最近、リーマスはどこへ行くときも手帳を持ち歩いている。
2つの仕事の管理がしやすいようにとプレゼントしたものなのだが、どうも日本語の勉強に使っているようだった。
ときどき「これは日本語でなんて言うの?」と聞いては、手帳にメモしている。
「ええと、食べる前には“イタダキマス”だっけ?」
『うん。これは“目玉焼き”、こっちは“ウィンナー”、これが“トースト”』
リーマスの力になれるのが嬉しくて、レナも『なんでも聞いて』と先生気分を楽しんでいた。
が、相手はリーマス・ルーピン。
だんだんいつものペースになってきた。
「おいしい、はなんて言うの?」
『オイシイ』
「オイシイ……レナはリョウリするとオイシイ?」
『違う違う違う』
「レナはオイシイね?」
『違ーう』
それじゃいじられておいしいみたいじゃないか。
『わざとやってる?』
「なんのことだい?」
『日本語、本当はもっとしゃべれるでしょ』
「そんなことないよ」
嘘だ。
嘘に決まってる。
リーマスの笑顔は信用ならない。
『だって文章になってるじゃん。私、挨拶と単語しか教えてないのに』
「レナの寝言で覚えたんだ」
『私寝言言ってるの!?』
「ははっ、冗談だよ。部屋が違うじゃないか。レナはカワイイね」
『リーマスはかわいくないっ』
ここで子どもっぽく横を向いてしまったのがよくなかった。
味を占めたリーマスは、わざと間違えた日本語を使ってレナをからかうようになっていった。
「それで、正しくはなんて言うの?」
『……“レナの料理はおいしいです”』
といった具合だ。
自慢っぽくて恥ずかしい――というのをわかった上で聞いてるに違いない。
「それじゃレナはからかわれるのが好き、は?」
『好きじゃないってば』
「ん、じゃあ……私はからかわれるのが好き、でいいよ」
『よくないからね?』
なにが「でいいよ」だ。
余計言いにくいじゃないか。
相手が戸惑うのを見て楽しむなんて相変わらず趣味が悪い。
『小学生めっ』
「イイエ、ボクはオトナです」
『知ってますー』
これだから優等生は。
教えてない単語までしっかり聞き取っちゃって。
日本語でつっこんで憂さを晴らすことすらままならないじゃないか。
このままでは遊ばれ放題だと思ったレナは、苦肉の策でリーマスに英会話の本を買ってあげることにした。
それこそ小学生が使うような、自己紹介から始まるような本だ。
するとリーマスはレナにあれこれ聞いてくることはなくなり、代わりに例文をアレンジして聞かせてくるようになった。
「ボクのナマエはリーマス・ジョン・ルーピンです」
『うん』
「ボクはオオカミニンゲンです」
『そうだね』
かわいい。
1人称が“僕”なのが特にいい。
男性の1人称は“僕”だと教えたかつての自分を褒めてあげたい。
そんなこんなでリーマスは正しい文法とかわいい会話をどんどん身につけていった。
肩たたき券やらお月見やら、ほとんど使い道のない単語ばかり書き込んでいた手帳にも、実用的な単語がたくさん並んでいく。
それもそのはずで、リーマスは寝る前の読書代わりに辞書を引くようになっていた。
『ずいぶん熱心だね。休みの日も勉強なんて』
「早く上手になりたいからね。それに、休みの日ならわからないことが出てきてもすぐに聞けるだろう?」
『とか言って、全部1人でできちゃってるじゃん』
「質問してほしかった?」
『うん。ちょっと寂しい』
せっかく頼られるチャンスだったのに。
からかいくらい、いつものことだと割り切りばよかったかもしれない。
そんな気持ちが伝わったのか、リーマスは「久しぶりに教えてもらおうかな」と言って手帳の1ページを破り取り、レナに渡してきた。
「日本語でレポートを書いてみたんだ。丸をつけてみてくれるかい?」
『主語が私なんですけど?』
「レナについてのレポートだからね」
いつの間にこんなもの書いたんだ。
というか合ってるか見てくれと言われても。
“レナは青い鳥です”から始まるレポートは、“僕は彼女をからかうのが好きです”、“レナは僕にいじめられるのがとても好きです”と続いていく。
文法も綴りも合っているが、内容的に丸をつけるのに抵抗があるものばかりだ。
「読みづらい?読み上げようか?」
『ううん、大丈夫』
「レナはボクよりチイサイです」
『読めるって』
「ボクはレナがセカイでイチバンカワイイとオモウます」
『リーマス』
「もしレナがソバにイルなら、ボクはシアワセです」
『もーっ』
いいと言ってるのに、リーマスは1文1文読み上げてはレナに丸をねだった。
これのどこがレポート採点なんだ。
ただリーマスのおもちゃになってるだけじゃないか。
『はい終わりっ』
最後の「あなたも僕が好きですか?」という文章にもしっかり丸をつけ、クスクス笑うリーマスの視線から逃れるために席を立つ。
しかしリーマスがそう簡単に逃がしてくれるはずがなかった。
「もう1問あるよ」
と言っておもむろに紙をひっくり返した。
『……え』
レナは固まった。
中央にたった一言、「結婚して」とだけ書かれている。
「それにも丸つけてくれる?」
頬杖をついたまま、目尻にしわを寄せて、リーマスが聞いてくる。
からかっているようには見えなかった。
どちらかというと、緊張と不安を隠した目をしている。
「ダメかな?」
ダメなわけない。
なのに喉が詰まって声が出ない。
どうしようと思ったところで、レナは丸をつけてと言われたことを思い出した。
もしかしたら、こうなることを見越して文字におこしたのかもしれない。
それか、レナが困らないように“ただのレポート”という逃げ道を作ったか。
いろいろ言いたいことはあるが、今は返事が先だ。
レナは赤ペンを手に取り、紙からはみ出んばかりの大きな花丸をつけた。