彼のいない三日目
ばしゃん、遠くで何かが水に落ちる音がした。
何故だか体が動かなくて、瞼も重くて開くことができない。
いつもなら気だるく感じるだけの状態なのに、宙に投げだされたような浮遊感が奇妙なことに酷く心地よかった。
外が明るい―――閉じられた世界でも分かる程に。
閉じられた世界、というのはもちろん自分がいる場所だ。
暗くて冷たい、耳が痛くなるくらい静かで、時の流れを感じさせない闇の中。孤独で、何の温かさも感じなかった。
そんな場所を心地よいなどおかしな話だ。
ただ、生温い熱というか、冷たいとも熱いとも言えない中間が自分を苛つかせていることだけが不愉快で仕方ないのだ。
理不尽だと思う。
そう、身勝手なだけだ。
いつもいつも、この自己中心的な性格のせいで周囲に不穏な空気を運んでしまう。
今回だってそう。
彼らを見知らぬ地で、しかも明らかに不審な人物と戦わせたくないという自分のエゴのせいで、傷付けてしまった。あげく―――ボールを壊し、散ってしまえと命令した。
あの男から無事に逃げられているだろうか、
あの子たちは自分を嫌ってしまっただろうか、
そんな心配もしたが、まぁ逃げに関してはデオキシスでも持っていない限り四方に散った彼らを捕えることは至難の技だろう。
だが結局、今更考えたところでどうにもならない。
暗がりに引きずられるようにして―――自分は今、水底に沈んでいるのだから。
「とりあえず、ノボリは帰って!ハイネ連れてきて!!」
そう言ってわたくしを職場から追い出したクダリは、ムウマージは自分に任せておけとやけに自信ありげな表情を浮かべていた。
「と言っても、ハイネ様の行くような場所の心当たりなど思い浮かびませんね」
確か、ジョインアベニューに新しくできたカフェが人が少なくて穴場だと聞いたような気がする。こんな非常事態に行く訳がない。
「あのムウマージの傷付き方から、よほど酷いバトルだったのは分かるのですが」
相当無茶な戦い方をしたのか、彼女なら何をしてもおかしくはないが、流石に自爆するような考えなしでもないだろうに。
もしかすると、彼女は動けないくらい弱っているのかもしれない。それならば、ムウマージが自分のところに来たのも頷ける。
「ならば・・・何故ライブキャスターに出て下さらないのでしょう」
「バトルの相手は、一体何者だったのでしょう」
実は、これが一番疑問に思っていること。
彼女は各地方を旅してきたというだけあって並のトレーナーでは歯が立たないくらい強い。そして連れ立ってきたポケモン達も、旅の過酷さを物語る傷痕を勲章だと言わんばかりに堂々としていた。といっても直接姿を目にしたわけではないのだが、彼女が自慢していたのを覚えている。
バトルができないことを不満に思いはしていたが、そんな苛立ちを彼女にぶつけようともしなかった彼ら。
言葉にしてしまえば安いっぽいが、彼女と彼らの間には不可侵の絶対的な絆があった。
敗北なんて、考えられない。
「と、なると・・・まずは実力者を探すべきでしょう。もしくは近辺の異常・・・おっと、申し訳ありません」
早足で歩いていたのが悪かったのか、すれ違う人と肩がぶつかってしまった。
接触したことを謝ると向こうも頭を下げて、すまなかったと言いその場を去ろうとした。急いでいるようだ。
「あの、お急ぎのようですが、何かあったのですか?」
「知らないのか?ヒウンシティのオフィス街ででっかい火事があったんだ」
「オフィス街とはまた・・・原因を聞いても?」
「さあ、俺は消火作業に呼ばれただけなんでね。どっかの馬鹿がバトルで大技ぶちかましたとか聞いたが・・・ここは色んな人間が来るんだ、道路やビルだって軟な作りな訳じゃないし、バトルくらいで火事なんて起こる訳がない」
「バトルで・・・?」
「どうせガセだろう、もし本当にバトルで火事が起きたんだったら、ジムリーダーが黙っちゃいないさ」
ヒウンシティで大火事。
バトルで、と聞いた瞬間、嫌な鳥肌が立った。
だって、彼女はヒウンシティのアイスも好きだったから。
「それじゃあな、兄ちゃんも気をつけろよ」
その後ろ姿を見送る余裕はなかった。
クダリから借りたアーケオスの背に乗って、ヒウンシティまで飛んだ。
ヒウンシティのオフィス街。
そこは既に立ち入り禁止のテープが至る所に張り巡らされ、バリケード内ではガマゲロゲやブルンゲルといった水ポケモン達が消防隊員の指示に従い消火作業のために慌ただしく走り回っていた。
燃え盛る劫火にまれるビル、焼け落ちる街路樹。熱風によって割れた窓ガラスに、無惨にも抉られたコンクリートの道路。
普段は景色に目もくれず足早に帰宅する会社帰りのサラリーマンや街角に立つピエロも、今だけはその凄惨な光景に思わず足を止めている。
火事が起きたのは使われていないビル、周囲の人間は昼過ぎでそれぞれのオフィスに戻っていたこともあり、奇跡的に怪我人は一人も出なかったらしい。
懸命な消火作業のおかげか、辺りを焼き尽くしていた炎はみるみる小さくなっていく。
それに伴い、人垣の数も減っていった。
「・・・これだけの火事で、死傷者がでなかった?」
では―――バトルしていたという人物は?
生きているのか?
ハイネ様は?
ぐるぐると考えてる間に火は完全に消され、残っているのは消防隊員や警官、ビルの責任者の数名だけになっていた。
「君、サブウェイマスターのノボリ君?」
明らかに場違いな人物がいることに気付いたのだろう、警官らしき風貌の男性が訝しげに声をかけてきた。
「ライモンシティにいるはずの君が何故ここに?」
言うか言うまいか、悩んだが変に怪しまれるよりはマシだろう。
「知人が音信不通になりまして、何かあったら、と思い・・・」
「そうか・・・だが、この火事に巻き込まれたポケモンや人はいない。どこか友人の家や店を尋ねてみたらどうかね?きっと見つかるだろう」
「ええ、そうですね」
彼女の友人など知らない。
どうせ他人事なのだろう、とらしくもなく無関係の人間に思ってしまう自分はよほど余裕がないらしい。そのことが表情にでていたのか、警官は苦笑した。
「心当たりがないなら捜索願を出しておこう、その知人の名前や外見の特徴を教えてくれないか?
ああ、私の名前はハンサムという」
早く見つけて