気が付いたら見知らぬ街にいた。いつものようにミディールの診療所の手伝いをしに行く途中で、足を滑らせてライフストリームに落ちて。目が覚めたら見覚えのない街に私はひとり佇んでいた。もはや何が起きたのかさっぱりわからない。
「…母さん?」
「え?」
突然後ろから掛けられた声に振り向いたら、そこに居たのは金髪の綺麗な顔の男の子。歳は大体12歳くらいだろうか。それにしてもこの子、今お母さんって言った?思わず反応してしまったけれど、もしかして私じゃない人宛てだったんじゃ、ときょろきょろ辺りを見渡しても、私以外誰もいない。
「…あれ、母さんかと思ったけど…なんか違うな」
「あはは…さすがに君みたいな大きな子供、私にはいないなぁ。ごめんね、人違いだと思うの。お母さん探してるの?」
「ううん、母さんは家にいる。でも、よく似てたから間違えちゃった。…おかしいな、お姉さんの方が母さんよりずっと若いのに」
その言葉にどう反応するべきか迷って苦笑してしまう。でも間違えられるほど似てたってことだよね。そんなことってあるのかな。喋り方や仕草が年の割に妙に大人びたその子を見て首を傾げる。それよりもここは一体どこなんだろう。大きな街のようだけど。
「ねぇ、ここってどこかな?」
「ここはエッジだけど」
「エッジ?どこだろう…私、ミディールにいたはずなんだけどな…」
「えっ、ミディール?随分遠くから来たんだね」
「ミディールを知ってるの?帰り方、わかる?」
「それなら父さんに送ってもらえばいいよ。こっち」
そう言って、その子は突然私の手を取って歩き出して、頼みの綱はこの子だけだからとされるがままにその後を着いていく。
「お姉さん、名前は?」
「私?名前だよ」
「…え?」
「うん?」
名前を答えた途端に、その子の足がぴたりと止まった。驚いたように振り返って、青い瞳が見開かれる。どうしたんだろう、急に。
「母さんと、同じ名前だ…」
「…え?」
「やっぱり、お姉さんって…。とにかく、家まで行こう」
「?う、うん…」
顎に手を当てて何かを考える素振りをしたその子は、ひとり頷いてまた私の手を引いた。訳が分からないまま連れて行かれた先はごく普通の一軒家。
「ここだよ」
「…やっぱり、悪いよ。君のお父さんに迷惑かけるわけには…」
「いいから。ただいま、母さ………え?」
「…っなに、これ?」
扉を開けた先、普通なら玄関があるはずのそこには何も無かった。ううん、そうじゃない。正しくは、エメラルドグリーンのライフストリームだけがあって。目を疑う光景に、その子も私もただただ唖然とする。
「母さん?父さん…?」
「…どうしてこんな所にライフストリームが……っえ!?」
「うわ、!?」
その場に立ち尽くす私たちの身体を、突然ライフストリームが包み込んで、中に引き摺り込まれるような感覚を覚える。咄嗟に私はその子の手を強く握って、そのまま私たちは為す術もなくライフストリームに吸い込まれた───。
「…おい、大丈夫か?」
「うう、ん……?」
誰かが読んでいる声が聞こえて、薄らと目を開ける。目の前にはどこか見覚えのある金色の髪と、青い瞳。どこで見たんだっけ…。ああ、そうだ、あの子によく似てるんだ…。はっとして、身体を起こす。
「…っ、良かった…!」
繋いだ手の先、ちゃんとその子がいることを確認してほっと息を吐く。気を失ってるようだけど、呼吸もしている。それから、やっぱりここもミディールじゃなく知らない場所。
「似ていないが、あんたの弟か?」
「いえ、違います…。でも一緒にライフストリームに落ちちゃって…」
「ライフストリームに…?」
「…うぅ、」
「あっ、気がついた?大丈夫?」
眉がぴくりと動いて、ゆっくり瞼が開かれる。その瞳は私をまず捉えて、次に視線が私の隣の男の人に移って。
「……とう、さん?」
「え…?」
「は?」
その子の口から飛び出したまた突拍子もない言葉に、思わず隣の人と顔を見合わせる。この人も子供がいるような年には全く見えないし、本当についさっき、私も同じようなことを言われた。
「父さんだよね…?」
「俺はおまえの父親じゃない。悪いが人違いだ」
「でも、………そっか。そういうことだったんだ…。お姉さん、ちょっと来て!」
「…っえ?あ、待って!」
「ちょ、おい!?」
突然その子がそう言って、私の手を引いて走り出した。びっくりしたのは私だけじゃなく、隣の人も同じだったみたいで、後ろから困惑した声が聞こえる。それでもその子は足を止めることはなくて、やっと立ち止まったのは、さっきの人が完全に見えなくなってからだった。
「…はぁ、っ…どうしたの?」
「あの人は、昔の父さんなんだ」
「……え?」
耳を疑うのは今日何度目なんだろう。あの人が、この子の昔のお父さん?そもそも昔のお父さんって、それ自体がよく分からない。
「ごめん…全然意味がわからない…」
「俺も分からなかった。でも、間違いないよ。似てるでしょ?俺とあの人」
そう言われると、確かに驚く程ふたりはよく似ていた。あの人の面影が、この子にはあるというか。でも、だからって。
「それから、お姉さんはやっぱり俺の母さんなんだ」
「…ええっと、」
本当に訳が分からなくて、揶揄われているのかとすら疑ってしまう。でもこの子の目は真剣そのもので、嘘を言ってるようにも思えない。私がお母さんで、あの人がお父さん?じゃあ、この子は私の子供?つまり私はライフストリームに落ちて、未来の自分の子供に会って、その子と一緒にこれから出会うであろう結婚相手のところに来てしまったってこと?…そんな映画のような話、信じろと言う方が無理だ。
「あのね、お姉さん。もう時間がないから、よく聞いてね」
「…うん?」
「これから先、お姉さんはまたあの人に会うから。きっと色々あると思うけど、ちゃんと助けてあげて、父さんのこと」
私の手を握ってそう言ったその子の手が、少しずつ透けていることに気が付いて目を見開く。時間が無いって、そういうこと?まだとてもじゃないけれど理解が追い付いていなくて、聞きたいことが山ほどあるのに。
「ねぇ、待って!」
「大丈夫、先に帰ってるから。…よろしくね、母さん」
「…っ!」
微笑んでそう言われた次の瞬間、その子の姿はもう何処にもなかった。残ったのは、握られた手の温もり。どこか切ないような、そんな感情が溢れてきて、自分の手のひらを見つめる。そこに足音が近付いてきて、振り返ったらすぐ後ろにさっきの人が怪訝な顔で立っていた。
「ここに居たのか…。あの子供は?」
「…お家に、帰りました」
「あんたは…帰らないのか?」
「多分、もうすぐだと思います」
「もうすぐ?……っ、その手…?」
うん、私の手ももう透け始めている。訳が分からないと眉間の皺を深くするその人の顔をじっと見つめる。あの子が言っていたことを全部信じたわけじゃない。でも、自分に起こったこの不思議な事象がそれを証明している。そっか、この人がこれから先出会う、私の大切な人なんだ。
「…お名前、聞いてもいいですか?」
「?ああ、クラウドだ」
「クラウドさん、…覚えました」
「あんたは?」
名前を答えようとして、感じた身体がふわりと浮くような不思議な感覚に、本当にもう時間がないんだと気付く。最後に何か伝えることがあるとしたら、それは名前なんかじゃなく──。
「クラウドさん、未来で待ってます」
「何を言って……っ!」
意識が完全に途絶える前に見たのは、やっぱり怪訝な表情のその人。
もしも本当にまた出会えたら、違う顔が見てみたいな。それから、その時にはちゃんと自己紹介をしよう。クラウドさんと出会えたら、いつか君にも会いに行くから。だから、少しだけ未来で待っててね。
(→あとがき)