月花に謳う
11
穏やかな陽光が木々の間から漏れて、ちらちらと揺れる木漏れ日を作る。学園に来る途中の正門付近は桜が満開に咲き乱れていて、まさに春爛漫というに相応しい陽気だった。
四月。悠璃は他の生徒より、早く入寮していた。早めに入寮して、必要そうなものを揃えようと思ったからだった。そのせいか生徒は疎らで、悠璃が荷解きをしてここに散策するまでに誰にも会わなかった。
のんびりと寮のそばの鬱蒼と茂る木々のなかを歩いて行く。ときどき、菫などの野花を見つけては観賞していった。
「ここは自然が多いから愛でるものには困らなそうだよね。花もいいなあ…」
綺麗なものは何でも好きだ。それが人工物であれ、自然物であれ、人であったとしても。美しければ愛でる、それが性なのだから仕方ない。
ある程度歩き回り、寮に戻ろうとしたときだった。
「ふっ……っ!?」
突然のことに何が起きたのかを理解する前に背中に強い衝撃を受け、遅れて自身が地面に転がったことを悟った。
一体、何が…?
「んぐっ」
口元が塞がれて、いつの間にか捉えられた両手首。視界に映ったのは見知らぬ青年だった。
悠璃の瑠璃の瞳が大きく見開かれる。
事態が理解できない。いや、理解したくない。不快感を煽るような嫌な笑みを浮かべた青年に身動きがとれないようにされている。
全身が冷水をかぶったかのような悪寒がして、自分の身体なのにその感覚がどこか遠くに思える。怖い。身体にちいさく震えが走り、のどの奥が引き攣った。
とにかく逃げなきゃ。ぐちゃぐちゃになる頭の片隅で理性が叫ぶ。
青年の影が悠璃を覆いかぶさる。のしかかられ、手も口も封じられている。唯一自由な脚だけをめちゃくちゃに動かし抵抗した。
「んーっ…!うっ」
一瞬、拘束が緩んだ。そのまま青年に向けて脚を動かし、蹴り飛ばした。無我夢中だった。
立ち上がろうとしても力が入らなかったけれど、縺れる足で転びそうになりながらも走った。
逃げろ逃げろ、早く!
とにかく必死で自室に駆けこんだとろろで力が抜けてへたりこんだ。
明確な意思を以って害されようとした。自分は襲われたのだという事実が迫って来て、急激に恐怖が甦った。相手の顔を見たはずなのに、それ以上思い出すことを脳が拒絶する。
ただ怖い。思い出したくない。
いつの間にか震えていていうことのきかない身体を繭に包まれるように小さくなったまま、嗚咽をこぼした。
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