それは突然の事。 アイシーが私の部屋を訪ねてきて、そして私の目の前でへたりこんで泣き始めたのだ。あまりの驚きに私は持っていた宿題のプリントとシャープペンを放り出した。からん、とプラスチックが落ちる音を耳が拾う。 泣き続けるアイシーが嗚咽し、時々えづきながら咳を繰り返すから見ている私も苦しくなってきた。どうしたの、と繰り返し彼女に聞けば、やがてしゃくりあげながら柔らかい唇が言葉を紡いだ。 そして私は凍りついた。 妊娠したかもしれない。 彼女は確かにそう言った。 「待って私たちはまだ中学生よ。そんなまさか」 「だって、生理がこないんだもの。予定日から10日も過ぎてるなんて、妊娠としか考えられないわ」 アイシーはまたわっと泣き出し、顔を覆った。私はアイシーの背中をさすってやり、落ち着かせてやる。相手をなだめる為に冷静なのを取り繕っているけど、私もアイシー以上に混乱を起こしていた。 アイシーが妊娠。本当だとしたら一体誰の子? 私のアイシーは一体誰に汚されたというの? さすり続ける手を止められ、彼女は私の指に自分の指を絡めてくる。小刻みに震える指を握り締めてやるけど、震えが止まる事はなかった。私は絶望を覚えた指先から彼女の体温を感じ取る事で意識を安定させていく。 どれくらいそうしていたかは分からないけれど、私はアイシーの涙が止まった所でそっとそういう行為をしたのか聞いた。それにアイシーは顔を赤くして慌てて首を振る。そうよね、私がいるのにそんな事をアイシーがするはずないわ。でも妊娠に至るまでの過程を完全にすっ飛ばしている。なら心当たりは? と優しく聞く。すると可愛らしく口を結んで開いてをするアイシー。あのね、と彼女はもじもじ恥ずかしそうに言った。 「お風呂、その皆が入った後のお湯に……せい、しが……あってそれが私の体の中に入ったんじゃないかって」 「待って」 手のひらをアイシーの額にぺちりとしてやった。 「そんなんじゃ妊娠しないわよ」 学校の授業で習ったでしょう。 結局、ただ単に生理が遅れただけの話だった。それに焦ったアイシーは最近知った妊娠までの過程を思い出し、「生理が来ない=妊娠」と考えたらしい。妊娠するには卵子が精子とくっつかなければできない。その精子はどこから。そうだ、お風呂だ。という風な彼女の勝手な思い込み。 「アイシー、あなたこのままじゃ次の保健のテスト赤点ね」 「妊娠じゃないとすれば、じゃあ……」 「そうね、ああ、あれよ。あんたダイエットするとか言って食事制限したり運動量増やしたから。生理も遅れるわけよね」 なんだ、心配して損した。 私は笑って彼女の髪を撫でてやった。 あー何よ、本当に心配した私が馬鹿だった。 「何泣いてるのよ」 アイシーが呟く。 私は何時の間にか頬から伝い落ちる水滴を袖で拭って、彼女にデコピンをしてやった。いつものお返しよ。満足げに笑ってやれば、相手も指を掲げ、額に鋭い一発をお見舞いしてくれた。 今のは痛かった! 額を押さえて、もんどりを打てばアイシーの笑い声が聞こえる。それに安心しながら、私はアイシーの膝へ軽い蹴りを入れた。 「一回は一回よ!」 腰を上げた彼女が私に覆いかぶさってくる。腹を胴体で押さえつけながら、私の足裏を掴みぎゅーっと指で押してくる。 「あーっ! 痛いいたい、やめてよー!」 「あんたがいけないのよ! ほら、もっと足ツボ押したげる!」 「きゃー! 痛い、あんたの痛いのよもー!」 そうして軽いプロレスごっこをした後、アイシーはたっぷり私の足をぐりぐりしたのに最後にはぐったりとなった。 暴れる私を押さえつけるのに相当体力を使ったらしい。食事の量を少なくするからそうなるのよ、お腹なってるじゃない。 「お腹減ったよう」 ほら言わんこっちゃない。 「知らないわよ」 「なんかない? お菓子とか」 「ほら、ちょうど良くキャラメルがある。感謝して」 机の引き出しから糖分補給用のキャラメルを出した。引き出しの中にはまだまだお菓子があったのだけれど、ダイエット中の身には手を出しにくいカロリーの物ばかり。私はその中で一番低いキャラメルを選ぶ。 黄色い箱を見せた途端、きらきらとアイシーが目を輝かせ手を出した。 ああ可愛い、でもね。 ひょいと私はキャラメルを遠ざけた。ああっ、と情けない声を出して文句を言い出すアイシーに一言。 「お騒がせしたお詫びに、ちゅーしなさいよ」 アイシーからね、と言えば彼女は躊躇した。視線が明後日の方向へ向いたり、キャラメルを横目で見たり。 「大丈夫、キスで妊娠はしないわよ」 「そうだけど」 そこではた、と彼女は気付く。今の私の言葉にからかいの色が含まれていた事に、怒り出した。 「保健ができないからって、それくらい私にも分かるわよ!」 「はいはいはいはい。そうよね、キスで妊娠したら世の中少子化なんてなんないわね。で、キャラメルはいるのかな? いらないのかな? どっちかね?」 にやにやする私にアイシーはまた黙った。 ふむ、と口元に箱を当て思案する。そして箱を引き出しにゆっくりと戻すアクションを取ったら、アイシーはだめ、と悲痛な声を上げて私の体に飛び込んできた。 唇にふに、とマシュマロのような感触。 あっという間の出来事だった。 びっくりする私の手からキャラメルの箱が取られる。 「これでいいんでしょ」 「あ、ああうん」 ぼーっとする私の前で、彼女の口に茶色いキューブが放り込まれる。甘いものを食べているのに固い表情である。 もぐもぐ、キャラメルを咀嚼する彼女は無言。 私も無言。 ちょっと恥ずかしくなった。 残っていたキャラメルは全て完食され、箱がゴミ箱に放り投げられる。 ご馳走様、と彼女は小さく言うと部屋の扉へ歩いていった。私は何も言わず、彼女を見送る。 「あのね」 彼女の声が聞こえる。私は目を合わせた。 「うん?」 「私、レアンの子供なら妊娠したら嬉しい」 「そう、ありがとう」 予想外の一言。私は素っ気無い返事しか返せなかった。 かちり、と扉が閉まる。 静かになった部屋で、私は長い溜め息を吐いた。カーペットに落ちたシャープペンとプリントを拾い、勉強机につく。宿題しなくちゃ、そう思ったけれどプリントに印刷された数字が頭に入ってこない。かちかちとシャープペンだけをノックする。 レアンの子供なら妊娠したら嬉しい、かあ。アイシー、女の子同士じゃ妊娠しないよ。 私はさっきの感触を思い出し、唇に触れた。 キスだけでも妊娠すればいいのに。自分で言った冗談だけど、切実にそう感じた。 ああ恥ずかしい、唇が少し乾燥していた。アイシーに気付かれちゃったかな。 赤い卵は必要ない 百合が好きなために書いた話といっても過言ではない。 生理がこない〜お風呂の件は実話であります。友達が生理がこないと話した時は驚いたものです。 このネタで書くのなら百合だ、じゃあ誰だ。唯一普通の女子中学生っぽいレアンとアイシー。この二人可愛くて仕方ない。 プロミネンスとDダスト女子コンビというとレアン+アイシー、ボニトナ+クララ、バーラ+リオーネになる。なぜ? ここでは百合になったが、親友とかライバルとかそういう設定も可愛いと思うんだ。 2010.01.15 初出 ←back |