※灰原くん主は「分かってるよ」の主人公です
※名前変換は「苗字」に七海さん主の苗字、「名前」には灰原くん主の名前を設定されてください





“彼女”の手を横から掴む。薄手に見えたコートの手触りは風を少しも通さない密度があり、その下には確実に人の腕があった。
「すみません、ちょっといいですか」
緊張で上ずった自分の声がちょっとキモくて自分で引いた。それくらいビビってる。もしかして別の人だったらどうしようと思いながら、でも彼女の腕を反射的に掴んだ直感どおり、90%、この人だと冷静に確信してる。

この人、七海くんが探してた「みょうじさん」だ。

家のリビングに飾られている、雄が高専時代に学食で撮ったという集合写真の中に彼女はいた。
七海くんの彼女だった1個下の女の子、みょうじさん。彼女の可愛らしくて人懐っこい表情は雄に近い。似てるというのではなく同じカテゴリーというか、親戚と言われたら納得してしまうような。だから勝手に親近感があって、その顔は私の脳に焼き付いていた。けどそんな普通の女の子のような彼女も雄や七海くんと同じく殴ったり蹴ったりするタイプの呪術師らしい。
“とある事件で身を隠すために失踪し、七海くんが必死に探してる人”
そんな人が普通の私が見つけられる所にはいないと思ってたから日常の中で気にしたことはなかった。
だから品川駅そばのコンビニの前で、ビニール袋からフランスパンの入った紙袋を突き出して信号待ちしてるなんて思いもしなかった。確信が90%で止まっているのはこのせい。優秀、有能、すごい人、の七海くんが必死に全国各地で探してる人が都内にいて、普通に買い物して、欠伸を噛み殺してるなんてことが、ありえるのかってこと。

この考えが「ちょっといいですか」の後の言葉を詰まらせた。声をかけて中途半端なことやるよりも雄に連絡したほうがよかった。呪術師である彼女が私の手を払って逃げることなんて朝飯前なわけで――すみません、人違いでした、と言おうとした時、彼女が先に口を開いた。

「……もしかして、灰原なまえさんですか?」
みょうじさんの声も明らかに上ずっていたが、想像通りの声で感動した。長年読んでた漫画がアニメ化して、好きだったキャラが自分の想像の声と同じで嬉しいヤツ。
驚きで頭が別の方に行っちゃったけど、逃亡中で誰とも連絡を取れていないはずの彼女がなんで知ってる?と考えながらも反射的に「あ、はい」と乾いた声が喉から出た。
彼女は私の手を払うことなく、掴まれてない右手でコートのポケットから出したスマホの画面を私に見せてきた。映っていたのはLINEのトーク画面。上にあるのは七海くんのフルネーム。連絡画面の中には七海くんが彼女に宛てて送った、私達の結婚式のファーストバイトの写真があった。

「もしかして聞いてない……ですかね。元旦に七海さんと再会できて、今そこに住んでます」
彼女が指をさしたのは目の前に建っている品川のでっかい高級マンション。
「え、もしかして……「あの五条さんのでっかいマンションにいるの!?」ってヤツ……?」
「そう、そうです!!」
彼女から思い悩むような表情が吹き飛び、顔がぱっと明るくなる。あの写真の姿そのものだ。
よかったらちょっとお話しませんか、とみょうじさんはすぐそばのカフェに視線を送った。


▼ ▼


「あの五条さんのでっかいマンションにいるの!?」

これは1週間前に雄が電話中に言ってたこと。電話の相手は七海くんで、東京の品川に彼が引っ越したから週末に遊びに来ないか、という誘いの電話だった。だから私達は七海くんのお宅訪問の前日である今日、というかつい2時間前に上京したのだけど、七海くんに任務が入って、雄はそれの手伝いに行って、私は1人で東京をぶらぶらしていた所だった。
明日の七海くん宅への訪問で、彼から私に向けてサプライズがあると雄は言ってたけど(サプライズがあると言ってしまうところが雄だ)これはもう十中八九、みょうじさんが帰ってきたということなのだろう。

カフェのカウンターで注文を待つ間に、雄にみょうじさんと偶然出会ったことをLINEで連絡するとすぐに「ごめんなさい」と謝る現場猫のスタンプが返ってきた。「偶然すごいね!1時間くらいでそっちに七海と戻れるから今いるカフェで待ってて」という連絡に「YES」スタンプを返す。
灰原からの返事をみょうじさんに見せたら「現場猫スタンプをおそろいで持ってるの、かわいいですね」と笑われた。私が使ってるスタンプを雄は高確率で買うので、大体似たようなスタンプの応酬が起きる。
2人が探しやすいように窓側のテーブルに座り、みょうじさんはどこから話せばいいか、とコーヒーを啜った。

「五条さんをご存知ですか?」
「あのイケメンの。3ヶ月に1回くらい家に遊びに来るよ」
「え!?何しにくるんですか?」
「ポケスタで遊んで、あとコンバインにも乗る」
「え!?64がまだ生きてるんですか!?!?」
そっちに食いつくんだ。
「ゆ……灰原が高専の時にさ、五条さんの私物をねだってたの知ってる?」
「……そういえば、今月分お願いします!!って言って五条さんからボールペンとかハンカチとか、小銭入れとかをもらってたのは何回か見ましたね」
「それそれ。あれ、私のためだったんだ」

雄が高専に進学してから1ヶ月経った頃、彼から荷物が届いた。
「持ってたら呪霊が近寄らないから、ずっと持っててください」となんだか変によそよそしい手紙まで入ってて、すごく緊張しながら開けたのを今でも覚えてる。
その中身はボールペンだった。手紙の内容から可愛らしいお守りみたいなものを想像していたからかなり驚いたし、しかもメンズ物の使いかけ。とりあえず持ってたら本当に呪霊が寄って来なくなったけど、文房具に詳しい担任から「それ5万くらいするのに、そんな雑に筆箱に入れてていいのか?」と心配された。なんて値段のもんを送ってきてんだと雄に詳しく聞いた所、そこで初めて五条さんを知った。
現代最強呪術師の五条さん。
呪霊は彼の残穢にさえ怖がって寄りつかない。だから雄は呪霊が見える私のためにボールペンからはじまり、五条さんの残穢がついてる私物をもらって送ってくれた。そして残穢が薄れてくる大体1ヶ月周期で新しい私物が来る。五条悟残穢サブスク。途中からは男物の小物がサンリオの文房具に変わったから、雄が小物を買って五条さんに残穢をつけてもらってたんだと思う。たぶん。五条さんがキティちゃんに突然目覚めたなら違うかもだけど。
生身の彼に初めて出会ったのは、雄が高専を卒業して地元に帰って来た後だ。
雄と七海くんに息抜きがてら直接任務の依頼をしにくる彼は、雄の家にある64で遊んで稲刈り体験をして帰っていく。寺生まれのTさんみたいな想像をしていたから、イケメンで驚いた。でも訪問の3回に1回は本当にただポケスタを雄とするためにだけ来る。小さい頃に対戦相手がいなかったとかで。

みょうじさんは、微笑みながらケーキをひとくち食べた。
「てっきり私は、灰原さんの彼女さんが強火の五条さんファンだと思ってました」
「私そんなことなってたの」
「灰原さんが「僕の大事な人のためにこれがいるんだよね」って言ってたので」
「……なーるほどね。……その大事な人って言い回し、よく使ってた?」
「はい。灰原さん、モテたんですけど「僕には大事な人がいるので無理です!でも気持ちはありがとう!」って何度も断ってましたし、地元に帰る時は「大事な人に会いに行くのでその日は無理です!」って頑なに任務交代の依頼を断ってましたね。灰原さんは大体のお願いを聞き入れてくれるんですけど、大事な人が絡むことだけは断られるので、灰原さんの彼女ってどんな人だろうってみんな思ってましたよ」

みょうじさんが微笑みを加速させている。恥ずかしい。それだ。「大事な人」
「大事な人」と面と向かって雄に言われたのは覚えてる限りプロポーズのときだけなのに、雄はたくさんの人に私のことをそう表現していたらしい。だから結婚式の時、色んな人から「お!大事な人!!」と言われた。もっと早くに雄が私にそう言ってくれれば、私は高校時代に、夏休みに置き去りにされた朝顔みたいと友達に茶化されることもなかったのに。

話はそれたが、みょうじさんは帰ってきた経緯をわかりやすく話してくれた。
私達の式の直後、七海くんはみょうじさんの居場所の情報を五条さんから得て、翌日元旦に爆速現着してみょうじさんを発見。色々あって7日ほどして下山、五条さんの仕事の一部をみょうじさんが下請けするという見返りに、上層部からみょうじさんへの詮索や接触が無いよう取り計らってもらって、つい最近やっと生活が落ち着いたらしい。

「そういえば学生の頃に灰原さんがくれたお米、なまえさんのお米ですよね!?すごく美味しかったです!逃亡期間も食べたくてしかたなかったんですよ!」
「え、嬉しいな。地元に帰ったらお米送るからさ、住所教えてよ。LINE交換しよ」
「ありがとうございます!嬉しいなあ。いやホント……なまえさんのお米食べたくて食べたくて……」
みょうじさんの顔が少し青ざめている。やはり逃亡生活は相当きつかったんだろう、お米……いっぱい送ろう……。
「灰原から聞いた感じだと、みょうじさんは五条さんと同じマンションに住んでるってこと?」
交換したLINEに送られてきた住所をネタに、話を急いですり替える。
「いえ、五条さんの部屋を借りてる状態です。最近五条さんは高専の寮に住んでて、このマンションの部屋を荷物置き程度に放置してたんですよね。貸してもいいけど片付けるの面倒、みたいな感じで。だから私達が五条さんの荷物を片付けて保管しておくことを条件に、かなり安く貸してもらったんです」
「さすが超お金持ち。部屋の写真とかある?」
「ありますよ。見ますか」
「うん。タワマン行ったことないから。高いところ苦手なんで心構えとして見たいな」
「すみません最上階です」
「やべー……さすが超超お金持ち……」
「最上階だと屋上から近くて楽なんだそうです」
「五条さんってもしかしてヘリコで移動してるの?」

こんな感じです。とLINEに送られて来た数枚の写真を見た時、私は度肝を抜かれた。部屋の窓から見える景色や、部屋の設え、そんなのより先に目が釘付けになったのが、その中に写っていた七海くんだった。髪をいつも通りおろして、スーツではなくスウェットトレーナーにジャージ姿の部屋着だが相変わらず何着てもモデル。でも知ってる七海くんと全然違う。
顔が明るすぎる。
あの陰鬱そうな雰囲気が全くない。七海くんといえば、取り憑くタイプのヤバい霊全国選手権1位のヤツに取り憑かれていて、ブラック会社に勤務してて60日連勤で、車のタイヤはすべてパンクし、隣家の火の不始末で家が燃え、買ったケーキはなにもしてないのに全部傾いてた。みたいな不幸が1度に来たような雰囲気を漂わせている人だ。呪術師より呪詛師ですと言われたら、100人が10点を出す雰囲気。
「え……これホントに七海くん?」
みょうじさんは一瞬、私が言っている意味がわからないような表情をしたが、何かを感じ取ったのだろう。真剣な顔つきで私に問いかけてきた。
「なまえさんが思う七海さんの印象は、どんな感じなんですか?」


七海くん。
私達の地元を拠点に、雄と一緒にフリーの呪術師をやるために東京から移住してきた雄の親友。
初めて見た時はびっくりした。「冷静で頭がよくて、けどアツい所もあるものすごく頼りになる親友」と雄から熱く語られていたイメージとは全く違ったからだ。
陰鬱というのは分かりやすい表現で、私が初めてみたときの印象は「荒廃してる」だった。身なりが汚いわけじゃない。むしろかなりキレイにしてるのに、目に見えるものすべてをかき消して彼の印象はそれだった。
建物や土地に使われる言葉だけど、これが1番あってる。何かが決定的に足りなくなって壊れて、心に踏み込もうとすると砂利の感触がしそうな人。何が起きればこんな風に人は熱を失って、静かに傷んで見えるのだろうか?だから非科学的なものに取り憑かれている以外、答えが見つからなかった。
でも何も知らない人にはその雰囲気が顔立ちや姿と相まって神秘じみたものに感じられていたのか、七海くんはとんでもなくモテてたけど、雄とは真逆にバサバサと告白を切り捨てていた。ストーカー事件とかもあったし。
怖い人だと最初は思ったが、仲を深めると全く違う。クリアな声で理路整然とした話しぶり。仕事はできるし、親切だし、丁寧だし、センスもいいし、なにか相談すればいつも糸口を見つけるまで一緒に考えてくれる。私が流し気味の雄のボケにきっちりツッコむ。そして雄と同じくらい熱い所をたまにのぞかせる、雄の説明通りの人だった。

そう、部屋。あと部屋だ。見せてもらった写真の七海くんは観葉植物を持っている。
東京と私達の地元を行き来する七海くんは、雄とやってるフリーの呪術師の事務所兼自宅として、私達の地元の駅そばにマンションを借りていた。
雄と共同で使う場所はそれなりにちゃんと家具があったが、彼の部屋にはほとんどモノがなかった。ベッドと積み上がった本と写真立てがひとつ。それだけ。服はクローゼットの中にあると言っていたけど、見た感じそれも最低限だった。任務とお金を稼ぐことにしか興味がないという様子の彼が、観葉植物を置こうとしていることはものすごいことなのだ。

私は話しを止めた。みょうじさんの顔色がどんどん土気色になってきたからだ。
「もしかして元々の七海くんって、こういう人じゃない……?」
「内面はあってるんですけど、そんな陰鬱な感じでは……内面の通りの見た目の人でしたし、私が再会できたときからこの写真の通りで。……この前、高専に言った時に七海さんを見た人が口々に「七海さん元気になったね」って言うんで、病気でもしたのかと聞いても、特にしてないって言いますし。なんか変だなと思ってて……それかあ…………」
つまりあの陰鬱さは、みょうじさんがいなくなった影響だったのかな。と思ったが言わずにいた。だって彼女も気がついてしまったから。
みょうじさんのケーキが横に倒れて、乗っていたクリームが皿にずり落ちる。彼女の心境をわかりやすく表していた。

ヤバいな。みょうじさんが罪悪感的なものでこのままだと死にそうな空気がある。もう1度話題をそらそうとした所で急に真横からノックの音がした。見ると灰原が笑って手を振って、入り口を指差す。今から中に行く、ということなのだろう。黒いダウンの雄に、薄いベージュのコートの七海くん。服の趣味は真逆なんだよな。
七海くんはいつもと同じ少し冷めた表情に見えるが、昨日10時間くらい寝て、めちゃくちゃいい肉とコラーゲン鍋食べて、温泉入りましたみたいに潤って輝いている。肌艶がエグい。どこのデパコスのファンデ使ったってくらい。濃い目の下の隈が消えている。あれ消えるんだ。
……灰原が高専に進学して少し経った頃、友人に「小学生が夏休み前に持ち帰るの忘れた朝顔みたい」と言われた。当時、その意味は半分くらいしか分からなかったけど、今、七海くんを見て理解できた。
新しい高校生活で楽しいことに笑って、悲しいことに泣いても、心のどこかでいつも灰原を心配していた。灰原から連絡が来た後の数日だけは安心できたけど、少し経つとまた心配がぶり返す。目の前のことが蔑ろになると現実は遠ざかって行くのに、心配だけは何も変わらず確かな形を保って積もる。そんな姿を友人は、置いていかれて枯れた花に例えたのだ。
七海くんは私より深く長く、枯れていたんだろうな。


昼過ぎの混んだカフェの中で笑いながら手を振りやってくる灰原と目が合う。私にとっての灰原が、七海くんにとってのみょうじさんなのだ。
「みょうじさん、七海くんが私達の式のために色々調べてくれた式場リストさ、後で送るね」
隣の椅子を引きながらみょうじさんに伝えると、みょうじさんの表情にちょっとだけ生気が戻った。

2023-12-24 リクエスト作品
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