ノクターン | ナノ 2つの顔を持つ男
賢者の石[27/29]
 それからのことはよく覚えていない。もうひとつ足音がして、いけない隠れなきゃーと口を押さえているうちに意識が遠のいて、気づいたらカーテンに囲まれたベッドの中にいた。

 おそらく医務室だ。清潔感のあるシーツと足の長いカーテンには見覚えがある。ぼんやりとだが、ダンブルドアがハリーを抱え、スネイプ教授に指示を出していたのを聞いた記憶もある。

(一応、原作通りになったんだよね……?)

 ヴォルデモートは去った。ハリーは無事。ヴォルデモートが直接ハリーの肌に触れられないことも伝わった。そしてクィレルは死んだ。

 じわりと涙が溢れてきて、ノアは嗚咽を抑えるためにシーツを強く握らなければならなかった。

 感動がそうであったように、“死”もまた、映像で見るのと実際に目の当たりにするのとでは全然違った。
 あの狭い空間に響き渡った断末魔の叫び、炎の色、血の匂い――それら全てが脳にこびりついて離れない。自分が“死”を甘く見ていたのは間違いなく、こんな調子で7年持つのか不安になってくる。

(言い訳、考えなきゃ……)

 気を紛らわせるためにノアは体勢を変え、じきやってくるであろう尋問について考えをめぐらせた。

 予定では誰もいなくなってからこっそり帰り、何食わぬ顔で朝を迎えるはずだった。しかし見つかってしまった。怒られる程度で済めばいいが、そうは問屋が卸さないだろう。

 何せノアは1人だった。ハリー達のように友人と力を合わせたわけでもなければ、事前にハグリッドにフラッフィーのなだめ方を聞いたわけでもない。教授陣が知恵を絞った罠を1年生がたった1人で突破できるわけがないというのは身を持って体験したからよくわかる。となると、行きつく先は“クィレルとの共犯”だ。
 残念なことに、この1年でノアは怪しまれそうな行動をいくつもしてきている。

(アズカバンかなあ)

 ヴォルデモート卿復活を企んでいたのだ。投獄は免れまい。せっかく魔女になったのに、1年しかホグワーツにいられないなんて最悪だ。まだ自分の守護霊が何なのかもわからないし、ホグズミードにだって行っていない。スネイプ女装事件やイタチ変身事件だってこれからだ。今なら「もっと悪ければ退学よ」と言ったハーマイオニーの気持ちがよく分かる。

(全部クィレルのせいにすればいいんだろうけど……)

 死人に口なし。脅されていたとでも、操られていたとでも、ノアの自由に言い訳できる。ヴォルデモートが消えたときの死喰い人がこれで難を逃れているのだから、11歳のノアも大目に見てもらえるに違いない。
 元より見つかったときはそうするつもりだった。しかしいざその状況になってみると、どうしても気が引けた。

* * *

 覚悟が決まらないうちに朝が来て、医務室に誰かがやってきた。ダンブルドアにしては足音が高い。何の迷いもなく室内を横断し、ノアのベッドの前でぴたりと止まる。
 ひと呼吸置いて、足の長いカーテンが音もなく揺れた。

 最初に見えたのは細長い指。次に真っ黒なローブ。短い間隔で並ぶボタンを追っていくと不機嫌そうな土気色の顔。――スネイプ教授が、服装以上に黒い瞳で見下ろしていた。


「来たまえ」


 低く短い言葉の後、すぐにカーテンが閉まる。ポカンとしているうちに、来たときと同じ調子で足音が遠ざかっていく。
 怒っている様子ではなかった。かといって心配をしていた風でもない。しいて言えば探るような目をしていた気がするが、開心術を試みたにしてはあまりに短い時間だった。

(なに今の……夢?)

 半信半疑で身支度を整え、そっとカーテンを開けてみる。医務室は静かなものだった。整えられた空のベッドが並ぶ中、3つだけ丸く盛り上がっている。

 スネイプは医務室を出てすぐの廊下に立っていた。ノアがドアを閉めきらないうちに歩き始め、どんどん先へ行く。まだ早い時間だからか、廊下を歩く者は2人以外にいない。

 やがて2人は角を曲がり、石造りの階段を下った。日の出を知らない地下に飾られた肖像画たちは、まだナイトキャップをかぶって船をこいでいる。
 この人たちは何を基準に1日の始まりと終わりを判断しているのだろう。ぼんやり考えているうちに足音が止まる。スネイプ教授の私室の前だった。


「入れ――座れ」


 必要最低限の単語で指示を出し、スネイプが暖炉へ向かう。いつの間に準備したのか、戻ってきたときには紅茶とチョコレート菓子が乗った盆を持っていた。

 スネイプ教授とお茶会だなんて、こんな状況でなければ大喜びで応じただろう。しかし今は目の前の餌に飛びつくわけにはいかない。真実薬でも入っていたら事だ。ノアは首を横に振り、ついでに室内を見回した。

 映画で見た通りの薄暗い空間に、他の誰かがいる気配はない。てっきりダンブルドアのところに連れていかれると思っていたから驚きだ。だって、こういう場合に出てくるのはダンブルドアと相場が決まっているではないか。

(あれはハリーだからか)

 彼は特別だから、事あるごとにダンブルドアが現れる。普通の生徒は校長先生と1対1で話す機会なんてめったに訪れない。

(それとも待ってるのかな)

 スネイプは何も話さず、ノアのことをじっと見たまま動かない。何をしていたと怒鳴るわけでもなければ、食べろと強要してくるわけでもない。ただじっと、昼間のコウモリのように羽をたたんで静かにしている。
 しばらくすると、飽きたのか諦めたのか、呟くように話し始めた。


「クィレルが全て白状した。君を操り、駒にしていたと」
『……え?』


 最初から耳を疑う内容だった。無意識にいじっていたティースプーンが手から離れ、カチャンと鋭い金属音を立てる。スネイプはノアの衝撃などまるで関心がないかのように、本人ですら忘れかけていた設定をつらつらと並べていった。


「日本で母親と2人暮らし。1年前に病気で母親を失う。死の間際に父親がイギリスにいると伝えられ、探すためにキングズ・クロス駅を訪れた――あっているか?」
『は、はい』
「やつが与えた偽の情報だ。残念ながら君の渡航記録はない。Ms.ツクヨミ」
『そんな!私たしかに飛行機に乗ってイギリスに来ました』


 違う。それは前の世界での話だ。こちらの世界にはホームの壁を通ってきた。誰かに押されてカートごと転んで、謎の男がいるプラットホームに引きずりこまれた。……男?


「記憶の穴に気づいたか?」


 ノアの動揺を別の意味にとったスネイプが軽く鼻を鳴らす。「哀れな」と呟く声にはほとんど感情がこもっていない。服従の呪文というものの存在、その危険性、特徴などが授業のように説明されていく。


「しかしそれらしき痕跡は見られない。むしろこれは洗脳であろうとダンブルドアはお考えだ」
『ま、待ってください』
「とても受け入れられるものではあるまい。しかしこれが真実だ。あやつは君から両親の記憶を奪い、都合よく塗り替え、自分に懐くように仕向けたのだいざというときに――使えるように」
『そうじゃなくて!』


 ノアは叫んだ。いろいろと気になることはあるが、何よりもまず確認しなければならないことがあった。


『は、白状したって……い、い、生きてるんですか?』
「……ああ」


 スネイプがポケットから空の試験管をつまみ出し、軽く振って手の中に納めた。その片眉が上がっていることから、入っていたものが何であるかすぐにピンときた。


『ユニコーンの血……?』
「さよう。これが床に転がっていた。ご覧のとおり、奇遇にも我輩が君から受け取ったものと同じ、ダイアゴン横町で新入生向けに売っている試験管に入っている。身に覚えは?」
『あり……ます』
「でしょうな。用意周到なことだ」


 今度は大きめに鼻を鳴らし、ティーカップの横に空の試験管を2つ並べる。そして「肝心の薬箱は酸欠で倒れていたようだが」と嘲笑った。


『教授が助けて下さったんですか?』
「虫の息だった男を聖マンゴに連れて行くまで生き長らえらせ、ダンブルドアが尋問するチャンスを作ることを“助ける”と呼ぶなら、そうでしょうな」
『ありがとうございます……』


 まるで不本意だというような言い方をしているが、元よりスネイプは何かあれば助けるつもりであの場にかけつけたに違いない。だって、試験管は2本とも空なのだ。

 もしかしたらハリー用に持っていたのかもしれない。けれど3人が倒れていたあの場面で緊急度を正確に見抜き、今後必要になるかもしれないと考えず、惜しみなく使ってくれたのだからありがたい。

 どこかのシーンでスネイプがダンブルドアに「死んでしまったのは私が救えなかった者だけだ」というようなことを言っていたが、あれは本当だったのだ。

(そっか。生きてるんだ……)

 変えてはいけない部分を変えてしまった。それなのに、ノアを支配している感情は“よかった”だった。


「なぜ笑っている。君はもう少しでアズカバン行きだったのだぞ」
『でも、スネイプ先生が助けてくれました』
「……ダンブルドアの意向だ」
『いつから疑っていたんですか?』
「あやつは始めから。君が取り込まれたと感じたのはハロウィーンからだ」
『は、ハロウィーン?』
「さよう。あやつがトロールを校内に入れ、気絶したふりをしたとき、君はあやつを連れて医務室へ――他の者の目の届かぬところへ――連れて行こうとしたであろう」


 恐ろしいことに、スネイプはノアの魂胆を正確に見抜いていた。


「その後、我輩にポッターたちが逃げたと情報を与え、追うよう仕向けた。加えて途中に行き先変更。時間稼ぎだろう。違うか?」
『違います。だって、ハリー達は実際下に』
「続けてクィディッチ。君はドラコたちを連れてグリフィンドールの応援席へ向かった。ポッターの事故も生徒同士のいざこざだと思い込ませるために」
『あれはドラコが――』
「そうだ。ドラコが言っていた。君はポッターが5分も箒に乗っていられないと断言していたと」
『……1年生ですし』
「極めつけはこれだ」


 スネイプはテーブルに置かれた空の試験管をカツカツと爪で叩いた。


「君は問題を起こすような生徒ではない。ましてや50点の減点など……森へ赴くことを目的とした者に唆されでもしていない限りありえぬことだ」
『えっと……つまり、私が規則違反をするようになったから……ですか?』
「さよう」

(なんだろうこれ。喜ぶところかな?)

 正直どう反応していいかわからなかった。展開を大きく変えてしまったこととか、自分の些細な行動の積み重ねが影響してしまっていることとか、心配すべきことはたくさんあるのに、湧き上がる気持ちを抑えきれずに、さっきから顔が緩みっぱなしだ。


「今回もまた夜中の出歩きで50点減点だ。それから罠をかいくぐった褒美として、1つにき10点与える」
『も、もらえるんですか』
「さよう。6つあるから60点。実質スリザリンに10点加点だ」
『わぁ』

(贔屓万歳)

 褒め殺しからの加点で、ノアの気分は一気に回復した。
 実際は2つしかクリアしていないが、ここはスリザリンのために黙っておくべきだろう。


『私、今日からスネイプ先生に洗脳されることにします』
「そういう単純なところが付け入られる隙を生むのだ馬鹿者が」


 呆れつつも満更でもなさそうなスネイプがカップを片付ける。「持ち直したのなら大広間へ行け」と言われてお茶会を逃したことを知るが時すでに遅し。あれよあれよという間に廊下につまみ出され、バタンとドアを閉められた。

* * *

「……よろしいので?」


 静かになった部屋に、パッと緑色の炎が上がる。現れた白い魔法使いは「構わんよ」と笑い、テーブルの上に残された試験管を見て目を細めた。


「人は過ちを犯す生き物じゃ。それを悔い改めたいと思う者には皆平等にチャンスがある」
「……そうでしょうか」
「セブルス、あの子をよく見ておれ。あの子は危うい。実に不安定じゃ」
「わかっています」
「わしがかけつけたとき、あの子はハリーに杖を向けておった」
「それは――」


 目を見開くスネイプに、ダンブルドアが静かに頷いてみせる。スネイプは試験管を回収し、授業用の器具が並ぶ棚に戻した。


「――おおかた、ポッターが英雄ぶった鼻持ちならないことを言ったのでしょう。私もときどき、毒薬を盛ってやりたくなることがあります」


 スネイプは忌々しげに告げ、今回の処分はどうするつもりなのか聞こうとしたが、振り返った先にダンブルドアの姿はもうなかった。
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