あの光景を再び


ラボラトリーを出た私は、再びタークスのオフィス前に立っていた。
エアリスはちゃんと逃げられただろうか。クラウドたちと無事に合流できただろうか。クラウドは怪我してないかな、もう哀しい顔してないといいな。
私がそうさせた張本人であるというのに、未練がましくそんなことを考えてしまう自分に心底嫌気がさす。他人に興味がないと口先では言っておきながら、クラウドという男はとても優しい。優しすぎる故にこんな悪い奴につけ込まれてしまったのに、そうとは気付かない。もしかすると、今この瞬間も私を探してしまっているかもしれない。───そんなところが、大好きだったんだけれど。
不思議な程、心が凪いでいた。もう私がやるべきことは全てやり終えたという達成感からかもしれないし、諦めからだったかもしれない。ジャケットの内ポケットに忍ばせた白い封筒を確かめながら、私はオフィスの扉を開いた。

オフィスの中は静まり返っていた。先ほどまでデスクに向かっていたはずのルードの姿もない。別の任務に出たんだろうか。自分のデスクに足を運んで、チェアを引き静かに腰を下ろす。あらためてぐるりと室内を見渡せば、どことなく感じる懐かしさ。
向かいの席はレノの席だ。デスク同士を仕切る背が低いパーテーション越しでも、乱雑に積み上げられたファイルや紙束が見える。片やその隣のルードの席は綺麗に整頓されていて、そういえばレノはよくルードに片付けろだとか早く終わらせろだとか、そんな小言を言われていたことを思い出してくすりとした。それぞれ外での任務が殆どだから、オフィスで揃って内勤することなんて基本的にはないのだけれど、運良く集まればとても賑やかな空気が流れるんだ。顔には出さずとも、確かに私はあの空気が好きだった。レノの怠そうな言動も、ルードの小言も、無ければ寂しいと思うくらいには気に入っていた。
ひととおり感傷に浸って立ち上がる。そのまま主任の部屋へゆっくり足を進めて、息を吸い込んで中に声をかけた。

「主任、ナマエです。入っても?」
「入れ」

すぐに返ってきた言葉に、意を決して扉を開ける。そのまますたすたと主任のデスクへ向かって、内ポケットから出した白い封筒を主任の前に差し出す。一歩下がって、スーツが汚れることも厭わずに床に膝をつき頭を深く下げた。

「………ナマエ、これはなんだ」

かさりと主任が封筒を手に取る音が聞こえる。きっと封筒の表面に書かれている文字を読んでの言葉だったんだろう。

「私はエアリスを逃がしました。宝条を眠らせて。今頃、エアリスはアバランチと合流しているはずです。………主任、申し訳ございません」
「それで、辞表か」
「……はい」

顔を上げられなかった。主任はいつもと変わらず、淡々と言葉を紡ぐ。

「ナマエ。タークスの掟はわかっているだろう。こんな紙切れ一枚で、何か変わるわけでもないことを」
「…勿論、承知してます。タークスは命尽きるその時まで、タークスです」
「それなら、何故こんなものを?」
「自分なりのケジメです。……私はこれから、星に還ります」

主任、こんな私を引き抜いて、目をかけてくれてありがとうございました。
最期に深々と頭を下げてそう言えば、耳に届いたのは紙が引き裂かれる音だった。

「……主任?」
「お前の命ひとつで、この事態に収集がつくとでも思ったのか?」
「それは…。ですが、これ以上の責任の取り方なんて、」
「責任を取るつもりなら、最後の指令を遂行しろ」

最後の指令、その言葉に顔を上げれば、主任は驚く程優しい眼差しで私を見下ろしていた。これまで一度も見たことがない、そんな顔だった。

「クラウドたちに引き続き同行してもらう」
「は……?」

クラウドに、同行する?私が?何故?この後に及んで、また新たに潜入しろと、そう言っているのだろうか。
それであれば、不可能だ。もう既に素性は知られてしまっているし、なにより、私はもうクラウドたちには会えない。合わせる顔がない。

「潜入でも諜報でもない。エアリスを、何がなんでも守れ」
「……申し訳ございません、主任。私には無理です。そんな任務に当たるくらいなら、今ここで死んだ方がマシです」
「それは俺が許さない。……ナマエ、お前は、大事なタークスの一員だ。お前をタークスに引き入れたこと、俺は今でも間違っていなかったと思っている」

主任の言葉に、私は目を見開いた。そんな言葉をかけてもらう資格のない裏切り者の私を、それでも主任は間違っていないと言った。口の中がカラカラに乾いて、掠れて震える声をなんとか絞り出す。

「私はタークスを裏切りました…。私情を挟んで、エアリスを解放しました。それに、ターゲットに強く惹かれるなんて、あってはならないことです。もしもまた彼に近付けば、せっかく想いを捨て去ろうとしていたのに全て水の泡になってしまう…。そうなれば今度こそ、主任や皆の顔に泥を塗る。最後くらい、タークスらしくいさせてください…お願いします…」

縋るような、情けない声だったと思う。それでも主任は何も言わずに、私が話し終わるのと同時に穏やかに笑った。その表情に目頭がつんとする。

「言ったはずだ。タークスの目的はエアリスの死守。それだけだ。お前にとってあの男は、もはやターゲットではない」
「………黙認するんですか。クラウドは、敵なのに…」
「俺は、…いや、"俺たち"は、お前を失いたくないだけだ。……盗み聞きとは、趣味が悪いな」

主任が私の背後にある扉に向かってそう呆れた声を出せば、扉が開き現れたのはレノとルードだった。

「あーあ、やっぱバレてたのかよ、と」
「レノ、ルード…なんで…」

態とらしく肩を竦めて舌を出すレノと、サングラスを押し上げながら溜め息を漏らすルード。まさか今のやり取りを全て聞かれていたのだろうか。でもどうしてここに。

「こいつらも、お前のことが心配だったんだろう」
「…そんなところだ。特にレノは、ナマエがヤケを起こすんじゃないかと気が気じゃなかったようだ」
「は!?ルードてめぇ勝手なこと言うんじゃねぇ!」

あまりにもいつも通りの光景が、そこにあった。それが嬉しくて、申し訳なくて、気が付けば私はぼろぼろと涙を零していた。もうこんな光景なんて二度と見られないと思っていた。大切な居場所を捨てたのは、他でもない私だったのだから。

「ナマエ、できるな?」
「……っ、はい…!」
「エアリスを頼む」
「ほら、早く行けよ、と」
「気を付けろよ、ナマエ」

いつも通りに、なんの変わり映えもなく送り出されて、私は涙を拭うことすら忘れてもう一度深く頭を下げた。

「……いってきます」

顔を上げて静かにそう言えば、主任たちは笑って頷いた。

クラウドたちには、許されないことをしてしまった。酷い言葉も浴びせた。会いに行ったところで、拒絶されるかもしれない。でも、何度も何度も謝ろう。罵倒されても、蔑まれても、それでも心の底から謝って、今度こそ胸を張って並んで歩けるように、全身全霊で示していくしかない。そう心に決めれば、驚くほど身体が軽くなった気がした。
走り出した足は、もう止まることはなかった。
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