マリアがマルフォイ家にやってきたのは雪がチラつく冬の日だった。
その日ルシウスは、いつものように起き、いつものように食卓についていた。
いつも通りの朝食のさなか、アブラクサスがなんの前振りもなしに「とある家が滅びた」と告げた。
5分前に「今日は寒くなるらしい」と言ったときと同じ調子だった。
「そこで、今日から1人使用人を雇う」
「ほろびた家と何か関係があるのですか?」
「1人娘だ。表向きには死んだことになっている」
「そうですか」
アブラクサスは説明を続けたが、ルシウスは興味がなかった。
どこの純血家系か知らないが、両親が死んで滅びるような家系なら所詮その程度ということだ。
なぜ父親が引き取ったのかきになるところではあるが、知った所で何かが変わるわけでもない。
ルシウスの生活には関係ない。
せいぜいしもべ妖精で事足りるのにという感想を持ったくらいだ。
「お前と同じ6歳の女の子だ。仲良くしてやりなさい」
「召使いなのに?」
「お前のではない」
厳しめに言われ、ルシウスは「はい」と返事をした。
それきり、使用人のことは頭から消え去った。
思い出したのは、午後になって父親が当人を連れて来たときだった。
陶器のような肌にガラス玉のような目――。
良くも悪くも人形のようで、それまでまったくなかった興味が湧いた。
「ルシウス・マルフォイだ」
ルシウスが手を差し出してもその子は動かなかった。
ただ感情のない顔で、どこか遠くを見ている。
おおかた目の前で両親が殺され感情を失いでもしたのだろう。
父親がいる手前、「気の毒に」と心にもない声をかける。
「名前は?」
ルシウスは聞いたが、返事はない。
アブラクサスが「捨てさせた」と事務的に答えた。
「好きに呼びなさい」
家の中を案内しておくよう告げ、父は出て行った。
*
どうして自分が案内なんてしなければならないのだろうか。
それこそ召使いの仕事ではないか。
そう思ったが、父親の言いつけに首を横に振ることはできない。
ルシウスは動こうとしない子の手を引き、屋敷を案内した。
「名前がないと不便だな……マリア、と呼ぶことにするがいいか?」
こくりと頷く子どもはルシウスが何を言ってもただ頷くだけだった。
「ここが厨房だ。何か作れるのか?」
いたずら心が沸き、召使いなら何か作ってみろと言ってみる。
作れるはずがないと思ったが、マリアは頷き、ホットチョコレートを作り始めた。
「……気が代わった。もういらない」
差し出されたマグカップから目を背けてもマリアは何も言わなかった。
怒りも悲しみもせず、ただ頷いてカップを置いてついてくる。
ふと、この表情を崩してみたくなった。
「外も案内してあげよう」
そう言ってコートを取りにいかせ、白く染まった庭に出る。
温室に行き「バラがきれいだ」と言えば棘が刺さるのも厭わず手折ってきて、「指輪を落としたようだ」と言えば噴水の中に入って探した。
そのまま寒空の下を歩いても、今にも凍りそうな水を滴らせたままついてくる。
おもしろくない。
何をしても表情を変えない人形にルシウスは早々と飽きた。
見た目がいいだけならそれこそ人形で事足りる。
笑わない、嫌がらないでは、せっかくの見た目も宝の持ち腐れだ。
「案内は終わりだ。あとは自由にしているといい」
そう言っても、マリアはついてきた。
「水滴を屋敷内に持ち込むな」
玄関ホールで告げて1人で先に進む。
と、『るしうす』と名前を呼ばれた。
初めて聞くマリアの声は震えていた。
なんだしゃべれるのかと少し意外に思いながら振り返ると、マリアが焦った様子で裾を絞っていた。
『ルシウス……行かないで』
縋るような目つきに鳥肌が立った。
「……様をつけるんだ」
こくり、と頷きが返る。
「呼べ」と命じると、か細い声がその名前を呼んだ。
ドクドクと、脈が速くなるのを感じた。
「声……出せたんだな」
「なぜ黙っていた」
「父上にそうするよう言われたのか?」
「しゃべれないふりをして、何をさせられたのか、こっそり言いつけるつもりだったんだろう」
ルシウスの声が大きくなるにつれ、マリアの首の振りもどんどん激しくなった。
『言わない。から、おいてかないで……ルシウス様』
「……何をしている」
『服……水とれないから……』
「いいやめろ」
びちゃびちゃの服を脱ぎ始めたマリアを止め、ブラウス1枚になった体に自分のコートを着せる。
ドビーを呼び、その場を片付けさせ、マリアを暖炉の前へ連れて行くが、芯まで冷えた体はなかなか温まらなかった。
「ドビー!厨房にホットチョコレートがある。暖めて持って来い」
呼びつけたしもべ妖精はマリアの服を抱えたままやってきて、床に小さな水溜りを作った。
これでは父上が帰宅したときに気づかれてしまう。
とことん使えないやつだ。
「終わったら水滴を跡形もなく消せ。外もだ。父上が帰ってくるまでに全て終わらせろ。できなかったらおしおきだ」
「は、はい。ドビーめはすぐになさります」
ビクビクと大げさな怯えを見せ、マグカップを残してしもべ妖精が消える。
ルシウスはそれをマリアに渡した。
が、マリアは首を横に振った。
ドビーの反応を見慣れてるから気づかなかっただけで、無表情と思われたマリアの顔もよく見ればわずかな変化が見えた。
「先ほどマリアが作ったものだ。毒は入っていない」
『ルシウス様のために、作ったものです』
「……なるほど」
ルシウスはホットチョコレートを一口飲み、残りをマリアに渡した。
「飲んだ。けどもう飽きた。残りをどうしようと僕の勝手のはずだ。マリアが飲んで処理しろ」
『……でも』
「マリアは父上に買われた、マルフォイ家の召使いだ。そのマルフォイ家の僕が飲めと言っているんだ。マリアは飲まなければいけない。違うか?」
『……』
ガラス玉のようだったマリアの瞳に、わずかな困惑の色が見える。
「温まったら次は着替えだ。その後は僕の髪を結んでもらう」
頷くマリアがココアを飲んでいる隙に、自分の髪を解く。
また同じような――今度はさっきよりもはっきりと、困ったような笑みが浮かぶ。
彼女に感じた興味は好意の一種だったのだと認識した瞬間だった。
「マリア、君を貰えるよう父上に頼んでみようと思う」
髪を結んでもらっている途中で、ルシウスは切り出した。
「ドビーの代わりに僕の世話をするんだ。文句も、小言も、父上への報告も禁止する」
「ああ、言うことを聞いているうちは傍に置いてやる」
「誓えるな?――では手を出せ」
頷くマリアの手をとり、落ちたリボンでクロスするように結ぶ。
破れぬ誓いなんて結べるような年ではない。
本で見た手順を見よう見真似で行った。
「“誓う”と言え」
『……誓います』
静かに告げられた言葉に、ルシウスがフッと笑う。
結ばれた部分にそっと口付けると、マリアもくすぐったそうに笑った。