7月23日快晴



 じわじわと悲鳴を上げる蝉の声は遠い。生温かい風が通り抜け、汗を乾かすものの、次から次へと額から大粒の水分が放出されていく。
 冷たいリノリウムの廊下を叩く俺の上履きと、先生の黒合皮の靴。 半袖から出る腕は細い。目に入りそうになる汗を拭う事もできず、先生は眉を寄せた。
 暑いですね、と声を掛けると、京都はもっと暑い、と返される。先生は明後日、取材の為に京都旅行に行く。
 準備室の扉を、先生は足で開けた。器用なもので、先生曰く、手より足が先に出るらしい。
 扇風機が首を振る部屋は、教室よりも廊下よりも何倍にもマシだった。机の上に荷物を置くと、先生は一息吐いて、やっと汗を拭った。

「すまないな、手伝わせてしまって」
「別にー。先生、今日の補習に俺来てなかったら、きっと困ってたぜ」

 先生は俺よりも仲の良い生徒なんて居ないはずだ。俺は先生の顔を盗み見た。心外だという表情で、髪をかきあげている。涼野先生は、自分が追い込まれたりイラついたりすると髪を触る癖があった。それで女みたいだとからかわれる。しかも一人称も「わたし」だから余計にだ。俺は逆にかっこいいと思ってるけど。

「借りを作ってしまったな。手伝ってくれたお礼に、少し休んでいけ。麦茶とアイスがあるから」
「先生太っ腹!」
「他の奴らには言うなよ」

 小さな冷蔵庫を開け、先生がアイスを手渡してくる。ソーダ味のガリガリくんだ。涼野先生はアイス好きって、本当なんだな。冷蔵庫の中、アイスでいっぱいだ。

「他の先生たちは?」
「生憎、皆さん出張だ。今日はわたし一人だ」
「夏休みだってーのに、先生は大変ね」
「いや、わたしは週2だけだ。麦茶に、氷は」
「あ、じゃあ入れて」

 青い湯呑みが引っ張り出されて、中に氷が入れられる。ポッドから麦茶が注がれる音は、何だか心地良い。
 アイスの袋を取り去って口に入れる。ああ、生き返る。しゃくしゃくと噛み下して飲み込めば、もううっとりとしちまう。

「なあ、南雲」
「んー」
「もう、風邪はいいのか」

 そういえば、風邪を引いたから補習受けなくちゃならなかったんだよな。俺は頷いて、アイスをしゃぶる。

「そうか」

 先生の薄い背中が、汗でシャツ越しにでも分かる。一番最後のアイスの塊を食べて、棒を引き抜く。
 立ち上がって物音を立てないように、先生の後ろまで行く。白い項が、暑そうに水分を垂れ流していた。

「先生」
「南雲……っ」

 背中から腕を回すと、先生は体を跳ねさせた。戸惑いながら、俺の手に自分の手を重ねてくる。

「なあ、南雲」
「ん」
「思い違いかもしれないが、その、わたしが好きなのか」

 今更気付いたのか鈍感め。
 今までに色んなアプローチを先生にしてきた。手を繋いだり、お菓子をあげたり、手伝ったり。寝ている先生にキスをした事もあった。今日も、涼野先生でなければ補習をサボっていた。わざわざ夏休みに、勉強しに学校に来ると思う? この俺が?

「うん」
「……わたしでもいいのか」
「当たり前」

 思いがけない言葉に俺はすぐ返答する。
 風鈴が風に揺れて、ちりん、と鳴る。先生の手の力が一層強くなった。

「わたしは大人で、君はまだ15で……」
「先生23じゃん。若いよ」
「未成年だ、君は」
「いーの」
「わがままだ」

 先生は少し笑った。俺は先生の背中に額を押し付ける。

「南雲。君は未成年だし、わたしは男だ。非常勤と言えども、教師と生徒の関係だ。見つかれば即アウトだし、君を幸せに出来ないかもしれない。それでもいいのか」
「いーに決まってんじゃん。それに、俺が先生を幸せにするんだ。そこは間違えんなよ」
「そうか」

 恥ずかしいな、と先生は体を反転させる。細い腰。息をする度上下する胸に、唇を押し当てる。

「いつから、俺が好き? 好きじゃなきゃ、こんな事言わないだろ」
「3週間前。君が休んだ時からな」
「心配だった?」
「……ん。こんなに生徒を気にかけるのもおかしかったから」

 汗の匂いと、先生の匂い。扇風機の羽音が、うるさい。

「先生。今日、手伝いに行って良い?」
「何の」
「旅行。荷物詰め、手伝わせて」
「今の若者は、手が早いんだな」

 先生だって若者じゃん。
 俺は先生が頷くのを待ってから、先生の目を見た。熱っぽい翠の瞳が、細められる。

「ね、先生。アイス、当たった」






羽毛様からのリクエストで「生徒×先生な南涼」でした。
この涼野は社会科担当の非常勤講師、という設定です。南雲は高1。設定は決まっていたのですが、夏という事もあってホラー風味にするか迷っていたりしました。自分の中でこうしたいなとあったのは、2ちゃんねる風。南雲が書き込みするようにしようかと考えていたのですが、馴染みがないというのもありボツ。気が向いたら、ホラーっぽい涼野先生と南雲くん書くかもしれません。しかし、涼野の好きになったという所が曖昧なのが心残りです…うーん。
羽毛様、リクエストありがとうございました!夏のお供、ガリガリくんとご一緒にお受け取りください!ご意見などはメールフォームからどうぞ^^

2010.08.08 初出 

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