「虎杖くんはこういう映画すき?」
「結構いいね。フランス映画はあんまし見る気なかったけど」
「フランス映画は初めて?」
「1本みた。タイトルなんだったっけ……」
「殺し屋が雑誌と雑誌の間に挟んでレジに持っていきそうなやつ?あれフランスとアメリカの合作だけど」
「それ!!あのさ、なんでフランス映画ってあんま好かれてないの?理由はなんとなくわかんだけど、うまく言えないんだよね」
「うーん……1番わかりやすいのは傾向の違いかな。虎杖くんが好きなハリウッド映画はエンタメ寄り、フランス映画はアート寄りな側面が強いのね。だから激しいアクション、スリル、爽快感はあまり描かない。勿論、フランス映画にもエンタメ寄りはあるけど、日本で発売されるのはアート寄りが多いかな」
「なるほど……」
「哲学の国でもあるから、人の心の動きを細かく描いてて、強く情動を誘うものもある。それこそハマれば虎杖くん、呪骸にボッコボコにされるんじゃないかな」
「ボッコボコにされたくは無いけどもっと見たいな。なまえさんのおすすめある?」
「あるある。今度持ってくるね。嬉しいなあ、フランス映画も見てくれる人がいるなんて……嬉しいからこのタンドリーチキンをあげよう」
「やった。このカレー美味いね。伊地知さんが持って来てくれるのも美味いし。出前?」
「これはさっき任務帰りに買ってきた。……本当に嬉しい……一緒に映画見てた人はアクションじゃないと即飽きて横からプロレス技かけてきたから……うわっ」
「うぉ!……相手、同級生?」
「いや、今私達の間に無理やり入ってきた人ですね」
そういうと2人がけのソファに無理やり体をねじ込んできた五条は声をあげて笑った。
飛び抜けて長い足をソファとテーブルの間に窮屈そうにねじ込み、腰の半分はみょうじの太ももに乗り上げ、虎杖の頭の後ろの背もたれに肘をつく。生徒にのみ配慮した座り方をしながらテーブルに乗っていたナンを取ると、みょうじのカレーを横取りした。

「なまえ先輩のインテリ映画うんちくは長いね」
「そう?俺は好きだよ」
「この人、映画を分かってるみたいな言い方するけど、ジェイソン・ステイサムでてれば何でも星5つけるガバガバ判定だからね」
「開始20分以内に銃撃戦かカーチェイスかステゴロ起きないと、ディスク取り出そうとする人よりは映画を愛してるよ」

みょうじは五条の下から抜け出すと、机上に散らばる色とりどりのDVDやBDケースをかき集め綺麗に揃えた。
ここにあるのは元々買い置かれたものや、五条がレンタルビデオ店から借りてきたもの、そしてみょうじが持ってきた私物が混在している。
虎杖を匿うこの地下室は周囲を人払いしつつも、五条のほか虎杖をサポートする伊地知や家入などの出入りを見られてもいいように周囲に「五条の私室」と判断させなければならなかった。
しかし五条の私室はすでにあり、地下室はこれまで使われていなかった。突然の利用に加え、そしてこの3人だと何か企んでいるのではないかと目をつけられる可能性が高い。
そのため五条はみょうじに地下室への頻繁な訪問を依頼した。
2人と親しくないものほど、2人関係を勘違いしている。だから地下へ2人が頻繁に出入りすることで個人の私室ではなく、「2人の部屋」と勘違いさせることができるのだ。なのでレンタルビデオ店の袋やテイクアウトの食事をぶら下げて頻繁に中に入って行っても、家入や伊地知が訪問しても、違和感なく周囲に馴染んでいった。

「虎杖くん、これみた?」
みょうじが大人気映画のパッケージを虎杖に見せると、虎杖は大きくうなずいた。
「見た。やっぱ人気あるだけ面白いよ」
「今ちょうど新作が映画館で公開になったんだよね」
「マジ!?見たい!!」
「一緒行く?交流会終わった後もやってると思うし」
「行く!」
そう答えた途端、2人の間に五条の手が割り込む。
「待て待て僕を通してからー。未成年と関係もっちゃだめでしょ」
「言い方……」
「まあ、2人はダメだけど、僕も先輩も明日午前中まで休みなんだよね。悠仁、先輩の家行きたくない?」
「なまえさんの家ってどこ?」
「ここから車で20分くらいかな」
「どう?息抜きに。缶詰はストレス溜まるでしょ」
「でもさ、なまえさんの家に行ってもいいの」
「いいよ。五条先生とかめちゃくちゃ遊びに来てるから。でもこういう場合、五条先生の家に行くべきでは?」
「僕の家は何かとね。それに先輩の家は僕の家、僕の家は先輩の家みたいなもんじゃん」
「五条の家は五条の家で、私の家は私の家だよ。五条先生、口の所カレーついてる」
「つけてんだよ」
「ええっ……」
みょうじは無言でペーパーナプキンで五条の口元を拭ってやると、車を取りに地下室を出ていった。
「先生達仲いいね」
「でしょ」
「どういう関係?」
「んー、恋人以上自分未満?」
「なにそれ」
「僕もよくわからないんだよね」

▼ ▼


みょうじのマンションはどこにでもある一般的なものだ。高専寮を出て部屋探しをした時、都心へでもアクセスしやすいように決めた立地だった。
あの頃は、高専にこんなにも頻繁に出入りするようになるとは考えてもいなかったので、そうなると分かっていたら、もう少し高専に近い所にしたかなぁと、車で家と高専を行き来しながら時々考える。
部屋もまた、どこにでもあるような1LDKだ。
部屋への希望は修理予定の呪具を保管するための、それなりに広さのあるウォークインクローゼットと、昼夜を問わずぐっすり眠れるしっかりした防音機能がある部屋を希望して賃貸業者に頼むと、1Kと1LDKの間取りを紹介された。個室がある方が誰か泊まりに来た時便利だなと感じて、後者を選んだ。その時真っ先に頭に浮かんだ、今風呂に入っている後輩はこの部屋を未だ使わず、リビングのベッドに泊まっているが。

「虎杖くんはこっちの個室のソファベッド使って」
リビングダイニングには2人掛けのダイニングテーブルにテレビ。テレビに向かい合うようにローテーブルと座椅子が置かれ、後ろには大きなベッドがある。個室は客用で、ベッドソファ、ハンガーラックが置かれており、全体的にシンプルで綺麗に掃除されている。
「床でいいよ」
「お客様はベッドに行くのが家のルールなので。DVDはそこね。最近は配信サービスで見てるから、あんまり新しいのは無いけど選りすぐりなので、面白そうなのがあったら持って帰っていいよ」
「すご……めっちゃあるじゃん。……ねえなまえさん、アレなに?」

虎杖が指差した部屋の隅には、片付けられた室内と真逆の群れがあった。
ジューサー、アイスクリームメーカー、大きなサメのぬいぐるみ、様々なボードゲームの箱、ツイスター、電動かき氷機、ハンモック、たこ焼き器、光るそうめん流し器、ティラノサウルスのきぐるみ、ハンガーにかけられているクリスマス用のおかしなセーターが2着。他にも色々なものが積み上がっている。
虎杖は群れに寄ると、一番手前にあった綺麗に折りたたまれた黒い布をひっぱりだす。雑然としているが汚れてはいない。綺麗に掃除されていて、ホコリひとつ積もっていなかった。
「なにこれ」
「走れる寝袋」
「……使ってもいい?」
「いいよ」
「なまえさん、こういうの集めんの好きなの?」
「全部五条先生が買ってきたものなんだよ。遊ぼうとか、使おうとか。持って帰らないからココにおいてるんだ。さっきお茶出した時のコップ、虎杖くん褒めてくれたでしょ。あれもね、五条先生が選んだんだよ。センスはあるのにこういうのわざと買ってくるんだ」
「先生、変なもん買うの好きなんだね」
「どうかな〜。思いつきで買って、自宅に置くのは面倒で持ってきてる感じがする。でも昔は借りパクマンだったのに、今は置いていくんだから大人になったのかな」
「……なまえさんと五条先生ってどういう関係?」
こぼれて来る2人の昔話と、いまの2人のやり取りを見ていると、虎杖は簡単にその状況を思い浮かべることができた。恋愛ごとに興味はなかったが、親しい2人の仲睦まじい話を聞くのは単純に気分がよかったのだ。
「んん?先輩と後輩だけど、強いて言うなら、五条は……夢かな」
「夢?」
「うん。私の、夢」
みょうじがそう答えたとき、脱衣所のドアが開いて風呂上がりの五条が、サングラスにスウェットで部屋に入ってきた。あまり見慣れない姿に虎杖は目を丸くし「サングラスかっけー」と褒めた。
「でしょ?で、なに僕の話?」
「高専生の頃の五条くんの話をね。じゃ虎杖くん、次のお風呂どうぞ。脱いだのは洗濯機に入れちゃって、朝までに乾かすから。タオルは戸棚にあるの使ってね」

虎杖は着替えを持つと脱衣所に入る。脱衣所にあった洗面台には、コップに入った歯ブラシのセットが2つ置かれていた。歯磨き粉も好みがあるのか、それぞれ別のものがコップの側に置かれている。
恋人以上自分未満と、夢。虎杖はその表現を上手く理解できなかったが、疑問は大きなバスタブに浸かると消えてしまった。静かなバスルームの中で目を閉じると、隣の部屋から聞こえてくる五条の声は少し高くてはしゃいでいた。先生ってあんなふうに騒ぐんだなと、いつもの余裕でゆったりとした声とは違った様子に虎杖は少し笑って、悠仁も流しそうめんしたいよと言う五条の言葉に自分の腹具合を確認した。

▼ ▼

「このドア閉めておいた方がいい?」
去年の夏ぶりに開封された光る流しそうめん機でそうめんを食べ、走れる寝袋にひとしきり笑ったあと虎杖は個室に入り、ドアに手をかけ尋ねた。じゃんけんで負けて床に寝ることになったみょうじは大きく瞬きをすると「好みでいいよ」と微笑んだ。
「僕達今日はべつにエッチなことしないから、開けてていいよ。多分そこ暑いから」
「いつもはしてるみたいな誤解をあたえるんじゃない。そうだね、確かに閉め切ったら暑いかも」
「りょーかい。俺、そっち見えない位置で寝るから」
「ありがとう、悠仁」
「マジになにもないから、いい感じに寝て」
おやすみ、とお互いの声が響いて部屋の電気が落ちた。虎杖は一度目をつぶったが、
スマートフォンの充電をするために起き上がり、壁のコンセントに近づくと、ひそひそ話が聞こえた。何を話しているかはわからないが、それがやけに落ち着く。家という空間に誰かがいるのは随分と久しぶりだった。
上京し、寮には壁1枚隔てて伏黒がいたが、あまり仲良くなれずに離れてしまった。釘崎もだ。2人のことを考えながら目を閉じると、いつもより早く眠りに落ちることができた。


「虎杖くんのガス抜きになったかなぁ」
いつもなら無理やり同じベッドに収まってくる五条だが、今日は無言でみょうじにじゃんけんを頼んだ。負けたみょうじは床に引いたベッドパッドの上でぼんやりと五条に投げかけた。
「なったと思うよ。稽古も4時間つけてくれたんだって?」
昼過ぎに虎杖の夕飯を買って、高専に帰って来ると、稽古をつけて欲しいと虎杖に頼まれた。
自身と近いフィジカルを持ち、さらに体力があり余り、学ぶ気もある男子高校生の吸収力は凄まじく、教えたことを120%で返してくれる飲み込みの早さに、どちらも時間を忘れていた。
「楽しくて。最近は食事持って行く時とかに少ししか話せてなかったけど、言わないだけでストレス溜まってるよね」
「家族の死、上京、非日常がいきなり来て、軟禁生活だからね。けど手合わせしてもらった通りの実力だし、そろそろまた実践に出そうと思ってる。預ける先も決まったし」
「七海くんだろ」
「アタリ、よくわかったね」
「七海くんしか逆にいないからね……冥さんは今忙しそうだし」
「そうそう。生徒のレベルが上がったと同時に呪霊のレベルも上がってきてる。冥さんは稼ぎ時で楽しそうだったよ。しかし育つ前に摘まれたらたまんないからね。七海ならしっかりサポートしてくれそうだし、口も堅い。あー、僕も疲れちゃったなあ」
筋肉質な五条の腕がベッドから降りてきて、みょうじの髪の毛を撫で、くるくると指に髪を巻きつけて遊んだ。
「この位置取りいいね。先輩のこと好きにイジれる」
「明日、また遠方だっけ」
「そ、日帰りだけどね」
「朝食は私が作るから、五条はギリまで寝てていいよ。虎杖くんは私が連れていくし」
「なまえ先輩」
「なに?」
「僕もストレス溜まってる」
「あらら」
五条はみょうじの手を掴むと、自分の頭まで持っていった。みょうじが撫でると風呂あがりで柔らかくなっている髪の毛は、さらさらと音がしそうだった。
「僕はいい先生だから、今日はこれで我慢するよ」
みょうじはひとしきり五条の頭をなでると、頬を撫でて手をベッドに残した。五条はその手を握って、爪を撫でた。

▼ ▼

みょうじなまえの卒業後の任務実績はトップクラスだった。
その代わり部屋は空っぽになった。高専卒業時に私物で後輩が欲しがったものはそれぞれに分配、漫画やDVDは談話室に寄付してしまった。
新居で買いなおそうと思っていたが、学生の頃は体を治す間だったり、1人の夜をやり過ごすために必要だったものが、仕事に置き換わって必要なくなったのだ。
五条はそんな空っぽの部屋を見て、なんとも言えない気持ちになった。本当に不要なのか、いつ居なくなってもいいように部屋を空にしてるのか。本人の口から語られたことはないが、五条は後者だと確信している。
みょうじの表向きは家の望み通り、家名をまた呪術師界に残すことに邁進しているが、天内の件で五条は知っている。彼女は家と自分が定めた1本道を、まるでまっすぐ歩いているかの様に外れる。

だからみょうじが抜きん出た才能を持った2人の影を出て、その実力が再評価され、過去が注目された結果、上層部から「またみょうじなまえは呪術師として間違いを犯す可能性はないか」と夜蛾学長が尋ねられたとき、夜蛾は可能性は無いですが、高専付きにしておくのがいいでしょうと進言した。その発言の大元は五条である。
みょうじが高専付きの職員のような立場にされたのは、五条による監視のためだった。
五条が夏油の離反後の寂寞とも失意とも似た感情を味わったせいである。信用していないのではない。ただどこまで信用したって足りないのだ。みょうじなまえは自分じゃないから、心の底まではわからない。理解していたと思っていた夏油傑でさえ、ああだったのだ。みょうじが自分であってくれたらいいのにという、五条自身笑ってしまう空想の回数はあの過去が遠くなるに比例して増えた。

天内の件以降、みょうじもまた似たような失意を呪術師界に感じていた。
こんな世界に名前を残すことに意味はあるのか。いや、自分の最後になんの意味は無くても家族の悲願、その1点だけは叶う。
何度も同じ考えを廻り、願いも叶うし、自分の術式の価値や戦力は後輩達の命の盾になる。だから任務に取り組まなければならない。という所に落ち着く。
けれどずっと心は空っぽだ。
だから、五条と約束をした。だから五条の夢に夢みている。上が変わり、まともになった呪術師界で自分の後輩や後進たちが、腐臭の漂わない世界で戦えることを夢見ている。
五条が上に立てば、逝ってしまった人も少しは救われるかもしれない。そのために自分をどんな風に使ってくれても構わない。

そんなことを考えているみょうじに対し、五条は夏油を失ったことで、ことさらみょうじとの関係維持に気を使った。空っぽになった部屋に輸血するように物を持ち込み、外に連れ出し物を買わせて、学生時代の寮室を再現させた。この部屋は学生時代から続く、唯一の形あるものなのだ。
もう戻ってこない、あの全員がいて、笑っていた青い春の唯一の残光。五条悟がすべてのことを一度視界から外して眠れる場所。そんな五条悟を見て、みょうじなまえが道を違えないと何度も反芻する場所。

五条はみょうじの爪に月明かりが反射しているのを眺めて、また今日も眠った。

2020-04-29
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