35
「んん!っぷは…はぁ、はぁ」

突き飛ばされるように解放され、やっと十分に呼吸ができた。乱れた呼吸を整えながら背後に立ったままのその男にゆっくりと振り返って、目を見開いて息を呑む。

「………ツォン」
「久しぶりだな、"レプリカ"…。いや、ナマエ」

神羅カンパニー、総務部調査課。通称タークスの、ツォン。今は主任になったとどこからか風の噂できいていた。昔より冷酷に見える瞳からは、感情が一切読み取れない。

「…私に何の用」
「まさかお前がアバランチと行動しているとはな」
「……それが、何。そんなこと言うためだけに、随分手荒な真似するね」
「まさか。変わらないな、その反抗的な態度も、人形のような見た目も」
「あなたは…変わったね。……もういい?急いでるから」

これ以上話をしても時間の無駄だ。私はツォンの横を通り抜けようと、立ち上がった。すれ違いざまに二の腕を強く掴まれ、ツォンを睨みつける。

「…なに?」
「ナマエ。神羅に戻れ」
「…は?戻れ?神羅に?」

ツォンが淡々と紡ぐ言葉に、呆然としたまま聞き返す。この男は、今、なんて言ったの。

「もう一度言う。神羅に戻れ」
「──っ笑わせないで!あんたたち神羅が、私にしたこと、忘れたの!?」

忘れようと必死に蓋をしてきた忌々しい記憶が甦る。毎日、昼も夜も関係なく繰り返される実験。酷い吐き気や目眩を引き起こす投薬と、身体中に差し込まれたチューブ。痛くて、苦しくて、怖い、あの日々。助けてと何度泣き叫んだだろう。そんな絶望しかない地獄みたいな場所に、いまさら戻れと?

「忘れてなどいない。だが宝条博士の命令だ」
「ほう、じょう……」

無意識に、身体が震える。自分の身体を両腕で抱き締めるけれど、震えは止まらない。あの男は、また私を苦しめるつもりなんだろうか。

「…ナマエ、聞いてくれ。信用しろと言っても無駄だろうが、我々タークスがお前の身の安全を保証する」
「…なに、言って……」
「危険な行為は、私が赦さない。神羅に戻るなら、タークスがお前を護ろう」

何を言っているのか、本当に訳が分からなかった。ツォンから発せられる言葉は耳に届くのに、理解ができない。意外にも優しく肩に手が置かれた瞬間、弾かれるようにその手を払い除けた。

「……神羅には死んでも戻らない」
「これは命令だ」
「私は神羅のモノじゃない!」

吐き捨てるように叫んで、掴まれた腕を振り払って走り出す。

「次は力尽くで連れ戻すまでだ」

追いかけてくる気はもうないのかそこから一歩も動かず、ツォンは最後にそう言った。それに気付かないふりをして、振り返らずに走った。
階段を登り、反対の線路へ降り立ったけれど、やっぱりそこにクラウドたちの姿はなかった。心細い、なんて浮かんだらしくない感情にひとり苦笑する。

ツォンのことは、昔から知っていた。宝条から受ける拷問にも似た実験の合間に、隔離された個室に何度も足を運んでいたのがツォンだった。その頃のツォンは、口数こそ少ないけれど、私の身体を気遣ったり、宝条の目を盗んでお菓子を持ってきてくれたり、唯一心を許せる存在だった。
でも、助けてはくれなかった。
痛ましいものを見るように優しい手で手当はしてくれるのに、決してそこから連れ出してはくれなかった。
だから、ツォンが言ったあの言葉に思わず笑いが出そうだった。安全を保証?護る?あの時、どんなに私が泣いてすがっても、ただ困ったように見ているだけだったくせに…!

「……はぁ。なに感傷的になってるの、私…。急がないと」

反吐が出そうなほど嫌な記憶と、弱い心。でも今の私には温かい居場所がある。クラウドたちが、待ってる。私は顔をあげて、魔晄炉に向かって走り出した───。
prev | next
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -