「ねえ、そんなに寂しいの?」

■シャーロット・アナナ

ジュールと名乗った男の手を握り返しながら、まるで女のように平べったい掌だなとアナナは思った。鉛色のごわついた髪に隠された男の横顔を視線だけで観察しながら、つい先程、自分の頭を撫でてくれた兄の掌を思い出す。大きくて屈強な、完璧な男に相応しい掌。その掌と、今、自分が握り返した掌はあまりに違う。
アナナは、自分の唇を優しく拭った姉・スムージーの指先を思い出した。盗み食いを優しく咎める姉の指先と、悪戯めいた美しい微笑み。今、自分が繋いでいる掌は、姉の優しい指先に似ているような気がした。どんなに強くても、姉達の掌は兄達の掌とは違う。アナナは、兄達の屈強な掌も好きだったが、姉達の優しい掌の方が、もっとずっと好きだった。ジュールの掌を握ってホールケーキ城を案内しながら、アナナは少し不思議な感覚を味わっていた。姉達は、アナナをいつも優しく導いてくれる。しかし、アナナが姉を導くことなど有り得ない。それなのに、今、自分は姉達によく似た掌を引っ張って、目的地に導いている。それはアナナにとってとても新鮮で、心が躍る出来事だった。

ホールケーキ城、女王の間。大きな扉を開けると、万国(トットランド)全体の甘さを全て掻き集めたかのように濃厚な香りが漂ってくる。アナナは、ジュールの掌を握り締めたまま、その甘い香りの中を真っ直ぐ突き進んだ。女王の間は何もかも大きくて、居並ぶ食べ物のホーミーズ達もアナナよりずっと巨大だった。

「ママ!アナナが来たよ!」

頭上から叫び声がした。ゼウスだ。雷雲のゼウスはいつも高い場所をふわふわと浮いているから、アナナは首が痛くなるほど精一杯に伸びをしてゼウスを見上げなければならなかった。ゼウスのすぐ隣で、プロメテウスもアナナを見下ろしてくる。「遅かったなー!」と、意地の悪い笑みを向けてきたが、アナナは無視した。ジュールの手を強く握り直して、きちんと付いてきているかどうかを確認するように振り返る。ジュールは、アナナが振り返ったことにも気付かずに、女王の間全体に忙しなく視線を巡らせていた。まるで、叢に隠れて周囲を警戒する恐がりな草食動物みたいだった。

「遅かったじゃないか。何かあったのかい、アナナ」

真正面から問い掛けてきたその声は、部屋の空気をびりっ…と揺らした。アナナは正面に顔を向ける。フルーツパフェを模した巨大な玉座。その玉座に鎮座しているのは、アナナの母であり、四皇のビッグ・マム。彼女は、少し心配そうな表情でアナナを見下ろしている。アナナは、母の大きな躰を堂々と見上げた。年長の兄や姉は、たまに異常なほど母を恐れるが、アナナは母親を恐いと思ったことなど一度も無い。
ゼウスとプロメテウスが、ビッグ・マムの頭上に素早く飛び去っていく。ふと、繋いでいるジュールの掌が緊張で強張ったのがわかった。大丈夫よ、と言い聞かせるように手を強く握り返す。

「途中でカタクリお兄さまに会ったの」

ビッグ・マムの前に立ってそう答えてから、まるで遅刻を兄のせいにしているみたいだなと思い、アナナはちょっとだけ己の発言を後悔した。しかし、ママはそんなことはちっとも気にしていないようで、大きな口を開けて豪快に笑う。「ハーハハハ、マママ…!」。

「まあいいさ。面倒なことを頼んで悪かったね。もういいよ、アナナ」

ビッグ・マムの口調は、此方を気遣っているようではあったが、明らかにアナナを遠ざけようとしていた。アナナは、少しばかり不満に感じる。ビッグ・マムがどういう用件でジュールを呼び出したのか自分は知らされていない。サンドル島からお菓子を運んでくる若造を此処に連れてこいと命令されたから、言われた通り連れてきただけだ。せっかく連れてきてあげたのに、仲間外れにするなんて。

「ママ。何の話をするの?」

好奇心のままに問い掛けてみたが、既にビッグ・マムの意識はアナナから離れてしまったようだ。アナナの問いには答えようとせず、心の奥底まで見透かしてしまいそうな威圧感たっぷりの瞳をぎょろつかせ、アナナの後ろに立っているジュールの姿をしっかり捉えている。瞬きをする度に、長い睫毛がふさりと揺れていた。子供達に向けるのとは違う、敵意の籠もった目だ。
不意に、ジュールがアナナから手を離した。その途端、アナナは空間から弾き出されてしまったみたいな感覚に陥る。ジュールもビッグ・マムも、既にアナナの存在など忘れてしまったかのように、もう此方を見てもいなかったからだ。ジュールはビッグ・マムを警戒するのに必死のようだったし、ビッグ・マムはジュールを威圧するのに忙しいようだった。
アナナは不愉快さでいっぱいになる。ジュールをここまで連れてきたのは自分なのに、どうやら大人同士の話には入れてもらえないらしい。唇を尖らせてジュールのコートの裾を摘んで引っ張ってみたけれど、ジュールは警戒と怯えが滲む瞳をビッグ・マムに向けたままで、アナナを見ようともしない。

「銃弾は、いつ完成するんだい?」

ビッグ・マムが口を開いた。威圧的で重みのある声。アナナは、母親のそういう声を何度も聞いたことがあったから驚きもしなかったが、ジュールはそうではなかったみたいだ。微かに肩を揺らし、視線を散らす。瞳に浮かぶ怯えが強くなる。そして何故かジュールは、喉の奥から絞り出すような低い笑い声を漏らした。くっ…と、短い変な笑い声。小さな声だったので、アナナにしか聞こえなかったかもしれない。

「おれも、いつ完成するかはよく知らないんだ。急かしても完成が早まるもんじゃないらしい」

ジュールは、まるで拗ねた不良少年みたいに、足許に視線を落としながら他人事のように答えた。二人が何の話をしているのかアナナにはさっぱりわからない。しかし、ジュールの答えがビッグ・マムを落胆させたという事だけは、アナナにもわかった。ビッグ・マムの大きな口から、みるみるうちに笑みが掻き消えたからだ。女王の間に漂っていた長閑な空気に、ピリピリと張り詰めた気配が伝わっていく。

「可笑しな話だねぇ。銃弾について、あんたは何も知らないのかい」

「妹に任せてるから、よくわからないんだ」

ジュールの口から「妹」という単語が飛び出した瞬間、アナナは、とても不思議な感じがした。自分よりもずっと年上の大人なのに、何にもわからない。知らない。そればっかり。こんなに無知で頼りないのに、この人にも妹がいる。アナナは、ジュールの妹がどんな人物なのか想像しようとしてみた。ジュールに似ている、綺麗な顔立ちの女の子だろうか。それとも、ちっとも似ていない強面の女の子とか。どちらにしろ、ジュールが妹を可愛がっている姿は想像できなかった。こんなに何もわかっていない子供みたいな大人が、妹の世話なんかできっこないと思ったのだ。それに、さっきジュールが中庭で見せた、あの目…。
アナナが「妹」についてあれこれ考えていると、ビッグ・マムが盛大な溜め息を吐いた。アナナは顔を上げる。明らかに苛立っている様子のビッグ・マムは、威圧的にジュールを睨み付けた。

「だったら、その妹を連れてきなよ。話がしたい」

「あいつは体が弱いし、此処に来るだけで失神する。無理だ」

答えるジュールの口調は、不自然なまでにはっきりしていた。それだけはしっかり伝えなければならないとばかりに。当然、ビッグ・マムがジュールの答えに満足する訳が無かった。アナナは、今にも母親の怒りが爆発するのではないかと身構える。ゼウスとプロメテウスも不安気にビッグ・マムを見詰めていたが、ビッグ・マムは、予想に反して冷静な口調で話し続けた。

「みんな、言ってるよ。あんたは役立たずで頭が空っぽだって。お菓子を運んで来るだけだ。そのお菓子もそこまで美味しいって訳じゃない。銃弾は5年も完成しない。何を考えてるんだか、さっぱりわからないね」

冷静な口調ではあったが、言葉の内容があまりに辛辣だったので、アナナは少しばかり戸惑った。視線を上げてジュールの横顔を確認する。ジュールは、相変わらず警戒心を帯びた瞳をしていたが、ビッグ・マムの言葉に傷付いているようには見えない。「そうか…」と頷いて、気の抜けた笑みを浮かべているだけだ。アナナはちょっと呆れた。この人、本当に馬鹿なのかも。それにしても、ママはさっきから何が言いたいんだろう。難しい話はわからないけれど、ママはわざと回りくどい言い方をしてる気がしてならない。
しばらく沈黙があった。沈黙の間、ゼウスとプロメテウスが目配せをして、それまで微動だにしなかったナポレオンまでもが、困ったように瞬きをする。空気が変わった。

「他の奴に渡してるんじゃないだろうね?」

ビッグ・マムの低い声が沈黙を打ち破った。途端、ゼウスとプロメテウスが狼狽えて飛び回る。ナポレオンは震え上がってただの帽子に戻ってしまった。その様子を見ると、どうやらビッグ・マムは、とても重要なことを言ったらしい。しかし、アナナにはよくわからなかった。

「何の話だ?」

アナナの疑問をジュールが代弁した。ジュールもビッグ・マムの話がよくわかっていないようだ。戸惑いがちなジュールの横顔を見詰めながら、アナナは少し安堵した。もしかしたら、この難しい話し合いから置いていかれているのは自分だけではないのかもしれない。アナナはもう一度、ジュールのコートの裾を強く握る。ビッグ・マムが、ますます苛立ちを露わにした。物分かりの悪い子供を目の前にしているかのように。

「今までお前達は、あの鉱物に武器としての価値があると知らなかった。銃弾として加工できるなんてことも知らなかっただろう?けど今は、武器として十分な価値があると知ってる。海賊なんかにタダで渡さずに、少しでも高く売りたいと思うんじゃないか?」

ビッグ・マムの口調は、まるで幼い子供に言い聞かせるように丁寧だった。それなのに、瞳だけはぎらぎらと鋭い。身体中から漏れ出るあらゆる情報をひとつ残らず奪ってやろうとしているかのように、執拗で粘着質な視線だ。しかし、ジュールは未だにビッグ・マムの言葉を理解できないでいるのか、ひたすら瞬きを繰り返している。アナナは、そんなジュールの表情を演技だとは思えなかった。

「例えば、海軍とかにね」

ビッグ・マムが短く発したその言葉で、アナナは反射的に身体を強張らせた。アナナだけではない。その場に居たホーミーズ達も、一斉に動きを止めて話に集中する。「海軍」という単語は、無条件に海賊を緊張させる単語だった。例え幼いアナナであっても。漂う緊張感の中、アナナは自分の母親が何を懸念しているのか、ぼんやりと察する。「銃弾」について、どんな取り引きがされているのか詳しくは知らない。だけど、ひとつだけはっきりわかったのだ。ママは、ジュールが海軍と手を組むかもしれないと心配している。アナナは、ゆっくりとジュールを仰ぎ見た。……そうなの?海軍と仲良くするつもりなの?
ジュールの横顔は相変わらずぼんやりしており、アナナの視線にも気付かない。「海軍」という言葉すら理解できていないのではないかと思えるほど緊張とは無縁だった。だからアナナは、少し安心した。ジュールが海軍と手を組めるほど狡猾には見えなかったのだ。

「そんなこと考えもしなかった。頭がいいんだな、海賊ってのは」

ビッグ・マムを見上げながら、ジュールは口許を緩める。アナナの目には、ジュールが心の底から感心しているように見えたが、ビッグ・マムは痛烈な皮肉だと受け取ってしまったらしい。「何だって?」と、巨体を乗り出して凄むものだから、ジュールが後退った。ジュールのコートを掴んでいたアナナも必然的に後退る。
アナナは不思議でならなかった。ジュールが口にする「海賊」という言葉は、ビッグ・マムではなく、もっと別の誰かを指しているように思えたからだ。ママと大事な話をしているのに、ジュールは他の人のことを考えているみたい。アナナはまたしても、中庭でジュールが一瞬だけ見せた儚げな瞳を思い出す。次兄と自分を見詰める、あの時の目。

「銃弾は、とっくに完成してるんじゃないのかい?他の奴にこっそり渡してるから、おれ達には渡せないんじゃないだろうね?」

「冗談だろ。そんなことしない。残念ながら、銃弾は本当に未完成だ。誓ってもいい」

ジュールは本当に残念そうだった。少なくとも、アナナにはそう見えた。それがビッグ・マムにどこまで伝わったのかわからない。ビッグ・マムは、未だに疑念を宿した瞳でジュールを睨んでいる。アナナは不安になってきた。ママが一番嫌いなのは、裏切られること。誰かが去っていくこと。去っていくものは殺す。それがママのやり方だ。アナナが不安になっている間にも、二人の会話は進んでいく。

「口約束じゃ信用できないね。“誓う”なんて言葉、そう簡単に口にしていい筈が無いだろう?」

「それなら、どうすればいい?」

アナナは、二人の話を黙って聞いているしかできなかった。けれど、ジュールが殺されてしまうのは嫌だなと、漠然と思っていた。それに、ビッグ・マムが何を提案しようとしているのかも、実の娘であるアナナには、なんとなく予想できたのだ。

「血縁を結ぶ気はあるかい?今すぐに」

「……え?今すぐ?」

「そうだよ。今すぐさ。政略結婚ってことになるね」

やっぱり!と、アナナはうっかり叫びそうになった。ママは、ジュールを結婚させる気なんだ。お姉さま達の誰かと。アナナは、年長の姉達の顔を順番に思い浮かべる。しかし、どの姉も、ジュールと並んで立っている姿は想像できなかった。何故か、タキシードを着たジュールが女性と並んで結婚式に出席しているのはちぐはぐな気がしたのだ。
アナナが一人で唸るように悩んでいるうちに、気付けば、全てのホーミーズ達がジュールを見ていた。静まり返った部屋。「イエス」以外の答えは許されないと言わんばかりの押し潰されそうな威圧感が、部屋全体から漂っている。こんな空気に晒されてしまったら、ジュールでなくても首を縦に振ってしまうとアナナは思った。……が、

「今すぐは、無理だ…」

驚いたことに、ジュールは拒否した。部屋の空気が明らかに凍り付く。ゼウスとプロメテウスが怯えて縮こまり、ナポレオンはひっそりと冷や汗を掻いていた。今度こそ、ママの怒りが爆発すると確信したのだ。アナナもそう思った。大人しくママに従えばいいのに。ジュールは、そんなにお姉さま達と結婚するのが嫌なのかな。……もしかしたら、本当に結婚は無理なのかもしれない。できない理由があるのかもしれない。だって、ママからここまで強く言われてるのに従わないなんて、おかしい。どうしてママは、そのことに気が付かないのだろう…。

「私が結婚してあげてもいいよ!」

気が付くと、自分の声が女王の間に響き渡っていたので、声を発したアナナ自身が一番驚いた。それまで誰もがアナナの存在など忘れていたのに、全員の視線が一斉にアナナへと注がれる。アナナは、腕に抱いていたウサギのぬいぐるみの首を締め付けんばかりに抱き締めた。怒りを爆発させる寸前だった母親は、ぽかんと間抜けに口を開けてアナナを凝視しているし、それまで緊迫感の真っ只中に居たジュールは、今初めてアナナの存在を認識したかのように大きく目を見開いて、自分のコートを掴む幼い少女を見下ろしている。

「私がジュールと、結婚してあげてもいいよ!」

アナナは完全に腹を括り、もう一度、しっかりと母親に告げた。もちろん、本気で望んでいる訳ではない。だけど、今、自分が発言するならこの言葉しか無いと思ったのだ。大人の真面目な話し合いに割り込んで自分勝手な言葉を放り込めば、途端に大人達の難しい思考が停止することをアナナは知っていた。凍り付いていた空気が一瞬で変わって、皆が子供に構ってくれることも。失敗すればものすごく怒られる場合もあるんだけど、それは、ハイリスクハイリターンってやつね。海賊として当然の選択!
しん…と、女王の間が再び静まり返った。その沈黙があまりに長くて重たく感じられたから、アナナは、もしかしたら失敗したかもしれないと思って全身を強張らせる。抱いているぬいぐるみの首が、もう少しで千切れそうだ。母親の怒りが自分に向けられることを覚悟した、その瞬間。

「ハハ、マママ……ハーハハハ…!!」

女王の間に、ビッグ・マムの豪快な笑い声が響き渡った。その笑い声で部屋全体が震動してしまいそうなほどだったので、アナナは無意識に両足を踏ん張る。しかし、緊張したアナナとは正反対に、ホーミーズ達もビッグ・マムも、そして、部屋全体の雰囲気も一気に緩んでしまったようだ。アナナは、豪快に笑い続ける母親を見上げる。ふと、誰かに頭を撫でられたと思ったらジュールだった。視線をそちらに移すと、信じられないことに、ジュールも口許に笑みを浮かべている。さっきの喉の奥から絞り出すような変な笑い方じゃなくて、もっとはっきりした微笑み。うまく説明できないけれど、悪戯っ子みたいな笑い方だ。そして、女みたいに平べったい掌。やっぱり、この人の掌は兄とは違う。
何にしろ、二人が笑っているのを見て、アナナは自分の発言が正解だったことを確信した。やがて笑い疲れたらしいビッグ・マムが、上機嫌な様子でアナナの頭を指先で小突いた。巨大な母親の指に突かれると後ろに倒れてしまいそうだったが、アナナは再び足を踏ん張る。「なんて可愛い奴だ!」と、ビッグ・マムは弾んだ声を上げた。そして、改めてジュールに向き直る。ビッグ・マムは機嫌良く笑っていたが、ジュールはもう、笑っていなかった。

「完成した銃弾は、ビッグ・マム海賊団にだけ渡してもらうよ。他の奴にはひとつも渡さない」

「わかってる。約束するよ」

「ただし、完成までの期限は一年以内だ。それ以上はもう、絶対に待てないね!」

ビッグ・マムからは怒りの感情こそ消え失せていたものの、相変わらず厳しい口調だった。それでも、アナナには母親が上機嫌であるとわかったので、幾らか安堵する。少なくとも、ジュールがこの場で殺されてしまうなんてことにはならないだろう。
ジュールはビッグ・マムの言葉を聞いて微かに顎を引いたが、完全に納得したようには見えなかった。何かを訴えたいようだったが、ビッグ・マムの怒りが再び湧き上がるのを恐れてか、慎重に言葉を選んでいる。

「一年経ったら、どうなる?」

「そうだね…。少なくとも、政略結婚には応じてもらうよ。そうでもしなきゃ、おれはやっぱり、お前らを信用できない」

ビッグ・マムの口調は、先程までよりずっと冷静で落ち着いていた。だからこそ、その言葉はもう絶対に覆せないようにも感じられる。アナナはジュールを見上げた。もう諦めたら?と、言いたかったのだ。そんなにワガママを言ったら、またママを怒らせてしまう。せっかく私がママを落ち着かせたのに。結婚はそんなに都合が悪いのかな。変なの!

「お前が、あと10年早く生まれてたら良かったのにねぇ、アナナ!」

もう銃弾の話し合いはとっくに終わったと判断したのか、ビッグ・マムは穏やかに笑いながら、大きな指でアナナのほっぺたを突いて冗談混じりに言った。さも愛しそうな、母親の表情だ。アナナはまたしても倒れそうになって足を踏ん張る。……ママったら、本気にしてるのかな。ジュールは確かに綺麗だけど、私のタイプじゃないのに。
母親にされるがままほっぺたを突かれていると、不意に、アナナは視線を感じた。ジュールが此方を見ていたのだ。まただ…と、アナナは思った。さっき中庭で見た、あの目。いったい何だろうと考えて、やっとわかった。ジュールは、羨ましがっているのだ。羨ましそうな、儚げな目付き。アナナは真っ直ぐにジュールを見詰め返した。首を傾ける。……どうして貴方が、私を羨ましがるの?
ジュールはアナナと目が合うと、少しだけ口許を緩め、すぐに視線を逸らしてしまった。ぼんやりした、変な笑い方だった。

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