短・中編置場

novel

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イーグル22(3)



「それは違う、任務だ。いいかルートラ。顔を俺に向けたまま視線だけで道路挟んだ反対側の建物を見ていろ。後少しで本日の対象が出てくる、陸軍幕僚長夫人だ」
 クリスは腕に巻かれている時計を一瞥し、顎でしゃくる。
 高層建物の裏口から出てきたのは、黒髪黄肌の黒国人女性。一人だった。周囲を警戒するように左右見渡し、大きな鍔付夫人帽を目深にかぶり歩き出す。派手な装いではないが、イーグル22にでも分かるような高級婦人服を着用していた。
「二人一緒にいる所を見られないように別々に出てきたらしいが、かえって一人で出てくる方が不自然だ。詰めが甘いな」
「そうなのですか?」
 イーグル22は、理解できずに聞き返す。
「そりゃそうだろう。そういう場所なんだから」
「そういう場所って」
「あの建物はただの宿泊施設でなくて、セックスをする場所だ」
 男相手とはいえ未だ年端もいかない子ども相手に、クリスは繊細な気配りも出来なかった。クリスは胸元の襟内側に付けている小型無線機に向い、小声で会話する。
 出るぞとの言うなり、給仕人を席まで呼びつける。軍籍身分証を提示し店舗帳簿に会計を付けさせ、急ぎ足で夫人の後を追いかけた。
 クリスは周囲に人気がない時機を見計らい、距離を縮め背中越しに呼び止めた。
「ダレス陸軍幕僚長夫人」
 夫人は驚愕して勢いよく振り返る。間髪置かず首筋に手刀を受け、悲鳴を上げる暇もないままその場で崩れ落ちた。
「軍には何よりも大事な面子がある。寝台の上でまぐわいながら男に機密情報を流していた事実はあってはならない」
 クリスは気を失っている夫人の身体を抱き上げ、路上の奥で夫人の到着を待機していた自動四輪車まで運ぶ。運転席の硝子を軽く叩き、陸軍幕僚長一家送迎を担当する陸軍お抱えの運転士に、所属組織と階級を名乗った。
 顔見知りではないが同じ軍属である運転士は、クリスの軍籍身分証を一瞥するなり慌てて運転席から降車し敬礼をする。夫人の不倫行為を訝しみ、陸軍上層部を通さず直接第十三区に密告した男だった。
 クリスは気絶したままの夫人を、助手席に座らせる。
「君、少し此方へ。我々は今過激派組織を追っている。本日ザレハで要人を狙った爆破事件を起こすという犯行声明文があり――」
 芋芝居を披露するクリスと運転士が自動四輪車から離れた直後。爆発音を上げ車体は大破。先刻夫人の纏う外套に忍び入れた小型爆発物が爆発したのだ。大きな火柱が上がり、勢いよく鉄の残骸が四方に散らばった。
「……遅かったか。周囲の警戒に当たっている緊急対策班が近くにいるから、直ぐに呼んでおく。あの爆発規模では、陸軍幕僚長夫人は助からない。二次災害が予測されるから、緊急対策班が到着するまでくれぐれも現場に近づくな」
 暗殺計画を知らされておらず唖然としている陸軍所属運転士の肩に、クリスは手を乗せ2回ほど軽く叩く。
「は、承服致しました」
 直ぐ意を汲んだ運転士は、もう一度姿勢を正し敬礼を行った。
 言いたげに見上げたイーグル22の肩を掴み、クリス達は踵を返す。
「さて、任務終了だ。帰ろう」


「陸軍幕僚長夫人って事は、偉い人の妻なのですよね」
 帰路に就く自動四輪車の中で、口を開いたのはイーグル22の方だった。いつもは多弁である教官が無言で運転をしているこの状況は、重苦しくて仕方がない。
「そうだ、俺よりも階級がうんと高い。陸軍幕僚監部の奥まった部屋にある立派な革張りの椅子に座ってふんぞり返っているから、滅多とお目に掛かれない。座ったままクイクイっと指を少し曲げるだけで、俺よりも偉い幹部数名が控室からすっ飛んでくるほどのド偉い人物だ。――まあ要するに、黒国陸軍の頭ってワケだ」
 返ってきた声色は、いつも通りだった。
「説明が長い、うざ。……だったら、わざわざ女の方まで殺さなくても揉み消せたのは。上の連中って得意なんでしょ、そういうコト」
「上層部や政治家になれる素質あるな、お前のその思考」
 クリスは叱らず、茶化すように言った。教え子は疑問を投げかけているだけに過ぎないと分かっていたのだ。
「そんなお偉い人の妻を殺して大丈夫なんですか?」
「言っただろう、これは任務だと。陸軍幕僚長夫人と逢引していた相手の間男は、β班が確保した。機密情報の漏洩は夫人で間違いないだろう」
「あの女は、何故秘密を洩らしたのです? 夫人がスパイだったってことですか?」
「そうじゃない、間男が諜報員だ。陸軍幕僚長夫人だと知った上で近付き肉体関係を持ち、睦言を交わす中で様々な情報を聞き出したんだろう。まるで官能小説みたいだが、残念ながら現実にもよくある話だ。快楽を与えてくれる男に聞かれりゃ、女は何も考えられなくなりペラペラと喋る。反対も然り、魅惑的な女に色仕掛けをされたら、男は下半身がだらしないからペラペラと喋ってしまう。つまり人間は性衝動に弱い生き物だ。未だお前はガキだが、言い寄ってくる女には気を付けるんだぞ」
「はあ……気を付けろ、ね」
 イーグル22は、運転をしている教官の衣服から擦った財布の中身を覗き込む。
 中から出てきたのは、女性の名前入りの大量の名刺。男の財布にだいたい入っていることを、幼いながら既に知っていたのだ。
「クリス教官が一晩で高い酒瓶を七本も貢いだ、エリアナちゃんの働いている夜の店。今度俺も連れてって下さい」
「馬鹿、返せ。……何故それを知っている」
「アイツは顔や胸ではなく尻の大きさで女を選ぶと教官達が笑っていたのを聞いたって、イーグル15が俺に教えてくれました」
「これは財布を抜き取った罰であり、躾だ」
 クリスは右手で拳を握りしめるなり、隣の席に座るイーグル22の頭上に容赦なく拳骨を落とす。
 勿論手加減が出来る気配りをクリスは持ち合わせていなかったので、かなりの衝撃であり初めての体罰だった。その体罰は、他の教官たちが教え子に行う暴力とは毛色が違う事に、イーグル22はまだ気付かなかった。



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