くやしくなんかないんだから




 笑っていて、ずっと。
 掌に包んだ、透き通った柔肌を持った彼はゆっくりと首を縦に振った。熱い指が自分のと重なって、乙女のように恥じらいを見せつつ彼は確かに呟いた。
 もう少し、このままで。



「という、夢を見たんだ」

 開口一番、基山ヒロトはとんでもない妄想を語った。
 枕元に置いた目覚ましの短針は3を指している。PMではない、AMである事を述べておこう。
 レム睡眠真っ只中だった晴矢は半分まだ眠りつつも、半分腹立たしかった。
 顔を押さえて、リュウジったら大胆ーアッー! と叫ぶこの男を殴っても良いだろうか。他の家庭はどうだか知らないけれど、このお日さま園だったら満場一致でこいつを瀕死状態に持ち込むだろう。きっと罰はあたらないな。時間も経てば勝手に復活するだろうし。自分も安心して眠れるだろうし。完璧じゃね? てか俺天才じゃね?
 ここまで思考した所で、晴矢は背後に拳を隠しながら隙を窺う。チャージも忘れないでおく。
 ベッドで悶絶している気持ち悪い生き物が、身体をじたばたさせるせいで近寄る事を許さない。攻撃は最大の防御。ヒロトのくせに生意気だ。
 すると、急に諸悪の根源は静まった。
 今がチャンス! 脳裏でもう一人の自分が叫ぶ。
 拳を振り上げる。喰らえ、まきわりチョーップ!
 垂直に下ろした拳は、悲しいかなヒロトを捉える事はなかった。弾みの良いスプリングにカウンターを受けて、晴矢は後ろに引っくり返った。鈍い音が響いて、ヒロトは目をぱちくりとする。

「何やってるの晴矢」
「うるさい」

 ヒロトは拳の落下地点から、横に一回転分離れていた。運の良い奴め。
 ベッドヘッドからの追撃が効いた。まだ頭蓋の中で痛みがぐわんぐわんしている。睨みつけてやると、ヒロトは何を勘違いしたのかにこりと笑う。

「リュウジは俺にデレデレだけど、風介はそんな事しないもんね」
「は?」
「大好きー、もっとぎゅってしてー、とか」
「は?」
「ちゅーしてーとか、ちゃんと俺を見ててー、とか」
「何を言ってんの」
「リュウジが言ってくれたんだー」

 うふふ、と幸せそうに言うが、それはお前の妄想だ。
 はいはい脳内彼女。とても痛いです。付き合ってられん。
 晴矢はベッドに横たわる。先程の鈍痛は治まってきていた。
 布団に丸まって我関せずとする晴矢に気分を害したのか、ヒロトは彼に跨った。起きろーと叫び、上で跳ねる。苦しい。中身出ちゃう、中身が。小さい頃見た、道路で潰れていた蛙が記憶の海から浮かんでくる。

「何の真似だ」
「メイちゃんの真似」

 潰れた蛙の気持ち、ではなく娘に起こされる父親の気持ちが正しかったようだ。こんな大きい娘を認知した覚えはない。しかも娘じゃない。森の中に昔から住んでる妖精も居ない。
 重い目蓋。押し潰される骨と脂肪と内臓。中々にグロッキーな状態である。あからさまに顔を顰めているのを知ってか知らずか、ヒロトは構わず脳内彼女の惚気を続ける。

「それでね、俺が好きって言うと、リュウジったらぽっと頬を染めちゃってさ。俺もきゅんってなってね、うりうりぎゅーってしたくなってさーもう!」

 布団の上でそんな興奮しないで下さい。お願いします、出るとこ出ます。
 だがそれは口にしない。そんな事を漏らした日には、自分の大切な物が失われる気がするからだ。
 早く終わってくれ。晴矢は目を閉じる。もう白い翼を持った幼児がラッパを持って、自分を迎えに来る寸前だ。

「ほら、バーンも」

 何がほら、なんだ。
 漬物石はやっと退き、無邪気に笑う。

「ほら、風介の事喋ってよ」
「何で」
「彼氏同士が集まったら、相手について惚気るのは相場でしょう」

 それ初めて聞いたんだけど。ほらほらと相手は促してくる。

「風介は、可愛い」
「普通」
「クールビューティ、静か、知性的、ツンデレ」
「デレてる?」
「デレてるデレてる。ツンデレ比率が8:2くらいが丁度良い」
「そっか、晴矢ってエムだったんだね」

 エム? エムって何だ。駄目だ頭が回らない。

「あのね、リュウジはね、怖がりの癖に怖いもの好きだったりするんだよね。強がりだからさ。この前のホラー映画特集の時も全部見た後で、俺のとこに一緒に寝てって来てさ」
「ふうん」
「そうそう。怒った顔もすごい可愛いんだ。楽しみにしていたアイスを食べちゃった時なんて、絶交だ! って広言しておきながら、最後には自分から言い過ぎたって謝ってきちゃって。俺が悪いのに。ちゃんと俺からも謝って、ハーゲンダッツ買ってあげたんだけどね」

 そりゃ良ござんした。風介はアイス食べただけでボコボコにしてきますからね。

「風介だって、俺が怪我した時とかすごい心配してくれるし。救急箱持ってあたふたするし。熱出た時もずっと手握っててくれるし」
「遊びに行っただけで何処に行ってきたの、帰ってこないかと思ったって言ってくれるよ。今度は俺と一緒に行こうね、って誘ってくれたりもするし」
「この前映画見に行ってきた。その後、喫茶店入ってパフェ食べた」

 俺の奢りで、風介が全部食べた。

「俺もやったよ。一緒に食べるとすごい美味しいよね。あとカップルで頼むジュース? ストローがくねくねしてて、中々吸えなくてさ。二人で顔真っ赤にさせながら、飲んだんだ」
「ふうん。妄想もそこまで行くとあれだな。すっげえ痛えな」

 おっと口が滑ってしまった。
 晴矢は恐るおそるヒロトを見やる。きょとんとしたまま、彼は首を傾げた。

「言ってなかったっけ? あれ、言ったのは風介にだったかな?」

 あのね、と彼は頬を染めながら囁く。

「俺と、リュウジは……」

 重要な所で邪魔が入るのはお約束なのか。
 部屋の扉が開いた所で、ヒロトの口から発せられる筈だった言葉は飲み込まれてしまう。

「やっぱり、こんな所に居た」
「リュウジ!」

 息を切らしながら飛び込んできたのは、顔を真っ赤にしたリュウジだった。

「どうしたの、こんな遅くに。怖い夢見た?」

 そういうお前も、こんな時間に人を叩き起こすんじゃありません。
 リュウジは脇目も振らずにヒロトに飛びつくと、彼の頭をぐちゃぐちゃと撫で付ける。

「ヒロトが泣いている夢を見たから。それで起きたら隣に居ないし、多分、晴矢の部屋かなって思ったら……居て」

 馬鹿野郎と呟いて、リュウジはヒロトの胸に顔を埋めた。よしよし、悪かったと謝るヒロトの表情は笑っている。幸せすぎてどうしよう、という顔だ。
 きっとまだ夢の世界なんだ。もしかしたら知らずにヒロトの夢の世界に来てしまったのかもしれない。だからこんな妄想が(晴矢にとっては悪夢でしかない)具現化しているんだ。
 今夢の中だと気付いたのならば、明晰夢という事で自分の思い通りに世界を動かせる筈。さあ、夢よ覚めてくれ。お願いします、覚めて下さい。
 布団の中で目を閉じても、悪夢は終わらない。
 此処は人の部屋です、という抗議の声も上げられない。可笑しいな、と乾いた笑いが漏れる口の中に、塩辛い水滴が入っていく。






澄桜様からのリクエストで「受け自慢をする基緑+南涼」でした。
俺のが可愛い、と張り合う攻めというのはありきたりすぎるのもあれだったので、ヒロトに無理矢理付き合わされて最終的に悔しくなってしまう南雲でした。巷で変態だと言われるヒロトも書いた事なかったのでそれの挑戦も。妄想乙だと思っていたら本当の事で、しかもらぶらぶでバカップルで自分たちもそうなりたかったけどできなくて、な基緑一人勝ち。しかし涼野が出てない! 
澄桜様リクエストありがとうございます!リクエストから約6ヶ月。鈍足で申し訳ありません。

2010.12.12 初出 

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