触れられていたはずなのにじんじんと痛むのはどうしてだろう。自分じゃない熱が残っているのに気持ち悪くないのは何故だろう。
「似合っているな」
 そんなことを思ってすらいないような顔で言うのに、なぜか体温が上がるのを感じた。
 バカみたいだ、こんなことで。こんな些細なことで、恋に落ちた自覚をしなければいけないなんて。



「お茶の準備できましたよー……って、え?」
 ウキウキでティータイムセットを乗せたワゴンを押して戻ったら、異様な光景が広がっていた。顔から湯気を出して黙っているランスと、それを平然とした顔で見ているオーター。勘のいいドットは一瞬で何かを察しかけたが、寸でのところで理性がそれを止めた。理解しない方が身のためだ。
 スイッチを切り替え、何事も無かったかのようにアハハと笑いながらテーブルにティーカップやお茶請けを並べていく。
「なんすかも〜! オレがいない間に仲良くしちゃってェ」
「……落ちてきたのを拾っただけだ」
「………そすか!」
 突っ込むのはやめよう。何も見なかった。何も知らなかった。ランス君の顔は元から赤かった。そういうことで。
 ドットはただ新しく買った紅茶を楽しむだけに集中することにしたのだった。


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