打たれた白球が、たなびく雲のように緩やかに伸びて私のそばに落ちた。
「灰原!危ないじゃん!」
横にいた友達が声を上げると打った灰原は「ごめんごめん!!」と声を上げる。遠くにいるのに、まるで隣にいるような声量に「声がでけえよ!」とキャッチャーが灰原の尻を殴る。ごめん!とまた謝って、また尻を殴られていた。
雲ひとつない青空。校庭の白い砂は光を吸い込んできらきらと輝いている。
その中で異質だったドス黒い呪霊は、さっきの白球にぶつかって、弾けて、塵になった。

「体育の時間の、後でよかったのに」
「ボールで祓えるか試してみたかったんだよね」
掃除時間。玄関マットを箒で叩く灰原に伝えるとそう答えた。
周囲を見渡すと日陰にある車の側に小さな呪霊がいる。マットからこぼれ出た小石を呪霊に向けて投げてみる。放物線を描いて石は向かったが、まるで煙を捉えたみたいに呪霊をすり抜けて落ちる。続けて灰原も小石を箒で打つ。小石は呪霊にぶつかり、石は地面に落ちたが呪霊は体育の時間と同じく塵になって消えた。
「あのお姉さんやスーツの人が言った通りだ」
情報通りの結果にふたりで納得していると、一連の流れを見ていた教頭から叱られた。箒で野球をするなという注意を灰原はちゃんと聞いて申し訳なさそうな顔をしてる。本当に申し訳ないと思ってるんだからすごい。
こんなにも明るくて真面目で呪いなんてものとは全く無縁そうな灰原は、呪いが見える。私も見える。でも呪いを祓えるのは、灰原だけだった。

▼ ▼

灰原と出会ったのは、小学4年生の時。
両親が会社員を辞めて実家の米農家を手伝うことになり、この土地に引っ越してきた。
あの頃私は、ある日突然呪霊が見えるようになり(当時からつい最近まで私はそれを幽霊とかおばけの類だと思っていたけど)、それを包み隠さず友達に話してしまったせいで孤立した。あと1歩で虐められそうになっていたので私はこの引越しが嬉しくてしょうがなかった。
都会から地方への引っ越し。引越し先は長くても20分歩けばコンビニはある。でもバスを1本逃すと次が来るのに2、30分くらいかかる。すごく田舎ってわけじゃないけど、都会の括りにはけして入らない、そんなのんびりした所だった。
私は前の失敗を活かし、呪霊が見えることを隠した。呪霊を視線で追わず、呪霊に驚いて出そうになった声を必死で飲み込み、見えないふりをして友達を作りなおし、普通に生活をした。そして4年生に進級して新しいクラスで私の前の席になったのが灰原である。

話したことは無かったが灰原を知っていた。たびたび廊下や運動場から聞こえてくる、「はい!」「●●さん!」「僕は大丈夫です!」など、大きな声で返事や友達への呼びかけをしていたのが灰原だ。聞こえるたびに灰原を知ってる男子達が「灰原、声デケぇよ」と笑っていたから名前と声が一致していたのだ。
誰が見ても明朗快活な顔つきと声と見たまんまの性格。あの頃の灰原のあだ名は「ラメペン」。
女子から借りたラメ入りペンのペン先を、その強すぎる筆圧で壊して駄目にしたかららしい。けれどそんな女子に顰蹙を買うエピソードさえ男女共に呼ぶあだ名として昇華させた灰原はいいヤツなのだろうと察しがついた。実際今も昔も友達が多い。

灰原は振り返って私の顔を見て、目が合うと笑った。顔の筋肉を全部使ってるみたいに心から嬉しそうに笑う。
「みょうじさん!?もしかしてあの!?僕、大好きなんだ!」
灰原が私に向けた言葉に、一瞬クラスがしんと静まりかえる。
「みょうじさんちのお米すっごく美味しいよね!!いつも買ってもらってる!」
クラスの全員が大笑いした。私も笑ってしまい、灰原だけが何を期待されていたか分からない顔をしてた。これがきっかけで灰原と仲良くなった。

灰原も見えると分かったのはそれからすぐのことだった。
鳥のような、爬虫類のような。今もまだ「変な顔の小さいヤツ」というあやふやな言葉で灰原とやり取りしている、空飛ぶ小さい呪霊。
あれが私の肩に乗って取れないでいた所を灰原が朝の通学路ですれ違いざまに叩き落としてくれたのだ。まるで虫でも払うかのように。「変な顔の小さいヤツ」は地面に向かって落ちながら消えていった。
その落ちる先を私が見たことによってお互いが“見えている”と理解した。

「僕も見えるし妹も見える。けど家族以外で見える人に会ったの、なまえが初めてだよ」

私は呪霊に触れられないし、呪霊と目が合うと取り憑かれるので今まで視線をそらし続けていたから気づかなかったが、灰原は日頃から呪霊を叩き落としていたらしい。
それを知って灰原の行動を観察すると手が偶然あたったフリをして、肩を叩く、ハイタッチ、鬼ごっこでタッチ。そんな動きの中で自然に呪霊を叩き落としていた。

「触れるけど怖くないわけじゃないんだ。でも、アレがついてるとみんな体調悪そうだからさ」

いつの日かは思い出せないけど、灰原の顔がマフラーに埋まってたから多分寒い日。いつも明るくて悩みや怖いものなんてなさそうな灰原のその言葉は、強く記憶に残ってる。
中学生になって校庭から遊具が消えて男女の間に見えない薄っすらとした壁ができても、私達は一緒にいた。

▼ ▼

そして先週の夕方。灰原から電話がかかってきた。
また宿題の範囲を忘れたのかと思ったら、灰原の妹ちゃんが通学路にある墓地にリコーダーを落としたので一緒に探して欲しいというお願いだった。断って電話を切ると15分後、チャリで来た。デートだと勘違いされて両親から「雄くんを待たせるなよ!」とリビングを追い出される。米好き・特にウチの米好き・人が好きの灰原は、私の両親、祖父母の好感度ゲージのてっぺんを突き破っている。

「ひとりで行ってよ〜」
「僕はあんまりモノを見つけるの得意じゃないからさ!それに夜に自転車でふたり乗りするってなんか楽しくない?ジブリにあったよね?女の子が引き出しにカロリーメイト入れてたやつ」
「どういう覚え方だよ。灰原は天沢聖司から1番遠い存在だよ」
私なんてまるで乗ってないみたいに、ぐんぐん自転車は坂道を登って行く。目の前には雫ちゃんが見た朝焼けは無く、夕暮れと灰原の広い背中しかないけど。出会った時は私より2センチ小さかった灰原は中学に入って背が伸びて、体も大きくなり、背の順じゃいつも1番後ろだ。でも小学生の頃のように私の目を見て話そうとして背中を曲げるので、近くなると小さくなり、遠くなると大きくなる。

長い長い急な坂をずっと上がると小学校に着く。妹ちゃんはその途中にあるガードレールと地面の間の隙間から、下にあるお寺に併設された墓地にリコーダーを落としたらしい。
この日まで私達だけ見えているものは“霊”だと信じていた。だから自ずと霊がでそうな場所は避けて来たから、夜の墓地なんて来たことなかった。
入り口の石段の前に自転車を停めて中に入る。かすかに残っていた陽の光も無くなり、人気も全く無い。真っ暗な参道を突っ切り“出ます”の代名詞でしかない墓地に入る。
青暗い空を背景にたくさんの真っ黒い墓石が並んで、まるで切り絵の世界だった。地面は参道の石畳と違って泥と落ち葉で埋まっており、先日の雨で少し柔らかくなっていて歩くと、にち、にち、と音がするのが生々しい。
「寒い」
夜の冷えとこの寒さは違う。灰原が着ていたジャンパーを貸してくれて、僕のベルトを掴んでいて、と震える私の手を握り、腰へ誘導してくれた。
「灰原、ここ、変だ」
「……うん」
灰原より私の方が感じやすい。灰原は呪霊を見つけ次第叩き落とすって感じで、私は呪霊から徹底的に逃げるために必死に神経を注いで来たから。
「3匹くらい近くにいるけど、なまえはどのくらい見つけた?」
「……今怖くて下向いたけど、8匹はいる。……それよりさ」
「大丈夫、分かる」
怖くて灰原の背中にしがみつく。灰原が唾液を飲み込む音がする。
墓地に入って数メートル進んだだけで分かった。墓地の奥、暗闇の中に何かがいる。見えない何かが空中を揺蕩って、探るように私達に時折触れる。頬や腕にそれがあたると、そこからぞわりと寒気がして鳥肌が立つ。
「……明るい時間に出直そう。なまえ、ごめんね」
こんなの初めてだった。灰原も顔色が悪く、私の肩を支えてくれた手は汗で湿っていた。

あの奥にいるのは、相当ヤバいヤツだ。

お互い体を支えあい墓地を出て、お寺の入り口に引き返していると、距離を取ったせいか気分が少しずつ良くなった。早足で参道を抜けながらつないだ手に力が入る。
「アレ、何……?」
「わからない。僕も初めて感じた」
「……あんなの、こんな所にいてもいいのかな」
「どういうこと?」
灰原が立ち止まり、私もつられて止まる。私の顔を灰原が心配そうに覗きこんだ。
「お寺の人が、襲われないかな」
余計な一言だったと気がついた時には遅かった。きゅっと灰原は口を引き結んで、目にぼうっと炎が灯ったみたいに表情が変わる。
「違う!ダメだって灰原!!」
引き返そうとした灰原のベルトを掴んで全力で引っ張る。
「だってそのとおりじゃないか!」
なんとなく感じていた。呪霊は強いのから弱いのまでいて、弱いのが引き起こすのは体調不良程度だけど、強いのはもっと酷いことを人間にするって。
そして、その日初めて強い呪霊を肌で感じた。あんなに恐怖を感じたものは初めてだった。そんなのに灰原を近づけさせられない。絶対に気分が悪くなるくらいじゃすまない。
「無理だってあんなの!今までと、全然っ……!」

全然違うものを、今度は背後に感じる。
火花が弾ける音がした。私達はその時初めて、参道に照明があることに気がついた。
明かりが次々に点いて道を照らす。
その先にいたのは女性だった。参道の真ん中に佇む彼女は、皺ひとつ無い白いブラウスに、泥だらけの長いスカート。そして腰まである黒いストレートヘアを垂らし、私達に背を向けていた。女性は何か持っているのか、肘から下は体の前方に行ってしまい見えない。そして、手で何かしている。肩や二の腕がずっと細かく揺れていて、じゅぷ、じゅぷと水気を含んだ音がする。
空気の流れが変わる。あの何かが揺蕩う感覚がする。
目の前にいるアレは――墓地にいた呪霊だと理解した時、私の膝は勝手に震えていた。
「危ない!」
突然灰原に引き寄せられて、灰原の背後に回された。
私を引き寄せるために思いっきり灰原が足を踏み込んだ場所、私がさっきまでいた所。そこには血管のような赤いうじゃうじゃした線が、あの呪霊の足元から無数に伸びていたが灰原が踏んだ部分は焼き切れたように煙を上げて散っていった。

灰原は大丈夫なんだ。でも、私はダメなんだ。
右足が痛い。腰が痛い。お腹が痛い。見なくても分かった。私の血管を蝕むように赤が上ってくる。
「なまえ!しっかりして!!」
灰原が肩を揺らすけど、痛みのショックで意識が途切れそうになった時、爆音が響いた。
あの黒髪の呪霊はぐちゃぐちゃのぺちゃんこになっていて、その向こうには今度は上下黒い服を着たポニーテールの女性が立っていた。

これが1週間前に起きたことだ。

▼ ▼

窓際、前から2番目が灰原で私は前から4番目。
灰原はホームルームが終わっても席を立たなかった。生徒が次々部活や家に向かっても、灰原は座っていた。
「何やってんの」
灰原が眺めていたのは進路希望調査プリントだった。灰原は私の顔をじっと見つめると、制服のポケットから名刺を出した。
「僕、ここに行こうと思う」
東京都立呪術高等専門学校。
私達がずっと悩まされて来た呪霊を祓うことを生業とする、呪術師になるための専門学校。
墓地で出会った呪霊を祓ってくれた女性の呪術師さんと、呪術師さんと一緒にいた補助監督さん。その2人から色々なことを聞かされた。理解できてないことは多いが、はっきりしてるのは私達が感じていた通り、呪霊には強いのと弱いのがいて、墓地で会ったのは強いヤツ。私達はあのままだったら死んでいたこと。呪霊に遭遇するのは、どんなに努力しても時の運だということ。
そして呪いが見える人の数は少ないが確かにいて、その中でも祓える素養がある人はひと握りだということ。それが灰原で、私は祓えない。

「私もいく」
「駄目だよ。なまえは祓えない」
「スーツの人、見えるだけでも大歓迎って言ってたじゃん」
「ぜっっったいダメ!!」
「なら灰原も行かないで」

灰原は困ったような顔をして笑った。ほんとコイツ、笑顔じゃない時の方が少ないくらい笑ってる。
「僕、妹やなまえを守りたいんだ。もうなまえをあんな目に遭わせたくない。だからもっと知りたいし、強くなりたいよ」
そう思った次には今まで見たことないくらい真剣な顔をするから、なんにも言えない。ズルい。
あの強い呪霊のせいで私の右足は少し動かし辛くなった。日常生活に支障はないけど、走るスピードが落ちた。友達も家族も気づいてない。灰原だけが知ってる。1番知ってほしくなかった灰原が知っている。墓地に連れて行ったことを何度も謝られて、私はその度、灰原が悪いんじゃない。運が悪かっただけと繰り返した。でも灰原は自分が悪いと思っている。

「……ポケットからはみ出てんのなに」
今は説得しても聞いてくれないだろう。話をはぐらかし、灰原のポケットからはみ出ている白いレースの紙について聞けば、2組の子からもらったんだ。と、さっきまでの真剣な顔はどこかへ行ってへらりと笑った。白いレースのかわいい封筒。どう見てもラブレター。
灰原は背が高いし、運動神経良すぎだし、いつも笑顔でかわいい顔してるのに真面目にやるときはさっきみたいにかっこいい。男子とつるんでばっかりだけど男女別け隔てなく優しいし、女子に灰原うるさい!って言われるくらい声は相変わらずデカイけど、みんな灰原はいいヤツって言う。つまり灰原、結構モテる。
「返事どうするの」
「謝るよ。2人を守れるように頑張りたいから」
もし、こんな力がなかったら。
灰原はこの告白を受けていたのだろうか。受けるだろうな。聞かされた2組の女の子、めっちゃ可愛い子だもんな。しかもそれで灰原が好きってセンスの塊じゃん。

灰原は枠からはみ出そうなくらいデカい字で、灰原だけが行く進路をプリントに書いた。先生、こんな学校知ってるのかな。
「東京。友達、できるかなぁ」
「できるでしょ。そもそも私も東京出身だし」
灰原は私の顔をじっとみる。恥かしくないのかな。さらさらの前髪の下の、黒い大きな目に私がくっきり映ってる。
「なに」
「なんでもないよ」
「……なに?」
「……僕が東京に行ったら、なまえの家のお米、送ってくれる?」

▼ ▼

そんな話をしたのが3年の夏休みの直前で、まだ灰原を説得する時間はあると思った。けど過ぎてほしくない時間に限って早く過ぎ去って、灰原は呪術高専に進学を決めてしまった。
「絶対お米送ってね!!電話するから!」
高校入学を祝って親に買ってもらった携帯の連絡先の1番目はお互いだった。
灰原は行ってしまった。元々私の進学先は女子校だったし、寂しくなるのは結局同じだったと自分に言い聞かせ、灰原を見送った。

灰原はよく電話をくれた。
お米があっちに届いたら必ず電話をくれたし、用事がなくてもかけて来た。メールより、電話の方が好きだと言って。強くなってることを感じて、友達もできて、毎日楽しい。あとウチのお米が寮で人気だから、もっと送ってと言われた。送るたびにもっとと言われる。
「年貢の取り立てかよ」
『強くなるためにはいっぱい食べなきゃいけないんだ。おかげで筋肉が増えたし身長も伸びたよ!!』
写メが送られてきたけど全然変化がわからない。けど全然変わってなくて安心した。

けれど2年生になってから電話が来る頻度は下がり、夏が終わった頃にはぱったりと連絡は来なくなった。
『2年生になったらすごく忙しくなって。去年の災害とか色々な影響で呪霊が増えてるからなまえも気をつけてね』
春ごろに灰原が言った通り、確かに呪霊が増えている。人口に比例して呪いが増えるらしいので東京はこの比ではないだろう。
私は電話を待った。前にこちらから電話をかけた時、ちょうど灰原は任務中で私の電話に気を取られて怪我をしたことがあったから。灰原は平気だからいつでも電話してと明るく言ってくれたけど、私のせいでまた怪我したらと思うとかけることはできなかった。何度かメールも送ったが、返事はない。次の夏が来ても、灰原から電話はなかった。

▼ ▼

高校からの帰り道、家の最寄り駅で電車を降りた時、ふっと灰原のことを強く思い出した。
なぜ今日そう思ったのかは分からない。
ぬけるような青い空。雲ひとつ無い、いい天気。夏が始まる時期なのに、今日は珍しくそこまで暑くなくて、降り注ぐ日差しが気持ちよかった。清々しい、灰原みたいな天気だったからか、電車の中で見かけた他校の学生の後ろ姿が灰原に似てたからかもしれない。
もうずっと会えてない。灰原は一昨年の年末に1度帰ってきたのだが、私の家はお決まりの家族旅行で会えなかった。かけてはいけないと思ったが、携帯を開くと灰原の電話番号を電話帳から呼び出していた。
もう止められなかった。灰原に会いたい。連絡が来なくなって、怖くなってお米を送るのも去年やめてしまった。彼女ができたとか、私のことが嫌いになったとか、理由はなんでもいい。とにかく、灰原の声が聞きたかった。

コール音がする。灰原ならすぐ出る。

出てくれる。

出ない。

泣きそうな気持ちで切ろうとしたとき、電話がつながった。

『はい』

灰原の声じゃなかった。

「あの……これ、灰原、灰原雄の携帯ですか」
少し間があって『そうです』と、静かで、落ち着いていて、灰原とは全然違う声が返ってくる。

『貴女は、灰原に、荷物を送っていた人ですか』
「そうです!灰原元気ですか!?連絡が全然なくて!」
『灰原は……任務で海外に行っています』
「え、そんな急に?」
『……はい』
淡々と重なって行く、抑揚のない返事。
「いつ戻りますか」
『わかりません』
「灰原、1人で海外に?」
『……いえ、私も行きます』
「……あなた、もしかして、灰原の同級生の人ですか?」
『はい』
そう言われて思い出す。灰原には同級生が1人だけいて、落ち着いてて僕と全然違うけど、すごく良いやつで気が合うんだよ!と嬉しそうに言っていた。
『灰原は……』
彼の声が遠くなって少し籠もった。聞き取り辛くて、意味はないのに痛くなるほど耳にぎゅっと携帯をくっつけてしまう。
『貴女に、けしてこっちに来るなと言っていました』

どうやって電話を切ったか覚えてない。気がついたら通話は終わっていた。
『2年生になったから遠方任務が入るんだ。海外に行っている先輩もいるから、僕も行きたいなあ。お土産送るね』
確かに言っていた。
いつも持っている携帯が妙に重くて、さっきまで気持ちよかった日光が刺すように眩しい。青い空に、飛行機雲が1本通っている。灰原があの日打ってくれた白球を思い出した。

▼ ▼

高校を卒業したあと高校の提携先の大学に進んで、それから大学がある都市にそのまま就職した。
新人研修で本社のある東京に行かされることになり、正直イヤだった。東京は呪いが多い。
飛行機を降りるとお出迎えみたいに空港にはうようよと小さな呪霊がいるが、目をそらしながら予定の駅を目指す。
電車を降り、改札を抜けて、人の波をかき分けながら研修先のビルに向かって歩いていると、ふっと耳に入ってきた声に気を取られた。
振り返るとそこにいたのは、背の高い、ストライプスーツでビシッときめた東京のできるサラリーマンって感じの男性。目があってしまって、そのまま逸らせばいいのになぜか会釈をしてしまい、またそれが気恥ずかしくなって足早に立ち去った。
声は確かに似ていたけどそんなわけない。あの人も呪術師だし、そもそも今、灰原と一緒に海外にいるはずだから。
灰原、今どこにいるのかな。
信じてるから。全部ぜんぶ、信じてるよ。

2020-10-04
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