これのつづき


隣の席の男の子は悪魔でした。
人が読んでる本のネタバレはするし、嘘を教えるし、勉強の邪魔をするし給食のデザート食べちゃうし男子トイレに連れ込もうとするし、挙句の果てには、私のこと、好きだなんて言って、困ってるのを見て笑うんです。とても酷い人です。
いつも隣人の悪さには眉を顰めるばかりです。かの有名な某御方は「自分を愛するように隣人を愛せ」だなんて言いますが、隣人は彼の天敵の悪魔であるので、きっと情状酌量。愛さなくても許されるでしょう。だって、彼のことを愛してしまったら、きっと後悔するのは私に決まってます。毎日の嫌がらせを甘んじて受け入れなければなるなくなり、私の人間としての尊厳は損なわれてしまうことでしょう。それを喜びととってしまうのは、あまりにも愚かな思考に違いありません。
ですから、私は彼を愛してはいけないのです。悪魔に心奪われたものの悲惨な末路を、皆さま知らないわけではないでしょう?
しかしながら私は人間。ひたむきに一途な愛情を注がれれば、情が移るのは自然の摂理であります。しばしば彼から愛情なるものを感じる瞬間に小指の先ほどではありますが生まれる感情が塵も積もれば山となり、いつしかそこそこのものになっていました。取り返しのつかない大きさになったそれに一番驚き、恐れおののいたのは他の誰でもなく私自身であります。こんなはずじゃなかった、と言い訳じみた言葉を一人繰り返しました。
このままではいけない。
だって彼は悪魔ですから。悪魔に心奪われては最後、破滅への道を歩むしかなくなります。人間の尊厳を放棄しなければなくなります。それは嫌です。私は、彼にほだされるわけにはいかないのです。
ですから、今日のように、隣に席がない日は、私にとって安寧となるはずなのです。が。



「夢子さーん、見てください、このカマキリ!立派な鎌ですよ」
「ぎゃあー!」

目的地に到着したバスから友達に続いて降りると、意気揚々と名前を呼ばれたので視線を向けた。すると、かの有名な悪魔と名高い隣の席の竜持くんを彷彿とさせる緑の目の中の黒い円な瞳のような点と目が合って、全身に鳥肌が走る。それとほぼ同時に悲鳴をあげて、思わず体が仰け反ったら、それを見た竜持くんはやはりニヤニヤ笑いながら「あれ、どうしたんです?夢子さん」と白々しく問うた。

「こっちくんな竜持くんまじでこっちくんなこっちきたら怒るからまじで怒るから先生に言いつけるからだから本当こっちこないでキモいキモいキモいこわいキモい!!」
「言いつけたければどうぞご自由に。しかし、今日の校外学習の趣旨を考えれば、僕のしていることはなんら咎められることではありませんよ?」

そう理屈ばかりは正しいことを言って、掴んでたカマキリを葉の上に乗せた。
そんな竜持くんを背中からじっとりと睨みつける。
教室も席もなく、隣にいる必要のない日ですらこんな嫌がらせをしてくるんだから、竜持くんはたいそうな暇人で物好きで捻くれた奴だ。


本日、私たち六年生は自然と触れ合うことを名目とした校外学習(という名の遠足)で、県境に位置する小高い山へと駆り出されていた。普段の登校時間より一時間も早く学校に集められ、バスに揺られて二時間。やっと辿り着いた山の麓は十一月ということもあって寒さが本格化してきており、想像よりもずっと寒い。指定されていた学校のジャージだけでは物足りなかった。私だけではないのだろうか、未だ続々とバスから生徒が降りるたびに「寒い!」とひやっとした声が聞こえた。
両手で腕を摩ると「寒いんですか?僕からしたら暖かいんですけどねえ」と竜持くんがわざとらしく首を傾げたが、指定されたジャージではなく、私物である黒地に緑のラインが入ったジャージを着用している竜持くんのことだから、きっと中にもなにか着込んでいるんだろう。いちいち腹が立つ。今日の服装は体操着に学校のジャージだって言われていたのに、降矢くんたちはさも当たり前のように色違いのジャージで登校してきた。先生に注意されていたが「学校のジャージは薄くて寒い」とか「山を舐めたらいけませんよ。気温は低くて天気も変わりやすいんですから、暖かい格好しないと」などとやはり得意の憎まれ口で言い負かし、特にそれ以上口煩く言われることもなかった。
また降矢くんたちは……。と、普段竜持くんの嫌がらせ被害を受けている私は先生に同情したのだけれど、今回ばかりは降矢くんたちが正しかったらしい。羨ましい気持ちを隠しつつ、ぬくぬくとした竜持くんを恨めしく睨んだ。
私の視線に気付いたのか、竜持くんはフッと得意気に笑った。どうしてそんな顔をするのかと、思わず眉を顰めると「ホッカイロ、欲しいですか?」とポケットの中から素晴らしいものを出して私に見せるので、私も思わず「え!いいの?」と素直に食いついてしまった。(それにしても、竜持くんは本当に準備万端だ)

「いいですよ。あ、でも、条件があります」
「え……なに……?」

竜持くんが白々しいトーンで思いついたように言うので、身構えた。また私を困らせるようなことを注文してくるつもりなのだろう。一歩だけ後ずさって、いつでも逃げれるような体勢をとった。またカマキリを押し付けれてはたまらない。
緊張した私を見て、竜持くんはやはり楽しそうに顔を歪めて笑った。

「僕のこと、いい加減好きになってくれませんか?」
「は」

はあ?!

思わず張り上げた声には驚愕とか戸惑いとか羞恥とかいろんなものがないまぜになっていた。
内容のインパクトに比例するように大きくなってしまった声に、周りの同級生が数人視線を送ったので、はっと口を押えて苦笑いを零した。それを見て、竜持くんはまた楽しそうに口元に指を添えて笑みを浮かべた。
カッと、顔が熱くなるのがわかった。

「ふふ。夢子さん、ウケますねえ。そんなに驚かなくたっていいじゃないですか、冗談なんですから。じょーだん」
「は、え、じょ、冗談……?」

冗談ですよ。

もう一度、念を押すように言った。
冗談なんかにならない。竜持くんは、結構前だけど、私のことが好きだって、言ってたじゃないか。そんなことを打ち明けてくれた人にあんな条件出されたら、普通、信じるに決まってるし、冗談なんかに思えない。というか、好きな人に対して、あんな冗談言えるものなのか?私だったら恥ずかしくって言えやしない。本当に、竜持くんは私のこと好きなのか。っていうか、好きだって言ってくれたのも、随分前の話だ。もしかしたら、もう心変わりしてるのかもしれない。有り得ない話ではない。じゃないと、あんなこと言って、冗談なんかで済ませようとしないだろう。

「(……好きな子にカマキリなんて押し付けないよね)」

竜持くん曰く、私に対する嫌がらせは「好きな子イジメ」らしいので、嫌がらせをされている内は私に好意を持っているものだと思っていたけれど、別にそれは絶対ではなし、保証だってどこにもないことに気付いた。好きな子イジメなんて、子供のすることだ。例えば、実はもう他に好きな子ができてはいるけど、私を虐めることは習慣になっていてやめられないから構っている、という可能性だって有り得ないことではない。
そういうことを想像したら、いつも沸き立つ腹正しさよりも、物足りなさが生まれて、お腹をさすった。ぽっかり。

「夢子さん、お腹すいたんですか?」
「……ちがう」
「そうですか。それで、条件なんですけど」
「ああ……うん」

そういえばそんな話だった。
ホッカイロ一つで、条件条件ってしつこい男子だ。前に喧嘩した時も思ったけど、竜持くんって結構しつこい。

「はーい、じゃあ班ごとにせいれーつ」

生徒が全員降りたのだろうか。学年主任の男性教諭が声を張り上げた。そこら中に点在していた生徒が、わらわらと集まって行く。
私たちも行かないと、と急かすように竜持くんを見ると、どうしたのだろうか、竜持くんは考えるように目を伏せた。
「……まあいいです。条件は後で、ね。後払いでお願いします」

そう言って、ふっと、竜持くんが私の手をすっと下から支えるように攫った。驚いて、指が強張った。すると温かいものが軽い音を立てて落ちてきて、それがカイロだと気づいた時には竜持くんの手は離れていた。

「あ、後払いって、私にできないことだったらどうするの」
「その時は泥棒呼ばわりするだけです。一生」
「か、カイロごときで!」
一生だなんて、竜持くんはやっぱりしつこい!



郊外学習は班ごと行われる。席順に分けられた五人編成の班で、全部で六班あり、一班から順に出発して登るのだ。一応郊外学習なので、班ごと発見したことをレポートにまとめ、来週の総合の時間に発表する、というのが今回の趣旨となっていた。
引率の先生は全部で三人。頂上と中間地点で待っている先生と、出発地点で私たちに出発の指示を出し、最後尾の班と登る先生がいて、中間地点の先生に必ず問題がないか報告し、頂上にいる先生には班員全員がいることを確認してもらってから昼休憩をもらう、という手順になっている。昼休憩は自由にしていいが、呼ばれた班からまた先生の指示に従って一班から順に下山するそうだ。
私は五班。最後から二番目の出発だった。班員には私の他に男子が二人、女子が一人、そして、竜持くんがいた。(竜持くんがいるのは不本意だったが、席順なのだから仕方がない。竜持くんは相変わらず隣の席なのだ)

班ごと並んで座り、和気藹々としながら出発の指示をそれぞれ待った。
出発の間隔は各五分程度設けられており、五班の出発は一班が出発してから二十五分後と、だいぶ差があった。昼休憩は自由にしていいと言っていたが、着いた班から自由時間になるので、実質班員とお弁当を食べることになる。見晴らしのいい頂上でも竜持くんと顔を突き合わせて食事をしないといけないと思うと、今から重い溜息が零れ落ちそうだった。

「おい竜持。お前の班なんのレポート書くんだよ」

二班の出発の指示が出て、班員の子たちが後続の班に手を振っているのを眺めていたら、後ろから竜持くんを呼ぶ声がした。
思わず振り向くと、私の隣で体育座りしていた竜持くんの肩を、すぐ後ろで胡座をかいていた凰壮くんが叩いていた。凰壮くんは六班だった。

「まだ決まってないですけど、強いて言うなら、カマキリの生体についてでしょうか?」

竜持くんがいやらしく細めた目で、私に視線を送り、クッと喉で笑った。

「でも、どうしてです?もしかして凰壮くん、パクる気ですか?」
「まさか。俺はなんでもいいんだけどさ。ただ、かぶったら嫌だろ」
兄弟のいる班と同じ題材だなんてさ。

凰壮くんが口の端を釣り上げた。

笑うと同じ顔だけど、どうしてだろうか、受ける印象がだいぶ違う。竜持くんの方がずっと、煽ったような笑い方だ。でもそれは、私が竜持くんに嫌がらせをされているからに他ならないかもしれない。

「なに?」

ジッと見ていたからだろうか、凰壮くんがふっと視線をこちらによこし、簡素に尋ねた。何見てるんだよ、とまるで苦情を述べるような音色に、思わず「うっ」と体が強張る。
首を左右に振り否定の意を示してから、取り繕ったようにぎこちなく笑って見せた。凰壮くんは竜持くんと違ってそんなに話したことはないし、竜持くんみたいに必要以上にウザい絡みをしてこないので、感情に任せて軽口だって叩けないから、こうやってジッと見つめられるとちょっとだけ恐い。(前に竜持くんのことで私を問い詰めに来たことがあったけれど、あの時の私は文字通り腸が煮えくりかえっており、緊張したり怯んだりしている場合ではなかった)

「え、あ、いや、な、仲、いいんだなって……」

なるべく場が和むようにと、微笑みながら言葉を返した。

「そうかあ?」

煩わし気な表情をしていた凰壮くんが今度は眉を顰めて、疑問符を浮かべるように声をあげた。

「な、仲いいよ。ほら、ジャージだって、お揃いだし」
「……仲良くしたくてお揃いなんじゃねえよ」

凰壮くんは溜息をついたけれど、会話の雰囲気は想像していたよりもずっと和やかだった。(というか、こんなに会話が成立すると思っていなかった)もっと竜持くんよりも汚い言葉で罵詈雑言を重ねられると思っていたのだけれど、凰壮くんって、顔は恐いけど、竜持くんみたいにウザくないし、案外普通の人かもしれない。
少しだけ緊張の糸が解けた。

「そのジャージ、暖かそう。いいなあ、今回ばかりは降矢くんたちが正しいかも。体操着と学校のジャージじゃ、ちょっと寒いの」

自分なりに当たり障りのない言葉を選んで凰壮くんくんよりに友好的に笑いかけた。すると、ふうんと相槌を打った凰壮くんが、「俺の着る?」と言った。

「え?」
「どうせ登れば暑くなるしさ。俺、中に結構着てるし」

言いながら前を全開にして羽織っていたジャージを脱ぎ、私に差し出した。
突然のことに驚いて瞳を凰壮くんとジャージへ交互にギョロギョロさせてから、おずおずと受け取った。

「あ、ありがと……着ていい?」
「着ないと意味なくね?」

凰壮くんが、やはり口の端を釣り上げて笑う。小馬鹿にしたような笑いだったが、竜持くんのソレとは明らかに違う。凰壮くんはいい人だなあ、竜持くんと違って。なんて思いながら学校指定のジャージを脱ぎ、凰壮くんの赤いラインが入ったジャージを羽織った。

「凰壮くんは、ズイブン、優しーいですねえ」

隣から聞こえる嫌みたらしい声が私を不快にさせた。抱えた膝を枕にするように頭を預け、眠たささえ感じるジト目でこちらを恨めしそうに見ている。唇もとんがっていて、何故かは知らないが不機嫌そうだ。
加えて、体育座りのせいだろう、いつもより小さく見える上に不機嫌さも手伝って、いじけてる子供みたいだった。
「随分」という単語だけ強調するような喋り方をした竜持くんは、なにかを皮肉っていたように聞こえたけど、一体何に対してなのか、私にはわからなかった。

「竜持くん、なに拗ねてんの?」
「拗ねてるように見えるなら優しくしてください」

でた。めんどくさい!

「今面倒くさいって思いました?」
「わかってんなら機嫌直してよ」
「イヤです」
「ウザい!ウザい!竜持くんちょうウザい!」
「……お前らの方が仲良いじゃん」

後ろで凰壮くんが呆れたように笑うので、少し恥ずかしくなった。



その後も竜持くんの機嫌は戻らなかった。五班が呼ばれ、凰壮くんに手を振って山に入っても、竜持くんはツンと澄ました顔をしていた。せっかく皆で楽しく登ろうって時にどうして水をさすんだろう。そうは思うけど、竜持くんの相手をいちいちしていてはキリがない。内心腹を立ててはいたが、そっちがその気なら、と私も竜持くんには絶対に反応しないと決めた。
けれども事あるごとに竜持くんの嫌がらせは牙を向き、例えばソレは拾ったドングリを後ろから何度も頭に投げられたりだとか、突然膝カックンしてきたりだとか、やはり笑って済ませるけれど地味にうざいラインの嫌がらせで、私のストレスも少なくだが着実に溜まっていった。
何より、いつもは楽しそうに笑うはずの竜持くんが、いつまで経っても不機嫌そうに唇をとんがらせたまま嫌がらせをするので、私だって最高に気分は悪かった。


小高いと言っても山は山。山道は子供の体力では幾分苦しかった。満足に舗装されていない山道を、息を切らしながら登る。
ルートは道なりに進むだけで、特に別れ道などもなく、生徒たちだけで登っても迷うことはなかった。

「レポートどうしようか?」

一人の男子が、徐に言った。

「こんなチンケな山でなんも発見なんてねーよな」

これはもう一人の男子。

「竜持くんはなんかいいテーマ思いつく?」

私の他には唯一の女子が話を振った。
一番後ろで息を切らすことなく飄々と歩いてた竜持くんが顔をあげた。体力があるのは、普段からサッカーをやっているからだろうか。竜持くんって一見インドアに見えるのだけど、意外と運動神経がいいから不思議。

「そうですねえ。この山の標高に対する頂上までの登山時間から推測される僕たち五人の……」
「趣旨違ってんじゃん」

私の冷ややかなツッコミに、竜持くんは私を一瞥した後、またツンとソッポを向いてしまった。折角話しかけてやったのに、失礼な奴!

「っていうか夢山、なにそれ」

班員の男子が私に向かって指を指した。なにって、なんだ。
指された方向を辿って見ると、背中。真後ろには振り向くことのできない首を最大限に逸らして自身の背中を見ると、そこには無数のくっつき虫がいた。

「やだ!なにこれ!竜持くん最低!」
「どうしてそこで僕が出てくるんです?」

竜持くんが不服そうに眉を顰めて首を傾げた。

「私の後ろ歩いてたの竜持くんしかいないじゃん!どうせ登ってる時に地道にくっつけたんでしょ!暇人!」
「勝手に決めつけないでくださいよ。さっき夢子さん、休憩した時木に凭れたでしょう?あの時からずっとついてますよ」
「え、ほんと?」
「嘘です」

最低!

あっさり騙されたことも腹立たしかったけど、いつもみたいにニタニタ笑わずにツンと澄まして嘘をつく竜持くんに苛立って、叫ぶように非難の声をあげた。まだ山の頂上まで半分はあるだろうに、私のストレスだけは、最高頂に達しようとしていた。

むかつく、むかつく、竜持くん、むかつく。

「まーたやってる」

班員の三人はクスクスと忍ぶように笑った。
どうして笑うの。私は嫌がらせされてるのに。
凰壮くんが言ったように、私たちのこと、仲がいいとか思っているんだろうか。そう思うと、顔がカッと熱くなる気がした。

仲良くなんかない。こんなに、からかわれて腹立たしいのに。

こんなに、笑ってくれない竜持くんが、気に入らないのに。

「笑わないでよ!」

当たり散らすように半分怒鳴った声をあげると、笑ってたみんながピタリと静かになった。同時に、自分が恥ずかしくて顔から火がでそうだし、ついでに涙も出そうになって、顔を伏せて走り出した。
なんで皆にあたっちゃったんだろう。恥ずかしい、最低、情けない。
なんでこんなにくだらないことで怒っているのか、自分でだって全くわからなかった。ただ、竜持くんが機嫌を悪くしてから私だって負けないくらいに機嫌は悪かった。それなのに竜持くんときたら白けた目で私を見るばかりだし、更に嫌がらせばっかりするし、意味がわからない。私に対する嫌がらせは、本当に「好きな子イジメ」なのだろうか?思い出す竜持くんの白けた目が私を射抜く。

本当に私のこと好きなの?と、この世で一番自意識過剰で情けなくて馬鹿げた質問が何度喉元まできたことか。

私は、竜持くんが嫌がらせばっかりしても、私に優しくしてくれたりだとかたまに見せてくれる本音だったりとか嬉しそうな顔が、ほんの、ほんのちょっとだけ好きだったから、だからしょうがないなあって思ってたのに。

あんな不機嫌な顔で嫌がらせなんてされたら、好きな子イジメなんかじゃなくて、それこそ、ただのイジメにしか思えないよ。

「夢子さん!」

ハッとした。
名前を呼ばれて、誰の声かすぐにわかったから、振り返らずに無我夢中で走った。相手は足が早いから、ちょっとでも気を抜いたらすぐに追いつかれてしまう。道から逸れて、木の隙間を縫って森に入った。

「どこ行くんですか!」

森に入ってからしばらく走ったところで、捕まった。
腕を掴まれて、その拍子に膝から崩れ落ちてその場にへたり込む。無法地帯の地面はずっと日陰だったからか、冷たく湿っている気がした。土の感触がした。
掴まれた左腕だけダランと持ち上げられていて疲れるのに、すごく強く握られていて、話してくれる気配はなかった。
後ろから、私のではない、息を整える声がする。さっきまで飄々と登ってたくせに。

「なんなんですか、いきなり」

困惑気味の竜持くんが、膝をついて私に視線を合わせるのがわかったけれど、俯いている私との視線が交わることはなかった。

「夢子さん」

竜持くんが私を呼ぶ。

「なんで」
「は」
「なんで追いかけるのぉ」

顔をあげて竜持くんを見ると、たいそう驚いた顔の竜持くんが映った。
きっと、私が泣いていたからだ。

「な、なに泣いて……」
「だって、だって、竜持くんが」
「く、くっつき虫、そんなに嫌でした?」
「違うぅ」

嫌なのは、嫌がらせじゃなくて、竜持くんが不機嫌だったことなの。嫌いだから嫌がらせされてるみたいで、嫌だったの。なのに、竜持くんが、追いかけてくるから、だから。

「竜持くんの、ひっく、バカあ」

素直に言うと、嬉しかった。

「ごめんなさ」
「な、なんで、ひっく、なんで怒ってるの」
「え?」
「ずっと、ふっ、き、機嫌、悪いの……やだあ」

しゃくりあげながら問い詰めると、竜持くんはまた目を大きく見開いてからバツが悪そうに視線を落とした。それから少し恥ずかしそうに眉を下げて「お……凰壮くんの」と言った。

「おうぞ?」
「凰壮くんのジャージ、……嬉しそうに着るから……ヤキモチ妬かないわけないじゃないですか……」

先ほどのように唇をとんがらせてはいたけれど、先ほどと違って不快感は全くなく、むしろ可愛らしさまで感じてしまった。

私も大概、どうかしてる。

「なにそれ、バカじゃないの?もっと早く言ってよ……!」
「何怒ってるんですか」

竜持くんが眉を顰める。

「だって……私、竜持くんが、怒ってるから……だから」
「だから?」
「……りゅ、竜持くんに、嫌われたくないなって思ったの!」

竜持くんが目を見開いた。
私の顔も熱くなる。
だって、こんなこと竜持くんに言う日がくるなんて思ってなかった。

竜持くんに、こんな、縋るようなこと……。

「……それは、どういう?」
「し、知らない……」

竜持くんは一瞬だけ目を細めた後、フッと口元に笑みを浮かべて「まあいいでしょう」と独り言ちた。

「戻りましょう、みんな心配してますよ」
「……うん、そうだね」

竜持くんがずっと腕を掴んで離さなかった手を離して、今度は、私の右手の指を握った。
また顔が熱くなる。
引きずられるように立たされて、いざ帰ろうとした時、竜持くんの足が止まった。

「竜持くん?」
「……どっちから来ました?」
「え」

そういえば、ここどこ。




寒くないですか?と竜持くんの囁く声がする。
うん、と頷いたけど、本当は汗が冷えて寒かった。繋いだ手とは反対の左手でポケットの中に入っていたカイロを探し当てる。ばれないように握ったつもりだったけど「凰壮くんにジャージ借りておいてよかったですね」と竜持くんが言うので、もしかしたらばれてたかもしれない。
二人で手を繋いで、木の幹に背中を預けて小さく膝を立てて座っていた。手を繋いだのはなんとなく、先ほど握られてから竜持くんが解く気配がなかったからだし、私もこんな状況では不安で仕方がなかったので、丁度よかった。

来た道がわからないので、動かないほうがいいと言ったのは竜持くんだ。

「きっと僕たちの班は立ち往生していることですから、後からくる六班の凰壮くんがすぐ追いつくでしょう。凰壮くんは勘がいいですから、きっと探しに来てくれますよ。無闇矢鱈に歩き回って体力を消耗して迷うよりは、ここで待つのが得策です。携帯も圏外ですしね」

竜持くんの言葉がこれほど頼りになったことがあっただろうか。というか、こういう状況自体これまでなかったことだから比べようがないのだけれど。
でも、私一人だったらどうしようもなかった。
きっと、一人で泣いて歩き回って、もっともっと迷っていたことだろう。一人じゃなくてよかった。

「ごめんね、竜持くん。こんなことになっちゃって……」
「いいえ。元はと言えば、僕のせいでもありますからね。それに……」

それに?

言葉を詰まらせた竜持くんに視線を向けると、どうしたことか、はにかんだように笑っていた。

「嬉しかったので、役得です」

どうしたんだろうか。胸がぎゅうと掴まれて、苦しい気持ちになった。少しだけ、泣きそうにもなった。
いつもこんな風に笑ってくれればいいのになあ。いつもこんな風に笑ってくれれば、私だって素直になるのになあ。竜持くんが素直じゃなくて、変な嫌がらせばかりするから、私だって素直になるタイミング逃しちゃうんだよ。

「……凰壮くんにジャージ借りといてよかったけど……」
「?」
「竜持くんにカイロもらっといて、よかった。すっごく、暖かいよ」

私が笑うと、竜持くんも嬉しそうな顔をした。
こんな簡単なことなのに、私も竜持くんも素直じゃないから、それがすごく難しい。今日は、こんなことになって、よかったのかもしれない。
こんな状況でこんなこと言うのは、心配してくれてる皆には失礼かもしれないけど。でも。

今、私の隣にいる人が、竜持くんでよかった。
私の隣の席が、竜持くんでよかった。

「お腹空きません?僕、携帯用非常食持って来てますけど」
「お菓子は禁止じゃないっけ?」
「こういうこともあろうかと」
「……あは」
「? なんですか?」
「竜持くんが、悪魔でよかったなあって」

すごく頼りになる。

「褒め言葉ですね」
「もちろん」
「じゃあ、褒めついでにご褒美くださいよ。さっきのカイロの条件も兼ねて」
「ご褒美?」

いいけど、と言いながら眉を顰めた。
無理難題を突きつけてくるんじゃないかと、少しだけ身構えた。どんなに竜持くんに心許しても、やはり日頃の習慣はそう拭えるもんじゃない。
竜持くんは「大したことじゃないですよ」とクスクス声をもらした。

「帰りのバス、隣の席がいいです」

いいでしょ?と竜持くんが首を傾げて聞いて来た。竜持くんの髪がゆらり、と華麗に揺れるから、一瞬心臓がドキリと音を立てた。

なにそれ。そんなことでいいの?そんなことで、今こうやって迷惑かけてることが許されちゃうの?
竜持くんって、本当……。

「案外子供だよね」
「当たり前じゃないですか。僕、十二歳ですよ」

竜持くんが嬉しそう笑うから、握った手に力をこめるだけの動作で、いいよって返事をした。

よかった。少しだって竜持くんに嫌われてなんかいなかった。もう私のことなんて好きじゃないかもしれないと思ったけど、そんなこともなかった。
それだけで、さっきまでのイライラなんて風で吹き飛んでしまう。代わりに、私の体がふわふわと浮いてしまうんじゃないかってくらいに浮かれていて、どうしてこんな気持ちになるのか考えると、すごく恥ずかしくなった。

ああ、私、たぶん竜持くんが。


「あ、声聞こえません?」
「うそ?」
「聞こえますよ、ほら、凰壮くんの声です」

竜持くんが立ち上がって、私の手を引いた。
慌てて立ち上がり、竜持くんに着いて行く。

あ、ほんとだ。しばらくすると、私にも凰壮くんの声が聞こえて来た。
よかった、助かった。

「竜持くん、ありがとう」

竜持くんの背中に呟いたら、ふふっと漏れる笑いが聞こえた。

「レポートテーマは、山で遭難した時の対処法について、にしましょう」

竜持くんがいつもみたいに、楽しそうに笑った。




ろはるさま
リクエストありがとうございました!!!
お祝いの言葉も本当にありがとうございます…うれしかったです;;;;
遅くなってすみませんでした!
楽しんでいただけるか不安ではありますが、少しでも楽しんでいただければ幸いです!
凰壮くんの連載やほかの小説も楽しみにしてもらえて、本当にうれしいです!
がんばります!
みゆみこかわいいですよね…!///
書けたら…!いつか書きますね…!私でよければ…!
本当にありがとうございました。
これからもがんばります。では^^

柊さま
リクエストありがとうございました!!!
隣の席〜でやきもちというリクエストでしたが、いかがでしたでしょうか…。
少しでも楽しんでいただければ幸いに思います…!><
お祝いもありがとうございました!
わーーー凰壮くんの連載の感想も…!仲直りできました!
好きだと言ってもらえてうれしいです、ありがとうございます;;;;
これからもがんばりますので、よろしくお願いいたします^^
それでは!

(20130915)
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