夢なんじゃないかと思った。
だって、目の前にマルコ先生がいるなんて、そんな私にとって都合の良いことが現実で起こるはずがない。
私は何度か瞬いてほっぺをぎゅっと抓ってみたりする。だけどやっぱり痛みは合って、何度見てもマルコ先生の姿は消えなかった。

「なんでここに、い、いるんですか…」
「去年と同じ場所で花火が見たいって、そう電話かけてきたのはそっちだろうが」

驚いたまま立ち尽くす私の隣にやってきた先生は呆れたような顔でそう言った。

去年と同じ場所で花火が見たい。

先生が来るちょっと前まで、私は確かにそう願っていた。だけどその気持ちを本人に伝えた記憶はない。
誘いたかったけれど、誘えなかったのだ。言えるはずがないと諦めて心にしまい込んだ気持ち。

……ふと思い出す、寝惚けてかけた電話のこと。あの日、私は先生を花火に誘う夢を見たはずだ。
あれが夢ではなくて本当に電話がつながっていたとしたら。
夢の中で話した言葉が、寝言として本当に口に出していたとしたならば。

「え……私、寝惚けてて、電話かけたつもりなんてなくて…!」
「あぁ、知ってた」

フッと優しい笑みを漏らした先生に、私の鼓動は大きく波打った。
知ってた、って。寝惚けてたと分かってたなら、尚更どうして…。疑問を口にしようとしたとき、夜空がパッと明るくなり大きな音が空気を震わせた。

「あっ…」
「花火、始まったな」

あたり一面を照らす光。夜空に咲いた大輪は、一瞬だけ私たちを見下ろして儚く散っていく。
どうしよう、泣いてしまいそうだ。
周りに誰もいない私達二人だけの空間で、時間がゆっくりと流れていく。先生と見たいと思っていた景色を、本当に二人きりで見ることができるだなんて。
そっと先生を見上げると、ちょうど先生も私を見ていたようでしっかりと目が合ってしまった。恥ずかしくて、気まずくて、すぐに俯きたかったけれど何故か視線を逸らすことができなかった。

「やっぱり、浴衣が似合うな」

私に向けられた笑顔。私に向けられた言葉。先生が与えてくれるすべてが、閉じ込めようとした私の気持ちをあっという間に解き放ってしまう。
二人で並んで花火を見ることができたら、この恋をちゃんと終わらせることができるかも、だなんて。どうしてそんなふうに考えたのだろう。

こんなに好きなのに、思い出になんかできるわけがない。

涙だけは見せたくなくてグッと下唇を噛む。浴衣を褒めてもらえたことが嬉しくて、嬉しいのに苦しくて、どうしたらいいか分からなかった。
花火は相変わらず夜空を綺麗に埋め尽くしていた。私は一度だけ洟を啜った。

「寝惚けてかけてきたことくらい、最初から分かってた」

気が付けばさっきよりも距離が縮まり、先生の腕と私の肩はあと少しで触れてしまいそうなくらい近くなっていた。
先生が、冒頭の私の問いかけに改めて答えてくれようとしていることは分かった。
私の本意ではない電話だったことは知っていた。それなら、何故。
その先に続くのが一体どんな言葉なのか想像できなくて、心臓が嫌な音を立てる。

もう好きという気持ちはないと、そう伝えたから先生は私に優しくしてくれているのだ。先生の優しさに甘えて、前みたいに仲良く話せるようになったことが嬉しくて、最近の私は確かに調子に乗っていたかもしれない、と考える。
怒られるのだろうか。勘違いするなと、もう一度説教するためにこの場所へ来たのか。
身構えている私に向けて、マルコ先生は少しだけ困ったような笑みを浮かべて溜息を吐いた。

「来るべきじゃなかったな、本当は」

怒っているわけではない。私を責める口調でもない。来るべきじゃなかった、とはどういう意味だろうか。
バラバラ…と小さな星が空を埋め尽くすようにひらく音が響き、そして遠くの地平線へと落ちていく。

「お前が寝惚けて言った言葉を本気にするつもりなんかなかった。行ったらダメだってことも分かってた。けど、おれは……」

大きな手が伸びてくる。驚いて、ビクリと体が揺れた。
動揺した私を見た先生は伸ばしかけた手を一瞬躊躇するように止めて、しかし再びゆっくりと近付き始めた影が夜空を遮り、そして私の頬へと優しく触れた。
熱い手だった。心臓が花火よりも遥かに大きく鳴る。呼吸の仕方を忘れたように私はただ目の前にいる先生を見つめた。

先生はそれ以上何も言わなかった。私の望む言葉がその先にあるのだろうか。先生の手は私の頬を包んだまま微動だにしない。
花火が惜しみなく打ち上げられている。だけど、私も先生ももう夜空なんか見ていなかった。音だけが、遠くの方で鳴っていた。
今のこの状況が一体何を意味するのか。思考がショートしかけている私には答えを見出すことは難しかった。
もうこれ以上、気持ちを抑えることなんて無理だと悟る。何が正解かなんて分からない。ただ今は、これ以上先生が何も言わないのなら、私は自分の心を止める術は持ち合わせていなかった。

「先生、好きです」

それはちょうど花火の音とぴったり被っていた。
これだけ近くにいても、しっかりと意識を向けていないと言葉は聞き取れなかったと思う。
だけど、届いていないはずがない。私達はしっかり見つめ合っていて、今この瞬間、世界には二人きりだった。





 
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