幸村と丸井と仁王・無理やり



 烏は胡桃の殻なんか到底割れっこないから、道路の上に転がして車が踏みつけたところを美味しく頂く。
 狡賢くて強い烏は、嫌われても平気で、自分の大事な光りモンだけ守ってられるんだ。
 そうやって俺も要領よく生きてみたかった。

(でも、無理なんじゃ)



 幸村と丸井がデキてるって話が出回っていた。
 思春期の少年少女も大概噂好きだ。井戸端会議を開く主婦と、どちらがより下世話だろう。
 そんな話がいよいよ俺にも知れた時、真相を確かめるべく丸井に聞いたやつがいた。
『C組の幸村とデキてるってマジ?』
 そいつはいつもクラスで丸井が連んでいるやつ等の一人で、いつもの揶揄(からか)う調子で言った。これはほんの冗談で、きっと好奇心旺盛な俺達の為に誰かが提供してくれた笑いの種なんだ。丸井の返答を待つ皆の目はそんな事を言っていた。
 聞いたやつも馬鹿だけれど、丸井も相当の馬鹿だったらしい。人気者の丸井はここで笑いながら否定するべきだった。
『まさか、あたしがホモに見えるかしら?』
 てな具合に。そうすれば一時の笑い話をもたらした者として丸井の地位はさらに向上したろうに。けれど丸井の回答は、至極真面目な、正反対の言葉だった。

『そうだよ』

 恋人にしてみたら誠実かもしれない。きっぱりと言い切る姿は清々しささえあった。だけれど、晴天の霹靂のような一言は、あまりに非現実過ぎて、皆引いてしまった。丸井の事を親友だと豪語していたやつから、丸井に明らかに好意を寄せていた女まで。
 自由恋愛と言い切れる者は少ないだろう。学校という集団に属していれば嫌でもモラルに縛られる。不良だって悪い事だと分かっているから、モラルに反するんだ。彼等の目に映る丸井は一瞬にして異端に変わった。

 人の噂も七十五日とは言うけれど、丸井の場合、悪い事に最初の話が消える前に新しい噂が舞い込んで来た。そのせいで、これらの噂は強く根付いてしまった。
 道ならぬ恋としても、逆境にあって自分を否定することなく貫いた丸井は称賛に能(あた)う。皆に丸井の言動を見直す時間があったら、こんな惨状には陥らなかったかも知れない。
 その話は、幸村と丸井の体格差を見れば当然かもしれない。彼女は多分に背が低いものだ。どちらも割合綺麗な顔立ちをしているが、背が大きい分幸村の方が精悍な顔立ちをしていた。
 男はそうあるべきではない。受け入れる形はないのだから、せめて本来の役割を担っていたのならまた違ったかもしれない。
 幸いにして本人に聞きただす者はいなかった。けれど、事実としてそれは広まった。
 気色悪い、誰かが言った。その声が特別でかくて、俺の耳にも入ったが、他の小さな声もその類いの言葉を吐いているのだろう。

 いつの間にか丸井の席の回りには、広い空間があった。机を避けられて、誰も近寄らない。いつも周りに人のあったかつてを思えば、何だか可笑しな光景だ。丸井が擦り寄らずとも、周りが丸井に群がっていたというのに。今では話しかけられる事も、話しかける事もない。しかし、丸井は飄々としていた。来る者拒まず、去る者追わずのスタンスだったろうか。辛い顔も、傷付いた顔もせず、平生と何ら変わりない表情。明るく口の軽い印象だったが、しかし今の姿を見ても違和感はなかった。もしかして、これが丸井の本質だったのだろうか。

 周囲の反応がちっともこたえない丸井。それに、クラスの中心であった丸井を避けることで楽しみが減ってしまったんだろう。皆は新たな楽しみを求めていた。そして、馬鹿な誰かが行動に移した。

 ある日丸井が登校すると、机に黒の油性マジックででかでかと「ビッチ」と書かれていた。赤也だったらご親切にもカタカナで書かれたこの言葉を一目では理解できなかったかもしれない。けれど、幸か不幸か丸井はその英語が示す意味を知っていた。酷い罵り文句で、滅多に人に使うものではない。低俗、だ。先に言った事実があるとしても、丸井にはそぐわない。丸井の恋人は、幸村ただ一人。
 目を背けたとて、丸井は一日その机を使わなければならない。その存在感はあまりに大きくて、丸井も流石にこたえたようだ。眉根を歪めて悲痛な表情を浮かべる。消しゴムで擦ってみるが、油性のそれは勿論消えない。誰かが笑った。それは、ざわめきとなって丸井を取り囲んだ。消えないのが分かると、丸井はさっさと諦めて、ノートや教科書を机に出し、それを覆って隠してしまった。それからまた飄々とした態度で、そこにいた。いつもと変わらない様子に戻った丸井に皆の興は醒めたようで、またこれまでと変わらない日常に戻った。移動授業の間も、帰りにも、丸井はそれらを広げていたので、教師は気付かなかったようだ。元々この学校の教師は学業ばかりに目が行って、生徒個々人の人間関係などには目をくれないようにしていたから、気づいても見ぬ振りをしたのかもしれないが。


 翌日、丸井が登校すると、机の落書きは増えていた。空いた部分を埋めるように『ホモ』『変態』『淫乱』などの罵詈雑言や、卑猥な絵が描かれていた。棒人間ながらも男同士の性交を表した絵を指先で辿り、丸井は苦痛の表情を作る。大きな目を伏せて、小さく溜め息を吐いた。それから、ズボンのポケットを探ると、チェックのハンカチを取り出して、机に敷いた。
 誰一人喋らず、それを見ていた。丸井はまた平然とした態度に戻った。丸井は泣かなかった。強い人間だと、思った。

 それから、落書きが増えることはなかったが、無視は相変わらず続いた。そして、時々丸井を噂して笑う。しかし、それもクラス内の事だけで、部活や他のクラスでは問題とはならなかった。丸井は前と同じように誰かと笑っている。幸村は強い。それは実際の力でもあったし、権力や精神力の面でも言えた。だから、幸村には分からないようにしていた。それに丸井も言及していないようだ。やつ等にとってこれは、幸村にばれないようにして遊ぶゲームなんだ。
 ハンカチはずっと机の上で広げられていた。

 部活のない放課後、俺は偶々(たまたま)教室に忘れ物をして、それを取りに戻った。廊下には誰もおらず、西日が茜色に輝いて窓から射し込んでいる。忍ばせているわけでもないが、俺は足音が立ちにくい。癖になっているようだ。教室の前まで差し掛かると、中に人がいるのが見えた。人影は、ちょうど丸井の机の辺りにいるようだった。
 大きな音が立たないように、静かにドアを滑らせる。

「…丸井」
 いたのは丸井本人だった。自分の机を濡らしたハンカチで擦っているようだ。呼びかけると、驚いたような面持ちで振り返った。
「仁王…いつの間に?」
 夢中だったのか、俺の配慮が効いたのか、恐らく両方だろう。丸井は俺の侵入に気付かなかったようだ。
「忘れもんしての」
 俺はそう言うと丸井の席より後ろ側にある自分の席に歩み寄る。それから、椅子を引き出して机の中を漁った。明日提出のプリントは机の奥でぐしゃぐしゃになっていた。
「そっ、か」
 丸井はぎこちなく言った。そしてまた、自分の机に目線を戻して作業に没頭する。それから、俺が教室から出ようと踵を返しても丸井は気に留めなかった。振り返ることもせず、手を動かしている。
 何故かそれが無性に気に障った。

 丸井の背後まで寄ると、その細腰と腕を引っ掴み、勢いに任せて床に倒した。





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