「今言えるのはこれだけ」

■(ドーマント・ジュール)

ただ、好きになっただけ。それの何が悪いんだ。他者に悪意を向けることよりも、他者に好意を抱くことの方が、ずっと平和的で褒められるべき行為の筈だ。それなのに、誰かを好きになることはこんなに苦しい。会えなくても心が繋がっていればいいなんて、そんなの綺麗事だ。ずっと彼の肌に触れていたい。体温を感じて存在を確認していたい。近くにいたい。それだけなのに。

カーテンの隙間から朝陽が斜めに差し込んで部屋を横切っている。光の帯の中に細かな埃が立ち昇ってきらきらと輝いているのが見えた。サンドル島に帰ってきてからはずっと寝不足気味なのに、どこか充足感がある。カタクリと過ごした時間がジュールの髪の毛の先から爪先まで行き渡って、全身を支配していた。まだ布団の中で身体を丸めていたジュールは、光の中に浮かび上がっている埃の輝きをぼうっと眺めながら、軽くて温かい羽毛布団の中で伸びをする。カタクリと肌を合わせてしまったことで、もっと罪悪感や背徳感に苛まれるのではないかと懸念していたが、罪悪感を上回る満ち足りた感情がジュールの身体の中にずっと満ちていた。けれど、満ち足りた分だけ、欲張りにもなる。触れるだけでいいと最初は思っていた筈なのに、既に次を求めてしまっている。もっと長い時間、彼と一緒に過ごしたい。彼の腕に抱かれたまま朝まで眠ってみたい。そう望んでいる。今はもう、二人の間にある禁忌は破るためにだけ存在していた。
窓の外でニュース・クーが煩く鳴いた。その鳴き声に急かされて、ジュールはやっと身体を起こす。ベッドから降り、窓際に歩み寄ってカーテンを開ける。朝陽の眩しさに目を細めながら窓を開けると、だいぶ待たされていたらしいニュース・クーが不機嫌そうに手紙を差し出してきた。その封筒に「空っぽのカボチャ頭」という宛名が記されているのを目にした瞬間、手紙を受け取るジュールの指先は緊張と高揚で震えた。彼からの手紙を受け取るのを躊躇っていた時期が僅かでもあったなんて嘘みたいだ。彼の存在を僅かでも感じられるなら、どんなものでも手に入れたい。
窓枠に座り込んで休んでいるニュース・クーの背中を撫でてやり、その場で手紙を開封する。封筒の中に入っているのは、飾り気のない便箋が一枚だけ。しかも、何か特別な言葉が書かれているわけではない。便箋の右上に今日の日付だけが記されているだけだ。約束したわけでもないのに、ジュールがサンドル島に帰ると、一週間後にはこうやって手紙が送られてくる。日付だけが書かれた手紙が。何も書かれていないからといって、ジュールが落胆することは無かった。むしろ、大仰な愛の言葉が切々と綴られていたなら困惑しただろうし、幻滅したかもしれない。二人の関係を繋ぐためにそれほど多くの言葉が必要だとは思えないが、ジュールは、彼に想いを伝えるための最低限の言葉すら紡げない自分を情けなく感じていた。彼が強引に聞き出してくれなければ何も答えられない。手紙ひとつ出せない。

「ジュール様、おはようございます」

ジャヴォットが部屋の扉をノックする音で、ジュールは顔を上げた。ジャヴォットがジュールを起こしにくるのは毎朝の日課だが、ここ最近、ジュールはいつも、ジャヴォットが起こしに来る前に目が覚めている。以前までは、ジャヴォットが相手ならば、どんなに間抜けな寝顔を晒していても、だらしない格好をしていても平気だったが、今はそれができない。他者と顔を合わせる前には、必ず心の準備が必要になってしまった。とにかく、自信が無かったのだ。これまでと同じ自分を保っていられる自信が。今まで自分がどんなことを考えて、何をして生きてきたか、全て忘れてしまった気さえする。

「ジュール様。ちょっと来てもらえますか。大変なんです」

ジャヴォットの慌てたような声が聞こえたので、ジュールは漸く、緊迫した気配を感じ取った。どうやら今日は、穏やかでのんびりした朝ではないらしい。カタクリからの手紙を書斎机の引き出しの奥にしまいながら、「すぐ行く」と、気怠げに返事をする。自分の声が掠れていたので、どきりとした。最近、自分自身の声や姿が、まったく見知らぬ誰かのものであるような奇妙な感覚に陥る。ジャヴォットは勘が良いから、何らかの変化が起きてことに気付いているのかもしれない。しかし、その変化を言い当てるのはいくらジャヴォットでも困難だろうと思う。何しろ、ジュール自身も、自分にどんな変化が起こっているのか把握できていないのだから。
着替えを済ませて廊下に出ると、ジャヴォットが険しい顔つきで立っていた。いったい何事だと問い掛けるよりも先に、ジャヴォットは厳しい眼差しのままジュールの手に一枚の封筒を押し付けてくる。反射的に受け取った真っ白な封筒の裏面には、見覚えのあるマークが記してあった。二角帽を被った髑髏のマーク。髑髏の唇部分が口紅を塗ったように真っ赤なのが印象的だ。そのマークを目にした瞬間、ジュールの心臓が跳ねる。ビッグ・マム海賊団のマークだ。

万国(トットランド)からの手紙です。今朝、早くに送られてきました」

険しい口調でジャヴォットが封筒について説明したが、その一瞬で、ジュールはあらゆる邪推と憶測をした。万国(トットランド)からサンドル島に封書が送られてくることなど滅多にない。ビッグ・マム海賊団とサンドル島との交流は、月に一回、お菓子と武器を届けに行くことだけだ。にも関わらず、カタクリと個人的な手紙を何度も遣り取りし、その結果、後戻りできない関係に陥ってしまっているジュールとしては、「万国(トットランド)からの手紙」という言葉を聞いただけで後ろめたさが募った。自分でも知らぬ間に息を呑む。しかし、ジャヴォットがジュールの動揺を見抜いた様子は無く、彼女は、それよりも他のことに気を取られているようだった。

「ジュール様宛の招待状です。どうしましょう」

ジャヴォットが封筒を指差してそう言ったので、ジュールは困惑する。予想もしていない言葉だった。「招待状?」と、ジャヴォットの言葉を復唱してから、封筒を開けて中身を引っ張り出す。それは、お茶会の招待状だった。招待状には、万国(トットランド)で開催されるお茶会の日付と、今回のメインイベントは結婚式である旨が記されている。新郎はファイアタンク海賊団、カポネ・ギャング・ベッジ。新婦は、シャーロット家22女、シャーロット・シフォン。海賊には似つかわしくない、平和的で幸福な気配が溢れ出ている招待状。どうやら、この結婚式にジュールはゲストとして招待されたようだ。

「カラバ様にも同じものが届いています。どうしましょうか」

ジャヴォットが急かすように問い掛けてきた。招待状の文面に目を通していたジュールは顔を上げる。明らかに動揺しているジャヴォットの様子が珍しかったので、ジュールは首を傾いだ。何故、ジャヴォットがこんなにも慌てているのかわからなかったのだ。

「どうって…。結婚式に招待されてるんだから、行くしかないだろ」

深く考えずにジュールは答えた。ドーマント家がお茶会に招待された理由はわからないが、「欠席」というのは不可能だろう。相手はビッグ・マムだ。しかし、ジュールの答えを聞いたジャヴォットは、まるで時限爆弾のカウントダウンを目の前にしたかのように顔面蒼白になってしまった。

「ビッグ・マムの茶会ですよ?行くんですか?」

その一言で、ジュールは、自分とジャヴォットとの間に看過できない認識の違いが存在していることにやっと気が付いた。ジャヴォットにとって、万国(トットランド)は危険極まりない場所なのだ。何しろ四皇の縄張りなのだから。ジャヴォットの思考が特別なのではない。ほとんどの島民はジャヴォットと同じ感想を抱くに違いないし、海賊の存在を脅威に感じているだろう。それに、ビッグ・マム主催の茶会ともなれば、大勢のゲストも集まってくる。礼儀正しい紳士淑女ばかりが集うとは到底思えなかった。

「親父は、なんて言ってる?」

問い掛けながら、ジュールは、万国(トットランド)からの手紙を受け取った父親の顔を想像してみた。小心者の父親は、さぞかし慌てたことだろう。茶会に出席するとなれば父親と二人で万国(トットランド)に向かうことになる。ジュールが憂鬱を感じるとしたら、その点だけだった。

「カラバ様は、オーロール様の意見を聞きたがると思います」

ジャヴォットは、きっぱりと断言した。彼女の目的は最初からそれだったのだろう。ジュールは、自分が意見を求められていないことにとっくに気が付いていた。ジャヴォットや父親が必要としているのは、オーロールの意見である。今回だけではない。今までもずっとそうだった。それはジュールも含む全員が納得していることで、ドーマント家の慣例とも言えるものだ。難しい事柄を決断するのは、いつもオーロール。そうでなければならない。
くっ…と、喉の奥から勝手に低い笑い声が漏れ出た。ジュールの胸に、ほんの少しだけ罪悪感が過ぎる。父親やジャヴォットが期待していることを、もう叶えられそうになかったのだ。

「ビッグ・マムの茶会に招待されたら、参加は必須だ。誰も拒否できない」

ジャヴォットの目を真っ直ぐに見詰め返しながら、ジュールは断言した。四皇のビッグ・マムが開催するお茶会といえば、「地獄の鬼も顔を出す」との謳い文句で有名である。欠席すると具体的に何が起こるかはジュールも知らないのだが、海賊が平和的に出席を促してくるとは思えない。欠席はリスクが大きい。招待状が届いた以上は出席するべきだ。

「え?参加するんですか?ジュール様、本気ですか?」

「欠席はできない。欠席したら、恐いことになる」

ジュールの判断を受け入れようとしないジャヴォットが何度も問い掛けてきたが、どうにも話が噛み合わない。ジュールは、自分の言葉でうまく伝えられないことを歯痒く感じた。「欠席」という選択肢は最初から存在しないのだ。常日頃からビッグ・マム海賊団と接しているジュールは、海賊たちが発する理不尽な純粋さも、目的のために手段を選ばない略奪者特有の傲慢さも肌で感じ取っていた。

「何か理由があれば、欠席できませんか?」

「“親戚の葬式があるので行けません”なんて言い訳が通用する相手じゃないんだ。わからないのか?」

ジャヴォットに向かって説明を繰り返しながら、ジュールは自分自身の言葉に少しだけ自信が無くなっていった。自分はどこかおかしいのだろうか。ビッグ・マムの茶会に参加することに対して、さほど恐怖を感じていない。それどころか、積極的に参加しようとしている。
ジャヴォットが苛立ったように眉を寄せた。その突き放すような表情を目の当たりにした時、ジュールは何故か、唐突にカタクリの存在を恋しく感じた。視界が全て塞がれてしまうほど広い胸板。ごつごつした硬い膚。背中に腕を回した時、掌の下で隆起する大きな肩甲骨。唇を合わせた時に触れる、冷たい牙の感触…。

「オーロール様には、相談しなくていいんですね?」

ジャヴォットが冷ややかな口調で念を押してきた。ジュールは俯いて自分の爪先を睨む。いったいどうしたのだろう。こんなにもはっきり孤独を感じたのは初めてだ。ジャヴォットや父親がオーロールを必要とするのは今に始まったことではないし、自分の言葉が周囲に伝わらないのはいつものことなのに。ドーマント・ジュールの役割は、ただ存在しているだけの、役立たずの長男なのだから。

「オーロールだって、同じことを言うに決まってる」

ここでジャヴォットに反論することは、とても大きな意味を持つ。そのことをジュールはきちんと理解していた。それでも、言わずにはいられなかった。

「そうですか…。では、カラバ様にもそう伝えます」

ジャヴォットはジュールの言葉に頷いたが、戸惑いの色を隠せていなかった。その表情を目の当たりにすると、ジュールの胸にいっそう孤独感が押し寄せる。そして、孤独感が増していくごとに、カタクリと過ごした記憶が脳内に蘇った。彼と過ごした記憶を手繰り寄せることに罪悪感は無かった。むしろ、孤独を恋しさで埋めるのはとても自然な現象であると、自責の念を自衛にすり替える。そんな自分の大胆さと狡さに驚いたが、たぶん、ジャヴォットの方がもっと驚いていただろう。ジュールがこんなにも人前で変化を露わにしたのは初めてだった。
ジュールは逃げるように身を翻し、自室へと戻る。後ろ手に扉を閉めるとジュールは一人になったが、どういうわけなのか先程よりも孤独感は薄らいで、むしろ安堵すら感じた。さっきまで窓辺で休んでいたはずのニュース・クーはどこかへ消えていて、朝の冷たい空気だけが部屋に満ちている。
ジュールは、ジャヴォットから手渡された「招待状」に改めて目を通した。「招待状」には茶会のスケジュールも詳細に記されている。ほぼ丸一日かけて茶会は開催されるようだから、もし出席するとなれば、万国(トットランド)に泊まることになるだろう。つまり、普段よりも長く、カタクリの傍に居られるということだ。ジャヴォットに手渡されて招待状に目を通した瞬間から、ジュールはそのことを真っ先に把握していた。自分でも驚くほどの浅ましさだと思った。だが、茶会を欠席するのはリスクが大きすぎるというのも事実には違いなかった。ジュールは招待状の文面を読み返しながら何度も言い聞かせる。自分の判断は間違っていない。これは、冷静に判断した結果だ。自分の欲望を優先させたわけではない…。
開け放していた窓から冷たい風が吹き込んできた。ジュールは顔を上げ、窓辺に歩み寄る。窓を閉めながら空を見上げると、突き抜けるような晴天だった。孤独感はいっこうに晴れないのに、空気だけはやけに晴れやかだ。招待状を書斎机の上に置いて、先程引き出しにしまった手紙を取り出す。どちらも万国(トットランド)からの手紙なのに、カタクリからの手紙はジュールの孤独を落ち着かせてくれた。
何も書かれていない便箋を封筒から再び取り出した時、ふと、ジュールは理不尽な気持ちに駆られた。どうして自分だけが、こんなにも孤独な想いをしているのだろう。カタクリと気持ちが通じ合ったのは間違いない。けれど、通じ合ったからといって気持ちの全てを共有できるわけではない。そんなことはわかっている。ただ、ジュールはカタクリに対して、嫉妬にも似た複雑な感情を抱いた。彼の周りには、彼を理解して支えてくれる兄弟姉妹、家族、仲間たちがたくさんいる。けれど、ジュールの傍には誰もいなかった。父親はジュールのことなど理解しようともしないし、ジャヴォットにしても、理解している振りをしているだけだ。
またしても孤独感で押し潰されそうになり、ジュールはその場に膝を抱えて座り込んでしまった。万国(トットランド)に居るカタクリも、ジュールと会えないことを不安に感じているかもしれないし、今すぐ会いたいと思ってくれているかもしれない。その一点では互いに理解し合っている。だが、信頼がおける兄弟姉妹たちに囲まれている彼は、今のジュールほど惨めな孤独感を味わってはいない筈だ。……かといって、兄弟姉妹たちを捨てて自分を選んでほしい訳ではない。それだけは違う。もし彼が、「お前と一緒に居るためなら全てを捨ててもいい」などと陳腐な台詞を口にしたなら、ジュールはシャーロット・カタクリという男に一瞬で幻滅するだろう。兄弟姉妹や仲間たちの存在をないがしろにするカタクリの姿など想像できないし、したくもない。
アナナの頭を優しく撫でていたカタクリの姿を思い出す。その姿を思い出しただけで、羨望と愛しさとでジュールの胸はいっぱいになった。海賊らしい残虐さと傲慢さをじゅうぶん兼ね備えているのに、幼い妹に対して見せる不意の優しさ。そして、完璧な兄として造られた裏側に見え隠れする密やかな欠点。一度決めたことを頑なに貫き通す向こう見ずなまでの勢い。
ジュールは悔しさに唇を噛み締める。どれだけ互いの深い部分に触れても、想いを伝え合っても、カタクリは自分の信念を曲げる言葉だけは絶対に口にしようとしなかった。「お前のためなら全て捨ててもいい」とか「お前以外に何もいらない」なんて安っぽい台詞は、ジュールが心配するまでもなく、今後も彼は絶対に口にしないだろう。おそらく彼も、無意識下でわかっているのだ。そんな言葉を口にすれば、何かが終わると。そして、彼の思惑通り、自分はそんな彼の事が堪らなく愛しいのだった。頑固なまでに自分を貫くところも、その反面、ひどく打算的なところも。たまらなく理不尽で悔しいのに、それ以上に愛しい。
孤独感や寂しさ、それを上回る愛しさが身体の内側で渦巻いて今にも爆発してしまいそうになる。ジュールは、カタクリから送られてきた便箋に、今の自分の気持ちを全て書きなぐって送りつけてやろうかと思った。しかし、書斎机に座ってどれだけ知恵を絞っても、自分の気持ちを納得いくように言語化することはできなかった。情けなさと悔しさで、ますます孤独感が増していく。やっとの思いで「寂しい」という言葉だけを便箋に綴った瞬間、ジュールは、自分が恋をしていることを思い知った。

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