01


「ピアノのご先祖様、チェンバロだ」
「うわぁ〜ぉ…すごい…」

太陽が沈みきるより先に部屋の中に出来上がった楽器と対面し、思わず語彙を失う。
さっきまで居た杠も、千空とバトンタッチするかのように「また後でご飯持ってくるね!」と笑って出て行ったのだけれど、チェンバロに目を奪われていたせいで全然耳に入ってこなかった。

グランドピアノのように、屋根を支える突上棒の下には幾つもの弦が張られた響板が覗く。
響板の木面には花などの模様が鮮やかに描かれ、目で見ても楽しい。

鍵盤はピアノの白と黒が反転した色をしていて、二段上下で並んでいる本格的な造りだ。

グランドピアノより少し小さい印象だけれど、このこじんまりとした家の空いていたスペースを占領するくらいの大きさはある。
元より、生活感の感じない部屋だった。ガラスのテーブルとソファーと食べ物を貯蔵している棚以外無い殺風景な部屋が、チェンバロのおかげでやや彩りが添えられて生活感が加わった気がする。

千空と一緒に製作と組み立てをやっていたというヨボヨボのお爺ちゃん「カセキ」と、「クロム」と呼ばれていた若い青年がリビングのソファーの上でグッタリとした様相で寄り添うように座り込んでいるのを横目に、トンッと鍵盤を叩いてみると調律されていないせいで低くて間延びした音が響いた。


「ピアノは、今の技術ではまだ無理だ。
エスケープメント・アクションの様式、レット・オフ調整がキチい。
オマケにピアノ鋼線への銅線巻き付ける技術もな。
ほんのミリ違いで音が歪む。そこは、専門の職人を見つけ出して制作して貰うっきゃねーな」
「……へぇ……」

ピアノを弾いていたけれど、楽器の中の細かい構造原理までは流石に知らなかった…。
そもそも、ピアノの弦の張り替えとかは専門の人にやって貰っていたから、掃除と調律以外で響板の中はあまり弄らないし。


「だが、その点チェンバロは単純だ。弦に使用する鉱物の成分で音が変わる。
まあ、あとは単にチェンバロより歴史が古いものとなると、まともな構造図を見たことがねぇっていう理由ではあるがな」
「ありがとう、千空。けれど、チェンバロは専門外だよ。
チェンバロで弾いた曲は結構聴いたことあるけれど、実物は合同演奏会の後にお遊び程度に触らせて貰ったくらいしか……。弦も温度差で音が変わりやすいだろうし…。慣れるまで時間かかっちゃいそう。
楽譜も全部起せるかどうか…」
「だが、出来ねぇ事はねぇ」


そうだろ?と自信たっぷりな顔の千空から、私に向けられている信頼を感じ、ゾクゾクと背中をくすぐられる。

昔からそうだ。
千空は、出来ない人に無理難題を振る事はしない。
出来ると、信頼しているからこそ何かを頼む。

そして、相手自身に出来るか出来ないかを問うこともしない時、それは此方を全面的に信用して、大事な所を任せてくれようとしている時、だ。

…相変わらず、人を乗せるのが上手くてなんだか悔しい。


「うん。頑張ってみる」
「おう」

スリッと鍵盤を撫でつけながら、笑いが漏れた。

チェンバロの音を記憶の中から引き出しながら、目を伏せて鍵盤の上に両手を乗せる。
チェンバロとピアノは、同じ鍵盤楽器だがそもそも音の出し方が全然違う。

簡単に言うと、ピアノは弦を叩いて音を出す打楽器で、チェンバロは爪で弾くことで弦を振動させて音を出す撥弦(はつげん)楽器だ。
つまり、音が出る原理はピアノとかよりもギターに近い。

チェンバロの弱点である音の強弱が出来ないっていう要素を補填して進化したのが、現在のピアノになった。


……かの有名なバッハの生きていた時代は、まだピアノがなかった。
代わりに主流だったのは、チェンバロかオルガンだった。

現代でも愛好家がいる位愛され続けてる楽器だ。

それを今、この石だらけの世界で触ることが出来る。
まだ調律されていないとは言えど、バイオリンなどの弦楽器とはまた違う繊細な音が面白い。
ジャズなどとも相性が良さそうだし、爪で弾かれた音の震える余韻がピアノと違った味をしてて魅力的だ。

ピアノを嗜んでいた人がそちらの魅力に取り憑かれて、専攻を変えたという話も何人か聞いた事がある。


「調律して弾けるようになるのが楽しみだね」
「あ”ぁ、唆るだろ?
そのうち、バイオリンやチェロ・コントラバスの弦楽器。
吹奏系なんかも職人叩き起こして復活させっからよ。そうすりゃあ、後は音楽家を探して叩き起こしゃあ、オーケストラの一つや二つすぐ出来んだろ」

ヒッヒッヒ、と悪人面で楽しそうな声を上げる千空に、ついつい乾いた笑いが漏れる。

「壮大だねぇ。でも、私も流石に全世界にある楽器に対応した楽譜を起こすのは無理かな」
「あ?その辺はともかくとして、お前はピアノと弦楽器なら大抵イケるだろうが。ピアノに関しては、一度通しで聞いてるモノは弾けんだろ。
弦楽器もそうだ。音階さえ分かりゃあ、あとは一度聞いた事ある曲なら弾ける。
俺が知る限りの音楽の天才は、テメーくらいだ」

何言ってんだ?という呆れた顔を向けられ、本当に出来る前提で話が進んでる事にくすぐったい気持ちが湧く。


「買いかぶり過ぎじゃない?」
「そうか?」
「チェンバロの調律、音は何とかなるけれど他の楽器も作るんなら一応音叉(おんさ)は欲しいかな。あの、U字の形をしてて銀か何かの金属で出来てるやつ…分かる?」
「あ“――、固定された周波数の音を出せるアレか。弦楽器とかの調律で使う…素材は鋼、か?大きさに合わせて型作ればいけるな。
超速攻で幾つか作ってきてやんよ。後でお前が音聴いて調整しろよ」
「了解〜」
「クロム、カセキ。すぐできっから、お前達はまだ休んでて良いぞ」

クックックと笑いながら外に出て行くする千空の姿に、クロムという少年が「やべぇ〜…」と気の抜けたような声を漏らす。

「さっきまで鬼難易度のチェンバロ作りでヘトヘトだっつーのに」
「お疲れ様。千空も凄いけれど、二人とも凄いね。
こんな石だらけの世界に、楽器が出来上がるなんて思わなかったよ」
「だっろ〜!?まーでも、楽器作り自体は初めてじゃねぇんだ。山羊の腸の弦から作ったガットギターを、千空が来たばっかの時に作ったぜ!」


すげーだろ!!

さっきまでヨボヨボのヘロヘロだったのに、途端に元気いっぱいに立ち上がってキラッキラした目を向けてくるクロムの姿が、幼い頃の千空と重なった気がして微笑ましい気持ちになる。


「なあなあ!“音楽”が出来るなら、ギターも弾けるのか!?」
「うん、弾けるよ。……さすがにあの有名なジミ・ヘンドリックスとまではいかなけれど…」
「ジミ…?俺の倉庫からすぐ持ってくるからよ、ちょっと弾いてみてくれねぇか!?んで、俺も弾けそうなカッケー曲教えてくれよ!!」
「良いよ」

うぉおおお!!と声を上げながら扉を開けっぱなしにして出て行ったクロムの姿に、今度はカセキのお爺ちゃんがソファーの背もたれにもたれ掛かりながら「元気じゃのぉ〜」と弱々しい声を上げた。

元気いっぱい走り出したクロムがすぐに戻ってくるなり、「これが山羊の腸、「ガット」から作ったガットギターだ」と楽しげな顔で差し出してくる。

思ったよりも精巧な造りをしたギターの形に、内心驚きながら手に取って爪で弾いてみると、全ての弦から少し外れた音がしてぞわぞわした。

弾く度にちゃんと調律をしていないのかもしれない。
ソファーに深く腰掛け、安定した膝の上に乗せる。不協和音に首筋がゾワゾワするのを我慢しながら、ビンと一弦を指で弾き、その後は他の弦も交えて聞きながら糸巻きを弄って音を調律して整えていく。


「さすが、慣れてんな!」
「ありがと。手習い程度に教わった事があるだけだよ。
クロム、演奏前は毎回ちゃんと調律してからの方がいいよ。ズレたままでやると、その音で覚えちゃったりするから」
「分かった。でも、毎回調律する度に確認して貰うわけにもいかねーよな…」
「クロムが弾くのなら、やっぱり音叉(おんさ)があった方がいいね」
「おんさ?って、さっきも千空に言ってたけれどよ、それって何なんだ?」


不思議そうに首を捻っているクロムに、ジェスチャーをしながら「弦の調律を助ける器具であること」「叩いて音を共鳴させることで、正しい音を出すモノ」だということを伝えるとクロムの目がキラキラと瞬く。


「何だよ!そんな大事なモノ作るつーのに、俺ら呼んでくれねぇのかよあいつ!!
ちょっと千空んとこ行ってくる!!!」
「…ちょっとわしは疲れたから、千空の言うとおり休憩するぞい」
「おう!カセキの爺さんは休んでてくれよ!“おんさ”っつーのが出来たら、迎えに来るぜ!!」

ダッと元気よく走り出していったクロムに、「あ〜…行っちゃったな〜」と笑いながらフローリングの床に胡座をかいて座り、調律の済ませたギターを指で爪弾く。

「おほ〜…、やっぱりクロムが弾くのとは雰囲気が変わるのぅ」
「弾いてた回数が違うだけだよ。クロムも沢山弾けばきっと私よりもずっとずっと良い音が出る。
音楽に大切なのは、曲や音にかける情熱だもん。私みたいにただ演奏回数を重ねてる人ならいっぱいいるけれど、人の心を動かすような演奏が出来る人は、クロムみたいに純粋に演奏や音楽を楽しんでる人だと思う」
「……うむ。そうかもしれんが、わたしはそれだけとも思わんよ」


優しげな声なのにはっきりと断言するカセキのお爺ちゃんの声に、振り返ってソファーを見上げると、おっほっほと笑顔を向けられる。


「わしから言わせれば、お主もたっくさん音楽を愛しておるんじゃろう。
そうでなければ、触っただけの楽器をそこまで流暢に弾けるわけがなかろうて。
何度も何度もトライアンドエラーを繰り返したから、上手くなった。
千空もよく言っておるよ。失敗するのが当たり前、天才なんかおらぬ。
何事も根気よく、失敗から学んでこそ上手くなるのじゃと。
それだけ練習を重ねることが出来る人間に、情熱がないと思わんて。…違うかのう?」
「……ありがと、カセキのお爺ちゃん」
「オホー!わし、良いこと言ったんじゃないかのう〜?」


ふおふおっと楽しそうに笑うカセキのお爺ちゃんにつられて笑いながら、調子に乗って記憶の中にある曲を幾つも弾き語る。
カセキのお爺ちゃんはソファーにちょこんと座り、皺の刻まれた優しげな瞼を降ろしては、しわしわの小さな両手を腿の上に沿えてただ静かに音に合わせてゆったりと体を揺らす。

それがただ穏やかで心地よく、千空と一緒に居る時間のように心が凪いでいくようで楽しくて堪らなかった。
昔ピアノを弾いている私の座っている椅子に、背中を預けてもたれ掛かって本を読んでいた千空と過ごした時間を思い出される。



「っ、押したらダメなんだよ!」
「えー、一曲ごとに場所交換って言ったじゃん」
「次あたしだってば〜」
「わ、きゃっ」
「おわっ」

僅かに開いていたらしい扉の隙間から、小さな影が縺れ合いながらドサドサドサっと土間に転がり入り、楽器を触っていた指を止めてそちらを振り返る。

土間に転がっている見知らぬ子供たちに戸惑い、ソファーに腰掛けてウトウトしていたカセキのお爺ちゃんに視線を向けると、「スイカたちじゃのう。村の子供達じゃ」と蓄えたヒゲを撫でつけて笑う。

……空いていた扉の前でワラワラと集まっているものの、この家の主は石神千空。

オマケに私は村人に取っては得体の知れない人間。近づいてもよいのか、勝手に上がっても良いモノなのか、家主である千空が居ないからどうしたら良いのか分からないのだろう。

どうしようかと視線を迷わせるも、キラキラした目を向けてくる子供達を前に無視するわけにもいかない。
扉の外でモジモジと足の先をすりあわせ、子供同士で視線を交わしているのを見やり、穏やかに笑って首を縦に振るカセキに小さく頷いては子供達に手招きをする。

すると、パアッと明るく笑った子供たちが靴を土間で靴を脱ぎながら我先にと家へと上がってくる。
その中で、瓜(うり)のようなモノを頭からすっぽりと被っている少女が真っ先にソファーに座っている私たちの方へ駆け寄り、まるで仔犬のように人なつっこい声でコロコロと笑った。


「初めまして、スイカだよ」
「初めまして、私は千空の前からの幼馴染みで…」
「知ってるんだよ!千空が、探して、っむぐ」

他の子供の手がスイカちゃんの口を遮り、ハッとしたスイカちゃんまでも「な、なんでも無いんだよ!!」と笑う。

「千空の家の外まで演奏が聞こえてきてね、楽しそうだったら聞きに来たんだ〜」
「クロムのギターなんだよ〜」
「聞いたことない曲ばっかりだった!聞いてもいい〜?」
「いいよ〜」

スイカちゃんが正座をしてちょこんと床に座ると、周りの子たちも真似をするかのようにペタペタと足を畳んでお行儀良く座り出す。
何も言っていないのに、ソファーの周りをぐるりと囲うようにして座っては、皆が一様にキラキラとした目で見上げてくる為、フフッと笑って演奏を始める。

「凄い!いい音なんだよ〜」
「これはダニエル・パウターって人の曲なんだ。何か演奏して欲しい曲は……って、知ってる曲ないか」
「千空が『入学式』の時に教えてくれた『39』って曲なら知ってるんだよ!」
「入学式…?39って…ああ、あれか。ロケットの…っえ?
ってことは、千空がギター演奏して、歌を歌ったの?」
「歌は歌ってないけれど、クロムにギターを教えてるときにちょっと演奏してたよ!」

えええー…、いいなぁー…!

音楽をしてる千空なんてめちゃくちゃ貴重だ。
中学は同じクラスになってないから、小学生の時の合唱の授業以来、歌ってる姿も見てない。
高校生活になってやっと同じクラスになったのだ。


「あとね!リリアンの歌も好きなんだよ!」
「リリアン!?リリアンの曲も千空が!?」
「違うんだよ〜!えっと、千空のお父さんが作った“レコード”が残ってて、そこにリリアンの歌が入ってるんだよ!」
「後で聞かせてあげる〜」
「ほんと!?ありがとう」


「レコードって、3千年も壊れないくらい持ちが良かったっけ?」と内心過ぎるも、久しぶりにリリアンの曲を聴くことが出来るという事の方が嬉しかった。

「皆、リリアンのファンなんだよ」
「私も、リリアンの大ファンなんだ〜。スイカちゃんと一緒だね」
「一緒に聞こう!今から持ってくるんだよ!」

パッとスイカちゃんが素早く立ち上がり、半分くらい開きっぱなしになっている扉に手を掛けて家から出て行こうとしたが、その前に向こうから重たい扉が開かれる。



「そりゃあ良いが、今日はもう店じまいだ」
「うんうん。もう晩ご飯の時間だからさ〜、お楽しみはまた明日!
良い子はおうちに帰ろうね〜?」

片手に編みカゴを抱えながら扉を開けた千空と、髪の毛が白と黒に半分ずつに分かれているユニークなカラーリングになっている男性が両手で大きめの箱を提げながら隣でヘラヘラと笑う。
…この人は、確か私が石化から目を開けた時にも千空と話してた人だった。
その奥にハチマキを頭に巻いたクロムが立っており、目が合うと二カッと笑った。

千空とその男性は土間にめちゃくちゃに脱ぎ捨てられ散らかっている子供達の履き物を一瞥しては、「あー、足の踏み場もねぇなぁ〜」と子供達の靴を踏まないように避け、器用に皮の靴をするりと脱いで上がってくる。


「千空〜!」
「良い匂いがするんだよ〜〜」
「おいコラ、これは俺たちの分だ」
「おうおう、おまえらの飯は別だからな。うちに帰んぞ」
「「「はーーい!!」」」
「ガキ共を頼むぞ、クロム。ちゃんと家に送っとけよ」
「任しとけって。皆、家でかーちゃんととーちゃんが心配して待ってからな!」

クロムが引率するように子供達に手招きをすると、ワーーとあっという間に子供達が集まって出て行き、さっきまで騒がしかった室内が一気に静かになる。
ちょっぴり寂しさを憶えながら千空に「お帰り」と言うと、「おう」と短く返してくれた。


「カセキー、お前も此所で飯喰っていくか?」
「おほー、じゃあお邪魔しちゃうわい」
「じゃあ、もうちょいソファーの端に寄れ〜」

フローリングにズカズカ上がるや否や、「おら、飯だ飯。楽器は仕舞え」と言いながら、すれ違いざまにポンッと頭に手を置かれる。

「飯並べとくから、飲みもん頼む」
「う、ん」

日常が帰って来たかのようなやり取りに内心キュンッとしつつ、いそいそとクロムのガットギターを木のケースの中に仕舞う。
水場に行って水出しの緑茶を小さな陶器に人数分、飲み物を注いでお盆に乗せて振り返った時、音も無くさっきの白黒髪の男性が立っていてビクッと肩が跳ねる。


「手伝おっか〜?」
「!い、いえ大丈夫です!」
「ビックリした?めんごめんご〜。俺はあさぎりげん。ゲンで良いよ〜。
よろしくね、千空ちゃんの幼馴染みちゃん♪」
「はい、よろしくお願いしますね」
「おら、おまえらも早く座れ〜」

ゲンが持ってきた箱の中から次々と料理が出てきては、そこまで広くないテーブルの上に所狭しと並べられていく。
鼻を掠めたスパイシーで美味しそうな香りに、ぐうっとお腹が鳴ってしまいそうだ。

「これは?」
「鹿肉や、後は適当な野菜のサラダ。まだ貴重なチーズを使ってるピザだ。うめえぞ」
「へぇ〜〜〜!凄い」
「じゃあ、皆で頂こうかのう」

ほら、こっち来い。と言わんばかりに隣の席をポンポンと叩かれ、遠慮無く隣に座っては目の前に並べられた料理に舌鼓を打つ。
焼きたて熱々のピザをみんなでハフハフ言いながら食し、スパイシーで美味しい肉に噛み付いてはジュワッと口の中に拡がる肉汁に頬が綻ぶ。

3千年ぶりの美味しい食事だ。

石化している時は空腹を感じなかったし、今食べても胃がもたれる感じは全くしない。
美味しくって美味しくって、夢中になって食べていた時、「ふはっ」と隣で千空が可笑しそうに笑う。

「おめーは本当に美味そうに食うよな〜〜」
「だって美味しいんだもん」
「ふおふおっ、そうさのぉ」

「まぁな。今日はフランソワ直々に腕を振るってたからな〜」
「ふらんそわ?」
「えっとね〜〜、復活者の1人で、何でも出来る万能マンなんだ〜〜。料理がめちゃくちゃじょうずなの!今度紹介してあげなよ、千空ちゃん」
「ああ、また今度な。そういや、アレ出来たぞ」
「?」


サラダをもぐもぐと口おっぱいに頬張りながら千空の方を向くと、ゴソッと千空の腰から下がっている皮袋より取り出された冷たいものを、ポンッと手の上に置かれる。
金属で出来たU字型の特徴的な形のそれを見た瞬間、「わっ!!」と声が漏れた。


「音叉(おんさ)!出来たんだ!」
「おお、そっこー作ってやったぞ。あと、チューニングハンマーも。必要だろ?」
「ありがとーー!これでスムーズに調律出来る!!早速っ!!うぐっ」
「待て待て待て。飯食い終わってからな!!!」
「けち…」
「うるせぇ」

ペチンと頭を叩かれながら、ささっと自分の分の食事を平らげて手を洗っては音叉を片手にチェンバロへと駆け寄る。

コンッと音叉のU字の部分を椅子で叩いてから鍵盤に当てると、思った通りの音が音叉から出て顔が綻ぶ。


「すごい、すごいすごい。本当に音叉そのまんまだよ!!」
「まあーな」
「さっすが千空ちゃん!」

基本のラ音を合わせた後は、音を確認しながら手動で少しずつ他の弦も調律していく。
ピアノも弦の数は多いけれど、チェンバロも2段に鍵盤が分かれているからそこそこ鍵盤数がある。

(あ〜…、弾くのが楽しみ。早く弾きたいな〜〜ッ)
久々に触る鍵盤に心が躍り、口から漏れる笑みを抑えられない。
あっという間に1段分の調律を終わらせて2段目に取り組んでいると、それを見ていたゲンが「うひゃ〜」と声を出す。


「凄いね、彼女。てか、こう…何というかさー、千空ちゃんと昔から仲いい系のお友達ってさ、皆ほんとあれよね。地道な事に心折れなさ過ぎじゃ無い?ゴイスーなんだけど。
あと、一個の事に掛ける集中力パナィよね〜〜??」
「ハッ…まーたそれかよ。
そーだな。俺は科学で常に研鑽を繰り返してきたっつーなら、あいつは音楽に対して研鑽を詰んできたって事だ。小学の夏休みとか長期休暇になると、飯と寝る以外はずっっっと楽器を朝から晩まで弾いてる時もあったなァ」
「こういっちゃアレだけれどさ、よく飽きないねぇ…」

「楽しんだろうよ。あいつの両親は音楽家でなァ、海外出張で両親が居なかった時、飲まず喰わずでひたすら楽器ばっかやってたんだ。けどある日、まだ昼間なのに壁越しにバッタリ音がしなくなったのを変に思った俺が、百夜を呼んで救急車で病院に担ぎ込まなければ、そのまま熱中症で死んでたんじゃねーの?」
「うええぇ…そんな小学生いる?」
「居たんだからしゃーねーだろ、お隣によ」
「ゴイスーなんだけど…」


はむっと熱々のピザの切れ端に噛みついた千空の口の端からチーズが垂れ、反対の手で受け止めてはハムスターのように頬をいっぱいにしながら咀嚼していく。
それを見ていたゲンも、「熱…っ」と言いながらピザに手を伸ばして両手で捧げ持っては、少しでも冷まそうとフーフーと息を吹きかけた。


「それとあいつの“耳の記憶力”は半端なくてな。
一回見て、聴いたもんなら耳で覚えられる。
欧州で生活してた事もあるから、色んな外国言語も話せるし、一度聞いた事がある曲なら再現も楽勝だ。ただ……楽器や音楽史に関する内容以外の授業はゴミみたいに成績が悪いから、仕方なく俺が面倒見てやってた」
「でたよ、これまたゴイスーなチート能力。でも、それなら音楽史が一気に回復しそうな………って、ちょっと待って?記憶力がバイヤーなのは分かったけれど、成績悪いっていってたじゃん?そんなにチートな記憶力があったら、教科書の内容丸々覚えられるんじゃない?
なら、普通は成績も良いんじゃ無いの?英語とかもさ?」
「あー、それな……」

親指に付いたトマトソースをペロリと舐め、トマトのように真っ赤な千空の目がフッとチェンバロを弾き始めた背中を一瞥した後、呆れたようにため息を漏らす。

「覚えてるからといって、それを生かせなかったらただの情報でしかねぇ。
帰国子女っつても、英語の成績が良いわけじゃない良い例だ。
歴史に関してはほぼ記憶ゲーだから音読すれば何とかなるが、現代文や英語の言い回しが変わっただけで、解くことが難しくなる残念な頭だ」
「ハハ、たまーにいるよねぇ。何かに才能極振りし過ぎて、他のスペックがだだ下がりな子」
「それだ」



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