※短編の続きです



遂にこの日が来てしまった。今日という日が来ることを、どれだけ恐れていただろうか。
一人ずつ取りに来い。そう言った先生の言葉が重く圧し掛かる。ああ、もう、この世の終わりだ。
先生に名前を呼ばれたクラスメイトが一人ずつ教卓に向かい、先生から差し出されたソレを受け取っていく。意気揚揚としている子もいれば、私のようにオドオドしている子もいて、様々だ。
その時を刻々と待つ私はまるで裁判に立たされた罪人のようで、徐々に迫ってくる判決を思うと、手に汗はかくし心臓は鉛みたいに重くなった。
呼ばれる人間が一人、また一人と増える度、教室は徐々にうるさくなっていった。大抵のクラスメイトが興奮か悲嘆のどちらかに分類されているが、どちらにせよ、みんな口を閉じずにはいられないようだ。無理もない、だって私たちは好奇心旺盛な年頃の小学生。嬉しかったら自慢したいし、悲しかったら愚痴りたい。互いが互いに、突きつけられた結果に対して、お喋りせずにはいられないのだ。先生は、うるさくなっていく教室には気にも留めず、生徒の名前を呼んではソレを受け渡す作業に専念している。

「夢山」

クラスの男子にはないような男の人特有の低い声で私を呼ぶ先生が、こちらに視線を向けた。早く来い、と言ったその目に逆らうことなど到底できるはずもなく、私は重たい足取りで、教卓に向かった。
一歩一歩、気まずさから先生とは目を合わせないように俯いて、教卓まで進む。
先生の前に立つと、先生は他のクラスメイトにするのと同じように、私にもそれを差し出した。差し出されたソレを、恨めしく睨んでからおずおずと受け取ると、先生は「お前、もっと頑張れよ」と言った。
ああ、やっぱりそうか。
私は声に出さずに呟いた。自身で確認するより先に、先生の言葉によって、先ほどまで根拠のなかったものが確信に変わってしまった。もしかしたら、と期待していた細やかな願いも、無残に塵と化した。判決が下ったのだ。有罪、有罪。きっと今日は、お母さんから裁きが下される。ああ、もうやだやだ。帰りたくない。

先生の言葉によって突きつけられた現実から逃げるように、席に戻った。右見て左見て、もう一回右を見て。周囲の人間を確認するけれど、みんな自分のことに夢中のようで、私のことを気にしている人などいるわけもなく、それぞれ隣の席の子と談笑したり落ち込んで机にうなだれたり出歩いてたりと、ほとんど無法地帯となっていた。私は安堵の溜息をつく。そして、意を決したように息を吸って、恐る恐る、内側にたたまれたソレの右端をめくった。
そこにあるだろう数字を、確認するために。

う、と思わず唸った声が漏れる。飛び込んできた数字に、顔を顰めた。
う、わあ、これ、は。


「うわー、二十五点!さすが夢子さん、すごいですねえ」

比較的大きな声で呼ばれた自分の名前と、点数、に驚いて、反射的に持っていたソレをぐしゃりと握りつぶした。ソレ、もとい国語の答案用紙は、ひだをつくって、私の手の中で小さくなった。
私は声のした方に勢いよく首を回して、声の主であろう悪魔、もとい先日小悪魔に昇格したがやはりどう足掻いても嫌なやつに違いなかったので再び悪魔に降格した隣の席のいじめっこ野郎、にありったけの憎悪を込めた視線を送った。
振り向いた先にいたのは、予想通り、隣の席の悪魔だった。

「どうやったらそんな点数取れるんですか?にじゅうご点、だなんて」
「竜持くん!声大きい!黙って!うるさい!」

さっきまで席を外していたはずの竜持くんが、いつの間にか私の後ろに立ってクスクス笑っていた。点数を強調するような、わざとらしい喋り方をする竜持くんに抗議の声を上げると、近くの席の子たちが「なんだ?」とこちらに視線を送ってきて、私は慌てて口に手をあてる。そんな私の様子を見て、竜持くんはますます愉快そうに笑った。

むかつく。
人を馬鹿にして。
腹が立って「そういう竜持くんはテストどうだったの?」と乱暴に尋ねたら「まあ、夢子さんよりはいいですよ」と言って、右端に百と書かれた答案を渡してきた。
むかつく。
思わず手に力を込めると、竜持くんの答案用紙に皺が出来た。
偉大なる百点の答案用紙がシワシワにされても、竜持くんは興味がないようで気にも留めず、いつものように腕を組んで、私を見下した。

「ちゃんと授業聞いていないから、そういうことになるんですよ。これを機に、ちゃあんと授業に集中した方がいいんじゃないですか?」

竜持くんが、至極正論じみたことを抜かす。しかしながら、これは正論ではない。なぜなら私が授業に集中できない理由の八割は竜持くんがくだらないちょっかいを出してくるからだ。何が「ちゃんと集中したほうがいいんじゃないですか〜」だ。いけしゃあしゃあと。裁判に持ち込んだら絶対私勝てるぞ。なんちゃら執行妨害とかなんかそんな感じのやつで勝てるぞ。授業執行妨害!勝訴!私、勝訴!竜持くん、有罪!敗訴!ざまあ!
そう高らかに心の中で叫ぶ私だけれど、実際は目を細めジッと竜持くんを睨むだけにとどめた。反論したところで、優秀な弁護士もついていない私では、竜持くんの達者な口に言い負かされてしまうこと必至だからだ。

うざいむかつくだまれ等の感情を瞳に込めて竜持くんを睨みつけていると、竜持くんはきょとんとした顔を見せたが、すぐにニヤリと笑って「やだなあ、夢子さん。そんなに熱く見つめられたら照れるじゃないですか」と言った。

「な!そ、そんなんじゃないよ!何言ってるの竜持くん、馬鹿じゃないの!」
「おやあ?夢子さん、顔真っ赤ですよ、大丈夫ですかあ?」

そう言われて自分の頬を両手で覆うと、確かに熱かった。「うるさい、うるさい!」と竜持くんの笑い声を振り払うように首を左右に振るけれど、そんな私を見て竜持くんはますます口角を上げていく。

く、くそう……もうやだ。


あの日から、竜持くんに対して弱みが一つ増えてしまった。
あの日とは、言わずもがな、竜持くんに、告白じみたことを言われた日、だ。
「なんで意地悪するのか」という問いに対し「好きな子いじめしたい心境わかりませんか?」と竜持くんは答えた。つまり、それは、いじめられてる私は、竜持くんにとって、好きな子、ということになる。国語のテストが二十五点だったとしても、それくらいわかる。

私は竜持くんに、告白っぽいこと、をされたのだ。

生まれて初めて告白なんてされた私が戸惑うのは、無理もない。あの後の私といえば、しどろもどろになるしかなく、竜持くんになんて返事をすればいいのか、わからなくなってしまった。あー、とか、うー、とかそんなことばっかしか言えなくなって、顔だって赤くなっていたと思う。実に年相応に純粋で、可愛らしい反応じゃあないか。
しかしながら、竜持くんはそんな時でさえ、私をからかい倒した。
顔赤いですよ?照れてるんですか?どんな気持ちですか?嬉しいですか?とかなんとか。
どうして告白された側が弱みを握られないといけないのだろうか。惚れた弱みってなんだ、誰が言いだしたんだ、全くの嘘じゃないか。そして告白した側であるはずの竜持くんが、あんな強気な態度もいただけない。さすが悪魔もとい、降矢竜持くんである。

とにかく私はその日から、竜持くんにそれっぽいことを言われると、あの告白を思い出して、動揺してしまうようになった。
竜持くんによるいじめから解放されることなどなく、むしろいじられるネタが増えてしまったのだ。告白されたのは、こっちなのに。
なにこれ絶対おかしい。
折角、私に好意を持っているらしい竜持くんに、少しくらいは仏の心で優しくしてやろうと思ったけど、そんな砂糖菓子の如く甘い考えはすぐさま吹っ飛び、竜持くんは私の中で再び「悪魔」という存在に返り咲いた。
まるで、告白なんて、なかったかのように。

「照れちゃって、可愛いですねえ」
「やめてよ!変なこと言わないで!」
「おや、また赤くなりましたね。喜んでくれてるみたいで、嬉しいです」
「喜んでなんかない!し!」
「夢子さんのそういうところ、好きですよ」
「なっ……!」
「ふふ、僕の気持ち、少しは伝わりました?」
「知らない、知らない!」

「おい、静かにしろー」

答案用紙をすべて配り終わったらしい先生が、教室に響き渡る声で呼びかけた。
それを合図に、騒がしかった教室も次第に静かになって行って、歩き回っていたクラスメイトたちも、自分の席に着いて行く。
私の席の後ろに立っていた竜持くんも、自分の席、すなわち私の隣の席に座った。
私は、助かったと安堵の溜息を吐いて、火照った頬を冷ますように、両手を顔の前で小さく扇いだ。

先生はみんなが席に着いたのを確認すると、今回のテストについて話始めた。間違えが多かったところとか、ひっかけ問題の解説とか、平均点とか。私は両手で頬杖をついて、先生の話を適当に聞いた。正直、二十五点なんて救いようのない点数を取ってしまった私からすれば、もう解説を聞くのも面倒くさいというか直すのも面倒くさいというか、気落ちしてしまってそれどころではない。採点ミスを探そうにも、上がったところで一点二点の雀の涙ならば、焼石に水でしかないし。そんなことより、家に帰った後お母さんにどう言い訳するかを考える方が先決である。

「(お腹が痛くて集中できなかった、とか。いっそ竜持くんのせいにしてしまおうか……)」

テストの問題を解くよりも熱心に、頭を働かせた。
私にとって、いかにお母さんのお説教を回避するかが、今日最も重大な事象だった。
だった、はずだった。

先生の、その言葉を聞くまでは。


授業終了のチャイムが鳴り、日直が号令をかける。それを合図にクラスメイトは教室にばらけ、先生は教科書を持って出ていこうとした。その時だ。先生が「ああ」と思い出したような声を上げてから、もう一度教卓に戻ってきて「言うの忘れてた」と切り出した。
既に騒がしくなっていた教室では、先生の声に気付かない子もいて、先生の言葉はほとんど独り言みたいになっていたけど、席でうつ伏せになって落ち込んでいた私の耳には、はっきりと聞こえた。

その、絶望の私を救うような、神の恵みのような話、が。

「明日の一時間目、図工の先生がお休みで時間空いたから、席替えすることにしたぞ」
だから教室移動しないで、ちゃんとクラスにいろよ。

それだけ言い残し、先生は教室を後にした。

せきがえ……?

私は、ポカンと口をあけた。
一瞬、先生が何を言ったのか、分からなかった。
先生の言葉を、脳内で反芻するが、上手くいかない。
セキガエスルコトニシタゾ。
セキガエ?せきがえ……?
いや、まさか、いやでも、私の聞き間違いでなければ、それは。

「席替え?!」

ようやく漢字変換に成功した文字が、驚きと喜びの感情と一緒に口から勢いよく飛び出した。
私の叫ぶような声に、近くにいた数人のクラスメイトが訝しげな視線を送ったけれど、そんなことはお構いなしに表情筋がだらしなく緩む。いかんいかん、と間抜けな顔を諌めようとするけれど、意思に反した口の端は吊り上るのをやめようとはしなかった。
しかしこれは、どうにも仕方のないことであるのだ。

遂に、遂にその日がやって来る。その日がくることを、どれだけ待ち望んだことか。
恋焦がれて苦節二か月。悪魔の隣の席になったあの日から、ずっとずっと待ちに待った席替えが、遂に明日やって来るのだ。
席替え。それはいやがらせに悩む日々との決別。なんて幸せ!
やったあ、やったあ!
竜持くんのねちっこい嫌がらせから解放されると思うと、喜ばずにはいられなくて、私の口からご機嫌な笑い声が「ふふふ」と漏れた。
嬉しい、嬉しい!

ああ、早く明日になあれ!



「随分と楽しそうですねえ」

ふと、水を差すような、冷めた声が聞こえた。
何かと思い、声のしたほうに振り向くと、席に座っていた竜持くんがこれまた冷めた目で、私をジッと見ていた。呆れたような、軽蔑したような、細められた目に見つめられて、訳も分からずたじろぐ。
え、な、何……?

「な、何その目。楽しんじゃいけないっていうの?」
「いいえ、別に。誰もそんなこと言ってないじゃないですか。夢子さん、自意識過剰なんじゃないですか?」

まるで汚物でも見るような目で私を見下した竜持くんがそう吐き捨てて、ツンと顔を逸らした。

なに、それ。

ムッとして、そういつもなら咄嗟に口を出る反論の言葉が、吸い込んだ息と共に、肺の中で消えた。
気軽に言い返すことなんて、できなかった。
竜持くんの態度が、いつもと違ったからだ。

「竜持くん、怒ってるの……?」
「僕が?どうして?」

そう言った竜持くんがハン、と嘲笑したように笑った。竜持くんがこちらを馬鹿にするように笑うのはよくあることだが、いつものそれとは違い、本気で蔑んでいた。
いつもだったら、くすくすと楽しそうに笑うのに、目の前の竜持くんは少しも笑っていなかった。

怒ってないならなんで?さっきまで、いつも通りだったのに。私の誰にも知られたくない点数を大声で読み上げて、嫌がる私を見て喜んでたくせに。どうして突然、こんな風に冷たくされなければならないのだろうか。私が怒るならまだしも、なんで竜持くんが怒るんだ。全く持って、訳が分からない。

一瞬、これもいつもの私を困らせるいじめの一つなんじゃないかと推測するけれども、私を見る竜持くんの目を見ると、そうではないことがすぐにわかる。
竜持くんに、こんな冷たい視線を送られたのは、初めてのことだった。
こんなに突き放したように詰られるのは、まるで「嫌いだ」と言われてるようで、動揺せずにはいられない。


突然の竜持くんの態度に、何も言えずに黙っていると、竜持くんはこちらに目も向けず、立ち上がって教室を出ていった。

「(意味わかんない……)」

あまりにも突然で理不尽な竜持くんに、いつもみたいに怒ることも忘れて、ただただ口をあんぐり開けて困惑してしまった。



結局、その日の竜持くんはずっとそんな様子で、いつもみたいにちょっかいを出してくることもなければ必要以上に話しかけてくることもなく、私を空気みたいに扱った。居たたまれなくなった私が思い切って話しかけてみると、面倒くさそうな顔をして、そっけなく対応した。

「竜持くん、算数の宿題やった?難しかったよね」「別に」
「竜持くん、今日の給食のデザート、イチゴ大福だって。欲しい?竜持くんイチゴ好きじゃないっけ?前に私の食べちゃったよね」「特に好きじゃないので」
「竜持くん、掃除手伝おうか?一人じゃ大変じゃない?」「間に合ってます」
「竜持くん、あのね」「僕、急いでるのでまたにしてください」

竜持くんが淡々と私をあしらう。
最初は竜持くんに気を遣っていた私も、次第に腹が立ってきた。

「もう!なんなの竜持くん!いい加減にしてよね、うざい!」

六時間目が終わったあたりで、私の堪忍袋の緒が切れた。
どうして理由も言ってくれずに勝手に怒ってる人間に、わざわざ気を遣わなければならないのか。竜持くんなんか、私にとってただただうざい存在でしかないじゃないか。私が、竜持くんのご機嫌をとる必要など、これっぽっちもない。

いつまで経っても機嫌の戻らない竜持くんに苛立って、半ば叫ぶように言い放った。
しかしながら竜持くんはあくまでスタンスを崩すことなく「何の話ですか?いきなりヒステリックに怒らないでくださいよ、うざいのはどちらでしょうねえ」と冷ややかに言った。

うざい。

思わず舌打ちしそうになった。
竜持くんはあくまでとぼけて理由を言おうとしない。だったら私だって、これ以上どうしようもないのだ。
帰りの会の時間になると、私も竜持くんに話しかけることはなくなった。
いつもは、竜持くんの一日の嫌がらせから解放されるこの帰り間際の時間は私にとって至福であるというのに、お腹の中がムカムカして気が立った。

今日で竜持くんの隣の席も最後だというのに、私たちは今までにないくらい、険悪だった。




「ほんっとうに、むかつく!」

学校の帰り道、一緒に帰る友達に溜まっていた怒りを一息に吐き出した。
今日一日を振り返りながら事細かに竜持くんの不躾な態度を愚痴っていると、際限ない怒りが止めどなく溢れてくる。
ああむかつく、竜持くんむかつく!
これだから、竜持くんは!

怒りのため、心なしか息を切らして怒り狂っていると、ずっと黙って事情を聴いていた友達が「竜持くん、寂しんじゃない?」と言った。

「寂しい?」

私は眉間に寄せていた皺を更にシワシワにさせて、訝しげな顔をした。

「だってさ、夢子のこと好きなんでしょ?席替えするの寂しいんじゃない?」
「……」
「それなのに夢子は席替え喜んじゃってさ」
「……だって」
「竜持くん、かわいそー」
「……」

友達の言葉で、何も言えなくなった。
可哀想?竜持くんが?
可哀想なのは、いじめられてた私じゃないのか……?
竜持くんが可哀想なら、私のせいなのか?

私、竜持くんのこと寂しがらせてる?

そう思うと、なにか居心地の悪い気分にさせられて、思わず私は顔を伏せた。

「それにしても、竜持くんて案外子供っぽいんだね」

うん、それは、随分前から知ってた。




機嫌の悪い竜持くんに気を取られ、すっかり忘れていた。二十五点のテストのことだ。
家に帰るとお母さんに「テスト返ってきたの?」と開口一番に尋ねられた。やばい……と冷や汗ダラダラたらす私のランドセルを乱暴にあさったお母さんが答案用紙を見つけると、お母さんは私に夕飯抜きの刑を宣告した。
冷たく言い放つ母のご機嫌を取ろうと「ごめんなさい、なんでもするから許して、ね?」と猫撫で声ですり寄るけれど「あんたが悪いのよ、頭冷やしなさい」と言った母の言葉に一蹴された。

夜はあまりにお腹がすいて、ふて寝の意味も込めて、早めにお布団に入った。けれどお腹がすいて眠れなかった。グウグウとお腹が音を立てる。
暗くなった部屋の天井を見つめた。こう、寝ようと思っても寝つけられないときはぼうっといろんなことを考えてしまうが、大抵考えなくていいことを考えてしまうもので、瞼の裏には今日の竜持くんのツンとした横顔が映った。

今日の竜持くん、どうしてあんなに冷たかったのだろうか。

至極当たり前に思う疑問が、脳裏をよぎる。
竜持くんの隣の席にいるときよりも幾分か冷静になった頭で考えた。

友達が言っていたように、竜持くんは寂しのだろうか。
席替えをするのが、私の隣の席でいられなくなることが、寂しいのだろうか。

竜持くんが告白っぽいことをしてくれたあの日、竜持くんは、私を悲しませたくないと言った。泣くのは見たくない、と言った。
それはまるで、私のことを大事にしてくれてるみたい、と思った。
悪魔みたいに私をいじめ倒すせいで忘れがちだけれど、あの時私は確かに嬉しかったのだ。
それなのに私は今、そんな竜持くんを寂しがらせているのかもしれない。悲しませているのかもしれない。
それはすごく不誠実で、嫌なことだと思った。そんな自分のことを、嫌な奴だと思った。

「(露骨に喜びすぎたかも……)」

竜持くんに対して、ほとんど初めて、申し訳ないと思った。

布団に深く潜って、体を小さく丸める。

竜持くん、竜持くん、竜持くん。
うざくて面倒くさくて意地悪で、でも私を大切に思ってくれてた竜持くん。

竜持くん、私のこと呆れたかな。ひどいやつだって、見損なったかな。
私のこと、嫌いになったかな。

そう思うと、ひどく寂しい気がした。
あんなにうざく思っていたくせに、何故か、竜持くんに嫌われたくないと思ってしまった。


明日で隣の席も最後だっていうのに、ずっとこのままじゃ、すごく悲しいなあ。





「おはようございます、夢子さん」
「え、あ、おはよう……」

次の日、学校に登校し靴箱で上履きに履き替えていると、竜持くんに声をかけられた。思わず肩を上下させて驚いた。昨日あんなに機嫌が悪かったくせに、まさか竜持くんから話しかけてくるとは思わなかったのだ。私は思わず訝しげな顔をした。
また何か企んでるんじゃなかろうか。

そんな私の心を見透かすかのように竜持くんは「そんな警戒しなくても、何も企んじゃいませんよ」と言った。

「昨日はすみませんでした、僕、拗ねてしまって」
「べっ……別に」
「でも、夢子さんも悪いんですよ?僕の気持ち知っておいて、あんなに喜ぶんですから。僕は席替え、寂しかったのに」

ああ、友達の言ってた通りだ。ぼんやりと思った。

「ごめん……」
「別に謝ってほしいわけじゃないですよ、ただ」
「……ただ?」

竜持くんはそこまで言うと言いにくそうに目を逸らした。そうして一度私に、盗み見るような視線を送ってからまた視線を落として「ただ、今日くらいは喧嘩したくないなあ、と」と言った。

ああ、もう、なにそれ。

顔が熱くなるのがわかった。別に、いつもみたいにからかわれたわけでもないのに、すごく照れ臭かった。
本音を言うのが苦手な竜持くんの、いつもいじわるばっかりする竜持くんの気持ちだと思うと、たまらない気持ちにさせられた。
私のこと大事にしてくれてるんだなあって、嫌いになんてなってないんだなあって思うと、すごく、嬉しかった。

「うん、私も」

私が頷くと、竜持くんはぎこちなく笑った。



しかしながら二か月間隣の席で時間を共に過ごしてきた私たちにとって、一時間目の席替えなんてそれはそれはすぐにやってきた。
ティッシュ箱を改造して作ったくじ箱らしきものを小脇に抱えた先生が教室に入ってきて「よし、席替え始めるぞ」と言った。

遂にこの時が来てしまった。この時が来ることを、どれだけ待ち焦がれていたことか。
恋焦がれて苦節二か月。でも、隣の席でつまらなそうに頬杖をつく竜持くんを思うと、あんまり嬉しくはなかった。
一人ずつ取りに来い。先生がそう言って、前の席の子から順番に取に行く。

くじに書かれた番号と同じ、黒板に書かれた席表を確認して、みんな喜んだり落ち込んだりしている。

私も自分の順番になって教卓の前まで行き、くじを引いた。
くじ箱の中をかき回して底にある紙を、一枚引いた。
教卓から一人離れて、誰に隠すわけでもなく窓際でコソコソと確認した。
三番。
くじに書かれていた番号を確認すると、窓際の前から三番目だった。

教卓の真ん前じゃなくてよかった、と安堵しながら席に戻ると、既にくじを引いた竜持くんも席に戻ってきていた。

「竜持くん、何番だったの?」

明るく尋ねたけど、予想外に声がうわずって焦った。
けれどもそんな私をからかうことなく、竜持くんは「十番です」とさらっと答えた。

十番……。と黒板の席表を確認すると、窓際二列目の一番後ろだった。私の隣の列の二つ後ろだ。
離れちゃった。
何故か落胆している自分がいて、少しばかり驚いた。
あんなに離れたかった竜持くんの隣の席が、いざ自分じゃなくなると思うと、心のどこかで寂しいと思ってしまった。

「いいなあ、一番後ろ」

そんな自分の気持ちを隠すように笑うと、竜持くんが「夢子さんの隣が良かったです」なんて言うものだから、照れて何も言えなくなった。

「へ、変なこと言わないでよ……」

絞り出すように弱弱しく言うと「本当のことですし」と竜持くんはくすっと笑った。

「夢子さん、僕言わなくちゃいけないことあるんですけど……」
「な、なに……?」

突然、竜持くんが私をジッと見る。手に汗がジワっと広がった。
竜持くんに見つめられて、緊張した。


「……夢子さんの算数の教科書、マイナスの記号を全部プラスに書き換えてあるんです。夢子さん、いつまで経っても気付かないから、面白くて……」
「ふざけろ」

どうりでいつも算数の計算間違えると思った!竜持くんのせいだったのかよ。

「くだらないことしないでよね」と私が憤慨すると、竜持くんは楽しそうに笑った。
ああ、こうやってくだらないいたずらされたり、言い合いをするのも最後なんだなあって思ったら、やっぱり寂しい。


「よし、じゃあ机移動しろー」

先生の声が教室に響いて、各々自分の机を移動させる。
私と竜持くんも、机に手をかけた。

「……寂しいな」

移動する直前、私がポツリと呟くと、竜持くんは驚いたようにこちらを見た。
私だって驚く。寂しいと思うなんて、私だって思いもしなかったし、思っても素直に口にするのもらしくない。

でも、最後くらい素直になりたいなあって思った。
少しくらい、私を大切に思ってくれる竜持くんに、本当のことを言いたいなあと思ったのだ。

「寂しい?」
竜持くんが、疑うように聞き返す。なんでそんな信じてくれないのかと、私は思わず口をとんがらせて拗ねた。

「夢子さん、寂しんですか?」
「……悪いの?」
「……いえ」

いえ。そう言って竜持くんは口に手を当てて黙ってしまった。
なんだ?と思って竜持くんを覗き込むと、竜持くんはくすりと眉を下げて笑った。

「嬉しいです、夢子さん」

竜持くんが、あどけなく笑った。

う、わあ。顔が、熱、い。

嬉しそうな竜持くんを見ると、すごく、照れて、嬉しくなった。



「ようし、全員移動したな」

席替えが終わって、先生が教室を見渡した。

これが新しい席かあとぼんやり考えながら、隣の席の男の子に「よろしく」と小さく挨拶した。隣の子、オオタニくんはクラスでも大人しめの性格であんまり話したことない子だけど、笑顔で応対してくれて、感じのいい子だった。
竜持くんとは真逆そうな印象に、平穏な生活が送れそうだなあ、と考える。
どこか物足りなさも感じるけど、これはこれでいいのかも。
大体、竜持くんとは隣の席でなくなるだけで、今生の別れでもないんだし。

私がそう自分に納得させて、寂しい気持ちも薄れ始めたころ、先生が「じゃあ何かこの席で問題あるやついるか?」と尋ねた。


「はい」


凛とした声が教室に響いた。
あれ?この、声……。

クラスメイトたちが声のした方に振り返る。
私も、声のした方に視線を向けた。
まさか、この声の主は。

振り返ると視界に入ったのは、案の定、ピンと手を上げていた竜持くんだった。

竜持くん、なにを。


「おお、降矢か。どうした?」

先生が尋ねる。

「はい、僕最近視力が落ちてきたので、前の席に変えてもらいたいんですけど」
「そうか、でもお前は背が高いからな、あんまり前にしてもなあ」
「そこまで悪くないので、一番前でなくても平気です。二つほど前にしていただければ」
「え」

思わず、驚きの声が漏れた。
だって、二つ前って、もしや。

「そうか、じゃあ……オオタニ、お前降矢と変わってやれ」

先生が、私の隣の子、オオタニくんを名指しした。
大人しい性格のオオタニくんは、二つ返事で了承し、机を持って後ろに去って行った。
私の隣の席が、空っぽになる。

ガタガタと机がぶつかる音がしばらく教室に響き、音がやむ頃には再び隣の席が埋まった。

「やあ、夢子さんじゃあないですか。偶然ですねえ」

竜持くんがそう言ってわざとらしく笑った。
急な展開に、口をあんぐり開けて驚いてしまった。


竜持くん、あなたって人は。


「もしかして、竜持くんて……馬鹿なの?」
「夢子さんよりは賢いと思いますよ」
「うざ」
「ひどいですねえ」

ひどい、とは言うけれど、竜持くんはくすくすと楽しそうに笑う。


「これで寂しくないですね、夢子さん」
「べつに……」
「これからも、よろしくお願いしますね」


竜持くんがくえない顔で笑う。
あんまりアホらしい展開に、私も呆れる気も失せて、笑った。


私の隣の席はやっぱり悪魔な竜持くんで、これからも平穏な生活とは程遠そうだ。






東楓さま、リクエストどうもありがとうございました!
いかがだったでしょうか……?こんな感じで大丈夫だったでしょうか……?
短編の続きを書くのは思ったより難しくて緊張もしたのですが、続きを書くのはやっぱり楽しかったです!^^
またこのお話を書く機会をいただけて、本当に感謝します!
ありがとうございました!
楽しんでいただけるかは不安ですが一生懸命書かせていただきました。
これからもどうぞよろしくお願いします!^^
それでは失礼します、ありがとうございました!(2012.11.04)

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