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小さな寝息が背後から聴こえる。少しだけ、俺もうとうとしていたようだ。そろそろ此処を出た方がいいか。そう思って、背後を振り返ってナマエを見る。ナマエは丁度俺の方に身体を向けて寝ていて、窓から射し込む月明かりが寝顔を照らしている。あまりにも無防備なそれに、内心苦笑する。どうしてか、ナマエを見ていると無性に心を掻き立てられる。触れたいと、欲にも似た本能じみている感情が湧いてどうしようもなくなるのは何故だろうか。
「…ん、ぅ……」
漏れた声に起きたかと思ったが、寝言のようだ。相当疲弊してたんだろう。タークスが、ナマエをレプリカと呼んでいたことを思い出す。俺はこいつのことを何ひとつ知らないんだ、と改めて思う。それが、どろどろとした黒い感情を増幅させる。訊こうとした問いはナマエによって拒まれてしまったが、いつか話してくれるだろうか。例え何を聞いたとしても、俺はあんたを誰にも渡す気はない──。
整った作り物のような顔。それにかかる一筋の髪に手を伸ばして、そっと払った時に、長い睫毛が揺れ間から珊瑚色が覗く。慌てて手を引っ込めて、気付かれていないことに安堵した。
「ナマエ、起きろ。そろそろ出るぞ」
「…んん、?」
まだ寝起きで覚醒しきっていないナマエに声を掛けつつ、壁に立て掛けたバスターソードを背負う。
「いつの間にか寝てた…」
「イビキがすごかった」
「えっ!?うそごめん!」
「ふ、冗談だ」
「焦った…」
顔を青くして焦るナマエに軽く笑う。俺たちはエアリスに気付かれないよう、細心の注意を払いながら部屋を出て階段を下りた。
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物音を立てないように1階へ降りると、ダイニングにはエルミナさんが座っていた。
「行くのかい」
「はい、お世話になりました」
「七番街へ行くにはどうすればいい」
「六番街を抜ければいいのさ。簡単だろ?道中に危ないところもあるけど、ソルジャーなら問題ないよ。その子をちゃんと守っておやり」
「大丈夫です、私も強いから」
「そうかい。……あの子には、もう関わらないでくれるね」
そう言ったエルミナさんは、言葉は優しいものでなくても、やっぱり母親の顔だった。それと、少しだけ申し訳なさそうな色が浮かんでいたのは、きっと気のせいじゃないだろう。エアリスのことを想うなら、エルミナさんの判断は正しい。私たちはそれに頷いて、そっと家から出た。
「これで良かったんだよね」
「…ああ」
「静か、だね」
「……ああ」
人影もなく静まり返った伍番街を歩く。口数が極端に少ないクラウドに首を傾げながら、エルミナさんからの話通り、六番街方面へと進んでいく。六番街って、たしか通称ウォールマーケットだっけ。行ったことはないけど、セブンスヘブンで呑んでるとそういう噂はよく耳に入る。とりあえず、"いかがわしい街"らしい。この年中仏頂面のクラウドも、内心そういうの興味あるんだろうか。…想像できないけど。
「…なにひとりで百面相してるんだ」
「え?うーん。クラウドも、男の人なのかなって」
「は?」
「女の人に触りたいー、とか思うのかなぁって」
「…っは?」
え、そんなに驚く?これでもかと目を見開いて、口を半開きにしたまま固まるクラウド。そんなアホみたいな顔しててもちっとも不細工じゃないって、全世界の男を敵に回したな。いつか刺されるんじゃないかな、この人。
「なんてね、どうせ興味ないって言う──」
「触ったら、おまえが困った顔するだろ」
「また…っ!?」
またおまえって呼んだな、なんて返そうとしたのに出来なかった。クラウドが私の右手をとって、自分の左手でぎゅっと握ったから。突然手を繋がれ、訳が分からずただ目を白黒させる。
「ふ……ほらな」
「そっ、それは、クラウドが急に…!」
「別に興味ないわけじゃない、って言ったら?」
「へ…?」
「冗談だ」
揶揄われた。クラウドに。得意気に口角を上げて私を見下ろすクラウドに、腹が立つやら悔しいやら。クラウドのくせに、なんて恨みを込めて魔晄の瞳を睨む。それに冗談だって言ったくせに未だに繋がれたままの手はなんなんだ。
「ねぇ、手は…」
「行くぞ」
私の言葉を無視して、手を引いて歩き出したクラウドに仕方なくついていく。無理にでも振り払うことはできるはずなのに、そうしないのはなんでだろう。繋がれた手が自分よりずっと大きいこととか、意外にも優しいこととか。些細なことなのに、どきどきと高鳴る自分の胸と、多分赤くなっている顔。全部嫌じゃないと思ってる自分がいて、どうかしてると心の中で吐き捨てた。