「みんなして、秘密ばっかり!」

■シャーロット・アナナ

大きな窓から明るい陽射しが差し込んで、ホールケーキ城の中庭全体を照らしている。城の中だというのに、中庭はどこまでも続いているかのように広い。シャーロット家の兄弟姉妹たち全員で鬼ごっこを開催したとしても、広さはじゅうぶん足りるだろう。家族全員で鬼ごっこをする様子を想像したアナナは、愉快になってちょっと笑った。
それほどだだっ広い中庭の中央には巨大なテーブルセットが設置されていて、しばしばティータイムに使われる。真っ白なテーブルクロスをかけた円形のテーブルを、幾つかの椅子が囲んでいた。アナナはその椅子のひとつに腰掛け、テーブルの下で足をぶらぶらと揺らす。テーブル上に並んでいるティーポットのホーミーズが「紅茶?」「緑茶?」と、何度も問い掛けてきた。アナナは、ティーポットたちをわざと無視してピッチャーに入っている鮮やかな橙色のジュースをグラスに注いで飲む。途端、口内に尖った酸味が広がった。もっと甘いジュースを期待していたアナナは、思わずグラスを手元から遠ざける。ティーポットのホーミーズたちが、此方を見ながらにやにやと嫌な雰囲気の笑みを浮かべているのが悔しかったので、ティーポットたちを睨み返して声を張り上げた。「うるさいわよ!」。

「どうした、アナナ」

隣の椅子に座っていた次兄のカタクリが問い掛けてきたので、アナナは視線を上げる。次兄の声がした途端、ホーミーズたちがにやにや笑いをぴたりと止めたので、またアナナは不愉快になった。

「ジュースが酸っぱかったのよ」

次兄に向かって訴えたが、よく考えたら苛立ちの原因はジュースの味ではなく、ホーミーズたちの生意気な態度だったかもしれない。自分の気持ちをうまく伝えられなかったせいでますます苛立ちそうになったが、次兄が目の前に別のジュースが入ったグラスを差し出してくれたので、ささくれ立っていた気持ちはなんとか落ち着いた。淡い黄色の液体は、甘みと酸味がバランス良く混じり合っている。
次兄に礼を述べようと隣席に視線を向けたが、既に彼はアナナから視線を逸らして別の場所を見ていた。中庭の大きな窓。その向こう側には、突き抜けるような紺碧の空が広がっている。綿菓子みたいにふわふわした巨大な雲が、あっという間に流されていった。今日は風が強いみたいだ。アナナはたった数秒で空を眺めることには飽きてしまったが、次兄は真剣な表情で空を見詰めている。いったい何がそんなに面白いのだろう。
アナナは次兄の行動を不思議に思ったが、反対隣に座っている姉のプリンが美味しそうなマカロンを差し出してくれたので、次兄の不可解な行動はどうでも良くなってしまった。

「招待状の返事は届いてるのかい?」

そう言ったのは、アナナの母親であるビッグ・マムだ。巨大な体躯を持つビッグ・マムは、円卓のほとんどを占領してしまっている。アナナが母親の顔を確認するには、首を精一杯上に向けなければならなかった。かろうじて視界に入ってきた母親の表情が、お菓子が焼き上がるのをオーブンの前で焦れったく待っているかのような落ち着きのない顔つきをしていたので、アナナは可笑しくなる。笑い出しそうになるのを堪えてマカロンを頬張った。

「はい、届いています」

一人のビスケット兵が素早く返事をして、手紙の束をテーブルの上に差し出した。手紙は全て真っ白な封筒に包まれていたので、白いテーブルクロスと完全に同化している。アナナは一瞬、封筒を見失いそうになったが、隣に座っていたプリンが手を伸ばして封筒の束を手に取ったので、かろうじて追い掛けることができた。中庭の陽射しを反射しそうなくらい真っ白な封筒。アナナは、その封筒の中身こそ、母親が心待ちにしている「招待状の返事」であると察した。もうすぐお茶会が開催されるからだ。

「シフォンお姉さまの結婚式?」

マカロンを頬張るのを一時中断して、アナナはプリンに問い掛けた。「そうよ」と、プリンが微笑んで頷いたので、アナナも姉の笑顔につられて微笑む。プリンの笑顔は、いつも恐いほど完璧だ。
今度の茶会で、姉・シフォンの結婚式が開催されることはアナナも知っていた。シャーロット家の結婚式が近付くと、万国(トットランド)はどことなく慌ただしい。料理人はウェディングケーキのレシピを考えることに命を賭けるようになるし、兄姉たちは食材やお祝いの品を調達するために遠征に行くことが多くなる。万国(トットランド)中がそわそわと浮き足立っていた。

「もちろん、全員出席だろうね?」

手紙を開封しているプリンに向かって、ビッグ・マムが問い掛けた。プリンは「そうね」と頷いたが、まだ彼女は手紙の文面を読んですらいない。けれど、アナナでさえ、きっと招待された全員が出席だろうなと思っていた。ママのお茶会に欠席は許されない。そんなことは誰でも知っている。きっと世界中の人が出席する筈だ。決まりきったことだったので、アナナは少し退屈になり、再び次兄に視線を向けてみた。精悍で気難しそうな次兄の横顔はいつもと変わらないように見える。けれど、何故か次兄は窓の外が気になって仕方ないらしい。雲ひとつ浮かんでいない青い空。アナナは、その空に何も見つけられない。それなのに、次兄はまるで、空から落ちてくる何かを待っているかのような、期待しているかのような、そんな眼差しをしていた。

「あら。たーいへん」

突然、プリンがちっとも大変ではなさそうな気の抜けた声を上げた。アナナは姉を振り仰ぐ。ビッグ・マムもカタクリも、ほとんど同時にプリンを見る。招待状の返事を開封していたプリンは、完璧な笑顔のままで、文字が綴られた便箋をテーブルの中央に差し出した。

「臓器売買業者のジグラさん、お母さんのお葬式があるから欠席だそうよ」

欠席。プリンの口からその言葉が飛び出した途端、がしゃぁ…ん!と、大きな音を立てて、テーブル上のホーミーズたちがパニックを起こす。ティーポットはひっくり返ってお茶をぶちまけたし、さっきまで皿の上におとなしく盛り付けられていたスコーンやパウンドケーキも悲鳴を上げて逃げ出そうとした。アナナが食べていたマカロンたちも、たちまち意思を取り戻して騒ぎ出す。アナナはマカロンが逃げ出さないように慌てて捕まえようとしたが、皿の上で飛んだり跳ねたりする丸いお菓子を全て捕まえるのはなかなか困難だった。

「静かにしろ」

カタクリの低い声が響いた瞬間、無法地帯と化していたティータイムの騒擾はぴたりと止んだ。ひっくり返ったティーポットは気まずそうに起き上がり、スコーンもパウンドケーキも礼儀正しく皿の上に戻る。アナナのマカロンも皿の上に整列した。その場に残ったのは不自然なまでの静寂と、恐怖に震えるホーミーズたち。アナナは震えているマカロンをひとつ摘まんで口に放り込んだ。

「欠席?そう言ったのかい?」

ビッグ・マムの重苦しい声が、中庭にゆっくりと響き渡った。空気がずしりと重たくなる。……あ。ママが怒っている。母親の底知れぬ怒りを感じ取ったアナナは身構えた。ホーミーズたちは、今度は悲鳴すら上げなかった。というより、上げることができなかったのだろう。花壇に咲きほこっていたチューリップたちは一気に枯れ、ティーポットは気絶してテーブルから落下し、粉々に砕ける。中庭全体が恐怖に震えているのだと、アナナは思った。

「ええ。欠席って書いてあるわ。とっても残念」

便箋をビッグ・マムの前に差し出しながら答えたプリンは、やはりちっとも残念そうでは無かった。口許に浮かんでいる柔らかな笑みは完璧に愛らしい。海賊とは思えない可憐な少女の面差し。この重苦しい空気の中では、その可憐さがむしろ異質だった。

「そうかい。仕方ないねェ…。ハハハハ、マママ…!」

静寂と恐怖に支配された空間を、ビッグ・マムの豪快な笑い声が切り裂いた。アナナはマカロンを咀嚼しながら顔を上げる。母親が笑顔を見せたからといって、重苦しい雰囲気が霧散するわけではない。ひんやりと凍り付くような空気が漂って、残酷な気配がひたひたと歩み寄っていた。

「ジグラの奴は、父親も入院中だったんじゃないか?見舞いに行かないといけないねェ」

ビッグ・マムの声は決して大きくはなかったのに、窓ガラスがびりびりと揺れた。ホーミーズたちは、もはや誰も声を発さない。プリンは黙って微笑んでいる。アナナはマカロンを呑み込んだ。

「……わかった。手配する」
 
カタクリが静かに頷いたのを合図に、ジグラという人物の話題はそれきり終わった。
ビスケット兵が新しいティーポットを運んできて、ティータイムが仕切り直される。マカロンを食べることにも飽きてしまったアナナは、プリンが開封した手紙に手を伸ばした。開封された手紙をひとつずつ手に取って、差出人の名前を確認していく。モルガンズ、ステューシー、ル・フェルド…。彼等の名前はアナナにとって、複雑な海図や難解な異国の言語と同じだった。眺めていると、眠くなる。欠伸を噛み殺した矢先、手紙の差出人の中に「ドーマント」という姓を見つけたので、アナナはかろうじて睡魔を追い払うことに成功した。

「お茶会には、ジュールも来るの?」

プリンに向かって問い掛けながら、アナナは少し心配になっていた。ジュールが一人でお茶会に参加している姿を、どうしても想像できなかったのだ。アナナは、ドーマント・ジュールの薄ぼんやりした端正な横顔と、女のように平べったい掌を思い出す。その手を引っ張って導いてやらなければ、一人で目的地に辿り着くことすらできなさそうな、頼りない雰囲気。

「ドーマント家は無事に出席よ。良かったわね、アナナ」

プリンは笑って答えてくれたが、良いことなのか悪いことなのか、アナナにはわからない。ただ、ホールケーキ城の中で迷子になって膝を抱えて泣いているジュールの姿を思い浮かべると、ちょっと可哀相で笑えてきた。

「ドーマント家を茶会に招待したのか?」

突然、カタクリが話に割り込んできたのでアナナは驚いた。次兄は空を眺めることに忙しくて、此方の話になんか興味がないと思っていたのに。

「私がママにお願いしたの。……ね?ママ」

答えたのは、プリンだった。プリンは母親に意味ありげな視線を送る。巨大なシュークリームを口に放り込んでいる最中だったビッグ・マムは、「あァ、そうだったねェ」と、くぐもった声で答えて頷いた。それを合図に次兄も母親に向き直ったので、アナナは完全に会話から弾き出される。大人はすぐに、子供を会話から置き去りにしてしまう。

「サンドル島の銃弾が無事に完成すれば、ドーマント家とは嫌でも長い付き合いになるんだ。それに、海軍と手を組まれても面倒だしね」

そう言って、ビッグ・マムは声高に笑った。アナナは複雑な気分になる。ジュールが以前、「海軍は好きじゃない」と漏らしていたことを思い出したからだ。アナナは、ジュールの海軍嫌いを母親に伝えようかどうか迷った。しかし、ジュールが「黙っといてくれ」と付け加えていたことも覚えていたので、かろうじて口を噤む。大人って秘密が多くて面倒くさい。
結局、アナナは黙ったまま最後のマカロンを口に放り込んで咀嚼する。大人たちの会話から弾き出されたことにも少々腹が立っていたので、自分から会話に加わることも癪だった。

「私もジュールさんに会えるのは楽しみよ。アナナもでしょう?」

アナナの不機嫌な気配に真っ先に気が付いたらしいプリンが、にこやかに声を掛けてきた。アナナは曖昧に頷く。別にジュールと会えるのは楽しみでも何でもない。ただ、ジュールの危なっかしい様子が気になるだけだ。

「ねえ、ママ。また私がジュールを案内した方がいい?」

テーブル上に身を乗り出して母親に問い掛ける。ちょうどスコーンを頬張ろうとしている途中だった母親は、ぴたりと動きを止めた。大きな口があんぐりと開いていて、まるで洞窟だ。うっかりすると、その巨大な口に吸い込まれてしまいそうな気がして、アナナが思わず後退る。その数秒後、母親は高らかな笑い声を上げた。

「ああ、もちろん!アナナ、お前は本当に可愛いねェ」

母親が大きな指先で頬を突っついてこようとしたので、アナナは慌てて母親の指から逃れた。母親は指先だけでも強靭なので、ちょっと突かれるだけで倒れそうになってしまうのだ。
テーブル上に並んでいたお菓子は、もうほとんど母親が平らげてしまっていた。そろそろティータイムはお開きだろう。大人たちが解散してしまう前に、アナナはテーブル上に散らばっている手紙を掻き分けて、ドーマント家からの手紙を手元に引き寄せた。差出人の名前をよく見ると、「ドーマント・カラバ」になっている。それが誰の名前なのかアナナにはわからなかったが、どうやら、ドーマント家からはジュールの他にも出席者がいるようだ。
ふと、隣席に座っているカタクリがぴりぴりするほどの強い視線を向けてきたので、アナナは咄嗟に手紙から手を離した。怒られるかと思ったのだ。しかし、アナナがカタクリを見上げると、次兄は何故か視線を逸らした。次兄の視線は、再び窓の外に向けられている。突き刺さるような強い眼差し。アナナは、テーブル上に散らばる手紙と次兄を見比べた。そして、ひとつの可能性を思いつく。
……ひょっとして、お兄さまも手紙が届くのを待ってるの?
その問いが喉元まで込み上げてきたけれど、アナナはかろうじて呑み込む。空を見つめる兄の眼差しの中に、アナナの知らない強い感情が見え隠れしていたからだ。たぶんそれは、立ち入ってはならない秘密の感情。
突然、ビッグ・マムが機嫌良く笑った。「美味しかったよ」と、パティシエに声を掛ける。ティータイム終了の合図。アナナも飲みかけだったジュースを慌てて飲み干した。そして、小さく溜め息。大人ってやっぱり面倒くさい。自由に手紙も出せないなんて。

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