これのつづき


右手で前髪を掻き分ける度にあの日のことを思い出すようになって、手に負えない。顔が熱くなるのがわかって、前髪の代わりに口を覆うようになった。
自分の癖なんて、自分でわかる人は少ない。誰かに指摘されてはじめて気づくことばかりだ。人のふり見て我がふり直せなんて言葉もある。誰かを介さなければ、自分を客観視することは難しい。
私が嘘をつくときに前髪を触る癖があることを教えてくれたのは、凰壮くんだ。指を折って数えることができる程度にしか会話をしたことがない凰壮くんに指摘されるだなんて、やはり彼は人をよく見ているのかもしれない。
けれども、彼があの日に教えてくれたのは、これだけではなかった。

――ずっと話してみたかったんだ。

凰壮くんがそう告白するまでに至った理由について、私は知らない。どうして、こんな取り柄もなく優柔不断な私を凰壮くんが気にかけてくれていたのか、皆目検討もつかなかった。何度か聞いてみようかと思ったけれど、やっと凰壮くんと軽い雑談ができる程度に成長したばかりである。(それまでは緊張して、筆談が精一杯だった)。あの日のことを掘り返すような質問は、私にはまだまだエベレスト以上に高いハードルなのである。
あの日の凰壮くんを思い出すだけで、また熱くなった顔を覆ってしまうくらいなのだから。

緊張して聞けないことは、やはり筆談で尋ねてみるべきだろうか、と何度か思案したけれど、いつまでも筆談に頼っていては自身の成長は見込めない。そう思って、何度も走らせようとする筆を止めた。



あの日から随分の月日がすぎて、私の受験も無事に終わり、本日、私たちは卒業式を迎えている。

卒業式を間近に控えてから、ほとんど授業は卒業式の練習に取って代わり、隣の席の凰壮くんと話す回数も減った。以前の様に、いっぱいいっぱいで話せないというわけではないのが、より悔しい気持ちにさせた。そのような思いのまま迎えた卒業式は、六年間苦楽を共にした学び舎への別れを惜しむ気持ちよりも、新しい生活への期待よりも、焦りのほうが大きかった。
このまま凰壮くんとあやふやな関係のまま、満足に話すこともできずに卒業しなければならないのか、と。折角、少しずつ話せるようになってきたというのに。

卒業という雰囲気に呑まれた両隣の女子たちが泣きじゃくる間で、不安に唇を噛んだ。


式が終わってから、卒業生は教室に促された。先生から、中学へ旅立つ私たちへ送る言葉があるようだった。
自分の席に座ると、後から凰壮くんがやってきて、隣に腰掛けた。
凰壮くんは、虎太くんや竜持くんとお揃いの灰色のブレザーを着ていた。(ネクタイだけが色違いだった)。三人とも背が高いから、いつもよりもずっと大人っぽく見えた。私は母が用意した、シックなモノトーンのワンピースを着ていたけれど、凰壮くんの隣に座ってしまうと、子供らしさが拭いきれなかった。

「泣かなかったのかよ」

凰壮くんがからかうように口の端をあげる。
随分久しぶりに話しかけられた気がして、心臓が緊張したように鼓動しだした。

「だい、じょぶ」

片言の返事は全然大丈夫に聞こえなかった。
最近凰壮くんと話す機会が減ってしまったからだろうか、いやに緊張する。筆談するようになる前に戻ってしまったみたいだ。これでは、卒業なんてしたらすぐに話なんてできなかった頃に戻ってしまうのではないか。いや、それ以前に、卒業したら、もう凰壮くんと話すことなんてないのかもしれない。
そう思うと、卒業式では固結びしたみたいにきつかったはずの涙腺が緩みかけた気がした。

クラスメイト全員が着席するのを見届けてから、担任の先生が感慨深いというように話を始める。初めて私たちの前に立った日のこと。五月のレクリエーション遠足で、四班が迷子になってしまった時のこと。運動会のクラス対抗リレーで第三走者がバトンを落とし、一度ビリになってしまったにも関わらず、アンカーの虎太くんの活躍で大逆転優勝した時のこと。算数の授業で何度も竜持くんに先生の間違いを指摘されたこと。合唱コンクールで指揮者の女の子が泣き出して学級会議を開いた時のこと。受験した生徒から合格の報告を受けた時のこと。放課後の教室で卒業したくないなあとぼやく生徒たちを笑い飛ばした時のこと。一つ一つを、アルバムをめくるみたいに丁寧に話した。
すると、次第に、卒業式から気持ちが落ち着いてきたはずの女子たちが再びしゃくりあげて泣き始め、その雰囲気がクラス中に伝染し、いつの間にかカエルの合唱の如くすすり泣きの合唱が教室を取り囲むようになった。実に、卒業式に相応しい。

しかしながら、私はと言えば、このような人生に一度しかない小学校の卒業式にも関わらず、いかに凰壮くんとこれからも話をすればいいかなどとそんなことばかり考える始末。正直、卒業し甲斐のない薄情者と言われても仕方がなかった。

「夢山」

そっと、すすり泣きの合唱の中から、隣の席の私にしか聞こえない声がした。
ゆっくりと振り向くと、どこか得意気な顔をした凰壮くんが目に映った。

「手、出せよ」

凰壮くんが、ほとんど口パクで言った。
手?
意図がわからず、少し戸惑ってから、そっと手を差し出した。

凰壮くんがポケットから何かを取り出して、私の掌に零した。

「(ぼたん……?)」

ぼたんが、掌に転がった。
金色の、かっこいいボタンだった。

「卒業式と言ったら、ボタンだろ」

凰壮くんが囁くような声で頬杖をついた。

卒業式とボタン?

視線を落とすと、凰壮くんのブレザーの第二ボタンがなくなっていることに気付いた。

「学ランでもなんでもないけどさ。それは中学卒業まで待ってろよな」

凰壮くんが、やはりからかうように笑った。
顔が熱くなるのがわかって、思わず口を手で覆った。すぐに凰壮くんが「最近、その仕草よくするな。何それ」と尋ねてくる。

言わない。言えない。まだ、恥ずかしくて、そんなこと。

私は卒業したら凰壮くんと話せなくなるって落ち込んでたのに。
中学の卒業式でも、こうしてボタンをくれるのだろうか。きっと、隣の席でもなんでもないのに。

「ゆっくりでいいからさ、ちゃんと返事しろよ」

――ゆっくりでいいから、ちゃんと自分の言葉で言えよ。

あの日、凰壮くんが言った言葉と、そう違いはなかったはずなのに、穏やかな気持ちになったあの時とは違って、心臓がすすり泣きの合唱を掻き消すくらいにうるさくなる。


ねえ、返事って、なんのこと。
私が思っているので、合ってるの。
どうして私と話したいと思ったの。
どうして私の癖を知ってたの。
どうして私にボタンなんてくれるの。
私の西郷さんの額に肉って書いたの、凰壮くんでしょう?


聞きたいことが山ほどある。
言葉では聞ききれないから、手紙にでも認めようかしら。教科書の余白が、既に懐かしい。

――ゆっくりでいいから。

筆を走らせるその間に、幸せを噛みしめよう。



ニケさま
企画に参加してくださいまして、ありがとうございました!
つづきものということで、いかがでしたでしょうか……。
少しでも楽しんでいただければ幸いに思います><
遅くなってしまいまして、すみませんでした。
三つ子の長編も読んでくださっているそうで、大変恐縮です。誰落ちかは言えませんが、暖かく見守っていただけると嬉しいです。
それでは、リクエストありがとうございました!
では!
(20131105)

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