※「部屋と光」を先に読むのがおすすめです。



「なまえさん、五条先生が仲間になりたそうにこっち見てるんだけど」
「虎杖くんはその世代だっけ?」
「直接は違うんだけど、友達の家でゲームさせてもらった」
駐車場そばにある外廊下の柱の影からこちらを見てくる五条に、釘崎と伏黒が車の窓を開けて任務に行けと叫ぶ。
「前になまえさんの家に行った時、自分もあんまり入れてもらってないから特別って言われたけど、本当に行ってもいいの?」
「いやそんなことはない。五条先生は年間10回以上来てる」

助手席の釘崎は窓を閉めてみょうじに視線を向けた。
「引き続きあの人と付き合ってませんよね?しょっちゅうなまえさんはカノジョって言ってくるんですけど。この座席も限界まで引いてありますけど」
「そこは五条先生がよく乗るけど、付き合ってはないよ」
「やっぱりかよ……」
釘崎のあきれ返った声を聞きながら、虎杖もやっぱ嘘かと心の中でうなだれた。2人の関係が上手くいったのかと期待していたから。
車は高専から一般道へ出る坂道を下る。中腹まで来た頃、バックミラーに黒いものが映った。虎杖が振り返って見るとそれは片手を大きく振って車を追いかけてくる五条だった。
「全席個室!鹿児島の極上黒毛和牛コースのことは忘れても!!僕のことは忘れないで!!」
「行き先を今バラすの酷くない!?」
「逆だろうが!!」
「任務行ってください!!」
1年生達が窓を開けて怒鳴る。
「センパーイ!!僕のこと忘れないで!!」
「分かった分かった」
「なまえさん、甘やかさないでください」
「はい……」
みょうじはアクセルを踏む。五条は豆粒より小さくなってカーブで完全に消えた。本気なら難なく追いつける距離だから、またそういう振りの煽りなのだと1年生はため息をついた。焼肉屋に行けなかったから怒っているのではない。謝り方が問題なのだ。

▲ ▲

待ち合わせ時刻17時を9分遅刻して、1年生達との集合場所に到着した五条は「ゴメン!任務入っちゃった!!ご褒美は後日!ゴメンゴメン!」と顔の横に広げた両手をひらひらと動かしながら言った。
今日は京都との交流会で勝利を収めた1年に、五条がご褒美として秘密の高級店に連れて行く約束の日だった。その謝罪は虎杖と釘崎を怒らせ伏黒をあきれさせたが、呪術師という職業柄、急な任務は仕方ないことである。食堂で麦茶を片手に3人が管を巻いていると通りかかったみょうじが会話に混ざり、話題が転がりに転がって、虎杖がみょうじの家に行った話になった。
「虎杖だけ?いいわね」
釘崎が他意なくこぼした言葉にみょうじは頷いた。
「よかったら今から行く?特になにもない家だけど。今日は早く上がれるし」
「マジ!?」
「いいの!?」
「それ本気ですか?」
さらに転がって行くのを止めたのは伏黒だった。
「伏黒くんは確か中学に入る前に遊びに来たきりでしょう。あれからちょっとはマシになったけど」
「……そうですか」
「え!?行ってないの私だけ!?なら絶対行きたい」
「2人は?分かった。2部屋に布団も人数分あるから大丈夫だよ。学長に許可とるか……。え?いやそりゃみんなの担任だから五条先生でもいいんだけどさ。1番上は学長だから学長がいいって言えばいいんだよ。だって五条先生に許可取りしたら絶対もめるでしょ。伏黒くんも五条先生に許可取りしたくないときは学長でいいよ」とみょうじはあっというまに学長に3人分の外泊許可を取って、3人を車に乗せた。

▲ ▲

部屋の中は虎杖が来た時とほとんど変わっていなかった。違う所といえば玄関に何も入っていない一輪挿しがあるくらいだ。
「部屋いつもこんな綺麗なんですか?あ、このクッションの柄、素敵」
「物を片付けてるだけで掃除は細かい所までやってないよ。埃っぽかったらごめんね。掃除機と掃除シートはそのテレビの裏。泊まる部屋は奥の客間かリビングのベッド。どっちがいい?」
「俺らが客間行くよ」
「俺もそれでいい」
「よっしゃ。いい男ねアンタ達。このベッド、外フワフワ、中しっかりで話題になったヤツですよね!?」
「なんだその食レポみたいなベッド」
「伏黒も後で寝かせてもらいなさいよ。ヤバいわよ」
「男子が使うソファベッドも良いやつだよ」
「気にしてませんよ。それより客用も買い替えたんですね」
「伏黒くんが来たときから5年くらい経ってるからね。虎杖くん、前に教えた使っていいもの箱を2人に教えてあげて。コンビニはマンション出て右ね。私はお風呂を洗ってくる」
「私、手伝えることあります?」
「いや、何かあったらお願いするよ。野薔薇ちゃんは虎杖くんが教えてくれた箱の下も見て。泊まる人同士の共有物だから」

みょうじはバスルームに向かい、残された3人は部屋をぐるりと見回す。
「てっきりタワマンに住んでると思ってたわ」
高専から車で20分ほど先にある低層マンション。外観は築浅を感じさせ、部屋の中も綺麗だったが釘崎の想像とは大きく違っていた。それでも彼女の目が輝き続けているのは、室内が彼女が好きな都会的な家具や小物で整えられていたからだ。
「……でもこれじゃまるで、モデルハウスね」
突然の訪問だったのに部屋は乱れていない。室内干しの洗濯物や拭くのを忘れて放置された食器、飲み終わったペットボトルなんていう1人暮らしの部屋によくあるものはなかった。ただひとつあった隙といえば食器カゴにマグカップが1つ残っていたが、それがまたモデルハウスの雰囲気を醸し出す。
「あ、それ俺も思った。前に来た時も突然だったのに綺麗でさ。伏黒はもっと前に来たことあるんだろ?どうだった?」
「その頃はこんな小物とか揃ってなかったな。冷蔵庫とベッドぐらいしか家具はなかった。……綺麗にしてるのは、呪術師は任務で突然死ぬから誰かが必要にかられて部屋に入った時に困らせないためだと聞いたことがある」
「職業病かよ」
「職業病っていうくくりでいいのそれ?……あ」
虎杖が食器棚を見て声をあげる。
「これ、五条先生も使ってた」
指をさされた先のマグカップは、五条が良く事務室で使っているマグカップだった。3人とも何度か見たことがある。
「そのマグ……このクッションカバーと同じブランドよ……本当に付き合ってないのかしら」
「なまえさんはこういうもん選ぶの得意じゃないから、五条先生が選んだのかもな」
「「……ナルホド」」

奥の客間は虎杖が来た時と少し変わっていた。五条が買ってきた郡れのなかに、大きなサメのぬいぐるみがもうひとつ追加されていた。さっきまでの空間と違って雑多な物の積み方に驚いている釘崎と伏黒に、すべて五条が持ち込んで置き去りにしたものだと虎杖が説明すると、ふたりとも怪訝そうな顔つきで、アメリカではこれを着てレースが行われているというほどメジャーな、ティラノサウルスのビニール製着ぐるみを引っ張り出して虎杖に着せた。虎杖は空気の入ったティラノサウルスの頭部を振り回しながら、クローゼット横に移動した。
「これが勝手に使っていいもの箱」
着ぐるみを着た虎杖の手が空をかいているので、伏黒が指示されたクローゼットの隣にある3段のチェストの上段を引っ張り出す。中には各種メーカーのスマートフォン充電ケーブル、カミソリ、綿棒、使い捨てのヘアブラシや歯ブラシ、タオル、入浴剤、様々なお茶のティーバッグやインスタントスープなどがぎっしり入っていた。
「ホテルのアメニティか……?」
「このインスタント味噌汁うまかったよ」
「じゃ、私はその下ね……」
釘崎は中段を引っ張り出す。入っていたのは基礎化粧品とコスメだった。ディオール、資生堂、イブ・サンローランの高級ラインが揃い、使い捨てのチップやパフ、コットンまで入っていた。
「段ごと持って帰りたいわね……」
「こういうのあるってことは、女の人もよく遊びに来るんだよな?中身結構減ってるし」
虎杖はいまいち何に使うか分からない瓶を持ち上げて軽く振る。どれも中途半端に減っていて、使用感がある。
「本人の物だったらこんな所に置かないだろうしな」
「コスメもブルベとイエベでバラバラだし、最低2人は来てるわね」
「虎杖、最後の段は?」
「着替え無かったら使っていいよって言われたけど、前に来た時は持ってきたから開けなかった」
今回も着替えは持ち込んでいるが、興味から虎杖が下段を引っ張り出すと、グレーの布が一面隙間なく詰まっていた。取り出して見るとビッグサイズのスウェット、Tシャツ、ハーフパンツ、そしてパッキングされた新品の下着。釘崎はスウェットのタグを見る。
「……ねえ、このブランドのタグ読める?」
「読め……ない」
「読めねぇ」
「つまり絶対これ全部……」
「やっべ……着なくて良かった……」
「……スウェット、上下で税込み10万くらいする」
伏黒がスマートフォンの画面を2人に見せる。五条の25万のシャツにコーヒーをこぼした記憶が蘇った。
「安。あと桁ひとつ変わると思ったわ」
「落ち着け。高ぇよ。スウェットだぞ」
3人で丁寧にたたみ直し、出す前より綺麗に入れ直した。

「これは物証でしょ」
釘崎が最後まで引き出しを押し込み、チェスト内壁と引き出しの間の空気が抜ける音がやけに大きく響いた。
「付き合って“は”いないってことじゃねえの?」
「それ思った」
虎杖と釘崎のハイタッチの音が響く。
「いやそれはない。家の事情でなまえさんは結婚できないはずだ。だからそういうの自体を避けてる」
「でも何もないってことはないよな。前に東堂が2人のこと知ってたから聞いたんだけど、そういうのは本人達から聞くのがマナーって教えてくれなくてさ。つまりはなんかはあるってことだろ?」
「あの人そういう心遣いができんなら、もっと気をつけるべき所があるでしょ……それよりなんであのヤバいヤツとそんな和やかな会話してんのよ」
「おかしくなってた時のノリで……でもナナミンも先輩と後輩って言ってたしなぁ」
「ちょくちょく話に出るけど、ナナミンって実在するの?呪術師でそんなまともな人いるわけないじゃない。アナタの想像上の人物ではないでしょうか?」
「それ1番こぇーやつじゃん!!マジだって!!」
ティラノサウルスの頭を震わせて虎杖が反論すると、伏黒がインスタント味噌汁を選ぶ手を止めて呟いた。
「珍しいことは変わんねぇけど、まともな呪術師である七海さんは実在する。……それよりそんな本気で2人のこと気になってたのか」
「まぁーね」
「私が興味あるの、なまえさんの方だけど」
伏黒はため息をついて口を開き、何か言おうとして――結局、口をまた閉じてきまりが悪そうに後頭部を掻く。
「……ここまで聞いても先輩後輩くらいしか出てこねぇんだから……そういう仲で……こういう関係があってもいいだろ」
2人から視線を反らし、また箱の中身を物色しながら伏黒は言った。
「…………ま。……そうね」
「だな。……ところでさ、あそこに転がってるの、ジェンガじゃん」
自分のことは普段と同じ温度で隠す伏黒が、歯切れ悪く話題を切り上げようとした姿を見て、伏黒は答えを知っていると2人は感じ取った。伏黒は元々隠し事は下手だが、ここまで分かりやすいのにはそれなりに理由があると思ったし、そこまでして隠そうとするものをこれ以上好奇心で探るのは無遠慮だと会話から自然と身を引いた。虎杖は彼の善性の元に、釘崎は自他ともに思慮が浅いのは嫌いだという彼女の気質の元に。

ジェンガを箱から取り出しながら、虎杖は思う。
伊地知のタブレットに表示された五条のスケジュールを偶然見てしまったことがある。おびただしい任務の数が入っていた。
「日本国内での怪死者・行方不明者は年平均1万人を超える」
仙台の高校で伏黒と出会った時に聞いた言葉が頭を過ぎった。呪術師になってもその数に実感は無かったが、この五条の任務の数を見て少しそれが近くなった。だからあまり五条の予定キャンセルを責めきれないでいる。
そしてみょうじの部屋に泊めてもらった時、虎杖を起こさないように小声でみょうじと話す五条の声は、虎杖が初めて聞いた声だった。落ちついていて、作られた快活さも抑揚もない、自然で、楽しそうな声色だった。先生、あんな風に話すんだなぁと虎杖の眠気は飛んだ。
複雑な環境に生まれた虎杖にとって、大人が声をひそめる話はほとんど良いことではなかったが、ひとつだけ違った。祖父だ。いつも自分を叱り飛ばす人だった。ただどんな子供にも少なからずある、学校で嫌な目にあって虎杖が気落ちしている時、祖父は叱るなり発破をかけるなりして怒鳴った後、そっと声をひそめ慰めてくれた。それが祖父の、親しい人にしか見せない素だった。だから、五条にとってみょうじは大切な相手なのだと理解した。好きな教師であり、そして多忙な五条が、大切なみょうじとくっつけばいいと虎杖は密かに応援している。

ジェンガを始めようとしたとき、みょうじが戻ってきた。
「夕飯は出前の寿司か、うちにある素材で天ぷらそうめん、またはたまごサンドのどれがいい?」
「寿司も天ぷらも食べたい」
「私も」
「俺もです」
「胃が強い……若い」

▼ ▼

夕食を済ませ、虎杖とみょうじのおすすめの映画を1本ずつ見て、男女別れてベッドに入る。
「そろそろ寝るか。明日みんな予定ないよね。9時起床でよろしく」
みょうじの呼びかけに、同じベッドで寝ている釘崎はスマートフォンのアラームを設定しようと壁の棚に手をのばす。そしてスマートフォン横の置き時計下に、白い髪の毛がわざとらしく2本挟まっているのを見つけた。
『また物証が発見されたわね』
つまんでトイレに流すこともできたが、伏黒の表情が頭を過る。
「ここって他に誰が泊まりに来てるんですか?」
「よく来るのは五条先生、それから家入さんに、交流会に来てた庵先生、あとたまにフリーの術師の冥冥さんが来るよ。もしかして共用コスメ?」
「そうです。あれ、硝子さん達のですか?」
「うん、ディオールと資生堂は家入さんと庵先生が共用してる。イブ・サンローランは冥さんの忘れ物だね。欲しかったら持って帰っていいよ。冥さんが使わないなら捨ててって寄付してくれたのだから」
「はぁ?!もらいます!」
「どうぞどうぞ。あ、五条先生から連絡来てる」
許可を取って、釘崎もみょうじのスマートフォンをのぞく。メッセージアプリには「7」と通知バッジが出ていた。ドン引きまではしないけど、何も感じないわけじゃない程度の数だなと釘崎は思った。
呪霊が何に似ていた、任務先の大阪の感想など、とりとめのない内容が続く中、最後は『今先輩の家の前にいるの』で終わっていた。メッセージ送信時間はちょうど、今。
釘崎とみょうじの視線が玄関ドアに行った途端、陽気なドアホンの音が響く。
みょうじがドアを開けると、少し無言が続いた。釘崎がいるベッドの位置からはドアの方は見えない。

「先輩、こんばんは」
「こんばんは、ドタキャン五条くん」
「……ねえ、知ってる?先輩の好きなフリスクにボトルタイプあるの」
「知ってたよ」
「そうなんだ……これ買っといた……いっぱいあったら嬉しいかなって3つも」
「え。ありがとう。嬉しい……近所のお店から消えちゃって悲しかったんだよね……」
「おい!イチャイチャすんな!!」
釘崎がツッコむ。
「釘崎!!元気!?ゴメンゴメン!!今度また連れて行くから!!で、このフリスクなんだけど、口寂しくなったから帰る途中で開けちゃった」
「五条は行きの空港でお土産買って飛行機であけるタイプだから……驚かないよ」
「あとみんなにこれね」
ビニールの大きな音がして、それから釘崎には聞こえないほど声が小さくなった。しばらくして「じゃあみんな!はいはい!早く寝なよ!!なまえさんの部屋だからって浮かれてちゃダメだからね!」と五条は修学旅行の見回り教師のような捨て台詞を残し、ドアは閉まった。
みょうじが戻ってきて、その顔が見えた。笑ってるような、困ってるような、優しげな顔。
仲、本当にいいんだな。釘崎は実感する。自分に向けられたことのない表情だった。
『まあ、伏黒の反応からしても、この手の会話は今日で最後にするのがいいわね』

「五条先生、551の肉まん買ってきてくれた」
「それはグッジョブ」


釘崎は田舎が嫌いで都会が好きだ。
ただ彼女の思う都会的というのは2つ意味があって、片方はそのままの意味であり、もう片方は彼女だけの感覚だ。人も物もずうずうしくなく、彼女について知った顔をせず、彼女と適度な距離があるもの。だから彼女は、年頃の他人の娘に勝手に腹巻きを編んで贈るような田舎を飛び出した。
そして彼女は、いまいち五条を計りかねている。同級生と自分をまとめて扱うときには距離感を無視して振り回すのに、1対1のときは野薔薇が嫌うラインの2歩手前を歩くような距離を取って話す。もちろん、無遠慮に踏み込んでくる時もあるが。
そして好きか嫌いか結論を出すほど彼のことを知らない。釘崎は入学が遅れ、五条は不在がちなことが多い。
逆にみょうじについては早々に結論を出した。気兼ねなく話せて優しく、無理に距離を詰めない。釘崎から追いかけたくなる人だった。だから真希と一緒に外出に誘って接点を多く作っている。
だから釘崎が、五条がとりわけみょうじと仲良くしてる姿を見て、どういう関係かと聞くのに時間はかからなかった。連れ出した先のカフェで、みょうじは先輩と後輩だと答えた。
「五条先生の学生への態度はね、空回りと作ってるのと素が3対5対2くらいなんだよね。野薔薇ちゃんも、真希ちゃん相手と嫌いな相手じゃ態度違うだろ?それと同じでさ、五条先生の野薔薇ちゃんへの態度は学生向けなんだ。大事な学生向け。大事にするならおちょくるなと思うでしょ?そこが素2のせいだね。五条先生、みんなが元気でやれるように色々してるんだよ。でもやってることが多過ぎて全部言ってたら恩着せがましくなるし、そもそも恩きせるためにやってないから、マイナスの印象ばっかり蓄積されて……そこが絶妙に周囲と上手く行ってない原因のひとつなんだけど……。ホント、悪い人じゃないんだ」
「ならたまにはちゃんと言えっての。悪い人とは思ってないんですよね。教師としては楽。でもまだ接点が少ないんで」
「確かに。好きになれとは言わないけど、嫌わないでやってほしいな。困ったら絶対、助けてくれるから」
付き合っているかと聞いたのに、返ってきたのは最終的に自分と担任の関係を心配する言葉だった。
どういう関係なんですか、という声がキツすぎた。下手を打ったなと思ったが、彼女はそれ以降も答えは得られていない。
みょうじとくっつきたいなら、勝手に「彼女」と嘘の関係を吹聴せず、自分とみょうじの会話中に間に割り込んできたりせず、みょうじの仕事中に邪魔して構ってアピールなんてせずに、自分が好きなみょうじの横に立つ人として、まともでいて欲しいと思う。しかしみょうじがそんな五条を信頼して大切にしてることが釘崎にも分かるから――まるで親友の恋愛結婚相手が、自分が贔屓にしてる球団のライバルの熱烈ファンだったような気分だ。

野薔薇ちゃんおやすみ、とみょうじはあくびを押さえながら言う。
「ねえなまえさん」
「ん?」
「もし誰かと付き合うなら、五条先生よりいい人と付き合ってね」
「なかなかそれは難しいね。じゃあ、野薔薇ちゃんに付き合ってもらおうかな」
「任せなさいよ」

▼ ▼

伏黒はスマートフォンを枕元に投げた。
『なまえが最近、恵と話せてないって寂しがってたよ』
玄関が騒がしくなる直前に来たメッセージだ。
「五条先生なんて?」
「……土産あるらしい」
「出張先大阪だよな。なにかな」
虎杖は嬉しそうに笑うと伏黒に背を向けて布団を被った。

伏黒も同じように背を向けて眠ろうとするが気分が落ち着かない。久しぶりに来た客間、いつも隣の布団で寝ていたのは津美紀だった。否応なくそれを思い出させられて感傷が脳から睡魔を追い出す。
小学生の頃、突然自分の生活にやってきた五条とみょうじ。
子供ながらにコイツは危険だと感じた五条と、五条と自分の間の中継と津美紀のために来たのだろうと思っていたみょうじ。
だが、付き合いが長くなるにつれてなんとなく違うことが分かった。みょうじがサポートしているのは伏黒姉弟ではなく五条だった。
最初の頃は、誰かを真似したような友好的な素振りで五条が語る過酷なできごとについて、自分を怯えさせないように、慰め役としてみょうじがいるのだと恵は思っていた。しかし彼女は五条の言い方、態度、やり方を叱ることはあったが、五条がやろうとすることの根っこを止めたことがない。幼い頃から人一倍勘が鋭かった恵は早々に気がついたが、五条もみょうじも悪い人間ではないし、津美紀の安全を守る引き換えなら、危険でも五条のやりたいことに乗る覚悟はあった。それが「腐った呪術師界のリセット」という真っ当なことであったと伏黒が知ったのは、中学に上がってからだったが。

伏黒姉弟は中学に上がる前まではよくみょうじの元に遊びに来ていた。生活が未来を担保にした借金で成り立っていると知る恵と、それを知らずに五条が親切で金を工面してくれていると思っている津美紀はとても旅行になんて行きたい気持ちにならず、そんな中で人の家というのはテーマパークに近かった。
五条のサポートに徹するが、みょうじは伏黒姉弟を大切にしてくれた。だから虎杖と釘崎がしきりに気にしていた質問を最初にしたのは恵である。
「あの人と結婚とかすんの」と。津美紀がしきりにそれを気にしていて、恵は五条はやめておけと子供心に思ったからだ。
その時すでに術式についてなんとなく理解をしていた恵に、みょうじは包み隠さず結婚しない理由を教えた。その話し方が、普段呪術の基礎知識を教えてくれる喋り方と全く同じだったことをよく覚えている。

恵の心境に変化があって津美紀と距離ができたと同時に、みょうじとも疎遠になって、津美紀が意識不明になってからは距離はまた近くなったが、小学生の頃のようには戻れなかった。
津美紀が意識不明になってから、恵は彼女への思いが変わった。そばでその寝顔を眺めていると、ふと五条を見るみょうじを思い出すのだ。
誰よりも、自分よりも、大切になってほしい他人に一生は寄り添えない立場。自分と津美紀の関係を、みょうじと五条に重ねてしまう。
「横は歩けないけど、前や後は歩けるからいいんだよ」
みょうじが結婚について語った時の言葉をずっと覚えている。恵もまた、津美紀にとって自分はそれでいいと思う。そのせいで2人の関係を聞かれても、主観的に語れない、茶化せない。なんとなくの気恥ずかしさと、会話に混ざる罪悪感。

「なあ伏黒」
眠っていたと思った虎杖が呼びかけてくる。
「先生となまえさん、なんかいい形でさ上手くいくといいな」
「……そうだな」
伏黒はその言葉に心の底から同意しつつも、拭えない境界を感じながらまた目を閉じた。

2021-08-28 リクエスト作品
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