コンビニから帰ってきて、買ってきたジュースを冷蔵庫入れようとリビングを横切った時だった。
ソファにゆったりと体をもたれさせたガゼルが俺の帰宅を確認するなり、バーン! と大声で俺を呼んだ。
ビニール袋を提げたまま、その場で足を止める。
なんか嫌な予感がするな。
このまま部屋に走り去りたいが冷たい瞳が蛇のように俺を捕らえて離さない。
吹き出た汗がたらりと額を流れ落ちる頃、ガゼルが口を開いた。

「紅茶を淹れてくれ」
「えー」
「えーじゃない。お前の茶じゃないと飲めないんだ」

さりげなく嬉しい事を言ってくれるが、俺はそれどころじゃないっての。
これから部屋の掃除もあるし、夕食当番もあるし。
時は金なり。時間の無駄は愚か者のする行ない。
できるだけ時計を気にして行動したいのだ。
断る、の「こ」を言った瞬間、ガゼルの持っていた雑誌が俺の顔にヒットした。痛い。

「早く淹れてくれ」
「仕方ねえな……」

相手は怒ると手当たり次第に近くにある物を投げつけてくる迷惑な癖もあるわけで、それをされて滅茶苦茶になった部屋を掃除しなくちゃならないのは俺だ。
床に落ちた雑誌をガゼルの方へ投げ渡すと、片手で受け取ったガゼルは中を開いて再び読み始めた。
いそいそ台所に引っ込んでジュースを冷蔵庫に入れて、やかんの準備をする。
ダイヤモンドダストが持ち込んだティーポッドに茶葉を落として、湯が沸騰するのを待つ。
茶を淹れる位、なんて事ない筈。
だが正統派にこだわったり、簡単なティーバックは嫌だという奴らが中には居るわけで色々と面倒だ。
ティーカップはあらかじめ温めておけ、香りを逃がさないようにしろ、ちゃんと温度にも目をやれ……。
特にガゼルは熱いのが苦手だから温度は低めにしなくちゃいけない。
季節によっても変わる好みの温度を正しく把握しているのは俺とほんの一握りの奴ら。
うん、なんで俺そんなの知ってるんだろ。


淹れた紅茶を零さないようにガゼルの前に置いた。
熱を逃がさないようにカバーを被せたティーポッドと、ガラスの砂糖入れとミルクポッドも一緒だ。
静かにカップに口をつけたガゼルは、やがて満足げな笑顔を浮かべた。
味も温度も文句がないらしい。

「やはりお前のが美味しいな」
「どうも。でもそれはきっと茶葉が良いからだろうな」
「それはないな。いつも買っているのは市販の約600円で売られている一般的なアールグレイだ」
「ふうん」

実は安っぽい香りを楽しみながら、奴は雑誌のページを捲った。
絵画に描かれるような気品のある雰囲気をまとう、このワンシーンが俺は好きだ。
黙っていれば可愛いのに……、まったくもってそうだ。
紅茶の美味さにうっとりするガゼルは俺を見て、微笑む。
最近こいつはよく笑う。

「わたしは茶葉が高いとか安いとか気にしないが、バーンが淹れたからこんなに美味しいと感じるんだ」
「そうか。じゃあ温度を覚えていて良かったよ」
「良い召使いだな、褒めてやる」

ふんぞり返ったまま、カップの中身を空にしたガゼルは俺にそれを差し出した。

「俺召使いじゃないんだけど」
「犬じゃないだけマシだ、ほら」

押し付けられたカップをしょうがなく受け取ってもう一度紅茶を注いだ。
それでその中にたっぷりとミルクを入れて砂糖も2杯加えた。
ガゼルの2杯目は必ずミルクティーで今の分量が一番好きなのも把握済み。
柔らかい色に変わった紅茶を渡した。

「やっぱりお前は出来の良い召使いだ」
「そうかい。じゃあ俺掃除しなくちゃいけないから」

誰かさんのせいで、ペースを早めなくちゃな。
さっきと味の変わった紅茶を飲むガゼルは俺を見ずに頷いた。
用がなくなればあとはどうでもいいらしい。
少し寂しいと感じつつもリビングを出ようとすると、背後に気配を感じた。
近づいてくるこの冷たい空気はガゼルのに決まってる。
驚く事はない、振り返ろうと首を曲げようとする……前に、頭に腕が回った。
後ろを振り向かせられるとそこには悪戯そうに笑う奴が居た。

「チップだ、受け取れ」

その言葉を理解する前に、口にほんのりと甘さ控えめでまろやかなミルクの味を感じた。








なたにお茶を











BGMはそのまんまSOUNDHOLICの「あなたにお茶を」です。曲もPVも最高だと思う。
何かとプライド高いから、お茶の入れ方一つもうるさそうなガゼルさん。でも別に高級思考ってわけじゃないらしい。むしろ安くても高くても変わんないとか思ってそうだな。
私の中でバーンはガゼル専属の召使なのだろうか。そうじゃなくて、苦労人? 可愛いのに苦労しているって……いい。

2010.02.03 初出

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