プラトニック | ナノ

一枚の絵のように


あの雨の日、火傷未遂(未遂だったのは火傷だけじゃないけど……)のハプニングあと。二人ともろくに喋らず、エース君は淹れたてのコーヒーをものすごい勢いで飲んで、そして雨足が弱まったのを確認するとすぐさま家を飛び出るように帰って行った。
コーヒー、熱くなかっただろうか。口の中、火傷してないといいけど。なんて、どうでもいいことを心配する振りして、私はどうにか高鳴る心臓を押さえながら走って帰るエース君の後ろ姿をぼーっと眺めていた。

それから数日、私はエース君と一度も顔を合わせなかったし、連絡も取らなかった。そのくせ、通知が来る度にエース君から連絡がきたんじゃないかと期待してしまう自分が情けなかった。何度も自分から連絡をしようかと悩んだけど、雨の日のことが頭をよぎるとなんて声を掛けたらいいのかわからなくなってしまい、結局何も言えないままただ時間だけが過ぎていった。





大学の授業が終わり、同じ授業を受けていたクラスメイトと駅まで一緒に帰ろうとしていた。校門に近づくと、何やら女の子たちが誰かを見てざわざわと騒いで、ちょっとした人集りが出来ていた。
注目を集めているのは、校門近くに設置されたベンチに座っている一人の男の子のようだった。近づくと、その男の子が制服を着ていることに気付く。あの制服、確かエース君と同じ学校だったような……。そう思った瞬間、男の子がぱっと顔を上げた。


「ユイコさんっ!」


ぱあっと顔を輝かせて私の名前を呼んだ少年は、なんとエース君だった。
まるで飼い主を見つけた子犬のように、立ち上がった彼からはぶんぶんと振られる尻尾が見えるような気がした。
一緒に帰ろうとしていた友人に「あの高校生、お前の知り合いなの?」と聞かれて「あぁ、うん」と答えていると、エース君は私の元へ走ってやってきた。しかし、私の隣に友人がいるのに気付き、さっきの明るさは一瞬にして隠れ、不機嫌そうな瞳で友人を睨みだすエース君に私は困惑する。友人は、私とエース君を見比べて不思議そうな顔をしていた。


「ユイコの弟?」
「いや、違くて……えっと、なんて言えばいいかな」


エース君のことを、他人に説明するのは難しかった。友人でも後輩でもない。勉強を教えているだけの仲の私達は、一体なんていう言葉が似合う関係性なのだろうか。
返答に悩んでいると、エース君はぐいっと私の腕を引いた。突然のことにどうしたのかと顔を見上げると、彼は不機嫌そうな顔のまま駅の方面へと突然走りだした。引き摺られるようにして、私もその後を慌てて走って付いていく。


「わっ、ごめん、また明日!」
「お、おう…」


驚いた顔をしている友人に慌てて別れを告げた途端、前行くエース君の走るスピードが上がった。
すれ違う人たちを横目で見やると、驚いた顔をしていたのは友人だけじゃなく先程までエース君を見てざわざわとしていた女の子たちもだった。もしかしたら、明日噂になっているかもしれない、とちらりと頭の隅で考えた。
エース君はそのまましばらく私の手を引いて走り続け、ようやく赤信号の横断歩道のところで立ち止まってくれた。


「はぁはぁ……。エース君?どうしたの、何かあった?」
「………あの男、彼氏?」


普段走ることなんか滅多にない私はあっという間に息が上がってしまい、呼吸を整えるのに時間がかかった。しかしようやく落ち着いた私の質問にはエース君は答えずに、じっと私を見つめながらそんなことを聞いてきた。そのまっすぐな視線が耐えられず、私は思わず目を逸らした。
久しぶりに見たエース君の顔に、なんだか気恥ずかしくなってしまった。エース君からの連絡を待っていたことや、自分から連絡することが出来なかったことを思い出して、尚更、今こうしてこんなに近くに彼がいることが嬉しく思えてしまい、頬が熱くなる気がした。


「友達、だけど…。それよりも、わざわざ大学まで来て、私のこと待っててくれてたの…?連絡くれたら、良かったのに」
「友達、か。なんだ、そっか。いや、ていうか、いきなり大学まで押しかけて、迷惑っすよね。ごめん……なさい」


友達だと答えると、さっきまで曇っていたエース君の表情が一気に明るくなる。きゅん、とまた胸が締め付けられる。そんな素直な反応をされたら、勘違いをしそうになる。
学校を出た時からずっと、手首を掴まれたままだと気付く。私は慌てて放してもらおうとしたが、エース君はさらに強く握ってきて、振りほどくことは出来なかった。


「エース君、あの、手……」
「あぁ、悪ィ。痛かったか?」
「え、いや、痛くは、ないけど」


信号が青に変わる。エース君は、その場から動かずにまだ私をじっと見つめていた。今度は目を逸らせなかった。周りを歩く人達が、止まったままの私達を訝しげに見て横をすり抜けていく。
再び、信号が赤に変わった。私は恥ずかしさを誤魔化すように笑顔を浮かべてエース君に尋ねた。


「あ、だから、まだ最初の質問に答えてないよ?何かあったの?」


わざわざ大学までやってきた理由。勉強、のことかな?それくらいしか、思いつかないけれど。
エース君はようやく手を放してくれて、そして少し躊躇いつつも答えてくれた。


「……あの日以来、会ってなかったから。ユイコさん、全然連絡くれねぇし。俺からすんのも、なんか、出来なくて。とりあえず、会おうと思って、大学まで行っちまった。…やっぱ、迷惑だったか?」


不安げに瞳が揺れていた。あの日がどの日をさすのかは、もちろん分かっている。
私は迷惑なんかじゃないよ、とやや食い気味に返事をした。信号が青に変わり、私達はようやく横断歩道を渡り始めた。


「連絡しなくてごめん。私も、なんか、タイミングがつかめなかった」
「いや、用事が合ったのは俺だし、俺からすれば良かった問題っすから…」


私がエース君からの連絡を待っている間、エース君もまた、私からの連絡を待ってくれていたのだろうか。二人とも携帯を前にまだかまだかと待っている様子を思い浮かべたら、なんだかとても温かい気持ちになった。
ようやく二人の間に流れる空気が普段通りに戻った気がした。「今日は勉強していく?」と聞くとエース君は「はい」と素直に頷いた。私達はいつものカフェを目指して歩き出した。





久しぶりに二人でカフェに入り、エース君は受験勉強を、私は彼から質問を受けた箇所を教えて、それ以外は自分の課題をこなして過ごした。
二人で過ごすこの時間が、私はとても好きだった。エース君が問題集とにらめっこしながら見せてくれる百面相が面白くてクスクス笑うと、「何笑ってんだよ」と頬を膨らませてこちらを睨んでくる。それすらも可愛くて仕方なかった。

問題を解いて、教えて、少しお喋りをして。気が付くとあっという間に夜になっていた。今日はもう帰ろうかと店を出ると、外はもう真っ暗だった。日が沈むのがどんどん早くなっていく。少し寒いね、と歩きながらエース君に話しかけると、それには答えずに人通りの少なくなった道で彼は突然立ち止まった。


「エース君?どうかした?忘れ物でも思い出した?」
「………昼間、大学のとこでユイコさんと一緒にいた奴が、俺のこと見て、弟かって聞いたじゃないっすか」
「うん…?」


脈絡のない話に面食らう。確かに、友人はエース君を見て弟かと聞いてきたが、それがどうかしたのだろうか。ふと、前にやけに「ガキ扱い」にこだわっていたことを思い出した。


「ユイコさんも、俺のこと弟みたいって思ってんのかなって、気になった」
「え…と……」


返答に困ってしまい、私は目を逸らした。
私には離れて暮らしているが3つ下の弟がいる。弟とエース君が似ていると思ったことは一度も無かった。しかし、最初に勉強を教えようかと声をかけたのは、自分に弟がいてなんとなく放っておけなかったから、という気持ちがあったのは確かだった。だけど………。


「俺は、弟かって聞かれて悔しかったし、ユイコさんにもそう見られてるんだら、すげぇ嫌だ」


私が答える前に、エース君はそう言って私を見つめた。
エース君が一歩、私に近づいた。距離が縮まる。私の手をそっと取って、そして昼間みたいにぎゅっと握りしめた。


「確かに俺は年下だけど、ユイコさんにはちゃんと異性として、男として、俺の事見てほしい」


さっきまで肌寒かったはずなのに。顔が、熱くって仕方ない。握られた手から、私の心臓の音がエース君に伝わってしまうんじゃないかと思った。

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