オサナザクラ

桜はどうも苦手だ。
縁側から臨める隣家の桜木を眺めながら、私はふとため息をついた。あのちらちら、切なく振りゆく桃を見るとどうにも思い出してしまう。
桜は嫌いだ、と嘯いていた少女の事を。

* * *

さく、という少女に出会ったのは、私が十になろうかという頃であった。勝ち気な瞳とへの字に曲げた口が印象的な、いかにも不遜な少女。比較的、大人しい性分であった私だが、なぜかその少女とは親しくなった。相性が良かったのだろう。私と彼女はよく、さくの家に立っている桜大樹の下で遊んだものだ。

女子にしては珍しく、体を動かすのが好きなさくは、よく私と二人で鬼ごっこをした。どちらかが鬼となって、片方を追い掛ける。
私はさくと違って、運動はからきしであったから、さくが鬼になったならすぐに捕まってしまっていた。いつしか、私が専ら鬼としてさくを追い掛けるようになったのも必定と言えよう。
薄桃の白雪のような花びらが散ってゆく中での、たった二人の鬼ごっこの実に幻想的な事!
今でもその光景の鮮烈さを覚えている程だ。
ある日、遊び疲れた私たちは桜の根本に腰を下ろしていた。上空からは、桜の花びらがひらひら舞っており、私はその美しさにほうとため息をついた。

 ――綺麗だね。

私は知れず呟いていた。さくのつやつやしたおかっぱに薄桃が滑ってゆく。さらり、と風が吹けば、花びらとともに髪も揺れて、その対比を綺麗だと思った。
しかし、さくの反応は全く異なるものであった。彼女は眉をしかめて、苦々しく言い放った。

 ――私ね、桜は嫌いなの。

憮然とした表情で髪に着いた花びらを払い、さくは地面に積もったそれをいたずらにもてあそんだ。さくの少し日焼けした指が、白い花びらと踊るように絡み合う。
そんな様子に少し鼓動を早めながら、私はそれでも辛うじて問うた。

 ――どうして。こんなに綺麗なのに。

 ――だって、桜は私から父様をとるのよ。私だって父様と遊びたいのに。ずるいわ。

さくは恨めしそうに桜を見上げた。
さくの父親は庭師だ。この桜大樹もさくの父が世話している。以前、ひどい病気になったとかで、ここ数年はことさら父は桜の世話に没頭していた。さくはそれが気に食わないらしい。桜よりさくでしょ、とつぶやく彼女にそっか、と小さく頷いてやると、彼女はほんの少しだけ微笑んだ。

 ――ね、遊びましょ。このまま、ここにいるのも勿体ないわ。

暫くぼうっと座っていたのだが、唐突にさくが私の手を掴んだ。さくの幼い体温が瞬間私の身体に伝わってくる。ぴしん、と身体が硬直した。
普段からよく遊んでいたが、手を繋いだりすることはなかった。さくは私を置いてどんどん行ってしまうような子だったし、私はさくの手を繋ぐなんてとんでもないと考えていた。
そんなさくが、私の小さな手を今、確かに握っているのだ。その当時の私は本当に幼くてその感情の名すら不明瞭だったのだけれど、今考えるとそれはきっと「恋情」と名付けられるべきものであったろう。
しかし、今になってそんな事に気付いたって詮ない事だ。
私は、すらりと手を伸ばした。
隣家より塀を越えて流れてくる花びらを一つ掴み、なんとなしにそれをもてあそぶ。
……あれ以来、さくは、そしてあの桜大樹はどうなったのだろう。
父が早死にしてしまって、母の実家へ移り住んでから、私はその桜の状態を、さくの所在を全く知らない。


故郷を去る一日前、私はさくに偶然会った。母の遣いで乾物を買いに行った帰りの事だ。私の行かんとする方角のほうから、さくが父と並んで歩いてきたのだ。
私はそれを見て、胸にちくんと針が刺さるのを感じた。
恐らくさくに会えたからではない。
だからといってさくの父を、父という存在を見たからでもない。
それは当時の私が体験した、最も複雑極まる感情であった。
恋情に似て、嫉妬にも似て、そして寂寥を孕んでいるのに、そのどれとも言い難いモノ、感情。
私は咄嗟に視線を伏せ、さく父子からわざとらしく視線を逸らした。
さくはすぐに私に気付き、久しぶりと駆け寄ってきた。後ろには柔和に笑う彼女の父も見えた。


 ――なにしていたの。お使いかしら。


さくは私の父の事を知っていて、なお普段通りの対応をする事に決めていたようだった。日常的な言葉がするすると彼女の口から滑りでる。
私はなんだかむしょうにいたたまれなくなって、こくんと頷き早々にその場を立ち去ろうとした。


 ――あっ、待って!私、貴方に渡したいものがあるの。


そういって、さくは手に提げていた巾着袋から木彫りの置物を取り出した。うさぎ、であったように思う。


 ――どっか行っちゃうって聞いて。これ、あげるね。お父さんと作ったのよ。


可愛いでしょう。と、屈託なく笑った彼女を見て、私は、私の混沌とした感情の内、激情をはっきりと自覚した。
頭に血が上ったのだ。
気付けばその差し出されたうさぎをたたき落とし、呆然としているさくを横目にその場から逃げ出した。背中越しにさくの父の、私を呼んでいるのだか、歎いているんだかの声が不明瞭に聞こえた。

あの時、私はさくに裏切られたと感じたのだ。そして、さくに失望したのだろう。私にとってのさくは身近な異性であり、恋慕の対象であり、そして父を必要とできなくなってしまった私が目標とすべき少女とさえ感じていたのだから。
さくはあのうさぎをあの後、どうしたろうか。
私への怒りそのままに壊してしまっただろうか。
それとも、
私の仕打ちに涙し記憶の奥底へ仕舞われているのだろうか。

しかし、ああ。
大切にとまではゆかなくとも、どこかに置いてあるのやもしらんと、そう思ってしまうのは、私のエゴでしかないのだろう。
私は弄んでいた桜の花びらを高い位置から離した。ひらひらと舞い落ちるそれは、やがて急に吹いた春風に飛ばされてしまい、最早その行方は私の知るところではなかった。






追記より補足
と、いうか本題です。この話とはあんまり関係ないかな(´・ω・`)




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[2012.1112]




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