テストラン、木曜日




 青臭い香りが鼻につく。
 雨が上がったばかりの帰路は、街路樹の葉が何枚も散らばっていた。蒸れて立ち昇った木の匂いを、風介は嫌いではなかった。
 今日も、来週末に提出しなくてはいけない課題のせいで遅くなってしまった。
 一昔前の機種の携帯をポケットから取り出す。サイドボタンを押すと、暗闇の中でぼんやり白い光が灯る。19時56分。もうすぐ20時じゃないか。溜め息を吐く。自分はプログラマーやセキュリティ管理者には向かないかもしれないな、と痛む目を揉む。
 ブル、と携帯が手の中で震えた。メールの受信だ。数秒で震えが止まる。

『俺、バイト始めたから今週日曜は無理になった。ごめん』

 南雲晴矢からだ。
 風介は目を細める。日曜会えるというから、頑張っていたのに。携帯を放り投げなくなった。返信をする気もない。
 雷門はバイトOKだったか……、ああ、そういえば兄弟を養う為にバイトを掛け持ちする奴居たな。
 傘をぐるりと振り回し一回転、刀のように構えてみる。この手遊びは小さい頃からの癖だ。サッカーをしないで、剣道をやっている「if」もあっただろうなと思う。

「バカ晴矢」

 傘の先端から滴る水を掃うように、もしくは此処に居ない彼の幻影を薙ぎ払うように、傘を一振り。
 そういえば、シャープペンの芯がなかった気がする。
 風介は方向転換をし、ここから一番近いコンビニまで歩んでいった。



 一週間後、月・火・木・日の四日は駄目だと追撃をされた。
 ほとんどじゃないか、と一時晴矢のアドレスを拒否設定に入れようかと考えたが止めておいた。どうせ今日も文法エラーが見つかって、修正して、テストランをして、エンドレス。早く帰れる事はないのだから。課題の為、会える時間は少ない方が良いかもしれない。
 鞄に詰めた授業用ファイルから、作業用シートを取り出す。英語の羅列が、電車の揺れと共に脳内に入り込んでいく。ひどくゆっくりと意味を把握していくのがいらいらする。モニターをずっと見ていたから、疲れたのかな。肩を揉む。少し緊張していて張っている。ああ、ここ、ピリオドを付け忘れている。これも1じゃなくて2だ。
 駄目だな。
 頭をかき上げる。しっかりと動く頭の時じゃないと、ちゃんと書けない。
 電車のアナウンスが響く。会社帰りのサラリーマンたちを押し退けるように扉の前まで行く。鞄をしっかり抱いて、車内から出て行く人の波に飲み込まれながら改札まで進んだ。改札に定期を当て、ピッと音を立てる。そこかしこから鳴る電子音が愉快に思えた。
 明日完成できるように、家で作業用シートを仕上げなくては。頭を使うから、甘い物でも買っておこうかな。何にしよう。そうだ、この前テレビであそこのコンビニの杏仁豆腐が美味いとかやってたな。あとプリンアラモード。財布には千円入ってるし、少しだけ贅沢しても良いだろう。



「らっしゃーせー」

 やる気のない声だな。ちらりと店員の方を見る。赤毛に、くすんだ黄色のエプロン……。

「晴矢?」
「あ? あ、え、ああああ」

 ぱちくりと目が瞬いたと思ったら、相手は口を押さえて慌て始めた。
 コンビニのバイトだと聞いたが、うちの近くじゃないか。晴矢の家から此処までは20分もかかる。

「此処のコンビニだったのか」
「ああぁあ、うん、まあぁ」
「ふうん」

 視線を戻し、食品が並ぶケースに近寄る。
 杏仁豆腐と、プリンアラモード。あとティラミス。アイスも。染みチョコも食べたい。これだけあれば、充分か。何日持つだろう。
 晴矢が未だに口をぱくぱくとさせるレジに、甘味がぶちまけられる。商品を手に取る仕草をしない彼にいらつく。咎めるように声をかけると、現実に戻ってきたのか、わたわたと晴矢はバーコードをリーダに通し始める。無機質に鳴る電子音。先程の改札の音の方が面白かった。
 ビニール袋ががさがさ鳴る。この音も、今は少しむかつくな。 

「546円です」
「600円でお願いします」

 財布から硬貨を2枚取り、レジに置く。晴矢は指を滑らし、レジの中へ硬貨を入れる。レジの中で、指が何回か動く。

「54円のお返しです」

 レシートと釣り銭が渡され、財布に滑り入れる。
 じっと見つめてくる晴矢の顔を、ようやく見てやった。

「あのさ」

 弱気な態度に、そのまま店を出たくなる。
 まだ自分は怒っているのだ。映画を見て食事をすると言うから、折角新しい服を買ったのに。その服はもう卸して、別の友達と遊びに行く時に着てしまった。

「何だ、わたしは早く帰りたいんだが」
「……ごめんな」
「ホントにな」

 ビニール袋はレジの上に鎮座したままだ。
 このレジは使えないと知って、隣のレジへ客が移動する。只ならぬ雰囲気に、他の客は出来るだけ二人の方へ視線をやらないようにしていた。

「それで、さ……、埋め合わせってわけじゃないけど」
「今日は駄目だ」
「うっ」

 どうせ、バイト終わってから会おうって事だったのだろう。
 残念だったな。これからわたしは課題の為、机に向かうんだ。

「じゃ、じゃあ土曜に」

 既に半ベソをかきそうだ。晴矢はバイト中だというのに、目元を赤くして鼻を啜り始める。
 風介があからさまな溜め息を吐くと、彼は体を大きく跳ねさせた。

「金曜だ」
「え」
「その、今週の金曜は親が居ないから……」

 家に来てもいいぞ。此処から涼野家まで近いのだから。

「じゃあ」

 何事もなかったかのように、顔に出さないように気を付けながら店内から出る。
 はあ、とまた溜め息が出た。ここ最近溜め息ばかり吐きすぎだ。
 しかし、何て事を口走ってしまったのだろう。後ろを振り返ると、客の引き払ったレジで、先輩らしきアルバイトからからかわれる晴矢の姿が見えた。
 あんなに顔を真っ赤にさせて。そんなに嬉しかったのか。

「頑張らなくては」

 木曜までに、ちゃんとしたプログラムを走らせて先生に提出をしよう。金曜は放課後から予定は入れられないのだから。
 あっ、さっきの言い方だと、あれ、なのかな……。親居ないから、とか……。
 今度はこっちの頬が火照る番だった。





葱様からのリクエストで「コンビニバイトを始めたばかりの高校生南涼」でした。
コンビニバイト、がお題なのにあまりそれが引き立っていないですね。学生設定だったので、「により」にしてみました。雷門高1年の南雲と情報系高校1年の涼野。涼野の授業課題などは自分の学校参照です。
できるだけ涼野の近くにいたくて、涼野宅近くのコンビニにバイトに行ってしまう南雲。涼野もそのコンビニに週4通いだすんじゃないかな、と思います。
葱様リクエストありがとうございます!リク消化が遅くなってしまいました…。
またこちらに遊びに来てくださると嬉しいです^^

2010.11.08 初出 

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