01

呪いは人の心から生まれる。それ故に、呪いの発生頻度や強度は人口密度にある程度比例する。
ビジネス街であり繁華街でもある新宿は、眠らぬ街の名の通り、昼夜を問わず人が集まる街だった。

東京都立呪術高等専門学校のある立川駅から約40分かけて新宿駅に到着した伏黒は、ダンジョンと称される駅構内にて迷うことなく西口を抜けた。
JR線を使えば西口と東口は迷うことはない。目的地である公園にはより近い最寄り駅もあったが、乗り換えの面倒さと構内で迷うリスクを天秤に掛けた結果、新宿駅にて降車した判断を悔やむことは無かった。

スマートフォンの画面に表示されている時計を確認すると、時刻は21時を過ぎた所であった。
東京都が定める条例では23時以降、保護者同伴でない18歳未満の青少年の外出を補導対象としている。本日の任務に補助監督の同行はないため、あと2時間以内に帰寮しなければならない。移動時間を考えると1時間弱の猶予しか無かった。
万が一にも補導された場合、連絡が行く可能性があるのは保護者かつ担任教師の五条悟である。
近場で低級呪霊が対象だからと、伏黒にこの任務を押し付けたのはその五条であるが、時間内に任務が終わらず、その結果、補導の連絡が五条に行くのは伏黒のプライドが許さなかった。
「ここか……」
目的地にたどり着いた伏黒はスマートフォンにて現場到着の一報を入れた。
昼間は人で賑わうだろう公園も、この時刻になると静まり返っていた。週末や休日ならば人出もあろうが、平日の夜に公園を訪れる者は滅多にいない。居るとすればこの公園を住処にしている人々だった。
念の為にと等間隔に建てられた街灯の明かりを頼りに周囲を見渡したが、それらしき人影は見えなかった。
「玉犬」
中指と薬指の間隔をあけた左の掌に右の掌を重ね、犬の影絵を模した伏黒が呼びかけると、白と黒の犬が現れた。額に正三角に似た紋様がある2匹は、勢いよく公園内に駆け込んだ。
伏黒が玉犬を呼び出した理由は、公園で夜の散歩をさせるためではない。窓から報告を受けている蠅頭の群れを探すためだった。

玉犬が離れて間もなく伏黒を呼ぶ鳴き声が聞こえる。薄暗い公園をその声を頼りに進むと確かに呪霊の気配がした。
「……報告よりだいぶ多いな」
昨夜の報告では10匹から20匹程度と聞いていたが、今目の前にいる呪霊の数はその倍を優に超えていた。
押し合いへし合いで形を歪める呪霊の群れは、その形を歪に変えながら蠢動し、耳障りな羽音を立てていた。
よくよく目を凝らすと一つ一つのそれはてんとう虫のような形をしていたが、チャームポイントといえる黒い円のような模様の部分は、白と黒の二重円になっており、中心の黒い円は忙しなく動いていた。
目玉のようなそれは直ぐ側で唸る玉犬と近づいてくる伏黒に視線を向けた。

狗巻のように呪言が使えれば1分経たずに終わる任務であろうが、式神を主戦力とする伏黒には地道に削っていくしか方法はない。
「食っていいぞ」
伏黒の言葉に2匹の玉犬が呪霊の群れに踊りかかった。特に抵抗する様子も逃げる様子もないそれは、玉犬の牙によって裂かれ、足によって踏み潰され、散らされた。まるで幼い子供が蟻の群れを蹂躙するかのように行われる一方的な殺戮により、幾らか数が減った頃、木目の板が見えた。
呪霊の姿で隠されていたが、どうやら目の前にはベンチが設置されていたらしい。
そしてベンチの下に鞄が置かれているのが見えた。鞄と……黒いハイヒールを履いた足確認した瞬間、伏黒は迷うことなく呪霊の群れに右腕を突っ込んだ。
左手で顔周りを飛ぶ呪霊を払いながら手探りで空間を探り、布のような感触を確認するとそれを掴み引き寄せた。
「エッ、なに!?」
「あっ……」
伏黒が掴み寄せたのはスーツの襟部分であった。蹈鞴を踏んで倒れ込んでくるその人物は想定していたより軽く、勢いよく伏黒の胸元に顔をぶつけた。



その日の名前の気分と体調は、過去を振り返っても五本指に入るレベルで悪かった。
人手不足による労働時間の延長、福利厚生も薄く給料も平均以下、そしてやり甲斐などない仕事内容。
元々の労働環境が悪い中、本日同僚の一人が退職することになったことに加え、その送別会を週半ばである木曜日にやることが決まった時、名前は机の上に溜まっていた書類を窓からぶちまけたくなった。
「名前ちゃん、飲んでるかーい?」
「はあ」
唯一の救いといえば、翌日も仕事があるからと一次会で飲み会が解散になることである。
送別会会場となった居酒屋の隅で息を殺し、レモンサワーの一杯のみで会をやり過ごそうと図っていた名前の計画は、隣の席に課長が着席した時点で崩壊した。
飲み放題なのだからとグラスが空く前に勝手に追加を頼まれ、目の前に溜まるそれを機械的に干していけば、結局いつもと変わらない量を飲むことになっていた。
「すみません、参加費5000円お願いします」
なぜグラス交換制の店にしなかったのかと幹事を恨むものの時は既に遅く、覚束ない手で鞄を探った名前は財布が見当たらないことに気がついた。酔いが一気に醒めた。
「ちょ、ちょっとまってくれる?あれ?」
鞄の中身を机の上に出して確認するものの、赤い財布は見当たらない。
最後に使用したのはオフィスの置き菓子を購入した際だ。のど飴を買い、財布ごとデスクに入れた記憶があるような気がしてきた。
「ごめんなさい。財布オフィスかも……明日でいい?」
「あっ、はーい。了解です!」
後輩にたて替えてもらうのは悪いが、手元にないものは仕方がない。そんなことよりも、家のカードキーも財布の中に入っていることから、この後一度オフィスに戻ることが確定した。

オフィスも飲み屋も同じ新宿ではあるが、歩くと15分以上かかる。会計は済んだというのに店の前で未練がましく話す同僚の集団からそっと離れた名前は重い足取りで繁華街を抜け、高架下を越え、オフィスの入っているビルへと戻った。

自身のデスクの引き出しを開けるとそこには昼間買ったのど飴と財布があった。紛失はしていなかったことに一先ず安堵した名前は大きなため息を吐き、座り込みそうになる身体を叱咤してオフィスを出た。

安心感からか、それとも無駄に歩いたからら、また酔いが身体を回るのを感じた。どこかで水を買いたい。自販機の明かりに吸い寄せられるように名前が足を踏み入れたのが、新宿中央公園だった。

一番初めに目についたベンチに腰掛け、自販機で購入したミネラウォーターを飲みながら肺の空気を押し出すようにため息をこぼす。自身の息があまりにも酒臭くて辟易した。
少し酔いを冷ましてから帰ろうと決めた名前は、身体に伸し掛かる疲労感と頭痛に抗うように空を見上げた。月は見えるが星は見えない。明日も仕事だなんて信じたくない。家に帰る気力すら湧いてこない。
「仕事辞めたいな……」
切実な一言を漏らしたその時、突然胸元を捕まれ、引き上げられた。
「エッ、なに!?」
上を向いていた名前は、いつ目の前の人影が側に寄ってきていたのかも気が付かなかった。その力は強く、ベンチから腰が浮くどころか、二三歩前へと蹌踉めくことになり、縺れる足からパンプスが脱げた。
前へと引かれる反動で頭が倒れ、何かに頭突きするような形になった名前の目から、星が散った。

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