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連れられてきたのは実験器具が並ぶ、陰湿な空気が流れる部屋だった。乱暴に突き飛ばされて、床に膝から転ぶ。素早く後ろ手に両腕を手錠のようなもので拘束された。見上げた先にいた人物に、思わず目を見開く。
「──エアリス!?」
「ナマエ!?どうしてここに…!」
大きな強化ガラスの容器に入れられたエアリスが、同じように目を見開いて大きな声を出した。やっぱり、エアリスを迎えに来ようとして正解だった。古代種という格好の実験対象を前に、この腐った男が黙っているはずもないんだから。
「おや?知り合いかね?…まあいい。まずはレプリカ、君にはこの薬を飲んでもらうよ。ひひひっ」
「───っ!」
差し出された見覚えのある青い液体に、身体が拒絶反応を起こす。喉がカラカラに貼り付いて声が出せずにふるふると首を横に振る。脳裏に過ぎる、耐えられないほどの吐き気と目眩。座り込んだままずりずりと後ずさるけれど、そんなものは何の抵抗にもならなかった。
「そんなに嫌がらないでくれたまえ。暴れられちゃ困るんでねぇ」
「やめて!お願い、ナマエに手は出さないで…!」
「ひっひっ、古代種はそこで大人しくしていてくれ」
「っいや、…やめ…!」
エアリスが叫んでいるのが遠くに聞こえる。ぐい、と宝条に顎を捕まれ無理矢理上を向かされて、青色の液体が入ったビーカーが口元に近付いて──。
「ナマエ!!」
「っクラウド…?」
駆け込んできた複数の足音と、ずっと聞きたかった大好きな声。同時にぴたりと宝条の手が止まった。声がしたほうに視線を向けたら、怒りを顕にしたクラウドたちが立っていて、その途端に涙が零れた。こんなことで泣くなんて情けない。でも、来てくれたことが嬉しくて堪らなかった。
「その手を離せ」
「…ふむ、邪魔が入ったか。仕方ない」
「あっ、おいまて、テメェ!」
宝条はそう呟くと、バレットが銃を構えるより早く近くにあったリフトへ乗り込んで消えていった。
「ナマエ!無事か!」
「クラウド…、っクラウド!」
駆け寄ってきたクラウドが手錠をバスターソードで切り落として、心配そうに顔を覗き込まれた瞬間、自由になった両腕でクラウドの胸の中に飛び込んだ。一瞬驚いたように身体を強ばらせたクラウドも、すぐに私の背中に腕を回して強く抱き締め返してくれる。
「ナマエ…。すまない、また守れなかった…」
「ううん…だって、また助けてくれた…。ありがと、クラウド…」
「何度だって助けるさ」
クラウドの暖かい腕の中に包まれて、あんなに怖かったことが嘘のように消えていく。申し訳なさそうにかけられる声も、体温も、匂いも。全部全部、私の心を落ち着かせてくれる薬みたいだと、ふと思う。
「──取り込み中のところすまないが、サンプル収集に協力してもらおうか」
突然無線を通して聞こえてきた声に、身体が緊張で強ばった。見上げると、上の階の硝子の向こうに立つ宝条の姿があった。クラウドが腕を緩めて、私を真っ直ぐ見て頷いてから、立ち上がった。
「お前に付き合っている暇はない。ナマエもエアリスも、返してもらうぞ」
「返す?返すとは?私の記憶が定かなら、古代種は自分の意思で来たはずだが。…もっとも、レプリカのほうは我社の総務課の働きのおかげだがね。それともなにか、彼女たちは君の所有物なのかね?」
「あぁ!?マリンを使って脅したりタークスを使って誘拐したのはテメェらだろうが!」
バレットが硝子越しの宝条に向かって怒声を浴びせても、宝条は全く余裕を崩さなかった。多分、あの硝子は防弾仕様にでもなっているんだろう。ふと宝条がクラウドに目を留めて、何かを考えるようにじっとその顔を見つめた。
「んー……?その瞳、ソルジャーか?」
「……ああ」
「いや、違う…。あぁ…思い出したぞ。私の記憶違いだったな。お前はソルジャーでは────」
宝条が続きを言う前に、それは遮られた。突然、何度も見たあの黒い影がまた湧き出てきて、宝条がいる場所へ猛スピードで突っ込んでいくのが見える。
「なっ!なんなんだこれは──!」
「っ!?」
その場にいた全員が、宝条の身体が無数の影に押し流されるのに目を見開いた。
宝条が言いかけた言葉。それはクラウドに関することだった。"ソルジャーでは"、その言い方だとそれに続く言葉は否定しかないんじゃないか。それに、黒い影の動きは、あたかも続きを言わせないように邪魔をしていたようにしか思えなくて。宝条が言いたいことも、影の思惑も、全部訳がわからなくてただただ懐疑心が募ってしまう。
そんな私に気付いたのか、ティファは眉を下げて小さく頭を振って見せた。それの意図がわからなくて、首を傾げたけれど、それ以上ティファが何かを言うことはなかった。